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山月記 2004
ここの牛伏山は群馬県にある山です(標高491m)
9/11修正

8月
 つぎに書くことははっきりは確認できなかった。
 カブトムシ(甲虫)の視界は白黒。視覚自体の機能は弱い。しかし、紫外線でものを見ることができる。そして、蜜のある花(樹液のことだろうか?)は紫外線を発し、白く見えるらしい。
 進化の過程で、カブトムシと植物、どちらが先にこんな方法を身につけたのだろうか?
 ・・・
 この話を聞いて、カブトムシになりたくなった。行きたい美しい理想の世界、それだけが闇の中に浮き上がって、白く輝いている。ほかのものは見えない。この世界のいやなものは闇に包まれて見えない。魅力的な発光体を目指して、一直線に飛んでいけばいい。うらやましい。
 宮沢賢治の童話では夏の夜、よだかはカブトムシを食べ、喉でガサガサするそれを無理やり呑みこむ。
 あたりは、もううすくらくなっていました。夜だかは巣から飛び出しました。雲が意地悪く光って、低くたれています。夜だかはまるで雲とすれすれになって、音なく空を飛びまわりました。
 (略)
 もう雲は鼠色になり、向うの山には山焼けの火がまっ火です。
 (略)一疋の甲虫が、夜だかの咽喉にはいって、ひどくもがきました。よだかはすぐそれを呑みこみましたが、その時何だかせなかがぞっとしたように思いました。
 雲はもうまっくろく、東の方だけ山焼けの火が赤くうつって、恐ろしいやうです。よだかはむねがつかえたように思いながら、又そらへのぼりました。
 また一疋の甲虫が、夜だかののどに、はいりました。そしてまるでよだかの咽喉をひっかいてばたばたしました。よだかはそれを無理にのみこんでしまいましたが、その時、急に胸がどきっとして、夜だかは大声をあげて泣き出しました。泣きながらぐるぐるぐるぐる空をめぐったのです。
 (ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。)
 山焼けの火は、だんだん水のように流れてひろがり、雲も赤く燃えているようです。
『宮沢賢治全集5』ちくま文庫より 但し現代仮名遣いに変えている
 
 わたしはこれまで、よだか(夜鷹)に捕食されるカブトムシを、よだかを苦しめる加害者のように感じていた。しかし、紫外線の話を聞いたら、加害者、害虫、侵犯者ではないのだと思った。
 ・・・
 紫外線と花のことは、チョウには確実に当てはまるそうだ。

 ところで夜だかは、自分が鷹に脅されて無惨に殺されそうになって、弱肉強食の世界が見え、下位の被捕食者の悲しさが身にしみて、感覚としてわかるのだ。
 引用箇所では、まわりの風景も心に強く残る。空は雲に閉ざされた灰色、黒色の世界。下では、闇の中に真っ赤な火が燃えている。その山焼けは広がり、ついには雲に映り、全世界が火に包まれた苦しい世界に変わる。わたしは今回、生き物の血が流れているようだと思った。この世はそういう酷い世界なのかもしれない。それから、業火の世界か、とも思った。
 黒と赤という色彩としても印象的で、その二色が不定期にゆれうごく、不安な感じの襲う劇的な画(え)のなかで、夜だかは、180度反対の決心というか、改心をする。「遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう」
 わたしが子どもの時なら、醜いからイジメられ、馬鹿にされるのはかわいそうだ、と憤ったかもしれない。「燐(りん)の火のような青い美しい光になって、しずかに燃える」小さな星になったラストを、これでいいと満足したかもしれない。
 今は、そういう感想に賛成できない。
 神様がいるのなら、「わたしを殺してください」と訴えたくなったときがある。あとで、困窮きわまった弱者で被害者ぶってるけど、実は自分は欲張りだ、と思った。
 安らかな死を請うているのだから。
 「神様、わたしを殺してください」は、極楽往生を願うことと同じかもしれない。念仏「南無阿弥陀仏」は、「仏様、わたしをあなた様の手で殺してください」
 ふつうの人は無残に死んでいくけれど、仏様に死なしてもらえば、いい香りがただよい、快い楽の音が聞こえる。美しい雲に乗って、たくさんの観音菩薩とともに阿弥陀如来が迎えに来てくれる。痛くない、怖くない死。その後は、美しい世界で、この世(濁世、穢土)では無理だった浄い善い生活を送ることができるのだ。
 夜だかは、ぐるぐると地上と天界を行き来して、苦しい彷徨を大宇宙でしなければならなかった。しかし、最後には、「よだか」と名づけた「神さま」・・・自然界の摂理によって、永遠に輝く星にしてもらえる。聖者になったわけだ。
 わたしのような普通の人間は悪人で罪人であり、そんなふうにはなれない。『よだかの星』も『銀河鉄道の夜』も、賢治の、身を削るような絶望にして強い願望でありながら、弱々しい逃避願望に見えたりする。

   
 いまは立秋のまえで、午前3時半。
 机のむこうの窓は網戸。電気スタンドの明かりは、緑色の網戸までしか届かない。その先は闇になっている。闇の始まり。
 廊下とか階段とか、家の中にできた闇は怖いけれど、こういう自然の闇は怖くない。何が息づいているのか、そして、そこがどこかと風によってつながっていることが分かっているから。
 網戸からは、いくつかの虫の音と雨水の音が聞こえる。虫の音は何種類かある。その音をカタカナでここに表すことは、わたしにはできない。涼やかで軽やかな音だ、とは言える。
 雨水の音は、ずいぶん前に降った夕立のしずくが葉から葉へ、あるいは地上の草にしたたる音。その音がやまない。これは「ジュ」という音がまじっているように聞こえる。
 この「ジュ」の音が好きだ。草木や地が天から下った水のしずくを染み通らせて、すくすくと成長していくように思われるから。
 それから、「植物」より「草木」という言葉が好きだ。
 ・・・蝉が一声だけ鳴いた。明け方に合唱するヒグラシではないようだ。なんのために、こんな暗い夜に鳴いたのだろう。
 それをいうなら、わたしは何でいま起きているのだろう?
 振り返ると、本を読んでいたのだった。お風呂から出てきた気持ちのよさに、髪を乾かしもしないまま、ベッドに寝っ転がったり、起きあがったりしながら、読み続けていた。
 そこには自然のこと、庭のことが書かれていた。すばらしかった。でも、登場人物たちの成長物語であることが判明したら、興味が半減した。成長しなくてもいいじゃないか、などと不遜な考えが湧いた。
 そして、庭と自然があって、その暮らしから何が生まれるか、ううん、良いものが生まれることを書きたくなった。
 じゃあ、その良いものとは何だろう?
 ・・・そうなると、途端に答えられなくなる。つかみ所すら、感じられない。

 時間が経って、思った。
 いま抱いている幸福感のことなのだと。
 いまの状態に充足していて、同時に、このように過ごせば、これから先も良いことがありそうだ、といううれしい予感。
 追記
 あんまり気持ちがよかったので(昂揚していたので)、外に出てしまった。太陽はのぼったのか、まだなのか、空は一面雲に覆われていたのでわからない。あたりは夕方みたいな薄明るさ。
 まわりを取りかこむ里山・丘陵の緑色が鮮やかだった。標高200メートルほどの里山の中腹に、細長い白い霧がたなびいていた。竜のようだった。
 空気は涼しく、心地よかった。田んぼに沿って歩いていると、しっとりとして緑濃い美しい自然に包まれている喜びが、ふつふつと湧きあがってきた。きっと、観光名所になっている世界の美しい島にも、こういう場所、こういう美しい朝があるだろう。

   

 群馬県倉渕村は、住みたい場所のひとつだ。この日も、車窓を流れていく濃い緑色の山、釣り人の立つ川、明るい緑色の田んぼが目に染みた。
 二度上峠で立っていたら、ひらひらと一匹の蝶(チョウ)が飛んできた。緑色に光る羽。ちょうちょは、やっぱり天からの使者だ。
 峠は気持ちよかった。地上は暑くてたまらないけれど、ここなら読書に打ちこめるだろう。城下町に住み続けたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が、この涼しい山中に来たら、どんな感想をもっただろう。
 北軽(北軽井沢)通過。林には日の光が差しこんで明るく、そこに家(たぶん別荘)が点在していた。ところどころ、林の中を小川が音を立てて流れていた。こんな美しい村があるのか、と夢を見ているようだった。

   ゴンドラに乗り、四阿山(あずまやさん、群馬県嬬恋村)へ。ゴンドラには犬も乗れる。
 冬は白いゲレンデに変わる草原で昼ご飯。ヒキガエル(?)現る。ここはもうすぐ寒くなると思う。冬眠期間は長いのだろうか。
 登山道はけっこう急だった。でも、小さな子どもをつれた家族連れ、老人にもずいぶん行き会った。カップルも、ひとりの中年男性も歩いていた。
 林なので、眺望はとくにはおもしろくない。足元にときどき、白や黄色や青色(リンドウ)の花が咲いていた。同行者に聞けば、名前を教えてくれたかも知れないけど、これがめんどうなのだ。名前をせっせと詰めこむことにとらわれたくない、という気持ちもあった。
 ところどころに岩がある。こういう所をイギリスはヨークシャーのキャサリンとヒースクリフが歩いたら、幸せだったろう(エミリー・ブロンテの唯一の小説『嵐が丘』の主人公たち)。ふたりは精神的な双子であり、とくに子どものころは密着していると、どんなに心強く幸せだったろう、と思うのだ。

 頂上近くは、よじのぼる感じであった。標高2354m。頂上には大きな岩があって、あちこちが刃物で削ぎ取ったような平らな面を見せていた。「セツリ」というそうだ。うんざりしたのか、漢字は教えてくれなかった。これを書くために調べてみると、「節理」らしい。
 頂上からは、近くに緑野の広がるうつくしい山があった。ほかの登山者によると、根子岳(ネコダケ、猫岳、猫嶽)らしい。ここから見ると、魅力的で行きたい気持ちに駆られるけれど、きっと緑野はクマザサ。そこを歩くと、へんてつもないクマザサばかりを見るのではないか。クマザサは分校に通っていたときも生えていた。
 上を仰ぐと、空はとても濃く、ちょっと暗いような青色だった。白い雲が光っていた。
 猫岳の反対側には浅間山。灰色の噴煙をさかんに吐いていた。この日の火山活動レベルは2。煙というより、まっすぐに立ち上がり、太い柱のよう。山が天に向けてパックリ口を開け、太い柱を噴き上げているようだ。(9月1日夜、噴火した)
 頂上には祠がいくつかあった。大きな声で「ありがとうございました」と言って、お金を入れている人。赤い祠(神社)には、観光みやげ店で売っているような、陶器製の小さなファンシー小物っぽい地蔵(だったか)が置かれていた。
 わたしはふたつの頂上の間のかたわらの草むらにあった、石の小さな祠が気に入った。神様の侘び住まい、別荘だ。
 頂上には家族連れ、カップラーメンをつくる若者の団体などもいた。

 帰りはゴンドラに乗らず、スキー場を降りた。見た目は美しいけれど、小石に覆われた急な斜面で、疲れが増した。しかし、久しぶりに見た花畑だった。ここを歩かなければ、あれほどの満足感は得られなかっただろう。ゴンドラからは気づかなかったが、いろいろな色の花が咲いていた。いくつかを挙げる。
 白いユキワリソウ、濃いピンク色のヤナギラン、ヨツバヒヨドリ、黄色(?)のマルバタケブキ、赤紫色のアザミ、オレンジ色のオニユリ、白いオダマキなど。
 わたしたちがゼイゼイしながら降りていると、ゴンドラ駅の人が小型の乗り物で爆走していった。あっという間に起伏を越え、消えた。そのあと、地元の若者らしい人間がジープに乗って、さわぎながら上って、しばらくして降りていった。
 四阿山は深田久弥による日本百名山のひとつだという。なんでだか、わからなかった。わたしは本も読んでないし、登山というか、ハイキング・トレッキングの経験の微少だからか。

   

 暑い外にいた。人が驚き叫んだので、指さす空を見ると、太陽の周りに虹が一周していた。そんなの見たことなかった。別の人によって、そのまわりにもう一周、うすい虹がめぐっていることも分かった。
 太陽を取り囲んで虹が。知らないから、びっくりする光景だった。あとで、気象学の言葉で「カサ」「暈」(うん)と呼ぶものだとわかった。記述通り、たしかに薄い雲の多い日だった。
 その本は淡々としていた。ニュースにも、虹のことは登場しなかった。わたしたちの感動は思い出の中にしか無いようだ。
 太陽と虹で、源氏物語の一節を思い出した。
 まかでたまふに、大宮の御兄の藤大納言の子の、頭の弁といふが、世にあひ、はなやかなる若人にて、思ふことなきなるべし、妹の麗景殿の御方に行くに、大将の御前駆を忍びやかに追へば、しばし立ちとまりて、
 「白虹日を貫けり。太子畏ぢたり」
 と、いとゆるるかにうち誦じたるを、大将、いとまばゆしと聞きたまへど、咎むべきことかは。
 「白虹日を貫けり」。この日の現象とはちがうが、人は太陽と虹に注目してきたらしい。この故事は、始皇帝を暗殺しようとした荊軻(けいか)をめぐる話で、史記にあるらしい。
 ここでは、といっても、源氏物語はいつもそうなのだが、それ以外でもおもしろい点がある。イジメのひとつは、歌ってからかうということ。「うち誦じたる」だから、朗読かもしれないけど。独白かな。光源氏も、囃されたのだ、とわたしは面白がっている。
 それから、イヤミをぶつけた頭の弁。彼は、今をときめく朱雀帝がわの人間。ずーっと朱雀帝、というか、辣腕の政治家・弘徽殿女御の時代が続くと信じて、源氏がさっきまで、朱雀帝と心を通わせて語らっていたことなど知らない。頭の弁は朱雀帝の女御のところへ行くところ。栄華にある人として、気持ちが高ぶっていたのだろう。
 なにより、「世にあひ、はなやかなる若人にて、思ふことなきなるべし」 人生にはいろいろあって、苦いことも、そこに滋味があることも、若いから知らないのだ。嫌がらせを言われ、堪え忍んでいる源氏よりも、わたしはこの無知な坊ちゃんに関心を引かれる。

   

 窓を開けて、ちょっと身を乗り出して外を見ていた。風がほおをなぜて気持ちいい。エドワード・ホッパーが、窓から似たようなポーズをしている人間を描いている意味がわかった気がした。窓を開けて、体を出していると、希望とか、未来とかが感じられるのだ。

   

 用務先の草むらで、ふと足元を見て、飛び上がった。「ヘビだ!」
 それは毛虫だった。毛虫って言っても、毛はない。太くて、長さは10センチくらい、目玉模様がついているやつ。
 初めて気づいたんだけど、どうも、毛虫はヘビに似せているんじゃないのかな。皮膚がまるで、金属質に見える。
 それから、目玉をならべて、側面を顔にしているんじゃないか。
 用務よりも、金色がかった丸い模様とか、葉っぱを食べる方向とかがおもしろかった。(葉をつかみ、上から下にかじっていく)。
 前足は3対。その付け根(頭部?)は延び縮みするので、前足の間隔も、とても空いたり、狭くなったりする。
 後ろ足は4対。肉塊という感じ。つっついても、なかなか茎から離さない力をもっている。足の裏は、緑色。そこにだけ、食べている葉っぱの色をすなおに出しているようだ。
 でっぷりしているけれど、つっつくとよける動きが速い。頭を上げて威嚇もする。それから、体をカーブさせたまま、停止。そうすると、皮膚が萎縮してか、ますますヘビのうろこ模様に見えた。
 手帳を持ってきて、絵も描いてみた。自分は無知だから、おもしろいんだと思う。でも、自然は魅力的なものでいっぱいで、一生わたしを飽きさせない、という予感もしている。
 かなりおっせかいだし、一人でいると寂しくなる人間だけれど、黙って生き物や草木を見ているのもかなり好きだ。
小さいときから虫や動物をじーっと見ているような子供だったかもしれない。他になんにもできなくて、虫ばっかり見てるというのも、ずいぶん寂しい子供ですが。

そんな息子が絵に集中できるようになったことで、一番ほっとしたのはお母さんかもしれない。
狩野博幸『芸術新潮』2000年11月号「特集 異能の画家伊藤若冲」
小学校にもいたような、影がとても薄い子供だったのだろう。まわりが世間へ交わる商人として期待したくても、ぜんぜん期待できないような子供。でも、そのぼおーっとした顔の下にある伊藤源左衛門の恍惚は、わかる気がする。
2004/9/4修正



   牛伏山南斜面を車でのぼった。登山道へ(山頂のNHKの塔(FMラジオの放送所・中継所?)のうらから尾根をとおっている小道)。ヤマボウキの花、オクラのつぼみを見た。
 あたりの山々は、いろいろな鳥の声がこだましていた。
 雨のあとなので、葉っぱのうえには水玉が多かった。白く光る玉だ。
 地面は湿っていた。半袖では涼しかった。
 車道をすこし歩く。山には赤茶色に立ち枯れた松(赤松)が目立った。
 梶の木。枝についている赤い玉は、花(いずれは実)らしい。へんな生き物、未知の生命体に見える。
 葉っぱは、大きくなると切れ込みが入る。有吉佐和子の『乱舞』でヒロイン秋子(好きな小説だったので、この名前は忘れられない)が
「梶川流代々は、一本の梶の木を太らせることに専念してまいりましたのが、ようやく根分けの時期に入りましたのでございます。(略)何とぞ私ども宗家同様、ご贔屓お引立てのほど、隅から隅まで、ずいと、こい願い上げ奉ります」
と、かっこうよく口上を述べるが、その梶が牛伏山にあったとは。
 前にも書いたけど(こちら)、牛伏の南にある山は峰がうねうねと続いて、かっこいい。惚れ惚れする。巨体の生き物みたい。小梨山らしい。小梨とは「ズミ」のことらしい。
 アザミ、紫色のヤブラン、キンミズヒキ(金水引)、うす紫色のキツネノマゴ、ツリガネニンジン、白いオトコエシなどの花を見る。白いアケビ、三角形の形をしたツルハシバミ、丸いキブシのの実を見る。

キブシ
  
ツルハシバミ
  
きのこの村

山ほととぎす
  
へくそかずら
  
高原にも咲くアザミ

奥が小梨山
  
梶の花
  
レースをつけたキノコ

模様つきキノコ
  
ヤマボウキ
  
あちこちにあった水玉


 
 赤城山に行くのは久しぶりだ。春は赤いツツジの咲く(?)緑の高原で、白黒の牛が草をはんでいた。「ああ、こういう所だっけ」となつかしかった。
 雨のなか、大沼の湖畔を多くの人が走っていた。そういう人たちもいれば、わたし達のように山林に分け入り、きのこ狩りをする人間もいるのだ。
 わたしはどんなキノコ(茸)が食べられるのか、知らない。教えられた木や範囲を探した。すると、草の生い茂った地面には、いろいろなキノコが生えていた。
 手に持ったビニール袋に入れていたが、「袋の中で潰れてしまうのではないか」と危惧する人あり。なるほど。わたしはもう一枚、袋を出して分けた。最善を尽くすのだ。
 「同行者はライバルだ。おなじところにいれば、収穫は少ない」と考えて、ちょっと離れた。あったあった。地面に、木に。採りまくった。むしりとる、という感じであった。たいていのキノコはふっくらとして、美味しそうに見える。
 採集欲だけではなく、キノコという野菜でも木の実でもない物を摘むのもおもしろくなった。菌類は、やわらかいような、でも、つぶれはしない、へんな感触がする。それを摘み取るときの感触が好きになった。

 声が聞こえたので行くと、ある木の下から上まで、びっしりと大きなキノコが付いていた。振り向くと、小さな沢をはさんで、もう一本、そういう木がある。信じられない。
 しかし、森は未知の世界なのだ、こういうこともあるはず。豊作だ、豊作だ。わたしの心は躍り上がった。大きそうなのを、むしり取った。牡蠣くらいある。肉厚でふっくらとしている。美味しそう。匂いを嗅いでみる。海の潮の香りがする。新鮮なのだ。
 もう一個、採る。すると、「ツキヨタケ(月夜茸)だ」と言う声。図鑑を開いていた人あり。第二声、「猛毒だって」
 わたし達の声を聞いて、くわしい人が現れてくれた。やっぱりそうであった。夜光るらしい。
 思うに、わたしは欲でいっぱいであった。大きさも肉の厚さも、海産物の香りも、毒である証拠なのかもしれない。しかし、わたしには美味の証に見えたのだ。
 気がつくと、分けたビニール袋を一つ無くしていた。ドキンとした。少しは戻って探してみた。無い。見渡せば、あたりはクマザサの大海。(あの大きなキノコをいれたのに、あのキノコも、あのキノコも・・・) ショックにうちひしがれた。
 山林を出た後、連れて行ってくれた人のおかげで、お風呂に入れた。体があったまった。このころ、日本の温泉の虚偽表示がニュースになっていたが、「お風呂って、お湯っていいなあ」と単純に思った。

 キノコにくわしい人が麓から来てくれた。わたし達の採集してきたもののうち、食べられるのは、ほんの少しだった。マスタケ(鱒茸)、キクラゲ(木耳)、あとは名前を忘れたキノコ数種。
 可食の小さな山には、わたしが採ったキクラゲも含まれていた。しかし、キクラゲだとは知らなかったのだ。ふだん食べることもあるのに。
 下を見ながら歩いていたら、草の下の地面に、黒っぽいものがあった。「粘菌だろうか。“名人”に聞いてみよう」と、拾うことにした。落ちている、と思ったのだ。一筋、なにかが地中と謎の物体を結びつけていた。
 結局、わたしが必死に採っていたものは、ゴミの山だったのだ。ゴミを集めていたのだ。きっと、無くして惜しがっていたビニール袋の中も。
 キノコは日本に3000種あるらしい。食べられるキノコを覚え、それだけを採るのが確実らしい。
 どのキノコが毒茸ではないか、それは先人の経験の賜物らしい。高校の国語の教科書に載っていた坂口安吾『ラムネ氏のこと』を思い出した。それには、フグにまつわる架空の日本人の生き様が劇的に描かれている。
 だが名人によれば、昔は食べ物が少ないから、キノコを食べることになったのだろうと。最初は動物にやって様子を見たのではないか。人も具合が悪くなって、これは良くない、知ったのではないか、という話だった。
 中国の薬の神様・神農(さま)は、山のあらゆる草木を食べ、それが毒だと死んで、でも生き返りして、身を以て薬草を調べ、伝えたと聞いたことがある。人間は一回、毒にあたって死ぬとそれっきり。そういうたくさんの古人の象徴が、神農なのかもしれない。(神農は炎帝、本草学の祖、薬王、農業神、易の神様、三皇五帝の「三皇」らしい)。
 また、キノコが無くなって、困る生き物はいないらしい。山林では、木の皮が剥がされていた。鹿が食べたそうだ。白くなっているクマザサもそうだった。鹿はたくさんあるキノコは食べないらしい。
 あと、クマザサは熊の笹ではなく、目の隈に似ているからだという。なるほど、切って、横にした葉はそうなる。

 分けてもらったキノコを家で食べた。バター炒め。スープスパゲッティ。青じそドレッシングにミョウガ・ショウガと一緒に漬ける。これはキクラゲ。
 キクラゲはこりこりして美味しかった。キクラゲなら、似たものはないだろうから、わたしでも山で探せそうだ。
 ほかのキノコは、ほとんど味がしなかった。やっぱり、栽培して売っているマイタケ、シイタケ、シメジ、エノキなんていうのはすごいんだなあ。香りが高いし、美味しいし。
 この夜、美味しかったのは、むしろ、本。村田喜代子さんの『耳納山交歓』(講談社、1991年)
 「キクラゲはそれからいくと、よくないことを聞く耳ってかんじがするね。ほら、サルの耳みたいだろ。」
 「じゃあ夕食はそのサルの耳を刻んで、酢の物でも作るわ」
 夕方、妻はキュウリとキクラゲの三杯酢を食卓に出す。

 (銀耳(キクラゲの白いの)について)
 純白、半透明の細長い花形で、色の淡い八重桜のようにみえる。指を触れると濡れたような、トロリとした、粘液質のかんじがつたわってきた。その触感がたまらなくて彼は煙を吐きながらちょい、ちょいつついてみる。するとなんだか絵かきは淫蕩な楽しみごとをしているような、うしろめたい気分を催した。
  (略)
「べっぴんの女のことを、これにたとえて銀耳と呼んどったもんやが」
「あ、それ、いいですね。なかなか」
うまい形容だと絵かきは感心した。
「それでやね、反対に、ぶすの女のことを黒耳と言うとったんやね」
「黒耳?」
「ふつうのキクラゲは黒い色をしとるやろ」
「なるほど……」
と絵かきはうなずく。
「それもなかなかおもしろいですね。……ちょっとひどいけど」 上(カミ)の爺さんはヒャッヒャッとけたたましく笑い出した。

 山のなかに存在する、時代の流れから取り残されたような農村。そこには庄屋がいて、痴話げんかもおこる。柳田国男『後狩詞記(のちのかりのことばのき)』『遠野物語』、宮本常一の『忘れられた日本人』、民俗の世界だ。
 表題作「耳納山交歓」以外は、忘れていた。意識していなかった欲望がもたげてくる「潜水夫」は佳作。中高年が仕事(パート)をもとめてさすらう「職安へ行った日」は長編『花野』につながるだろう。巻頭の「耳納山交歓」がいちばんいい。現実と別世界が、うまーくつながっている。
 堀文子の日本画を配した銀色のカバーも好きだ(装幀:大泉拓)

 これを書くために『ラムネ氏のこと』を確認しようとしたら、おもしろくて、最後まで味読してしまった。わたしの記憶では前述のことしかなかったが、きのこの話も出てきた。
   こいときのこが嫌いでは、この鉱泉に泊まられぬ。毎日毎晩、こいときのこを食わせ、(略) この宿屋では、決して素性あるきのこを食わせてくれぬ。
わかる、わかる。ところで、きのこの名人は死んでしまう。このエッセイ、冒頭にはラムネの玉の話、なんの話だろうと思っていると、最後に盛り上がる。とくにここはすばらしかった。
(恋の)シンボルは清姫であり、法界坊であり、終わりを全うするためには、天の網島や鳥辺山へ駆けつけるより道がない。愛は結合して生へ展開することがなく、死へつながるのが、せめてもの道だ。「生き、書き、愛せり。」とアンリ・ベール氏の墓碑銘にまつまでもなく、西洋一般の思想からいえば、愛は喜怒哀楽とともに生き生きとして、恐らく、生存というものに最も激しく裏打ちされているべきものだ。
(略)
 愛に邪悪しかなかった時代に、人間の文学がなかったのは当然だ。(略)
 いわば、戯作者もまた、一人のラムネ氏ではあったのだ。ちょろちょろと吹き上げられてふたとなるラムネ玉の発見は、あまりにたあいもなくこっけいである。色恋のざれごとを男子一生の業とする戯作者もまた、ラムネ氏に劣らぬこっけいではないか。しかしながら(略)
 それならば、男子一生の業とするに足りるのである。
 文学は男子一生の業にあらず(?)、とは二葉亭四迷の言葉だ。安吾の文章を初めて読んだとき、わたしはそのことを教えられたろうか。覚えてはいない。
 江戸時代の戯作者として生きたがった永井荷風は、1959年に亡くなった。安吾がこんな文章を寄せたのが1941年であることに驚く。
 わたしは知らなすぎる。古典もそう。あまりにも無知すぎる人間がペーパーテストの成績を喜ぶこともあったのだ。なんと愚かな姿だろう。

 
   初めは「フリークライミング」と聞こえた。岩や岩壁に手をかけてのぼることか。
 いやいや、木に登るのであった。まえにも書いたけど(こちら)、自分の手足だけで木に登るのは難しい。枝は細いし。せいぜい、最初の木の股にしか行けない。
 ところが、道具を使うと、はるかに高いところへ、枝の上へも行けるのであった。そのツリークライミングというのを思いがけなく体験できた。
 いろいろな道具の名前は、忘れてしまった。簡単に記すと、手袋をはめる。ヘルメットをかぶる。イスみたいのを装着する。それと樹上から垂れているロープをつなぐ。ロープに作ってもらった輪っかに足を入れ、蹴る。そうすると、体を上に運んでくれる。輪っかを持ち上げてきて、また蹴る。その繰り返しで、どんどん上がっていけた。
 ロープの持つ場所を間違えなければ、滑らない。座っていられる。便利である。アメリカで生まれたらしい。
 ダブルというのだと、降りるときのためを輪っかを、約1m50cm間隔で作りながらのぼる。これが難しかった。正直、できなかった。
 枝の上では、ロープの長さを調節しながら、ちょっと枝先へも行くことができた。これもすごい。こんなことを、自分が生きているうちに体験できるなんて。
 シングルでも登らせていただいた。シングルは、降りるとき、道具を付け替える(ロープもだった気がする)。地上でよーく教えていただいたのに、できなかった。今回のことで再確認したこと。わたしは飲み込みが悪く、不器用。親切に教えてくれ、手伝ってくれる人が神様に思えた。
 降りるのは、すーっと降りていくのではなかった。これも、自分のペースで降りていける。
 ちなみに、シングルはロープを長く使えるので、高い木に登れる。樹上でダブルに替えれば、移動できる。
 わたしも買って、庭や山の木に登りたくなった。売ってほしいという人が来たことのあるケヤキの木なんかどうだろうか、と思った。道具は7万円くらいするらしい。今回、すべて用意されているところにお邪魔したが、ロープを木にかけたり、根元で固定するのは数十分かかるらしい。

 登った木はアベマキ。前にも書いた(こちらこちら)、かっこいい樹木だ。登った高さは、建物の3階くらい。でも、実際の建物の3階の窓から眺めるのとは、かなりちがった。風を全身に受けられるからだろうか。さわさわとゆれ、ちらちらと光る木の葉に囲まれているからだろうか。気持ちよかった。
 『嵐が丘』に
 あぶなくけんかするところでした。暑い七月を過す一番たのしい方法は、草原のまん中でヒースの生えた土手に、朝から夕方まで寝ころんでいることだって、あの人は言うんです。花の間をミツバチが夢心地にさそうようにぶんぶん飛びまわるし、ヒバリは頭の上高くさえずるし、青空に雲もなく、明るい太陽はやすらかに輝いている。それがあの人の一番完璧な極楽の境地なのだそうです。私はそんなことでなしに、さらさら鳴る緑の木の枝に乗っかって、西風に吹かれながらゆすぶっているのがいい。そして頭の上には輝く白い雲がどんどんかすめて行く。
(略)
すべての世界が目覚めて喜び狂っている。(略)私はみんな輝かしい大歓楽のなかにきらめき踊ってほしい(略)あの人の天国は半分しきゃ生きていない、と私が言えば、私のは酔っ払っているとあの人が言います。あなたの極楽では私は眠ってしまうでしょうと私が言えば、あなたの極楽ではとても息がつけないと(略)
24章(大和資雄訳)
Mine was rocking in a rustling green tree, with a west wind blowing, and bright white clouds flitting rapidly above, and not only larks, but throstles, and blackbirds, and linnets, and cuckoos pouring out music on every side, and the moors seen at a distance, broken into cool, dusky dells, but close by great swells of long grass undulating in waves to the breeze, and woods and sounding water, and the whole world awake and wild with joy. He wanted all to lie in an ecstasy of peace; I wanted all to sparkle and dance in a glorious jubilee.
 キャサリン・リントン(キャサリン2世)のエピソードでは、好きな所の一つだ。エミリ・ブロンテは木に登ったことがあるのだろうか。
 初めて飛行機に乗ったとき、広い白いシベリアの大地と、尖った峰のアルプスの偉容に驚いた。あと、曇りの天気というのが、ただ一片の雲の下にいることなだけであるのにも驚いた。人間はちょっととどまった雲の下で、天気のことで右往左往し、騒いでいるのだ。
 人間は大地の一箇所に張り付くようにして、定住していた。それに比べて、空は広かった。自由みたいなものを感じた。
 というふうに、高い高い上空でわたしは悟った気になっていた。しかししかし、わずか3階分ほどの高さであっても、新しい良いものを得られるのだった。
 また、わたしにとって樹上に作られた家(小屋)は、子どものころから夢であった。しかし、今回のことでツリーハウスは可能なのだと知った。ツリーハウスのテラスで、風に吹かれながら本を読みたい。


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