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電車でむかった。新幹線でも特急でもなく、東京に行くとき乗る普通電車。 重いスーツケースをごろごろ引きながら、東京国立博物館。初めての海外旅行への高ぶりから、門横の売り場で、入る気のなかった横山大観展のチケットを買ってしまった。 スーツケースを預けるのもしんどかったけれど、(ここの受付の中年女性の対応にうんざりし、そしてびっくりしたのは2度目)、展示室に進んで後悔。やはり、あまり好きではない。しかし、平成館のエスカレーターから、人混みはたいへんなものだった。 松永耳庵展がとってもよかった。南蛮焼きの壺、宮本武蔵の布袋図(水墨画)、書。丸いオレンジ色の餅型が3つ付いた、備前焼の大きなお皿など。 そのときは出品されていなかった、お釈迦様が棺から甦っている絵を絶対見るぞ、と誓った(上海・蘇州旅行の帰り、実現)。 普通電車で成田空港へ。車内は空いていたし、危ないこともなくて、快適であった。普通電車−普通電車を選んだのは、安いから。 インドシナ半島の国へ行くらしい若者二人が、パスポートなどを出して話していた。スーツケースなんか無くて、バックパックだった。 あたりは都市部から、しだいに田舎の風景になって、山あいに入った。有名な成田空港はたいへんな田舎にあるようだ。 いきなり上方に、大きな物体が見えた。飛行機が置かれていて、そのお尻が敷地から覗いているのであった。初めて見た飛行機。想像を超える迫力を感じた。 駅に着くと、検問のようなことがあり、緊張。広い駐車場をさまよって、空港にいちばん近いらしいホテルに到着。調べた中ではいちばん安かったから。 また歩いて、空港に行ってみた。空港は駅ビルのようで、たくさんのお店があった。本屋もあった。 でも、やっぱり慣れたコンビニへ。初めての海外旅行、それに対する高ぶりは、「事故で死ぬかも」という悲壮感と表裏一体だった。ふだんは買わない、高めの食べ物を選んだ。 案内図を見て、滑走路の見えるテラスへ。もう真っ暗だった。滑走路は一面に、青や緑や赤なんかのランプが置かれていた。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の蠍(そさり)座のくだりを思い出した。見とれていた。自分は、金属でも石でも、“光モノ”が好きだと実感。 翌朝もごはんを食べに、空港へ行ったかもしれない。ツアーの集合時間から、搭乗まで長かった。 席は窓ぎわ。幸運だといわれた。 前夜、飽かず眺めた飛行機の離陸はあっという間だった。どんどん機体は小さくなっていった。しかし、乗ってみると、田園地帯はゆっくりと遠くなっていた感じだった。 離陸の前、いきなり加速する感じがよかった。もしかしたら、スピード狂なのかもしれない。 日本は山国であることにあらためて気づかされた。それから、ヨーロッパへは、地図ではとなりの中国を横切っていくのではなく、ロシアを通過すること。 現れた白い大地にびっくり。真っ白。そこに山々があった。進むにつれ、地形は変化し、険しい山岳地帯になった。あいだを、幅の広い川が流れていた。川も真っ白だった。白以外の色は、木や山肌の茶色。 人家などなかった。ときどき、まっすぐな線があった。今思うと、道路だったのかもしれない。 太陽に照らされた、そういう広大な風景が何時間も続いた。寝ている人が多かったみたいだが、わたしは釘付けになっていた。武田百合子さんの『犬が星見た』の一節も思い出した。 でも、わたしの感想はそんな深いものではなかった。地球には人があふれている、環境破壊がひどいと聞いていた。でも、こんな誰もいない、人の手の入っていない、そしてこれからも人間など寄せつけないような大自然の場所が、飛行機で何時間もつづく場所が地球上にはあったなんて、と衝撃を受けていた。 しだいに雪が少なくなり、緑が見えてきた。田園に鮮やかな色の屋根の家が並んでいた。ドイツだったかもしれない。厳しい大自然から、人間の街へ。ところが、また、すごい風景に遭遇したのだ。 わたしがこんなふうに書くときは、山である。眼下に、屹立した白い高峰があらわれた。てっぺんは尖っていた。そういう高い山に囲まれて、湖が見えた。 こんな険しい場所は、人の通過を許さないように思った。象をつれてアフリカからイベリア半島を経由して、ローマになだれこんだハンニバルの軍隊も、こんな場所を通ったんだろう… 空港にて、添乗員さんの話から、あそこが実際にハンニバルの通ったアルプスであることを知る。アルプスがどこにあるのか、知らなかったのだ… 湖はレマン湖だったのかもしれない。 空港からのバスの中で、添乗員さんは「イタリアは食べ物が美味しいというけれど」という話をした。これは本当であった。 そして、家に着いてお味噌汁を食べたとき、慣れた物を美味しく感じるということを実感した。それに、慣れた場所が物を美味しくするようだ。 もちろん、人によって違うだろうし、わたしは味覚が劣っているのかもしれないが。 |