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夕方、港(?)に着いた。このときバスの中で、大好きだった赤いヘアピンをなくした。 海の脇を歩いてホテルに入った。駅の近く。となりは「未来」という寿司や。部屋はへんな形な気がした。ヴェネツィアは土地が狭いのかもしれない。 荷物を置いた後、ゴンドラに乗った。じゃんけんに勝ったので、王様席。ゴンドラはのろかった。近くを船がすごい勢いで移動していった。きっと、こんな装飾的で非実用的な船に乗ってしまうのは、わたしのようなのんきな観光客なのだろう。 小路に入ると、まわりの建物には明かりが付いていない部屋が多かった。全体が裏寂れて見えた。ヴェネツィアは流行っていないのかもしれない、と思った。 ところどころ、電気のついてるお店の近くを通った。おもちゃのように可愛く美しかった。漕ぎ手の歌は、あんまりうまくないようだった。 サン・マルコ広場 ヴェネツィアでよかったのは、絵以外では、翌朝の観光で見たドゥカーレ宮殿の石造りの牢獄と、鎧。どちらもいきなり出会って、その迫力に魅了された。当時の牢屋は、日なんか差さなかったのだろう。金属の冷たい甲冑で全身を覆った人間が馬に乗ってとつぜん現れたら、とても怖いだろう、とドキドキした。 ほかのもの(有名らしい建物やりっぱな部屋、それから、水路のある街並み)には感銘を受けなかった。 後日テレビに、ヴェネツィアの運河沿いの邸宅のなかが映っていた。柱のついたテラスから見る運河。緑のある中庭。いい感じであった。通っていくだけの無知な人間は魅力に出会えないし、うっすら感じることすら出来ないのかもしれない。 サン・マルコ大聖堂 迫力があった。2回入ったかもしれない。最後は自分で。 印象は金ぴか。なんだか、お仏壇を思い出した。あと、洗練されていない。 それから、カーペットの敷かれた床は水が入っていて、ぶかぶかしていたこと。 外の、馬の彫像がダイナミックでよかった。 広場を取り囲んでいるお店の裏にいってみた。小路は暗かった。 広場は晴天に変わると、とても気持ちのよい場所であった。対岸のサン・ジョルジョ・マジョーレ聖堂が美しかった。 海際で、たいへんに高いものを食べてしまった。でも美味しかったのは、エビの揚げ物ぐらい。観光客はそれなりにいるのに、お店は空いていた。 日本の湖畔のレストランで食事するような感じだったのかもしれない。あんなことをしてしまったのも、のんきな客だったからだろう。 あとは自由行動になった。 閉まっていたサン・ジョルジョ信者会 ヴェネツィアでは、カルパッチョの「聖ジョルジョ」(ジョルジュ・ゲオルギウス)のあるスクオーラ・デリ・スキアヴォーニ(サン・ジョルジョ信者会)が開いていなかったのが残念でならない(何日間か休みらしい。張り紙がしてあった)。ここも、今回の旅行でとても行きたいところだった。 旅行前、地図で場所を探しておいたけど、小さな場所なのだったので、行けるか不安だった。午後すぐに、外国人しかいない細い道を通り、石の家(?)をくぐって探した。水路際にあった。 帰り、ある教会の前の広場で、開くのを待っている観光客の列があった。重要な教会らしい。日本人はいなかった。きっと欧米の人は、こういう場所をたくさん知っているのだ。ローマでもそう思った。 ちなみにこの教会はサン・ザッカリア教会。午後は4時に開き、ティントレットやジョヴァンニ・ベッリーニの祭壇画があるらしい。 広場のまわりにあるコッレール(コレール)博物館で、ヒエロニムス・ボッス(ボス、ボッシュ)の弟子の絵に出会った。弟子だということは、同時に見ていた欧米人女性の連れの男性が教えてくれてわかった。 絵は、すごい魅力だった。弟子でこれなら、プラド美術館の「いちごの絵」などの、ボッス自身の作品はどんなにすごいことだろう。 ヴィットーレ・カルパッチョの「二人の娼婦」が目当てで入ったのだった。窓際にあった気がする。 広い博物館であった。ここにも武器が展示されていた。 雨が降りはじめたが、出ると止んで、広場には水たまりができていた気がする。レストランの白い椅子が机に上げられていた。 広場に面した高い喫茶店に入ってしまった。気がつくと、ガイドブックに載っているページの席だった。しかし、横の鏡は汚かった。日本人女性客が目立った。 トイレを探した。行くだけで、お店の人が教えてくれるのだった。階段で、降りてくる日本人中年女性とすれ違った。なにも言わないのに、トイレの場所を教えてくれた。日本人女性は、トイレによく行くのかもしれない。どんなトイレだったかは覚えていない。 アカデミア美術館 薄暗くなってきたころ、人がたくさんいる、幅の広いアカデミア橋(これが有名なリアルト橋かと勘違いしながら)を上って下って、入館。行列なんかしていなかった。荷物を預けた。 最初は広い部屋に、堅く暗くて怖い感じの、ルネサンス前、中世の聖母像や磔刑図がならんでいた。 横の部屋に入った。 アレッツオには行けないけど、ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵をウフィツィ美術館で見たいと思っていた。そしたら、ここにもあった。男性像。初めて見たので感動した。 マンテーニャの厳しい大天使像も。 学校のスライドで、ジョヴァンニ・ベッリーニの『ゲッセマネのキリスト』にとても感動して、レポートに使ったことがある。朝焼けが心を高ぶらせ、すばらしいのだった。この美術館では、ジョヴァンニ・ベリーニの絵がけっこうあった。いいな、と思うと、その名前なのだった。 ジョルジョーネの『嵐 ラ・テンペスタ』。すごーく有名なのに、感銘を受けなかった。 ヴェロネーゼにはうんざりしてしまった。とくに部屋の奥の壁を占拠していた、巨大な『レヴィ家の餐宴』。かつて画集でもいいなと思った通り、緑の服をまとった男性と、ピンク色の服を着た黒人少年の取り合わせは美しい。でも、大きすぎる。誇示している感じ。作家の作品というより、工事の成果みたいな。 目的だった、ヴィットーレ・カルパッチョの『聖ウルスラの夢』は大きかった。武器の刃物や甲冑が描かれていた。カルパッチョも、金属の冷たい輝きと、怖い形が好きだったのかもしれない。 旅行前、ティントレットの絵をインターネットで見た。暗い感じで、いいと思わなかった。ところが、海の上に天使が現れているよな絵に釘付け。これが絵だ、と思った。 途中にあったショップなどで、マウスパットなどを購入。木のアルト橋が描かれたカルパッチョのだ。白い犬が、ゴンドラに乗った人に抱えられて、こちらを見ている。 閉館までいた。 そして、飛んで帰った。でも、速く見えた船はのろいのだった。波を見ながら、いらいらしてしまった。日本人女性が一人だけいた。乗る前、船の行き先を聞かれた。彼女も不安だったのだろう。船は通勤客でか、込んでいた。 その後、夜の街を歩いて、お店でサンドイッチと飲み物を買った。お金を払う場所を差してくれているのだけど、意味がわからなかった。でも、なんとか買えてしまう。観光客ばかりを相手にしているから、慣れているし、愛想もいいのかもしれない。こういうところで食べ物屋を開けば、わたしでも一生食べていけるだろうか。 広めな通りを進んでいくと、曲がり、橋をわたり、違う風景が開けていった。でも、全体が暗かったので、怖い気がして戻った。たぶん、少ししか歩いていなかったろう。 翌朝はくもり。浴室の窓から近所を撮影。洗濯物がひもに干してある。映画のようだと感動。観光客以外の何者でもなかった。 バイキングの朝食後、外に出て小路も撮った。近くの小さな広場まで行った。昼間だと趣が違った。水路に、窓からゴミを捨てている住民を見たのは、このときだったろうか。 フィレンツェへ移動。白い霧に包まれた畑。高速道路は低くて、すぐに畑が広がっている。山を切り開き、崩し、平野でも土を盛り上げて作る日本より、お金がかかっていないことだろう。 初めての海外旅行で浮き立っているので、霧に見え隠れする送電線の鉄塔まですてきに見えた。写真を撮りまくった。今思うと、日本の鉄塔だって美しい。 |