23 らんま1/3 前編 (乱馬1/2的小説工房からの再録)
かすみはレースの編物をしていた。小さめのテレビの音と雨音、その他はなびきが時々めくる雑誌の音しかなく、静かな気分で編物に集中できた。
―――あかねはさっき帰ってきたし、乱馬くんもそろそろね、お夕飯の準備にかからないと。もうひといき、編んでから。
そんなことを頭の隅で思いながら、手首はせっせと単調な動きを繰り返した。
玄関が開く音がして雨音は大きくなった。
「こんにちわ」
乱馬の声だ。 「こんにちわ」は少しおかしい。 「ただいま」と言い間違えたのだろう。
かすみは「おかえりなさい」と大きな声で言った。
「乱馬くん濡れたでしょう。 お風呂沸いてるから」
「あ、はい」
乱馬は軽く会釈しながら通り過ぎる。
濡れて上着の色が濃くなっていた。家の中を濡らさないよう気をつけて歩いたつもりなのだろうが、ひたひたという足音から床は少し濡れたと思われる。
なびきが雑誌から眼をはなした。真顔で。
「今の乱馬くん」
「どうかした?」
「女になってなかったわね」
「ええ・・・」
かすみもハッとした。外は雨で乱馬はずぶぬれだったというのに、男の声のまま? 思い返そうとしても目の前を通ったのは一瞬のことで、記憶は曖昧だった。
「おじゃまします」
また訪問者。今度は女のらんまの声だった。玄関の開閉音とかすかな雨音。かすみは戸惑いながらも反射的に言った。
「らんまくん、お風呂で温まってね」
「はぁい」
らんまは風呂場に向かって小走りに駆けて行く。乱馬が2度帰宅したように思ったのは気のせいか。
かすみとなびきは顔を見合わせた。
「ただいまー」
またしてもらんまの声。今度は、女。
「ただいまぁ。誰もいないの? あれ、かすみさん、いるじゃないすか」
「らんまくん」
かすみは編物の手を休めず、半ば機械的に言った、「お風呂が沸いてるわ」
「はーい」
らんまは風呂場へ駆けて行った。
世にも奇妙な物語は身辺にあるものだ。いや、ただ疲れているだけなのかも―――かすみとなびきはこのことについて何か常識的なコメントをするのが非常識に思えて、それぞれ編物と読書を再開した。
あかねは柔らかいバスタオルを背中に回して、吸い付きたくなるような白い肌を拭いた。雨の湿気で冷えた体をお風呂で温めてきたところだ。外は雨で自分は家の中にいる、そんな状況はどこかしら守られている感じがして、気持ちは限りなくくつろいでいた。
あかねはふわふわした繊維のバスタオルを体に巻いて、胸の左上ではさんで留め、自分の姿を洗面台の鏡に映した。髪を拭こうとタオルに手をかけた。
がちゃっ
そのとき、いきなり扉が開いた。乱馬はドアノブに手をかけたまま動きを止め、ほんの一瞬、視線をあかねの太股と胸元で往復させた。
「ご、ごめ・・・」
「もう!」
あかねは反射的に洗面台の石鹸を投げた。あかねが投げると同時に乱馬が扉を閉めたので石鹸は扉にぶつかって落ち、床で回転してあかねの足元へ滑った。
「ごめん」
と扉の向こうから乱馬の声。
「入ってるって知らなかった」
「当たり前よ!」
あかねは急所(?)を見られなかったのを確認して小さく安堵しながらも、感情のほとんどを怒ることに動員した。
急いで服を着ながら、
「知ってて開けられてたまりますか!」
乱馬が扉の向こうで
もごもご何か言ったが、気が立っているせいでよく聞き取れない。あかねは勢いよく扉を開けた。廊下には一応すまなさそう、にした乱馬が立っていた。
「ノックぐらいしなさいよっ」
「だってよ・・・。誰もいないはずの脱衣所にノックするか、普通」
「何、悪いと思ってないの?」
廊下の向こうから誰か来る。あかねはその影の存在を感じながらも、「それで謝ってるつもりっ」と拳を握った。
影はあかねと乱馬のやりとりを見ていて―――あかねは驚いてそっちを見た。女のらんまだった。物を言うタイミングを失って、あかねは口をぱくぱくさせた。
「やっぱりここだった」
女のらんまが言った。
「ついて来るなって言っただろ」
男の乱馬は邪険に答えて、あかねの後ろへ回った。
「ちょっと待って。どういうこと?」
あかねは慌てて目の前のらんまと背中側の乱馬を見比べた。どうしてふたりいるの?
「一緒に帰りましょう。どうして出て行ったりしたの?」
らんまはあかねを無視して乱馬を見上げ、全く自然な女言葉で言った。
「もうついて来るなよ。一人で帰れ」
乱馬は目を合わせず答えた。
「あれえっ」
新たに間の抜けた大声が割り込んできて、あかねを振り向かせた。
「なんでおれが何人もいるんだ?」
廊下の突き当たりで、らんまが、目をまんまるに見開いてこちらを指差している。
「どうなってるの」
―――『ウォーリーを探せ(実写版)』。 そんな造語が浮かんであかねはかぶりを振った。
「どうなってるの、あたしにわかるように説明して!」
「あ、どうもすみません」
乱馬が軽く頭を下げながら茶を受け取った。同時に電話が鳴り出して、かすみは立って行った。
あかねは2人の乱馬と、2人にはさまれるように座っている女のらんまを見比べて、それじゃあ、と言った。
「それじゃあ、らんまちゃんはコピーの乱馬を追っかけてきたのね」
なびきが愉快そうに眺めている。こいつら見てると飽きないわぁ、とか思っているのだろう。
「おれは帰らないぞ」
乱馬が――おそらくコピーの――が、つぶやいた。
「どうして? あたしが最高の女だって言ったじゃない。・・・くやしい!」
らんまは乱馬の胸ぐらを掴み、目をつぶって力まかせに揺すった。
「こら、おれじゃ、ない!」
乱馬はうめいた。
「ややこしいったらありゃしない」
と、あかねがあきらめたように言った。
電話から帰ってきたかすみがあかねの隣に座った。
「今の電話、鏡屋敷のおじいさんからだったわ。お掃除中にカーテンを破いて、鏡の中にいたはずの乱馬くんたちが逃げ出しちゃったんですって。カーテンの破れ具合がひどいから、しばらく預かってくれませんかって」
「鏡屋敷のコピーだったの。そうじゃないかと思った」
あかねはそれぞれ怒ったり苦しがったりしている乱馬たちを一瞥した。『ウォーリーを探せ』よりずっとたちが悪い。ウォーリーなら違いを見つけて本物を見極められるが、この乱馬たちに違うところなんてないのだ。
かすみはなだめるように、
「短い間のことだもの、にぎやかになるわ。お父さんと早乙女のおじさまが自治会から帰ったら事情を説明しましょうね」
お夕飯を2人分多く用意しなくちゃ、と台所へ立って行った。
「やめろ!」
まだ、乱馬のつぶれた声が聞こえていた。
「おれじゃっ、ないっ、たら!」
さっきまで紅い夕暮れを映していた窓に、今は薄青く沈んだ通りが見えた。
あかねは通りの街灯がジジジ・・・と灯るのと同時に、視点を町並みから窓に映った自分に移した。
暗くなって透明なガラスはこちら側の光をいくらか反射し、定食屋の内部と同じ世界をうっすら映し出している。
あかねは驚いた―――向かい側に座っているはずの乱馬が映っていない。乱馬が座っているはずの椅子には座布団が乗っているばかりだ。
「なんにする?」
と乱馬が尋ねてきた。
「じゃあ、鮭定食」
「おれカレーでいいや」
乱馬は注文を終えるとさりげなく手を伸ばし、定食屋のウェイトレスの手をとった、
「あと特別メニューで、おねえさんの電話番号」
ウェイトレスは思い切り乱馬の手をつねった。
「あちちち」
あかねはしらけて言った。
「馬鹿。・・・あなた、コピーなのね。乱馬だと思ってたわ」
コピー乱馬は手の甲をさすりながら、
「あれ、出かけるとき言わなかったっけ?」
「聞いてないわ」
あかねがいつもより遅く天道家に帰ってみると、かすみは、夕食のおかずが2人前ほど足りないから外で食べてきてちょうだいという。仕方なく乱馬と出かけたのだった。
乱馬でないとなると妙な感じだ。外見は乱馬なのに、中身は昨日会ったばかりの人。
あかねは生徒指導室の教師と同じ口調で尋ねた。
「あなた、これからどうするつもり」
「ん?」
「どうしたいの。昨日の話だと、帰りたくないんでしょう?」
「ああ、おれ帰らないよ」
コピーはまるで他人事のように軽く答えた。
あかねは窓に映った自分と、その向かい側の空席を盗み見る。やはりコピーは鏡の中にいるのが本来の姿なのだ。
「でも帰らないわけに行かないでしょう。コピーのらんまちゃんと喧嘩したみたいだけど、仲直りしたほうがいいわ」
「ほっといてくれ」
鮭定食が運ばれてきてあかねは割り箸を割った。
「ずっとうちにいるわけにはいかないのよ」
「わかってる」
コピーの乱馬はこう言うが、他にあてがあるとは思えない。
―――喧嘩の理由を聞いたら失礼かしら。
あかねは鮭を一口食べて溜息をついた。焦げていて絶妙な不味さだ。気づかれないようにそっと箸を置く。
やがてさっきのウェイトレスが乱馬のカレーを運んで来た。コピーはあかねの手元を見ていた。
「それ、不味いのか?」
あかねは店の人に気づかれないよう、小声で答えた。
「ちょっと、嫌な味・・・」
言い終らないうちにコピーは腕を伸ばして、カレーと鮭定食を入れ替えてしまった。
あかねはどういう意味の行動か理解できなかったが、間があって、取り替えてくれたのだと解った。そんなことしてくれなくても、と言おうとして、断ったら野暮かしらと思い直した。
「ありがと」
「どういたしまして」
コピーは満足そうに笑っている。
―――危ない。
とあかねは思った。コピーの乱馬は確か女好きである。油断できないわ、とあかねはカレースプーンを握った。
「あたしあの人に尽くしてきたのに」
コピーらんまが言った。居間で愚痴を聞いてやっているのは乱馬である。
「落ち着けよ」
「どうしてあたしのこと嫌になったのか言ってくれないの」
コピーらんまは上目遣いに乱馬を見た。多少勝ち気な目元だが小悪魔的な魅力があると思わせる程度だし、我ながら可愛いなぁ、と乱馬は思った。妹ができた気分だ。
「協力してやるから。お前みたいな娘に好かれて嫌がる男はそういないし、なんか理由があるはずだろ」
「本当?」
「ちょっとしたことで気を悪くしてるだけだって」
「そうだといいけど・・・」
そこへ、あかねが入って来た。
「あたし、昨日ご飯食べに行ったとき聞いたんだけど。なんで喧嘩したのって」
注意があかねへ集中した。
「答えてくれないのよ。 おれは帰らないって言い張るだけで」
「ふぅん、女相手だと言いにくいこともあるからなぁ」
乱馬が言うと、コピーらんまが乱馬のそでを引いた。
「ね、お願い、あの人に聞いてよ」
コピーらんまの瞳には焦りが浮かんでいて、そのまま泣き出しそうに見えた。
「今まではあの人のこと全部分かったの、もう設計図を見るみたいに全部よ。だってあたしたち同じ人間のコピーだもの。けど最近はわけもなく不機嫌で、何を怒ってるのか分からないの」
「なるほど」
「あの人浮気性だから、今日だって町でナンパして・・・」
「ちょっと待て」 乱馬は怒ったような表情になった、「ナンパ? おれの格好でか」
「そう」
「それは困る!」
乱馬は腕を組んだ。
「そのことだけど」 あかねが言った、「乱馬が駅前でガールハントしてるって噂、もう学校の女の子の間じゃ結構有名なの。見間違いだって言っておいたけど」
「そうか」
ちょうどその時、ただいまあ、と乱馬の声が玄関から聞こえた。正確には乱馬と同じ声が、だ。
帰ってきた! と3人は眼を見交わす。
コピー乱馬が居間に入ってきた。
「ただいまー」 コピーの乱馬はそう広くもない居間を見回すと、わざとらしく、あ、と言った、「はい、あかねちゃんにお土産」
あかねの手をとると取っ手のついた紙の箱を乗せた。
「チーズケーキ。しっとりしてて甘すぎないやつ」
「ありがとう・・・」
あかねはぽそっと礼を言った。
「おい、お前」
腕組みをしていた乱馬が立ち上がった、「ちょっとツラかせ」
コピーの乱馬は軽くとぼけた顔をして、首根っこをずるずる引かれて行った。乱馬は道場に向かった。今の時間、道場に人はいない。乱馬が電気をつけると高い天井の蛍光灯が床に反射した。
乱馬はコピーを押し放した。
「おれが学校に行ってる間、何してた?」
「何って、駅前で買い物」
「買い物だけか?」
「女の子とお茶したかな。ヒロミちゃんとミキちゃんとケイコちゃん」
「やっぱりナンパしてたのかっ」
「ナンパじゃない。合意の上、お茶してフォンナンバー教えてもらっただけだ」
乱馬は苦りきった表情でかぶりを振った。
「それをナンパって言うんだ! いいか、ナンパはやめろ。近所に変な噂が立っておれが迷惑だ」
「いやだ」
きっぱり、コピーの乱馬は断った。
「ガールハントはおれの生きがいだ。女の子が側にいないと落ち着かないんだ、これが」
乱馬は急に諭すような口調で、
「だったらあの娘と一緒にいてやれ。何が不満なんだ」
あの娘というのはもちろんコピー・女らんまのことである。コピー乱馬は露骨に眉をしかめた。
「あいつと一緒にいると息がつまるんだよ。なんでも分かったふりしやがって。実際、おれが何か言う前に先回り先回りしてやっちまう。
鏡の中はまあ、左右が逆の世界がこっちと同じ要領で拡がってるわけだけど、毎日同じ顔も見飽きた。思考パターンが同じだから会話の必要はないし、2人でいても1人と同じなんだよ」
「便利でいいじゃねえか、今日何食べたいかとか何も言わなくてもいいんだろ。夫婦は以心伝心っていうし」
「なんにせよ、あんたにとっちゃ他人事だわな」
「あんな愛嬌があってスタイルいい女、そういないぞ」
コピーはごろんと道場の床に寝そべって、
「じゃああんたにやるよ、あんな気の強いやつ、迷惑だ。おれはもっと一緒にいてくつろげるっていうか、気立ての柔らかい娘がいいんだ。あかねちゃんみたいな」
あかねと聞いて、苛々が増した。迷惑してるのはこっちだ。
「阿呆かお前! あかねの方がよっぽどじゃじゃ馬だ。悪いこと言わねえから大人しく帰れ、あんな尽くす女に冷たくすると罰が当たるぞ」
「なんとでも言え」
「ふざけた真似ばっかりしやがって・・・。知ってるんだぞ、昨日、お前があかねと飯食いに出たの、あれ仕組んだろ。台所から夕食盗んだのだって」
「なんだ。ばれてたのか」
コピーは起き上がってあぐらをかいた、
「あかねはちょっと探してもいないくらい可愛い顔してるし、あんたにはもったいないよな」
「―――あきれた奴だ」 乱馬は怒鳴ろうにも言葉が思いつかなくて、顔を背けた、「お前とは、女の趣味は合わねえな」
空は青いし風は気持ちいいのに、何をそんなに焦っているのだろう。乱馬はあかねを置いて下校してしまった。
「軟派野郎をとっつかまえに行く!」
と、意気込んでいたのはついさっきのことだ。
乱馬が学校に行っている間、コピー乱馬はガールハントに行ってしまう。コピーの女らんまは家事を手伝って過ごしているか、本当に仲直りできるかしら、とめそめそしている。
―――
コピー達を仲直りさせるのは難しそうね。
あかねはひとり下校しながら思う。
ただの痴話喧嘩だと甘くみていたら一向に2人の距離が縮まらない。あかねの周りでは、あっちがこっちを好きになったり、こっちはそっちを嫌いなふりしてみたりと、男女関係がこんがらかっている。ポロッと糸を解いてみせて、自分の糸を手繰った先にいるのはただ1人と分からせる方法はないものか。
後ろから駆け足が聞こえてあかねは振り返った。
「よっ」
右手をあげて駆け寄ってくるのはおさげの少年である。
「あなた、コピー?」
「どっちだと思う」
「コピーでしょう」
「当たり。なんで解る?」
コピーの乱馬は人なつこい笑みを浮かべている。ナンパ用の笑顔だろう。乱馬は不機嫌なそぶりで武装することはあっても、笑顔で取り入ったりしない。
コピーは昨日と同じ紙箱を提げていて、あかねの眼にとまると、胸の前に差し出した。
「はい、お土産のシュークリーム」
「どうも」
あかねは受け取って歩き出した、「今日も女の子に声かけてたの?」
「いや、まあ、あはは」
ふう、とあかねは溜息をはさんだ、
「あんまりとやかく言いたくないんだけど・・・、学校でよくない噂になってるの。あたし一応乱馬の許婚だから、乱馬がナンパしてまわってるってことで友達に心配されたりするの、困るのよ」
「そうか・・・ごめん」 コピーは大袈裟にしょんぼりした。どうやら派手なリアクションが癖のようだ。
「あかねちゃんのそういう迷惑考えてなかったな」
「だからね、」
「わかった」
コピーは唇を一文字に締めた、「おれ、しばらく大人しくしてるよ」
「そう! そうしてくれると助かるわ」
あかねも声を弾ませた。
「そのかわり交換条件」
「え?」
コピーの乱馬は足を止めた。
「おれ、あいつと別れたいんだ」
「あいつってコピーのらんまちゃん?」
「そう。協力してほしい」
「仲直りしなくていいの」
「いいんだ。もう、本当に嫌なんだ」
コピーの表情は嫌悪というより苦しそうだった。あかねは少し気の毒になった。
「どうすればいいの?」
思わず訊いていた。
コピーの苦悶の表情が一変してほころんだ。
「おれの彼女になってよ」
「えっ」
あかねが身構えると、コピーはちがうちがうと両手を突っ張って振った。
「正確には彼女のふり、おれと付き合ってるふりをしてほしい。あいつがおれを諦めるまで」
「なんだ、そういうこと…」
そうつぶやいたきりあかねは答えられなくなってしまった。何もしゃべらずにいると、遠くで電車が跨線橋をわたる音が聞こえた。
コピー乱馬の気持ちも解るがここで2人を別れさせるのが得策とは思えない。だけど素直に仲直りするとも思えない…。
あかねは考え考え言った。
「いいわ、コピーのらんまちゃんが諦めるように、しばらく仲の良いふりをしてあげる。しばらくよ」
「やった!」
叫んでから、コピーは喜びすぎたのに気づいて照れた、
「じゃあしばらく、よろしくな」
その後のコピーは浮き立つような足つきで、得意げにあかねの隣を歩いていた。
気持ちのよい朝だった。
乱馬が起きたときにはもう、隣にパンダしか寝ていなかった。コピーたちが来てからというもの、乱馬と玄馬の部屋はいっそう狭くなった。特に布団を並べて寝るときは4人でごっちゃに寝るうえ寝相が悪いので、朝になると元の場所で寝ていない。一度なんか乱馬は畳に放り出され、自分のくしゃみで目が覚めた。
「なんだ、今朝はあいつら早起きだな」
乱馬はあくびしながらパンダを蹴って起こした。布団をたたみ、洗面所へ向かった。洗面所は廊下を真っ直ぐ行って左に曲が―――乱馬は反射的に身を戻した。
洗面所がなんだか変な雰囲気だ。乱馬は曲がり角から顔半分だけ出して覗いた。あかねとコピーたちが正三角形の立ち位置で話している。あかねは顔をふせぎみに声をひそめているし、空気は水あめのように重い。
「今日こそはっきり言おうと思ってさ」
コピー乱馬が言った。…おれってこんな声だっけか。
「何?」
コピーらんまが困惑気味だ。
「おれがお前と別れたいのには理由がある。実は好きな女(ひと)がいて」
コピーはあかねの肩をぐっと引き寄せた、「付き合ってるんだ」
え? と乱馬は思った。何言ってんだろう。
あかねは肩に置かれた手を自然な動きで受け入れた。いつもより制服の裾の揺れが大人っぽく見えた、のは乱馬の錯覚だが。
「ごめんなさい。あたしたち、そういうわけだから…」
女らんまは震える声でつぶやいた。
「ひどいわ・・・うそでしょう?」
わああーっ、と大声がして、女らんまが走ってきた。角を曲がり際に乱馬にぶつかった。
「わあああーーん」
少し進路を横にずらし、そのまま走って行った。前なんかちっとも見えていないようだ。
コピーらんまに突き飛ばされて、乱馬はよろよろと2、3歩前に出た。
「乱馬」
あかねの表情が変わった。「もしかして、聞いてた? 実は―――」
しゃべろうとしたあかねに、コピーが何か耳打ちした。
乱馬は、なると柄のパジャマで突っ立っている自分が場違いに感じられた。
「聞こえたよ。実は付き合ってました、って」
そう吐き捨てると、乱馬は洗面所には向かわずに踵を返した。着替えて、朝飯を食べて、一人で家を出た。
何がどうなっているのか最高に気分が悪い。乱馬は口の中に異物を感じ、舌を尖らせてぺっと道へ飛ばした。折れた箸の先だった。さっき噛み折ってしまったのに気づかなかったらしい。
―――『あたしたち、そういうわけだから』。うつむくと、あかねの科白がフラッシュバックした。
「本気かな・・・」
足からずぶずぶ砂に沈んでゆく気がした。
あかねは玄関で靴を脱ぎかけて、奥がずいぶん静かなのに気づいた。広すぎる木造の家の隅には暗闇がうずくまっていて、しんと静かなのが似合っていた。まるでいつもの賑やかさの反動がきたようだ。
「ただいまー」
皆出かけているのだろうか。
「ただーいまーっ」
声量を大きくしたが返ってくる反応はない。
―――みんな留守? 誰かいるでしょう。
返事がなくて心細いせいか、そう思った。あかねは靴を履きなおし、表から庭へまわった。
「ただいま」
乱馬がいたので声をかけた。ずっと探していたのだ。あかねはほっと息をついた。
「あなた、どっち?」
本物の乱馬かコピーか見分けがつかない。あかねは乱馬が腰掛けている縁側に寄った。
乱馬はそっぽを向き、下唇を突き出して受け口にしている。
「乱馬でしょう」
「・・・」
答えはなかった。当たりのようだ。
「あんた、今朝のこと早とちりしてるわね?」
「んだよ。浮気者」
「話を聞きなさい」
あかねはぎゅっと乱馬の耳を引いた、「朝は言えなかったのよ、コピーのらんまちゃんがどこかで聞いてるかもしれない、って言うから。実はコピー達を鏡の世界に帰すための作戦をたててるの。今朝の芝居は計画の一部」
「芝居?」
乱馬の表情が一瞬輝いた、が、すぐぶっちょう面にもどった、「どういうことでい」
「コピーは、コピーのらんまちゃんと別れたいけどコピーらんまちゃんは諦めない。だからしばらくあたしに彼女のフリをして諦めさせてくれって頼まれたの」
「おまえはほいほい引き受けたってわけか?」
「馬鹿」
あかねは口をとがらせた、「コピーがナンパを止めるのと交換条件なのよ。誰のためだと思って・・・とにかく、そのとき思いついたの。手伝って」
「なにを」
「コピーらんまちゃんを諦めさせて帰したあと、コピーの乱馬にも冷たくして追い出すの。コピーはこっちの世界に居場所がなくなる」
「・・・すると、コピーらんまの優しさに気づいて鏡に帰る、ってか」
「そう」
「そんなうまく行くかな」
「やるしかないでしょう。とにかくあんたは、コピーのらんまちゃんが諦めるようにさとして」
その時、誰か帰ってきた。ただいま、と玄関から声がした。きっとかすみだ。
あかねは乱馬の肩に手を置いて、声に出さず口の形で言葉を伝えた。『お願いね』。
(再録。2003年春頃の作品。ヘタさにびびったがあえてそのまま掲載)
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