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Uminote.club Communicator 海の手倶楽部は、高齢者とレディーのためのインターネットを利用した社交場です。先ずはコミュニケターをお試しください。クラブは、集会場を持って、発祥しました.会員が、高齢に成ったり死亡により現在管理者も、病気にかかりリハビリ中で集会場の活動を停止しています。高齢者問題に、闘病というのがあることをご理解ください。クラブは、コミュニケーター上で、存続させることにしました.当時の発足会員の残した少論文は、クラブへ、寄贈と言う形をとりました.これからも小論文を完成次第追加〔寄付と呼んでいます。新会員も小論文を寄付する新会員を募りながら、〉しながら、クラブ活動を存続させます.下図はクラブ発祥の地として当初のホームページを飾っていた痕跡を残すことにしました。管理人のコンピューター経歴をプロフィールとして記すのが、最近のホームページの新しい文化の様ですので、それに代わり(社)日本安全衛生コンサルタント会の機関紙に私が嘗て、記載したものを紹介します.
海の手倶楽部のイントラネット体験を可能にする 海の手倶楽部の、1997年当時、発足当時の会員の、描いた夢をそれぞれの構想として、記載してあった記事である。消去せずにアットランダムに残すことにした.(構想中) 高齢者のネットワークコンピュータの利用拡大に大きな布石を、と言う壮大な夢でした.。とは言ってもビジョンは,まだ手探りでした,ですから,実験室なのです.困っている時に救世主が現れました.防衛大学山田武情報科学教授が,診療所に検診に来院して,タッグという言語をメモ帳に残してくださり、その使い方を教えてくださったのです.たちまちにして,にして,中高年の会員は,ホームページを立ち上げる事が出来ました.それが,1997年です.そこに至るまで,自主的に二年ほど勉強をしていたのですが,ホームページを立ち上げるにいたりませんでした.あの時救世主の山田教授が現れなければ,このホームページは立ちあがらなかったでしょう.教え方が,旨かったのでしょう。後は,とんとん拍子でした.改めて山田教授には,御礼を申し上げます. 海の手倶楽部のビジョンとNPO活動について「海の手倶楽部に関するビジョンと将来像」を書いたコーナーが合ったのですが,何時の間にか消失しました。これも当HPの歴史です.また新しい構想が浮かびましたら,其の時は,宜しくご期待下さい. 会員のイントラネット構築の指針となるイントラネットを考えていました.ジオしティーに色々なサービスが,加わりましたので,今なら実現できたかもしれません.将来会員向けにご用意出来ましたら、発表します.ゲストブックもジオボードも創設期当時考えていた機能より優れていますので,実験的にインデックスにコーナーを設けましたが,なかなか書き込みも少なく限られた仲間で,ミーティングをして,〔会員だけで,)仲間内で使うか頭を捻っています.結局ローカルな良いテーマを見つければ,何もここだけで議論し無くともYAHOOにその機能がありますので,あらためて,ここで,議論しなくともただ,約10年前は,BBS〔パソコン通信今は,廃れて無くなったのかな?)上で,と言うのがはやっていました.それのインターネット版をと当時の中高年のテクノ爺達が考えていた記録です.時代は,目覚しく変遷を遂げています.(構想中) 海の手倶楽部の小さい論文の寄贈のお願い。ホームページにするには、小さい小論文を集めています.管理人の独断的判断によって、新会員として、参加してもらいます.良い話をこちらから依頼することもありますので、協力をお願いします. 海の手倶楽部では、高齢者が、ハイテク機能を使いこなせるか研究中です。高齢者の私は、確かに存在したと言う証をアーカーイブとして残したい.そんな希望が、創設当時には、集まってきた皆の意識にあった.21世紀はどんな時代か皆が、希望と不安を抱いた時代の節目に確かに高齢者が、集まった.その証を残したい.泡のように出来、消えて行く思想の出入りの激しい時代であった. |
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会員のア リトル ルーム(小部屋が集まってホームが創られることからの造語)ルームページ集 2清水教室科学技術庁庁官賞に輝いた事のある技術屋です。 6鈴木三郎介郷土研究家として葉山で活躍されていたのですが,今春逝去されました。御冥福をお祈 り致します。この論文は,第一回NPO学会(慶応大)で根岸先生本人が発表した論文です。 7最後の海軍大将井上成美のボラティア活動湘南の香りのする偉人伝ですこの話の中に出てくる小松の大女将が,今年(平成16年)の6月に大往生されました.ご冥福をお祈りします.。 <ホームページを立ち上げるには、小さすぎる会員のa litle roomを集めています。> |
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