



ブッタ生誕のルンビニ 悟りを開いたブッダガーヤ金剛宝座 初説法のサルナート 修行をしたラージギルの霊鷲山




ブッタ入滅のクシナガル アグラのタージマハール デリーのクトゥブミナール ベナレスのガンジス川
プロローグ
インドに一人旅・・・でも、完全に一人旅も心もとない。もともと、バックパッカーになるほどの勇気もないし、そんな歳でもない。
沢木耕太郎の「深夜特急」に憧れているわけでもないし、敬虔なる仏教徒というほどでもない。ただ、ただインド熱に取り付かれた。
蔵前仁一の言葉を借りると「インド病」である。
2004年、たった一週間インドに仕事で行った。まわりから「大変だぞ」「インド人はてごわいぞ」「かわいそうに」「猿が工場に住んでるから
バナナをとられないように」「くさいよ」「かわいそうに」など行く前から、みんなから散々哀れみをもらい、戦々恐々としながら台風の去った
直後の日本からインドに旅立った。
確かにインドでの仕事は想定外の話ばかり。当日、突然訪問先がかわり、20人以上いるインド人スタッフはその場所を誰も知らない
などいろいろなことがあった。
しかし・・・・自分の周りには日本人の出向者もしくは上位カーストに位置するインド人スタッフが絶えず守ってくれていた。毎日、宿と会社
の往復や他社への出張はエアコン入りの社有車。窓を開けずドアをロックして、赤ん坊を抱いた女の人や小さな子供が寄ってきても無視。
それで安全は確保されていた。
途中インド人スタッフによるウェルカムパーティや日曜日に日本人出向者に市内観光に連れて行ってもらった。「どこに行きたい」と言われて
「デリー博物館」と答えた。おかげで「そんなこと言われたのは初めてだ」と言われた。ただ、遠藤周作の「深い河」に出てきた「チャームンダー像」
が見たかっただけ。
でも、この博物館に圧倒され、今までほとんどきらいで勉強していなかった「世界史」の本物が目の前にあった。「インダス文明」「アジャンター」
「ガンダーラ美術」「ムガール帝国」「アレク・サンダー大王」「東インド会社」・・・・・・。はじめて東インド会社が1つじゃなかったことを知ったし、
「西遊記」の孫悟空のモデルはインドのハヌマーンという神様であり、三蔵法師は中国の実在の人物であることを知った。
そして、ガネーシャやゾウの石の彫り物や細密画(ミニアチュール)に魅力されてしまった。
もし、これが数万円以上の値段だったら興味をもてなかっただろうが、100年以上前に発行されたイスラムの本の紙にリスの毛で作った筆で
ひとつことつ手書きで線を描いた細かな細密画、描き上げるのに何日もかかるだろうに数百円から数千円で買えるのだ。本当で手軽に本物のアート
に触れることができるのだ。
そんなインド病に徐々に犯されていき、気が付くとここ一年で読んだインド関連の本は70冊を超えた。今まで本屋でインドの本がこんなにあるとは
思わなかった。また、ネットのインド関連のHPを次々と読んだ。旅行記、対戦記(?)、神様関連、歴史関連・・・・こんなに多くの人がインドに興味を持って
いて、インドに行っていることを初めて知った。これらの経験はどんどんインド熱を高めていくとともに今回の旅の「安全確保」の知識として大いに役立った。
アップしてくれたみなさん、どうもありがとう。(ただ、古い情報や解釈の違いで実際とは違っていた情報もあった。)
結局、がまんできずにインドに行くことになった。運がいいことに会社にはある条件下で1ケ月間連続で有給休暇とは別に休める「リフレッシユ休暇制度」
があり、早く使えと言われていた。この制度、みんなからうらやましがられる制度だが、結局「お前がいなくたって会社はつぶれんぞ」「ちゃんと休むなら替
わりに仕事をしてくれる後継者もしくは代理人を作っておいて身軽にしとけ」「早期退職して別の道をさがしてもいいぞ」というような会社の意図も見え隠れ
しているので、「なんて社員思いの会社なんだ」なんて感激してはいけないのだ。
それに、制度があっても職場に迷惑をかけるのは間違いない。かなり前からスケジュール調整して大きな仕事が入らないように調整するとともに上司、
同僚、部下への根回しがいるのだ。そのための1年であった。
また、家族への理解。突然お父さんが、あの危険なインドへ行くなんて不安でしょうがない。仕事ならまだあきらめがつくものの・・・・・。ましてや2005.11
にデリー市内の3ケ所同時爆破事件・・・・・。
おかげて予定していたツアーは人数が集まらずに、上記のような非常にマニアックに企画の旅となった。名前から若者はこないだろうな、でも夜中にデリー
について市内観光して夜行で移動とか、車で7時間の移動とか、とんでもないハードな日程なのだ。きっと変わり者の客しかいないだろうと思いつつ、選択の
余地なくこの「NOE新日本トラベル」の企画ツアーに参加することにした。
このレポートは同社の9日間のインドツアーの記録である。(実際には1日伸びて10日になったが)
なお、一部の地域にベナレス、バラナシ、バナーラスと様々な呼び方があるので筆者の趣味でベナレスに統一して述べる。
以下の日程表は、NOE新日本トラベルのパンフレットにあったものに近いが、実際に行った順や行ったところを記載している。一部異なるのはガイドさんの
現場あわせ(わがままなツアー客の要望やその場の判断)が加わっているからである。
4大聖地は誰が決めたか?
4大聖地とか8大聖地とか言っているが、誰が勝手にそんなこと決めたのかというと4大聖地まではシャカ本人が決めたことらしい。長部経典第16番
「大いなる死」の一説にブッタがアーナンダーに生まれたところ(ルンビニ)、悟りを得て仏となったところ(ブッダガーヤ)、この上ない教えの車輪を転じら
れたところ(サルナート)、完全に涅槃の世界に入られたところ(クシナガル)を指定して、「4つの如来を記念すべきところを見て如来を思い世をいとう深
い宗教心をおこすことができるであろう」とアーナカダに伝えている。本人が決めたのだから、一番確かな聖地のはず。ただ、今、聖地と言っている場所
が本当に正しい場所かどうかはわからない。(イスラムさんが徹底的に破壊してくれたおかげで長いこと行方不明になっていたからね)
はっきりいってブロードバンドでないと見えないと思います。写真がいっぱいありますのでご注意ください。
出発前
2005.12.14 中部セントレアから台湾へ(台北一日観光:龍山寺、中正記念堂)、夜中にデリーへ
[宿]スイス・インターナショナルホテル
2005.12.15 デリー自由時間の市内散策 〜
デリー市内観光(クトゥブミナール、ラージガード、ラクシュミナー・ナーラーヤン寺院)〜 デリー駅から寝台特急
[宿]列車内 (デリー駅含む)
2005.12.16 パトナー〜ナーランダ大学跡 〜
ラージギール(旧マガタ国 竹林精舎、霊鷲山) 〜ブッダガーヤ(ブッダガーヤ博物館、市場散歩) [宿]ロータス・ニッコー・ブッダガーヤ
2005.12.17 ブッダガーヤ観光(セーナ村スジャータ宅跡、ネーランジャラー川、マーハーボーディ寺院(金剛宝座)、日本寺)
〜ベナレスまでの大移動 [宿]ホテル・インディア
2005.12.18 ガンジス河沐浴観光、厳戒態勢の黄金寺見学〜
サルナート見学(ムルガンダ・クーティ寺院、初転法輪、ダメークストゥーハ、考古博物館、鹿野園前のみやげ屋)〜
楽しみにしていたベナレス一人歩き(リキシャーマン対戦、クミコハウス、ガンガラム・シルク・ハウスなど) [宿]ホテル・インディア
2005.12.19 クシナガルへの大移動〜クシナガル観光(ラーマパールストゥーハ〜めずらしい墓のある村、マタ・クンワール寺院〜
ブッタ入滅の涅槃寺と沙羅双樹〜市場自由散策。チベット医学の薬屋を発見) [宿]ロータス・ニッコー・クシナガル
2005.12.20 ルンビニへの大移動〜国境越えてネパールへ〜ルンビニ園(マーヤ聖堂、アショカ王の柱)〜ゴラクプールで寝台特急へ [宿]列車内
2005.12.21 トゥンドラ〜ホテル・アマール〜タージマパール〜アグラ城〜大理石屋〜デリー空港 [宿]飛行機内
2005.12.22 故宮博物館の売店へ〜セントレア閉鎖〜チャイナエアラインの用意したホテルへ(台北市外一人歩き) [宿] 桃園假日大飯店
2005.12.23 雪の残るセントレアへ無事到着。 心の一部をインドに残して旅は終わった。
[番外編] ボーダフォン3G接続レポート
今回、予定外のブッダの旅。あわてて読んだ本は以下の通り。上から順に読めば、私のような素人でもある程度はわかる。
それで旅が何倍も楽しくなる。このHPの仏教に関する知識の多くは以下の本、HPより学んだもの。
てっとりばやくブッダについて知る本
「岩波ジュニア新書 ブッダ物語」 著:中村元/田辺和子 岩波書店
この旅行で行くところの知識と仏教の基礎知識がわかる。
「図解 地図とあらすじで読むブッダの教え」 著:高瀬広居 青春出版
この旅行で行くところが非常に詳しく説明されている。
講談社選書メチエ「仏陀を歩く 誕生から涅槃への道」 著:白石凌海(しらいしりょうかい) 講談社
仏跡関係のHPはお寺関係が多い。
「インド仏跡フォトギャラリー」 「フォトギャラリー天竺紀行」(古い写真) いずれも正法寺のHPより 「仏跡の旅」(高源寺のHP)
「四大仏跡を参詣する旅」 広済寺のHPより