☆はじまりはじまり☆


「ふぅぅ。。。」
鏡の前に座って、アオイ姫は大きくため息をつきました。

「どうして、私の上唇ったら、上を向いてるの。
可愛らしい女の子の様に、
きちんと下唇さんとおとなしくそろっていてくれないのかしら。」
ぷんぷんと上唇をもっと尖らして、アオイ姫はさらに悲しくなりました。
「それに、皆が褒めてくれるこの瞳だって、
くりくりと、まるで仔犬の様で、ちっとも大人の雰囲気じゃないわ。
それに、いつもこんがり小麦色の肌、
まぁ、それは部屋でおとなしくしているのが嫌いだから仕方がないんだけど。」
「うぅうん、私だって、王家の娘になんか生まれて来なければ、
そうして、もっと別の楽しい毎日を過ごしていれば、
こんな顔だってきっと大好きになれると思うわ。」
アオイ姫は立ち上がると窓辺へと移動し、
月明かりに見える海を眺め、気持ちを切り換えようとしました。
波の輝きが、アオイ姫の真っ黒な瞳にキラキラと映っています。

アオイ姫は、とある国のお姫様。将来は女王様として国を治めなければなりません。
たまたま、どこかの王子様と恋をして、その結果、女王になるのなら考えてもいいのですが、
既にそう決まっているという事が、アオイ姫は嫌で嫌で仕方がなかったのです。
まだまだ、そんなずっと未来の事を勝手に決められたくはなかったのです。
そして、そのための勉強、勉強の毎日、
たまに外を歩けば、皆に「立派な女王様になってください。」と言われ、
立派な女王という、全く自分とは関係のない人間に無理矢理変えられてしまって、
なんだか、本当の自分がどんどん失われていく様な気がしていたのです。
そのため、アオイ姫は毎晩、
寝る前には必ず鏡の前でため息をつくのが習慣になっていたのです。

(つづく)









☆朝の散歩とアオイ姫の秘密☆


アオイ姫は早起きです。太陽の光が部屋に入ってくるやいなや、飛び起きます。
そして、朝の散歩の身支度を済ませると、街にでかけます。
この朝の散歩の時間が、今のアオイ姫の普段の日々では唯一自由な時間なのですから。

港街であるアオイ姫の散歩コースは、
どんなにアオイ姫が早起きしても、もう活気にあふれています。
深夜の漁から帰った船の人々、これから漁に出かける準備をする人々。
魚を売り買いする人々や、そうした人々を相手に商売をする人々。
とても、活気に満ちています。

アオイ姫はそうした、人々、街を見るのが大好きです。
そして、働く人々も元気に朝の街を自由に歩き回るアオイ姫が大好きで、
「アオイ姫さま、おはようございます。」
「アオイ姫さま、今日もお元気ですね。」
と、それぞれにみなが話しかけます。
また、皆忙しいので、姫だからといって、つまらない礼儀正しい挨拶や、
王家の回りで仕事をしている人々の様な
ご機嫌伺いのおべんちゃらを言ったりしてる暇はありません。
アオイ姫には、ここの人たちは、自分たちの力で自ら生きている様に思えます。
そして、そういう人たちだからこそ、
王族とかそんなこととは関係なく、自分に接してくれているのが嬉しかったのです。

そして、アオイ姫には、もうひとつ、港の人々との一体感を持つ、秘密があったのです。
それは、船です。アオイ姫は、長い時間をかけて、誕生日ごとにお願いして、
ようやく、自分の船を、ここの港に持つことを、女王様に許してもらったのです。
船の管理は、漁師を引退した国一番の船乗り、ビスクに任された仕事なのですが、
もう随分前から、こっそりと、アオイ姫は無理を言って船の操縦をビスクに習い、
今ではもう、ほぼ自由に船を操縦できる様になっていたのです。
「こんな事が女王様に知れたら、わしは牢屋いきですぞ。」
と小言を言うのですが、
「それも、また、わしの自由ですから。」
と付け加えるのが、ヒゲもじゃビスクの口癖でした。
アオイ姫が、舵を楽に操れる様に、まるで船乗りを目指しているがごとく、
お城の自分の部屋で、秘かに毎日かかさず、
腕立て伏せなどのトレーニングをしていることなど、もちろん、城の誰も知りません。

広い海の上を、自由に、好きに、船を走らせるのは、とても気持ちの良いことです。
それは、お城の窮屈な生活と、全ての意味で、全く正反対と言えるでしょう。
そこには無限の世界が広がっています。
そしてそれは、その距離を実際に移動してこそ体感できるのです。
船に乗っている時は、その景色の素晴らしさ、船のエンジンの音、風の匂い、
そして海の波と船と自分との一体感、もう、それだけでウキウキしているのですが、
少し長い航海を終えて、港に戻ってくると、
その航海してきた海の広さ、空の空間の大きさが、自分の中に暫く残って、感じられ
まるで、自分の心までが、大きく大きくなった気が、アオイ姫はするのでした。

アオイ姫にとって、次はいつ、海に出ることができるのか、その事を考え、
実際に、自分の船を眺めることも、朝早くから毎日散歩に出かける理由の一つでした。
そして、アオイ姫はその事を胸に、退屈な城での一日に立ち向かうのでした。

(つづく)







☆アオイ姫の朝の食事と天井の窓☆


お城には、たくさんの建物、お部屋が有ります。
その中でも、ひときわ天井が高いのが別棟の大食堂です。
一階建てなのですが、空高くとんがった屋根の形そのままの天井には、
この国の歴史を表した色々な場面の絵が全面に区切り無く描かれています。
アオイ姫には、それがまるで空のように高く遠く見えます。
そして、絵の中の一部に、不透明な丸い窓が有って、
何かの時に時々開けられていることがあるのですが、
ぼっかりと、本当の空に不思議な穴が空いている様に見えます。
その窓が空いていると、アオイ姫は落ち着いて食事ができません。
まるでそこからまったく別の世界に自分が吸い込まれて
二度と帰って来れないような気がして、とても不安な気持ちになるのです。

アオイ姫は、朝食のために食堂に入ると、その窓のあるあたりの絵を見て、
窓が開いていないことを確認し、ゆっくりと歩いて、給仕が引いた椅子に座りました。
珍しく、王様はもう席についていましたが、何か考え事をしているようでした。
王様はいつも議会の人たちとの打ち合わせの事で頭が一杯だったのです。
大きなテーブルの上には、もう既に、沢山のお皿がならべられ、料理も準備されています。
「おはよう、アオイ姫、昨日は良く眠れましたか」
少し遅れて、女王様が食堂に入って来られ、アオイ姫に声をかけました。
アオイ姫は、女王様が席に着くのを待って、その沢山の料理越しに、こくりとうなづきました。
「では、頂きましょう。」
その声と共に食事は始まり、食事中は無言でなければなりません。
それが、この国の王族の食事の仕方の仕来りでしたから。

アオイ姫は、給仕が皿に取り寄せた物のうち、
食べたいものだけを少し、口にしては、嫌いなものは全てすぐに下げさせます。

「アオイ姫、お肉も少しは食べれるようにしておかないと、晩餐会などでは笑われますよ。」
アオイ姫は、もともと食べることが得意ではなく、特にお肉が嫌いだったのです。
しかし、女王の言葉は、その威厳が保たれなければなりません。
その言葉には王様すら従わなければならないのです。
それで、アオイ姫は嫌々お肉を口にいれるのですが、
その固さに閉口し、それを飲み込める様に噛む間、
その嫌な匂いに耐え続けなければなりません。

「私の先祖はみんな、ここでこうして食事をしてきたのね。
誰も、その事を不満に思うことはなかったのね、きっと。だから、今も続いている。
でも、私は違う。
食事なんて、船が航海の途中、港で給油するように、
その必要な分だけを素早く補給すればいいだけなのに。」
「この延々と続いている王族の流れの中に、どうして、私は生まれてきたの。
まるで、私だけが、別の世界から、間違って混ざってしまったみたい。」

アオイ姫は、ふと、今は閉まっている天井の窓の事を考えました。
「私は、あの窓から間違ってこの世界に落ちてきたのかもしれない。
でもあの窓は、とても恐ろしい世界の入り口の様な気がしているのだけど。」

アオイ姫は、その小さな体を少し震わせて、すぐにその考えをとりやめました。
その身振りを、我慢して食事していると思った王様が、
「お互い、色々大変だなぁ。」という共感の目で、アオイ姫の顔を見て微笑みかけました。
「すこし違うんだけど。」と思いながら、
アオイ姫も「しょうがないですよね。」という感じで口許で笑いました。
王様は色々忙しく、体も決して丈夫ではないので、
あの天井の窓が本性を表して、人々を吸い込み始めたら、
王様が、真っ先に吸い込まれてしまいそうにアオイ姫には思えました。
でもそれは考えてはいけない事だと思い、すぐに以前見た夢の事を考えました。

それは、曇っていて星さえも見えない真っ暗な闇の夜の事です。
そんなみんなが寝静まった深夜の王国へ、
天にも届きそうな闇の巨人が山をひとまたぎしてやって来たのです。
そして、のそのそと国中を歩き回り、
ついにお城の食堂のあの天井の窓が開いているのを発見し、そこから、中を覗いているのです。

そこでは、深夜だというのになぜか、いつもの朝の食事が行われていました。
女王様も王様も、給仕や料理人たちも、闇の巨人に気づくことなく普段通り無言です。
でも、アオイ姫には、その闇の巨人が食堂の屋根に全体重をかけて、
執拗に執念深く中を覗いているのがわかります。
闇の巨人にとってはその窓はとても小さいので、
決して闇の巨人がそこから手を入れて誰かを捕まえる事はできそうにないのですが、
その闇の巨人がそうしたくて天井で暴れているので、
今にも天井が崩れ落ちそうに揺れています。
そこで、うなされて目が覚めたのですが、
どうしてそんな夢を見たのかアオイ姫にもわかりませんでした。
アオイ姫はようやく一切れのお肉をお腹に収める事が出来て、一息つきました。

でも、今は窓はしっかりしまっているので大丈夫です。
部屋の角に置かれた観葉植物の葉の陰に、顔見知りの蜘蛛さんが見え隠れしています。
アオイ姫は、掃除係に駆除されることなく今日もそこにいる蜘蛛を見つめました。
その姿を見た王様が、またアオイ姫の方を見て、「大丈夫だよ。」という笑顔を見せました。
「王様ったら、まだ、私が蜘蛛さんを怖がっていると思っているのね。
いつまで、私の事を、臆病な小さい子供のままだと思っているの、もう。」
随分、前に、庭の木陰に巣を張る蜘蛛を見て泣き出したアオイ姫に、
蜘蛛は決して、近づかなければ、襲ってきたりしないと教えてくれたのが王様でした。
今日も、一日、これまでと変わらず穏やかに過ごせます様にと祈るアオイ姫なのでした。

(つづく)







☆退屈な勉強とロゼ女史☆


お城の中庭には、よく手入れされた草花が慎ましやかに植えられています。
アオイ姫には、閑散としすぎていて、少し寂しい感じがします。
でも、その中庭の中央には、東屋風に、椅子とテーブルを数本の幅のある柱が囲んで、
天井は、藤棚風に色々な植物が蔓を自由に延ばしている場所が有ります。
天気の良い日などは、お昼を食べたりするのに、最高に気持ちのいいところなんですが、
室内での勉強は気が滅入るのと、今日の午前の先生は、一番親しいロゼ女史でもあり、
特別、お気に入りの場所を、退屈な勉強の場所に使う事にしました。

ロゼ女史は、セルロイドの眼鏡に時々手を当て、資料に目を落としながら、
地学について、どこの山でどんな鉱物がとれるとか、アオイ姫に説明しています。
アオイ姫は、そよ風が草花を一時も休むことなく揺らすのを眺めて、
風たちが、どこからやって来て、今ここを通って、どこまで旅していくのか、
それに比べて、私は行った事も無い国の金や銀の採掘量なんかを覚えさせられて、
なんだかどうでもよくなって、アオイ姫の気持ちは風達と共にどこかはるか遠へ。

「姫様! 集中できないんでしたら、お部屋に戻ってのお勉強に致しましょうか。」
アオイ姫はあわてて、そんなに怒らなくっても、という感じで笑いました。
ロゼ女史は、何事も無かったかの様に、普段の口調で続けました。
「いいですか、姫様。確かに今は退屈かもしれません。
でも、将来、姫様が女王様になられた日には、こうした勉強が役にたつ日がくるのです。
例えば、わが国は隣国との国境線が、他では珍しいことに山脈を超えた所にある為、
自国の領土内と言う事で山々から豊富な資源を得る事ができています。
しかし、その事は、他の資源の乏しい国からすれば、随分不満なことでもあるわけです。
そうした、大きな視点で色々な事を考えれる様になることが、立派な女王様への近道なのです。
ですから、姫様にももう少し真剣にお勉強していただかないと。」
「もうよくわかったわ、ロゼ先生。いいお天気なんで、すこし気がゆるんだだけなの。
地学に戻りましょう。」
アオイ姫には他にも数人、先生がいて、
武道の先生や、色々なマナーや立ち振る舞いを教える先生など。
そして、もっとも憂鬱になるのが、
女王になる為に女王の心得態度などを教えてくれる先生が専門にいることです。
ロゼ先生にまで、女王の心得なんか説教されては、
せっかくのお気に入りの場所が台無しです。
ロゼ女史も、アオイ姫がその事を言われるのが一番堪える事を知っていて、
敢えて言っているのでした。
アオイ姫の表情が真剣になったのを確認して、
ロゼ女史は、これまでより一段と通る声で、説明を続けました。

「では、今日の地学の説明はこれで終わりです。」ロゼ女史がそう告げて、
アオイ姫が「ありがとうございました。」と挨拶して、
今日の午前の勉強がようやく終了しました。
ロゼ女史はトントンと本を揃えて鞄にしまい、
アオイ姫は逆ハの字に腕を上げておおきく伸びをしました。
ロゼ女史と目線の合ったアオイ姫が、にっこりするやいなや、ロゼ女史が、話しかけました。
「姫様、今日はお昼は、ここでですか、私も御一緒していいですか。」
アオイ姫は急に顔色を変えて、立ち上がり、腰に両手を当てて、
「立派な女王は威厳を保つため、やすやすと他の者と食事を共にしないのですが、
今回は特別に許可します。」
「もう、姫様ったら、さっきは、うとうとと眠ってしまうかと思ったので、
姫様の嫌いな、立派な女王様になる為の心得をお話ししただけじゃないですか。」
ロゼ女史がテーブルに少し乗り出して、アオイ姫を上目遣いに覗き込んで、
少し嘆願する様な顔をして、アオイ姫と二人、笑いだしました。
「じゃぁ、料理長に二人分の食事をここへ、用意する様に頼んで来るね」
「いえいえ、姫様、私が。」
「ううん、私がいってくるわ。
私の分にはサンドイッチにハムを入れないでねとこっそり頼まないといけないし。」
「まぁ、姫さまったら。」
「そのかわり、執事長に、お昼は二人で中庭で食べるって、言ってきてね。」
「えっ、私がですか。私もあの執事長さんは苦手なんですけど、しょうがないですね。」
丈の長いスカートをゆらゆら揺らしながら、緑の眩しい中庭を走っていくロゼ女史。
アオイ姫は、自分より随分年上なのになんて可愛い人なのかしらと、いつも思うのでした。

(つづく)









☆ロゼ女史の告白☆


「僕は国を守らなければならない。あなたを守る余裕が無いんです。ですって。」
中庭のテーブルに食後の紅茶が、準備され、その香りを楽しみ、一口いただいて、
ゆったりとした時間が流れたと思ったとたん、ロゼ女史が突然一方的に切り出しました。
「どうして男の人って、そういう風にしか考えられないんでしょう。
私の気持ちをどんな風に勝手に想像してるんでしょう。」

アオイ姫は、食堂で先程小間使いから聞いた、最新のお城のゴシップ情報を思い出しました。
執事長室への長い廊下で、ブラッシュ近衛兵とロゼ女史が偶然すれ違いました。
小間使いは、これは何かあるぞと陰からこっそり見ていたのですが、
二人が近づいて、ロゼ女史が立ち止まり深々と頭を下げてお辞儀をしました。
ブラッシュ近衛兵は、そのまま通り過ぎるわげでなく、その前で暫く立ち尽くし、
かといって、何か話しかけるわけでもなく、ロゼ女史が頭を上げるのを待っていたそうです。
しかし、小間使いの話では、ロゼ女史も粘り強く、
「そりゃ、もう長い間で。嘘じゃないですよ、あたしゃ、声出してあくびしてしまいそうでした。
ロゼ女史はずっと頭を下げて、その場で何かを待ってんですよ。
若い人の恋愛は、まどろっこしくて見ていて苛々してしまいますです、姫様」
「そのあとで、近衛兵さんが、何か一言ロゼ女史に言ったのですが、こんどは、
ロゼ女史の方が、スっと背筋を延ばしてその言葉には返事せず歩きさってしまったですよ。
ほんと、もう、あの二人はどうなってんですか。姫様、それとなく聞いてくだせぇよ。」
城の仕事が退屈で仕方がないといった小間使いの顔を思い出しながら、
アオイ姫はロゼ女史の話に頷きました。
ロゼ女史は、皿の上のカップを意味無くゆっくり回しながら、更に続けました。

「私は自分の事を守って欲しいなんて考えた事も無いのに。
私は、ただあの人の役に立ちたいだけなんです。
それは、私は学問しか能のない女ですよ。
でもですね、私だって、何か役に立てる事があるはずなんです。
取れたボタン付けとか、退屈な時の話し相手とか、
そんな事しか思いつかないんですけど、姫様、判ってもらえます。」
「う〜ん、そういうのはよく分からないわ。
私は、好きな人に憧れて、その人の様になりたいとかって言うのなら判るんだけど。」
「ですよね。私も、私がこんな気持ちになるなんて、思いもしなかったですから。」
ロゼ女史は、まるでひとりぼっちの様な深い溜め息をつきました。
アオイ姫は、何か言葉を探してはみたのですか、大人の世界は、たいそう複雑そうで、
近づきがたい気がして、黙っているのが良い気がしました。

「それで、是非、姫様に話しておかなければならない事があるのです。」
アオイ姫は、なんだか話が深刻な雰囲気になっていくことに一瞬たじろぎましたが、
大きく息を吸って、瞳を開き、口許に微笑みを浮かべて、ロゼ女史の話の続きを待ちました。
「突然なんですが、私、姫様のお勉強の係を辞めるかもしれません。」
「えっ、どうして。」慎重になっていたはずのアオイ姫でしたが、
思わず問いただす様な口調に自分でも少しびっくりしました。
と同時に、とても悲しい気持ちが全身に広がっていくのも感じられました。
うつむいて黙っていたロゼ女史でしたが、
アオイ姫の表情をしばらく見つめ、話し始めました。
「こんな事を、姫様に話していいのか、どうかよくわからないのですが、
私が、ブラッシュさんに好意を抱いている事がどうも噂になっている様で、
この城の執事長さんが、風紀が乱れるとか、その事を快く思っていないんです。
その上、ここからのお話は本当に秘密のお話なのですが、
どうも、山向こうの国の軍部が不穏な動きをしているとの情報があるのです。
王様は、山向こうの国の出身ですし、
王様自身、両国の和平交渉に日夜ご尽力されているのですから、
この国を占領する為にいきなり攻め込んできたりはしないだろうという事なんですが、
どうもまずは、わが国の鉱山を占領するため、
軍備を山の向こうの我が国との国境周辺に集結させている様なのです。
そこで、わが国も防衛の為、山向こうの村々に兵を集める予定があるのですが、
どうも私がブラッシュさんに好意を抱いている事を知った執事長さんの命令で、
ブラッシュさんも、山向こうの村へ移動が決まってしまったのです。
もちろん、私のせいでその命令が出たのかどうかは定かではありません。
でも城勤めの近衛兵が突然、前線へ移動というのはあまり聞かない話です。
もちろん、いますぐ戦争が始まるというわけではないでしょうし、
ブラッシュさんに、もしもの事があるなんて、とても考えられない事です。」
ロゼ女史は、恐る恐るそこまでゆっくりと話して、アオイ姫の顔を見つめました。
アオイ姫が、私になにか出来る事があるなら、と思ったとたん、ロゼ女史が続けました。
「いえ、姫様に何かお願いしているわけでは決してないのです。
私は本当の事を言わずに、この仕事を辞めて姫様の前から消えるのが嫌なだけなんです。」
アオイ姫は、自分の持てる全ての力を使ってあらゆる可能性について考えました。
それはもう、自分でも驚くくらい一瞬に色々な事が頭の中で複雑に交錯して浮かびました。
「それで、先生が辞めれば、ブラッシュ近衛兵の移動命令は取り消してもらえるの?」
ロゼ女史は、アオイ姫の強い口調、そして自分の予想もしていないアオイ姫の言葉に、
一瞬言葉に詰まりましたが、あわてて、話を続けました。
「いえいえ、そういう事では無いんです。一度出た命令は変更されないでしょう。
それに、私のせいで移動になったと明白になったわけではないので。」
「では、どうして先生が辞めるの?」
「まだ、正式に辞めると決めたわけではないのですが。」
ロゼ女史は、その真っ直ぐなアオイ姫の瞳を心に刻みつける様に見つめてから、
全てをアオイ姫にお話しする事を決心しました。
「私も、この仕事を辞めて、ともかく山向こうの村へ行こうと思っているのです。」
アオイ姫はじっとロゼ女史の話を聞きながら、
何かが失われる予感に心がつぶれてしまいそうになるのを耐えていました。

(つづく)









☆回廊のイヌキと、二つの知らせ☆


アオイ姫の国と山向こうの国との関係は、日に日に、緊張感を増してゆき、
ついに、アオイ姫は城から外出する事すら許されなくなってしまい、
城の、海から一番近い望楼に行く事くらいしか自由が無くなってしまいました。

それでも近衛兵たちは、城の中ですら、アオイ姫の身の保安を気にして、
アオイ姫を見かけると、あからさまに緊張して絶えず厳しい視線を送ります。
退屈な小間使いたちは、隣国との和平を維持する為に、
アオイ姫が隣国の誰か同い年くらいの重要人物と婚約するなんてどうですか、なんて、
無責任にアオイ姫に話したりします。
女王様も王様も忙しく、アオイ姫との朝食を共にする時間すら取れなくなりました。
アオイ姫は自分になにかしらとても大きなプレッシャーがかかっているのを、
日々感じないわけにはいきませんでした。

唯一仲良しだったロゼ女史も、アオイ姫の教育係を辞めて、
山向こうの村に行ってしまいました。
しかし、そのロゼ女史から手紙が届いているというので、
アオイ姫は急いで自ら執事長室まで、それを受け取りに行きました。
手紙を手にして、自らの部屋に戻る途中、
ロゼ女史が行った村の方角の山々が見える長い空中回廊の窓のそばに立ち止まりました。
そこには、アオイ姫が、
イヌキと名付て可愛がっている鳥が、スタンドでつられた鳥籠に入れられています。
「イヌキ、あなたは、そんな狭い籠の中にいても、餌さえもらえれば、日々満足なのね。
たしかに、外には鷲や鷹など、恐ろしい敵もいるでしょう。
あなたはその事を知っていて、そこで、おとなしくしているの。
その気になれば、山向こうのロゼ先生の所まで飛んでいく事はできる?」
イヌキはクイィクイィと鳴きながら、二段のとまり木を行ったり来たりしています。

アオイ姫は自分の部屋まで帰るのがもどかしくなって、そこで手紙を読む事にしました。
その手紙によると、
ロゼ女史は、村向こうの兵士たちに同行する医療チームに仕事を見つけ、
城での仕事とは全く違い、日々忙しく体を動かして働いているとの事でした。
そしてブラッシュさんとは、偶然ロゼ女史が働いている時に再会したらしいのですが、
その時のブラッシュさんは、ロゼ女史の言葉によると、
「それはもう、鳩が豆鉄砲を食らった様な表情で驚いていて、ざまぁみろって感じです。」
と書いてあります。
アオイ姫は久しぶりに、少し声を出して笑いました。
「ざまぁみろ」と言う言葉は、
どう考えても、自分が知っているロゼ先生のイメージではなかったからです。
遠くに霞んでみえる山々の、更に向こうで、新たな生活を送っているロゼ先生。
その事が頼もしくも有り、しかし、とても寂しくも感じるアオイ姫でした。

とその時、その回廊を、5、6人の一行が、
アオイ姫を気に留めることなく、走り過ぎて行きました。
その内の誰かが、イヌキの鳥籠のスタンドを引っかけたらしく、
大きな音を立てて倒れました。
一人の小間使いがその音に振り返り、アオイ姫に気づき、
「王様が、倒れられました。」
と、一声を発して、そのまま走り去りました。
ひっくり返った鳥籠から出たイヌキは回廊の中をパタパタと羽ばたき、
幾つも並ぶ窓の一つから外へ飛んで出て行ってしまいました。
アオイ姫はあっけに取られながらも、無意識にその姿を目で追い、
イヌキの目立ち過ぎる派手な翼の色が空の色の中にとても不自然なのを感じました。
王様は、敵対している隣国で和平交渉の会議に出席していたはずです。
アオイ姫は山向こうはるかかなたに王様の心を探して、
しばらく、その窓辺に立ち尽くしていました。

(つづく)









☆女王の決断☆


その日は夕方から雨が激しくなり、雷も鳴り始めました。
王様の一行は、まだ隣の国から村向こうの自国の領地にすら出る事ができていません。
もちろん、意識不明の王様を運ぶ事は危険が伴います。
しかし、それよりも向こうの軍部の圧力がかかっているとも言われていました。
自国の血縁者である王様を自分たちの手中に収めていれば、攻め込み易く、
両国間の戦争の可能性は更に高くなっているとのことでした。
血縁者という事では、アオイ姫の存在の重要性は高く、
アオイ姫は殆ど自分の部屋から出ることができない状態が何日も続き、
部屋の入り口には常時、二人の近衛兵が立っている有り様でした。

自室でおとなしくしている様に言われていたアオイ姫でしたが、
夜になって、女王様から城の大広間に来るようにとの、連絡が、
小間使いによって届けられました。
女王様は、ずっと広間で、多くの家臣たちと相談しながら、色々な命令を下していました。
アオイ姫は広間に入ると、少し高い位置に座った女王様から、少し離れた所で立ち止まりました。

女王様はしばらくアオイ姫の顔を見つめましたが、表情を変える事はありませんでした。
「アオイ姫、あなたは、すぐに山向こうの国へ行かなければならなくなりました。
交換留学という事で、向こうからもあなたと同じくらいの年の少年が来ます。」
アオイ姫は敢えて無表情で、黙って女王様の目を見つめ、さらなる言葉を待ちました。
「そのことで、今両国にある敵対感情が改善されるきっかけに、
そして、そのことが成立する事で、王様が安全に向こうの国を出国できる手筈です。
急を要します。明日にでも出国できる準備をしなさい。」
ここ数日というものほとんど自分の部屋にいなければならなかったアオイ姫は、
嫌でも、この国の事、そして自分の将来について色々考えざるを得ませんでした。
しかし、その女王様の命令はあまりに唐突でした。
アオイ姫は冷静をよそおって質問しました。
「それで私は、いつこの国に帰って来れるのでしょうか。」
女王様は顔色一変えず、言葉を続けられました。
「王様が無事帰還されて、国務に戻れるまで回復され、
また、あなたが向こうの国との友好関係を築く努力を怠らなければ、
1年、あるいは半年くらいの事になるかもしれません。」
女王様はそこで言葉を止めてしまいました。
アオイ姫は自分の頭の中が真っ白になって、取り乱しそうになりました。
「それは、ことがうまくいって、もっとも短い場合のことですね。たとえば、
たとえば、王様にもしもの事が有って、最悪の場合、私はいつまで、
敵国の人質として、山向こうの国から帰って来れないんですか。」
「姫様、落ち着いてください。」
一人の家臣がアオイ姫にそう話しかけると、女王様のそばに行き、
何か小声で話しかけました。
しかし、女王様はゆっくりと首を横に振り、アオイ姫を見つめ言葉を続けました。
「最悪の場合、成人するまで、あるいは、あなたが結婚するまで、
この国に帰って来る事はできないかもしれません。
それが、この国の王家に生まれた者の定めです。」
「それは、定め、なのですか、女王様の命令ではないのですか。
そして、私の一生、全てを命令によって決められてしまうのですね。」
アオイ姫は強い口調でしたが、けっして何かの感情に捕らわれることなく、
淡々と、そう確信をもって言い切りました。
まわりの家臣たちは、もう誰一人、女王様とアオイ姫の会話に口をはさむ事が出来ず、
みな固唾を呑んで事の成り行きを見守っています。
「女王の命令は絶対です。
この国の者、ましてや王家に生まれたものは、それを定めとして受け止めなければなりません。
それが、嫌ならば、」
そこで女王様がふっと気を抜かれたのをアオイ姫は感じました。
それがなんだったのかよくわからないまま、
その言葉の合間を縫ってアオイ姫が言葉を発しました。
「私は、もう命令には従えません。私は私の意思で生きて行きます。」
そう高らかに宣言したアオイ姫でしたが、
その言葉を実際に実現する為にはどうすればいいのか、あるいはその結果どうなるのか、
全く考えていませんでした。
「女王の命に背き、この国を捨てて、一人で生きていく覚悟があるのですね。」
女王様はアオイ姫の考えの甘さを見抜いたかの様に、強く迫りました。
アオイ姫は、もう後には退けず、言葉の意味を深く理解する余裕もなく、黙って頷きました。
頭のどこかで、女王様の命令に背いて、例えば城の牢屋に入れられても、
敵国に人質として捕らわれの身になるよりは、
まだいいのではないかなどと、頭の隅で考えていたのですが、
一瞬にして、真剣に自分が今後どう生きていくのか考えなければならなくなりました。
アオイ姫はもう一度、今の女王様の言葉を頭の中で繰り返してみましたが、
まるで突然険しい山が目の前に立ちふさがり、どこから登っていいのか、という感じで、
ただただ、呆然と、その場で立ち尽くしてうつむいて考え込んでしまいました。

「ビスク、ビスクはいますか、入ってきなさい。」
突然、女王様がそう高らかに声を発せられるのが、アオイ姫の耳に聞こえました。
すると、女王様の座られている左後方の扉が開いて、正装した船乗りビスクが現れました。
あっけに取られたアオイ姫をよそに、ビスクは、女王様とアオイ姫の間まで歩いてきて、
「ビスク、只今、ここに参上いたしました。」と、女王様に向かってひざまずきました。
「ビスク、そこにいる者は、この国に背いたる者。よって、国外追放に処す。
お前が責任を持って、国外に追放いたせ。」
「ははぁ、女王様の仰せのままに。」
ビスクはそう言って深々とお辞儀をすると、立ち上がり、アオイ姫の方に振り返りました。
そこには、アオイ姫がよく知っている、いつものビスクの笑顔がありました。
アオイ姫は思わず泣きだしそうになりました。
「ささ、姫様、女王様にご挨拶して、この部屋から出ましょう。」
アオイ姫が涙に潤んだ目で女王様の方を見ると、
いつもの厳しい表情の女王様なのですが、そこにはなんだかとても柔らかなものを感じました。
横に立ったビスクがお辞儀したのにつられて、アオイ姫も女王様にお辞儀しました。
アオイ姫はなんだかわからないまま、ビスクの左手に背を押され広間を後にしました。

(つづく)







☆王様の心配と無数のテント☆


アオイ姫のお城のある街の山向こう、敵国との国境線がある村では、
ブラッシュ近衛兵が、日が沈み、あたりが暗くなったの見計らい、
(前線へ移動にはなっていましたが、身分は近衛兵のままでした。)
国境線となる河沿いの背の低い茂みに歩腹前進で忍び込み、深く身を隠し、
双眼鏡で対岸の敵陣営の様子をうかがっていました。
その対岸の雑木林には、ここ数日の間に、野営のテントがどんどん増えていました。
敵の兵士たちが、ここ、国境線に集まってきているのです。
ブラッシュ近衛兵はざっとその数を数え、双眼鏡を強く握り直しました。
今、総攻撃を駆けられては、とてもこの村を守る事はできないでしょう。
兵士の数の上ではもう圧倒的に自分たちが不利である事は明らかでした。

ブラッシュ近衛兵は、軍服の胸の真新しいボタンを片手で探りました。
そして、そこにそのボタンがある事、そしてその感触を確認すると同時に、
窓辺のイスに座り、女性が裁縫をしている姿が、まるで一枚の絵の様に浮かびました。
それは、自分がすっかり忘れていた幼い日の思い出のようでもあり、
それでいて、つい最近、初めて心に焼きついたような不思議なイメージでした。

ブラッシュ近衛兵は対岸を見つめながら考えます。
近衛兵である自分は、これまで城を、そして王様達を守っていた。
それが仕事であり、その仕事をこなす事が自分の為であると。
しかし、なんというタイミングか、こうして前線に配置されて、
自分の命の危険を感じ、その恐怖と戦い、その恐怖から逃げ出したくなる時、
自分はどう行動すべきなのか、自分の命をかけてまで、自分は何を守るのか、
その事を今というこんな緊急事態に嫌というほど考える事になるとは。
そんな事を今更悩んでいるとは、兵士として、
いや、人間としてなんと未熟なのだろうと。

しかし、いかにずっと前線で戦い続けている兵士とはいえ、
あのテントで息をひそめてこちらに攻めて来る準備をしている敵兵達も、
今、こうして茂みに息をひそめている自分と同じように悩まない筈はないとも思いました。
けれど、そうした同じ人間が殺し合わなければならないのも現実です。

ブラッシュ近衛兵は、敵兵がどんな人間なのかと双眼鏡で探しましたが、
テントの明かりが見えるばかりで、外を歩く兵士の人影を見る事は出来ませんでした。
空には一面曇っているのか、星は全く見えず、月明かりが雲を照らしているだけでした。

ブラッシュ近衛兵は今度は胸ポケットに入っている通信文の事を考えました。
敵国で倒れられている筈の王様から、もっとも近いこの村に秘密の緊急通信が届きました。
それは、意識を取り戻して間もないであろう筈の王様からの通信であるにも係わらず、
その内の一つが、何故かブラッシュ近衛兵個人宛のものだったのです。
王様が、ブラッシュ近衛兵が、
この村に移動になったことを知っていたのかどうかは定かではありませんでしたが、
他は急いで山を越えて城の方へ送られる事に成りましたが、
近衛兵宛の通信文はタイプで打たれ、直ちに彼の手元に届けられました。
それは、まるで暗号の様なものでしたが、
敵に傍受される可能性もありましたので、本当に暗号だったのかもしれません。

「夢を見た。
大きな衣装に身をゆだね、強い意思をもって敵に挑み掛かる。
しかし小さな命に、そのような力はない。
止めなくてはならない。」

もちろん、王様が姫様の事を心配している事はブラッシュ近衛兵にもすぐ判りました。
しかし、自分は今、城を離れ、こうして敵前の村にいて、姫様の側にはいない。
それに姫様が、敵に挑み掛かるなんてことはあり得ない事です。
万が一、姫様が山を越え、変装して国境線を越え、王様を探して敵国に入る。
あの姫様なら決してあり得ないとは言えないものの、
やはり不可能だとブラッシュ近衛兵は考えました。

姫様は元気にしておられるだろうか、とブラッシュ近衛兵が
アオイ姫のその姿を思い出したその時、
双眼鏡のなか、河向こうの雑木林の敵陣営、
人影がすっと一つのテントに吸い込まれた気がしました。
ブラッシュ近衛兵は一瞬我が目を疑いましたが、
確かに今見えた人影は姫様と同じくらいの背丈で、とても兵士には見えませんでした。

ブラッシュ近衛兵は、もちろんそれが姫様であるはずが無いとは確信していましたが、
通信文の事もあり、どうしても確認せずにはいられなくなりました。
幸い闇は深く、とにかく、テントの明かりを目標に河を渡ってみることにしました。
水は冷たく、心臓が苦しいくらいでしたが、
姫様が城で楽しく暮らしておられた日々の事を思い出してみると、
不思議と力が出るのでした。
それに、こんなに水が冷たくては、敵も誰かが渡って来るとは思わないだろうと、
自分を励ましました。

ようやく河を渡り切り、テントが無数に点在する雑木林を近くに見ると、
驚いた事に、そこにはまるで敵の存在感が無く、危険さが感じられなかったのです。
ブラッシュ近衛兵は、
何が何でも、先程の姿が姫様では無い事を確認しようと強く決心しました。

そして、目標にしていた人影が見えたテントに近づいた時、
ブラッシュ近衛兵は全てに気づきました。

全てのテントに明かりは灯っていましたが、その中には誰もいません。
ただ、中に明かりが灯った無人のテントが、雑木林に無数に並んでいるだけです。
ブラッシュ近衛兵は意を決して、その唯一、人影のあるテントに飛び込みました。

そこには、驚いて囲炉裏端にしゃがみこんだ老婆と、抱き抱えられた娘がいるだけでした。

(つづく)







☆ビスクの心、アオイ姫の心☆


index1

雨は、ほんの少しの水分が集まって、空に浮いていることができなくなって落ちてきます。
そして、一粒一粒が、地上に辿り着き、雨であることを終える瞬間、小さな音をたてます。
それは、耳をすまさなければ聞こえないような小さな音ですが、
今は、その音が無数にまるで無限であるかのように、重なり合って、辺り一面を包みます。
ビスクが、その頑丈な片手に持った大きな傘ですら、へし折ってしまいそうです。

港の桟橋に出て、お城からずっと付いてきた警護の者たちから少し離れたのを確認して、
ビスクが、ずっと黙り込んだままのアオイ姫に話しかけました。
「ふう、これでこの国とも、しばらくお別れ、ですじゃ。
それにしても、姫様に船の操縦を教えていた事がばれて、
わしまで国外追放とは、女王様もお厳しい。
しかし、こうなったからには、このビスク、
地の果てまでも、姫様のお供をしますですじゃ。」
それは、あまりに突然これまでの生活を離れることになって、
落ち込んでしまった様子のアオイ姫を、笑わせることができるであろう、
なかなかのジョークだとビスクは自分でもおかしかったのですが、
アオイ姫は、真剣にビスクを見つめ、ぽつり、尋ねるのでした。
「おかあさま、女王様は、大丈夫?」
ビスクは直ちに反省しました。姫様はいつもそうなのだ。
なのに、ついついその容姿に惑わされてそのことを忘れてしまう。
自分は姫様のことを全然理解できていない。
姫様の小さな頭の中には、自分には到底計り知れないくらい、
大きな世界が広がっているという事を。
「ええ、もちろん大丈夫ですとも。
我が国の兵士たちは、このビスクのように、屈強な強者揃いですからな。」
ビスクはこっそりと渾身の力を振り絞り笑顔で、傘と、大きなかばんを持つ両手で、
軽々と力こぶを見せるボーズを作って見せて、
「このビスクのように」と繰り返し、胸を張りました。
しかし、アオイ姫は、続けました。
「そして、ビスクの年老いたおかあさま、そしておくさんにも、申し訳ありません。」
「何をおっしゃいます、姫様。
このビスク、子供の頃より、わんぱくやんちゃ、冒険し放題。
もうその事には周りの者は皆、慣れっこです。
それに、この冒険好きな血は、誰にも止められません。
それに今回の出航も、もう姫様と一緒という事で、あちらの国、こちらの国と、計画満載で、
いっそ、女王様の帰国命令がとどかないような所まで行こうかと考えてるくらいですじゃ。」
さすがに、ビスクも自分がはしゃぎすぎている事に、困り果ててしまいました。
アオイ姫は立ち止まり、
傘を持つ側のビスクの胸の当たりに額を当てて、しばらくじっとしています。

ビスクは考えます。
これは、姫様がわしに甘えておられるのだろうか。それとも、
途方に暮れそうになる、頼り無げな、わしを励ましてくださっているのだろうか。

闇をまとった海が唸り声を上げていましたが、
ビスクは心が透き通っていくのを感じていました。

index2 

港には、ビスク自慢の外輪船(スクリューではなく、船の両側の外輪で航行する)が、
出航の準備をして、停泊していました。
「ビスクの船で行くのね。」
その船を前にして、アオイ姫は、そう呟きました。
「そうです。旅先で必要な荷はもうすべて積み込んであります。」
ビスクは不安になり、アオイ姫の顔を覗き込みました。
「私、自分の船で行きたい。」
アオイ姫は、ビスクの船を見つめ、そうはっきりと言いました。
ビスクは、一瞬とんでもないというような顔を見せましたが、すぐに冷静に答えました。
「しかし、姫様、この海の荒れようでは、姫様の小さな船では危険です。」
「いいえ、私は私の船と一緒に、新たな人生を出航したいの。
私は、私の船で、ビスクはビスクの船で、2隻で行く事はできないかしら。」

ビスクは、暫く考えている様子でしたが、いつもの笑顔に戻りました。
「わかりました、姫様。
しかし、これ以上、海が荒れるようなら、姫様には、わしの船に乗り移ってもらって、
姫様の船は、海に乗り捨てなければなりません。それでもいいですか。
船乗りのわしとしては、船をこの状態の海で乗り捨てるのは、殺すも同じ。
出来れば、この港に置いておいてやりたい気がするのですが。
しかし、姫様の船は、姫様の船。それを決めるのは、姫様ですじゃ。」
ビスクは、
両手を握り、両腕を交差させる、船乗り通しがお互いを尊敬しあうボーズを取りました。
確かに冷静に考えれば、船を海に沈める確率は高く、
アオイ姫自身、自分が船の事を大切に考えていないということ、
船乗りとしては失格だということ、そうした事を頭の片隅では判っていたのですが、
自分の船と別れるという事の寂しさ、
(それは今までの生活と離れる寂しさだったのかもしれません。)
あの船なら自分を守ってくれるというような理屈ではない感情が強く心を支配して、
アオイ姫は、自分の船で旅立つという考えをどうしても変えることが出来ませんでした。
単なるわがままだということも充分、分かっていたのですが、
アオイ姫には、ビスクの笑顔が、それを許し包み込んでくれるような気がしました。

ビスクの策略で、取り敢えずビスクの船に二人して乗り込み、
護衛が引き上げるのを確認し、
ビスクが素早く雨の中、アオイ姫の船の出航の準備をしました。
「またまた、こんな事が女王様に知れたら、わしは、永久に国外追放ですじゃ。
その時は、姫様が、わしを追放する係として、同行してくださいよ。」
ビスクが見せた手のひらに、自分の手のひらを思い切りよく叩きつけ、
アオイ姫は了解とウインクしました。
ビスクは、「やれやれ、長生きはするもんじゃ」と呟き、
あごひげをいつものようになでました。

アオイ姫は、自分の船に乗り込むと、素早く運転席に座り、
計器類を確認すると、エンジンをかけました。
私は、どこへ行くの、ここから逃げ出して。
あの嫌だった日々から脱出して、どんな人生を歩きたいの。
いくら考えてみても、何も答えは見つかりません。
けれど、スロットルを動かせば、船は桟橋を離れ、国を離れ、前へと進んで行きます。
ビスクの船の船尾のランプを見つめ、間隔を的確に保って船を操縦しながら、
アオイ姫は、自問し続けます。
自分は、自分の祖国に居場所が完全に無くなるかもしれない。家族だって。
そして、ビスクだって、いつか自分の家に帰してあげなければならない。
私は一人で生きて行けるの。その力はあるの。その目的は。辛い事に立ち向かう勇気は。

アオイ姫は、自分だけの操縦席で、久しぶりに涙を流す事を自分に許してみました。
ビスクの船を先頭に、2隻の船は、荒れた夜の海を確実に遠くへと進んで行きました。

(つづく)







☆失われるもの☆


「ビスク、すぐエンジンを切って!」
「どうしました姫さま。」
無線で、ビスクを呼び出したアオイ姫は、そう強く命令すると、
ビスクの応答に答えず、無線機を置くと操縦席から立ち上がりました。
ビスクはあわててエンジンを停止させ、後方の窓の方に行き、アオイ姫の船の方を見ます。
そこには、雨の中、操縦室から出て、船首に向かうアオイ姫の姿が見えました。
アオイ姫は船が激しく揺れているのをものともせず、船首に立ち、
一点を見つめたかと思うと、すぐ船内へと駆け戻りました。
ビスクはあわてて、無線機の所に戻って、アオイ姫の応答を待ちました。
「北北東の方角を見て、早く。船よ。大きな動力機関の音が聞こえてくるわ。
こんな夜中に。かなり大きな船。私達の国の方向へ向かっている。」
「よく見えませんが。」
ビスクは急いで双眼鏡を手にして、その方向を見つめました。
遥か彼方、かすかに闇の中、小さな黒い影がぼんやり動いているのが見えました。
「確かにその方向に進んでいるようですが。」
「ビスク、私、考えていたの。私達の国に攻め込むとして、
いくら山向こうの村を占領する事が出来ても、所詮はそこまで。
峠を登って、わが軍の守りを破って、山を占領する事は難しいはず。
山を占領しなければ、鉱物は採れない。
それなら、いっそ、お城を攻め落として、完全に国を征服する事を考える。
そのためには、少々無理をしてでも、海から回って、浜辺から攻めるべきだと思うの。
浜からだと何処からでも上陸できるし、守りを一カ所に集める事もできない。」
ビスクも大慌てで、
錆びついた自分の頭がギシギシいいそうなくらいフル回転させて考えてみました。
「あの影が船だとして、あの大きさの船一隻では、乗り込める兵士の数も知れているはず。
しかし、姫様がそう仰るのなら、是非調べてみましょう。
ここなら、まだ本国とも連絡できそうですし、その可能性を確認してみますが、
まずは、近づいて、正体を問いただしてみましょう。」

二人の船は進路を変えて、その船と思われる影の方へと近づいて行きました。
「姫様、確かに船です。それもかなり大きな貨物船のようです。
しかし、かなり船体が水面から浮き上がっていて、確かに不自然すぎます。
積み荷も積まずにこんな所をよその国の貨物船が航行することはめったにないはず。
ひょっとすると、荷物ではなく、軍隊が乗り込んでいる可能性も考えられます。」
アオイ姫は、ビスクの声を黙って聞いていました。
「このまま多数の敵兵に、不意をつかれて無防備に上陸されれば、
殆どの兵士を村向こうに集結している我が国は大変危険です。
もしそうなら、なんとか船を停止させて時間を稼がなければなりません。
もし、敵の軍の船だとしたら危険ですので、姫さまは停船して近づかないでください。」
ビスクの船はそのまま加速し、その船の方角に進み始めました。
スロットルをニュートラルにして、静かに停船し、
アオイ姫は、自分の胸騒ぎが間違いであればと、祈りましたが、
同時に、あの無防備な村の浜から野蛮な兵士たちが上陸する様を想像して緊張しました。

と、そのときビスクの無線が叫びました。
「姫さま、やはり敵軍の船の様です。いま本国に確認しました。
山向こうの軍部もその情報を掴んで、直ちに山を超えてこちらに戻り始めているそうです。
しかし、このままでは、間に合いそうにありません。
ここは、少しでも、敵軍の上陸を遅らせなければなりません。
姫さま、一人で最初の目的地までいけますか?
国に帰るほうが近いかもしれませんが、敵軍が攻めて来るのでは、
当初の目的地に向かう方が良いかもしれません。」
ビスクの船は、その巨大な船の進行方向前方に出て、停止させるつもりです。
しかしビスクの船に比べ、相手はその数倍はある大きさです。

ビスクも正面からはぶつからず、自らの船の速さが敵船に比べ優位な事を利用して、
船首に斜めに体当たりして、走行を妨害しようと何度も試みます。
しかし、そのうち甲板に兵士たちが集まってきた様子で、
パンパンと、乾いた銃の音が、海に響きわたりました。
アオイ姫はその音で、これが人の命を奪う戦争なんだという事を改めて実感しました。
そして、自分の船は装甲装備されているけれど、
ビスクの船が無防備である事を思い出しました。
私はいつも言う事、考える事だけは、立派。でも、自分では何もしない。いつも人任せ。
あわてて、アオイ姫はビスクの船を追いかけました。

近づいてみると、かなり大きな貨物船でしたが、
ビスクが言う様に荷物を積んでいる気配はなく、船体が水面からかなり浮いていました。
その上、激しい波で、船が海面から持ち上げられ、
後方のスクリューが見え隠れしていました。
アオイ姫は、そのスクリューに、一瞬にして、全ての意識が集中したのを感じました。
あれを壊せば、船は航行不能になる。
そう考えが閃くと同時に、自分の船を、敵船の後方の方に舵を切って全速で進みました。
ゆっくりと、そう、アオイ姫には感じられました、
ゆっくりとその位置に着くまでに決心するのだと。
そして、アオイ姫は、そのポイントに来るのをじっと待って、エンジンを全開にしました。
もちろん、出鱈目に全開にしては、エンジンが壊れてしまいます。
エンジンの音に全神経を集中して、ぎりぎりの回転数までスロットルを持って行きます。
そして、船がグングン加速して行くのに合わせて、
最大ギリギリの回転数でエンジンをうならせます。
「どうかお願い、エンジンさん、全ての力を出し尽くして。」
アオイ姫の船は、真っ直ぐに猛スピードで、目標のスクリューめがけて駆けて行きます。
波に何度も宙に投げ出され、着地の度にアオイ姫は強く床に叩きつけられます。
海面に着水した瞬間、エンジンの回転数を可能な限り上げて、加速し、
波に飛ばされた瞬間、スロットルを戻し、回転数を下げ、エンジンに束の間の休息を与える。
そして、また波に着水した瞬間、エンジンの回転数を可能な限り上げる。
アオイ姫は、自分があくまでも冷静に的確に船を操縦している事を確認していました。
そして、そんな操縦に船も答えてくれるようで、グングン加速して行きました。
しかし、こんなに自分の船が上下に蛇行し、そして目標のスクリューも激しく上下していては、
上手くスクリューに激突し、敵の船の航行を止める事はできそうにありません。
けれど、もうその時の、アオイ姫は、
ただ自分の中に沸き上がる激しい感情、それがなんなのかすら分からないままに、
それをぶつけること、そして、
なんだか分からないままに背負い込んでしまった自分の人生すべてを投げ出してしまう事、
その事で、すっかり自分を見失ってしまっていたのでした。

低く鈍い音が、荒れ狂う海に響きわたり、
ビスクがあわててアオイ姫の船を探したときには、遠く流され、
その無残につぶれた船首を海面に見せて、まさに海に沈もうとしているところでした。

(つづく)







☆Prelude☆
-stars keep shining even in the rainy day-


細い、一本の糸、そこに乗せた一点の感触にすべての神経を集中して、
アオイ姫の友達である、その蜘蛛は、真夜中のお城の食堂の鉢植えの葉陰で、
時間の流れすら超えた次元で、その時が来るのを全力で待っています。

その食堂の高くそびえた三角屋根の上の、れいの窓のくぼみには、
倒れた籠から飛び出し、高く高く舞い上がりあたりを見渡してみたものの、
結局、どこにも行くべきところがみつからなかったイヌキが、
自分の身体にぴったりな、そのくぼみの感触に安心して、ぐっすり眠っています。

蜘蛛さんのこと、イヌキのこと、
アオイ姫は、波間に顔をだして、空を眺め、
頭の中のすべての記憶がひっはりだされていくようでした。
なにしろ、ずいぶん長い間、暗闇のどこかもわからない海の中を漂っていたのでしたから、
そのうち、自分のすべての記憶が出尽くして、
最後にはなんにもなくなってしまうような気がしていました。
そして、また、大きな波が、ザブーンとアオイ姫に襲いかかり、
アオイ姫は冷たい海の奥底にキリキリと激しい力で引きずり込まれてしまいました。

海からはるか、アオイ姫のお城よりさらに遠く、山脈の峠の向こう側では、
ブラッシュ近衛兵達の軍隊が、
お城へ戻るべく重装備を背負い隊列を組んで険しい坂道を登っていきます。
それは、まるで蟻の行列のように、一糸乱れぬものではありましたが、
ずいぶん後方に配置されていたブラッシュ近衛兵は、
この調子では朝になってしまうと、気が急いてしかたがありません。

と、突然、「すみませ〜ん。」、
どこかで聞いた声がブラッシュ近衛兵の耳に飛び込んできました。
その声はどんどん近くなり、ランタン片手に普段着のままで、ロゼ女史が、
「すみませ〜ん、先を急ぎますんで、通してください。」と、横を通りすぎていきました。
ブラッシュ近衛兵は、慌てて声をかけようかと思いましたが、
ロゼ女史の様子は、人を探しているようになく、自分に用があるのではなく、
城へと駆け戻り、アオイ姫の安否を確認したいのだろうと、思いました。
あの人は、見かけぬよらず、行動的な人だな、
うっかり、王様がアオイ姫のことを心配していることを話したのは、間違いだったかな。
と、右、左、右、左、と、
前の兵隊と歩調を合わして汗を拭き拭き歩いていたブラッシュ近衛兵でしたが、
ふと、大切な事は何か?と気がついて、
あわてて隊列から抜け出して、ロゼ女史のあとを追いかけました。

アオイ姫は、海流が穏やかになったすきをついて、海中から海面へと全力で泳ぎます。
そうして、なんとか、顔を海上へと出すと、
大急ぎで、空気を吸い込み、口を閉じて、様子をみます。
そのまま、浮かんでいられるようであれば、しばらく、ゆっくりすることができます。
しかし、また、すぐに、大きな波がやってきて、海のそこへ引きずり込まれてしまいます。
何度も何度も、海流に、もみくちゃにされて、
海の底で、自分が何をしなければならないのか、忘れてしまいそうなくらいでした。

その時、まだ敵国の領地にいた王様はだれよりも、
アオイ姫の事が心配でならなかったのですが、
あえて敵国から出ることなく、敵軍の予想外の行動を止めることはできないものかと、
敵国の重要な職務の人たちを訪ねてまわり、話し合いをしていました。
しかし、片時もアオイ姫のことを忘れることはなく、
万が一の時はすべて自分の責任であるとも考えていました。

女王様は、ビスクからの情報を得て、あえて敵軍の浜辺からの上陸を阻む事は試みず、
村人は家に閉じ籠もり、決して戦わないよう命令をだし、
援軍が間に合わなかった場合は、わずかな者だけで、城に籠城し、
可能な限り少しでも長く、この国の、権威を、守ろうと決心していました。

アオイ姫は、すこし穏やかな波が続く間、波に乗って少し泳ぎ、
つかのま空を見上げ、自分がどこに、そして一体どちらを向いているのかを考えました。
しかし、星は一切見えず、
ただただ、自分の存在と、それを取り込もうとする暗闇しか感じられませんでした。
それは、ひどく孤独で世界には自分しかいないような感じがしました。
そして、自分がこれまでの城の生活で、
いかに多くのやさしさに囲まれて暮らしていたかを実感しました。
しかし、そのときのアオイ姫には、それはもう失われてしまったこと、
ああ、本当の孤独というのはこういうことなのねと、
まるで人ごとのようにぼんやり考えました。
それは、からだがすっかり冷えてしまっていて、
もう全身の感覚が麻痺し始めていましたせいもありました。

出航した時よりもさらに激しく荒れ狂う海上で、
ビスクは、我を忘れて船を走らせていました。
自国のこと、そこへ攻め込んできた敵の船、
そんなことは、アオイ姫の命に比べれば、全くどうでもいいことなのだ。
そのために、女王様は、兵士でもないわしに、姫様を託されたのだ。
なのに。こんなことになってしまった。
きっと姫様のこと、船から脱出して、海流に流されながら、
どこかの海で助けを待っておられるはず。
ビスクは、この当たりの海流の流れを考え、風の向きを考え、
アオイ姫の姿を求めて船を走らせつづけます。
その場を離れる時に見た感じでは、敵の貨物船は、動きは止まっているようだった。
が、いつ再度動きだして、我が国をめさずやもしれない。
しかし、今のわしには、そんなことは知ったことではない。
一刻も早く、姫様を見つけ出し、この冷たい海から救い出して差し上げなくては。
ビスクは、その地点から、しらみ潰しに探索範囲を広げて行く方針で、
船を全速力で右へ左へと走らせ海面を睨み続けました。

普段なら泳ぎは得意なアオイ姫でしたが、嵐の海は波が激しく、
アオイ姫の体を、それはそれはあらゆる方向に揺さぶりました。
水も冷たく、そして波に沈められては海水を飲み、
アオイ姫は波酔いのせいもあってか気分も悪くなり、意識もぼんやりしてきました。
ああ、私はこうして頑張っていても、そのうち波に飲み込まれ沈んでしまうのね。
でも、それってお城での生活を続けていても同じ事なのかもしれない。
日々の生活で、私という存在は色々な波を受けて、どんどん失われていく。
そして、最後には暗い闇の中に引きずり込まれて、完全に失われてしまう。
今こうしてここで闇に飲み込まれても、きっとたいした違いはないのかもしれない。
それは運命で、正しいこと。そうなるべくして、そうなっただけ。
私は生まれて、こうして死んでいく。ただそれだけ。それが、すべて。それが本当のこと。
ふと油断した瞬間、とてもとても高い波が知らぬ間に近づき、
狙ったようにアオイ姫を本当に海のそこ深く深く飲み込んでしまいました。
薄れゆく意識の中、アオイ姫は、すべてを投げ出し、諦め、失い、それでも、
この世界のあらゆる全ての本当のことが知りたいと、切に願いました。
それは、私は死んでもかまわない、でも、私が生まれ生きてきたこの世界は、
本当は、素晴らしくあって欲しいという願いでもありました。
(つづく)







☆Story crafted by Princess Aoi☆


ずっと音のない世界、どこまでも空っぽの世界。永遠の沈黙、無限の空間。
アオイ姫は、自分が死んでしまったへちゃげた雨蛙の様に、
うつむけに倒れている事に気づきました。
死ぬということが、こんな無様な格好のままでずっといることであったなら、
こんな恐ろしいことがあるかしらと、心が凍りついてしまいそうでした。
しかし、死んでしまって、気持ちがあるというのも、おかしな話です。

自分が倒れている地面、何か暖かい感じ、そして自分の心臓の鼓動を感じたその時、
すぐそばに、男の子がいる事に気がついたのです。
「あなたは?」そう声をかけようと思ったところ、
アオイ姫は声をだすどころか、指一本動かすことも、目を開けることもできません。
それなのにどうして、男の子だとわかったのか自分でも不思議でした。
男の子の前で、いつまでもこんな無様な格好をしていられないわと、
姫様らしい威厳を思い出し、慌てたのですが、どうすることもできませんでした。

「大丈夫だよ。」
その声は優しく、アオイ姫を包み込む様に響きました。
それは、まるでアオイ姫自身が響いている様な不思議な感じです。
アオイ姫は何とか頭を持ち上げて目を開けようとしましたが、
目は痛くまぶたは、ぴたりと張りつき、
からだは自分のからだではなくっなっているかのようでした。
「僕をみることは出来ないから、目を開ける必要はないんだよ。」
僕を見る事はできない、目を開ける必要はない、アオイ姫は何も理解できませんでした。
とにかく、なんとかしなくてはと焦るばかりです。
と、その時、アオイ姫はまさにそれに触れたのです。
そして自分が生きていること、そして別の命に触れていること、
その事を理解しました。
「僕は君とふれあえることを楽しみにしていたけれど、もうそれは不可能なこと。
でも、妹の感覚からそれを伝え感じることは出来る。
かろやかで、けっして硬くはない、しなやかな体、暖かな温もり、しっかりとした鼓動。」
アオイ姫は自分の存在をしっかりと受け止めてくれている存在、
そしてそれとは別に、何かがやさしく自分を包んでいることに気づきました。
全ての緊張感から解き放たれ、自分の存在を誰かに預ける事が出来たのです。
それは、まるで自分が溶けてしまってなくなってしまい、感じられず、
普通ならば、怖くて不安でいたたまれなくなるはずなのですが、
なぜか真っ白に力強く光り輝き、落ち着いた感じなのです。

気がつくと目の前に男の子がいます。
確かに男の子なのでが、自分そっくりで、まるで自分をみているようです。
「あなたは、だあれ?」
アオイ姫は無意識に尋ねてみました。
「僕は、鯨のブルー。」
アオイ姫には、僕は私、私は僕、あまりに自分そっくりなので、そんな風に感じました。

「僕は、君がこの海で溺れることを知っていたけれど、その時を知らなかった。」

「その日を、ずっと待っていたけれど、
うっかり陸地に近づきすぎて人間に捕まって殺されてしまった。」

「それで、妹のからだを借りて、ずっとこの時を待っていた。」

「今、こうして、君を助けることができて、その望みはかなえられた。」

「君に会えて本当に良かった。」

まるで時間が逆に流れだしたように、アオイ姫も過去へと流れていきました。
お城での窮屈な生活、海を船で航海する楽しい日々。ブルーが泳ぐ海。鯨漁を営む人々。

アオイ姫が生まれて生きてきた時間、ブルーが生まれて生きてきた時間。
殺されてしまったブルー。失われてしまったブルー。
人間の船の近くを泳ぎたくないブルーの妹くじら。
そこに宿るブルーの心。
そんなことは全く知らずに日々暮らしているアオイ姫の心。
時間の流れは、幾重にも交差し、絡み合い、すべてが溶け合う。

わたしもあなたにあえて、うれしい、アオイ姫がそう思った瞬間、
「もう、ここでお別れです。それではさようなら。」
そのとたん、アオイ姫はざぶんと海に投げ出されました。

どうして、どうして、あなたは、そうまでして、わたしを助けたかったの。
あなたは、命を全うできなかったことを、悲しまないの。
あなたは、いったいどこへ行ってしまうの。失われるってどういうことなの。
わたしは、ずっとあなたと一緒にいたい。わたしもあなたと一緒に行きたい。

「僕は君とずっと一緒だよ。」
そう聞こえたのか、そう自分自身が望んだだけなのか、
荒波に飲み込まれないように泳ぐので精一杯で、
そのことを考える余裕はありませんでした。

とにかく今は、生きなければならない、アオイ姫はそう強く思いました。
そう念じ続け泳いでいると、少しずつですが、まぶたの感覚が戻り、
うっすらと目を開いてみると、まわりがぼんやりと見えるようになりました。
真夜中だというのに、はるか彼方に、見覚えのある街明かりが岸に明々と輝いています。
アオイ姫は力のかぎり泳ぎ、全身に充分な力がみなぎっているのを感じました。
(つづく)







☆信じる☆


風が止まった。
ビスクは自分の感覚がおかしくなったのかと思いました。
激しい雨ふる荒れ狂う海の上を、遭難しているであろうアオイ姫をさがして、
死に物狂いで、船を走らせて海面を睨み付けていたビスクでしたが、
船の燃料は、どんどん残り少なくなるのに、
探さなければならない海の広さはどんどん広がっていきます。
姫様をみつけられないまま、おめおめと給油のためとはいえ港に戻れるわけがない。
このまま、燃料が完全になくなるまで、姫様を探し続け、
燃料がなくなったら、このまま海の藻屑となるまでだ。
そんな、思いで、船を走らせていたビスクでしたが、
突然、激しい風が吹いていた自分の心の中が、無風になったのでした。

姫様を探さなければならない。
けれど、こうして探していても見つけられる確率はゼロに近い。
こうして探し続けることは無駄なのではないか。
しかし、それは、姫様の事を、諦めるということか。

ビスクは、まだ、自分の心の変化が信じられず、そう自分に問いかけてみます。
自分の心。
今さっきまで、激しく荒れていた自分の心が、
あれほどまで、うるさくわめきちらしていた自分の心が、
ふと気がつけば、どこにも見当たらないのです、
まったく、自分という存在がいなくなったかのように。
ビスクは、静まり返った自分の心の奥底に、じっと耳を澄ませます。
今、実際に目で見えている景色、それとは別の世界をじっと見つめます。
荒れた海の上で船を操縦しながらも、
全身で、ここではなく、この世界、全てのことを感じ取ろうとします。

わしの願いは、姫様の願いをかなえること。
わしのやるべきことは、姫様がやろうとしたことを、実現させること。

ビスクを無線機の周波数を、港の友人宛にあわせ、大急ぎで呼び出します。
「敵の兵隊が多数乗り込んだ貨物船がそちらに向かっている。
勇気ある者は、貨物船の入港を阻止すべく船を出せ。
わしも、すぐ追いかける。わしはこの命にかえてでも、その貨物船を止めるつもりだ。」

ビスク自身にも、自分がどうして、そう決心したのか、
どうしてアオイ姫を探すことをやめてしまうのか、
とうてい言葉では表現できなかったのですが、
それが、正しいと、確信を持って、信じていました。


ブラシュ近衛兵は、ロゼ女史を追いかけて、隊列を抜け出し、
真夜中の峠道を必死に駆け登ります。
しかし、武器や背中に背負った荷物など、とても重く、
あのときすれ違った、ロゼ女史の走る速さを考えてみると、
とうてい、追いつけそうにありません。
そう、ロゼ女史の姿を思い浮かべた時、
ブラッシュ近衛兵は、確信を持って、それに気づいたのです。
いくら、重装備を持っていても、ロゼ女史に追いつけなければ、なんの意味もない。
どんなことがあっても、ロゼ女史に追いつき、あの人を、自分が守らなければならない。
立ち止まったブラシュ近衛兵は、その場で、短剣一つを左手に握りしめ、
他の荷物はすべてその場に投げ出し、大きく一息つくと、
この世界の全ての力が自分に味方してくれるようにと祈りました。
しかし、気がつくと、自分が追い越してきた兵士たちも、多くが隊列を抜け出し、
こちらへと、峠を駆け上ってきていることに気がつきました。
そうです、多くの兵士たちにもそれぞれ守るべき人々がいるのです。
走っていくロゼ女史、それを追いかけるブラッシュ近衛兵を見て、多くの兵士たちが、
隊列を組んで、確実にしかしゆっくりと進んでいくことに我慢ができなくなったのです。
ブラッシュ近衛兵は、
自分一人で全てを背負い込んでいる気になっていた事が恥ずかしいような、
みんなが自分と同じ思いであることが嬉しいような、
けれど、誰にも負けないぞと、全力で走り始めました。


ビスクから連絡を受けたのは、ビスクの友人一人だけでしたが、
その友人が密かに同士を集めるべく他の者の家を何軒かまわっている間に、
ビスクによって密かに伝えられたはずの、
アオイ姫が自らの船で敵の船へと体当たりし、敵軍の侵略を止めようとした話が
あっと言う間に村中に伝わり、我も我もと、
港の全ての家々に明かりがともり、多くの者が女王様の命令を無視して、
各々が武器を手にして、出てきてしまいました。


全速力で、敵の貨物船を追いかけて、自国へと船を走らせていたはずのビスクでしたが、
やがて、東の海に日の出の兆候の明るさが感じられる頃には、
自国が見える海域まで辿り着いてしまい、
気がつけば、それぞれの家に明かりがこうこうと灯った村の港が見え始め、
出迎えたのは、ビスクの仲間たちの多数の漁船の群れでした。
どうやら、敵の貨物船は航行不能となり、アオイ姫の国を目指すことができず、
どこか他のところに流されてしまったようです。

ビスクは無線で仲間の漁船それぞれに手分けして、
あらゆる海域でアオイ姫を探すように指示を出すと、
とりあえず自分は港に船をつけ、上陸し、素早く色々な情報を収拾しました。
敵軍の上陸は、今しばらくはないだろう。万が一、辿り着いても、
それまでには峠を越えてこちらに向かっている自国の兵士たちが到着するだろう。
ビスクはそう判断すると、一応、女子供たちは家に入っているように言い、
港に残った男達には、浜辺を警護し、敵の貨物船がこないか見張るように命令しました。
もちろん、そこには、アオイ姫漂着の可能性もあると言ってありましたが、
ビスクは大きなランタンを用意させると、
あとの事はすべて他の人々にまかせ、自分が全ての海岸線をくまなく探すつもりでした。

ランタンが手元に届くと、ビスクは走りました。
それはもう、息が苦しかろうと、心臓がどうなろうと、
まったくお構いなしに走り続けました。
そうして、吸いよせられるように、ビスクは、浜辺に横たわるアオイ姫を見つけ、
抱きしめ、嬉しさのあまり、大声で、泣き続けたのでした。

(つづく)








☆大団円☆


ビスクがお城に連れ帰ったアオイ姫は、2日2晩眠り続けました。
その間、ロゼ女史が、付きっ切りで、林檎ジュースを口に含ませたりして、
私はこのために、山向こうで新しい仕事をしていたんだわ、
などと、一人納得していました。
もちろん、女王様も頻繁にアオイ姫のお部屋に足を運んでおられましたが、
なんとか公務に復帰された王様は、アオイ姫の無事な情報を得て、ぐっと我慢なさって、
相変わらず山向こうの隣国で精力的に和平交渉に尽力されていました。
ビスクはいったいどこで寝ているのか、城のなかを無断でうろうろして、
アオイ姫の部屋からでてきて雑務をこなそうとしているロゼ女史をつかまえては、
「どうじゃ、どうなんじゃ。」と、うるさく尋ねます。
さすがに二日目になると、ロゼ女史もすっかり慣れてきて、
「はいはい、ぐっすりお休みですから、心配しないでくださいね。」
と軽くあしらい始めました。

そうして、三日目の朝、まだお昼には時間があるころ、
太陽の光が窓から明るく照らすその部屋で、
まるで、何事もなかったように、いつものように、全身、伸びをして、大きく息を吐き、
アオイ姫が目を覚ましました。
その雰囲気に、
ベットのすぐ脇でイスに腰掛けてうとうとしていたロゼ女史も目を覚ましました。
「姫様!」
「あら、ロゼ先生、おはようございます。でも、どうしてロゼ先生がこんなところに。」
ロゼ女史の顔を久しぶりに見たアオイ姫は、嬉しくて、
今にもベットから飛び出しそうに、上半身を起こしました。
「ああ、だめです、姫様。寝ていなくては。」
あわてて、制止するロゼ女史をみて、
ようやくアオイ姫も、
この朝がこれまでのいつものお城での朝ではないことが分かりました。
「でも、どうして、ロゼ先生がここにいるの。」
「いえいえ、そんなことより、姫様、お体のほうは大丈夫ですか?」
「そうね。大丈夫みたい。
とりあえず起きてみたいから、この両手を放してくれるかしら。」
無意識に必死でアオイ姫の両肩をロゼ女史が力強く抑えていたのでした。
「いえいえ、姫様、起きてはいけません。今すぐお医者様を呼んできますから、
いましばらく、起きないで、横になっていてください。」
アオイ姫がにっこりロゼ女史のほうを見て、微笑みました。
この笑顔は、と、ロゼ女史が、記憶にある、その独特な笑顔を懐かしくも思い出しました。
「いいえ、私の体は大丈夫よ。」アオイ姫が上の空で繰り返します。
ロゼ女史は、あぁ、また姫様は何か企んでいらっしゃると、
半分諦め、いえいえ全部嬉しさ一杯に、
「それで、どうするんですか?」と、
わざと困ったような顔をして、アオイ姫の顔を覗き込みます。
アオイ姫も、企み事を企てていることを見抜かれてしまって、
思わず、声を出して笑ってしまいましたが、
すぐにまじめな顔になって、話し始めます。
「私は国外追放の身。この国にとっては、ただのよそもの。
まずは、女王様にお許しをいただきにいかなければなりません。
そのためには、きっちりと正装して大広間で女王様と面会しなければなりません。」
ふむふむと、調子を合わせて聞いていたロゼ女史でしたが、
もうすっかり元気な様子のアオイ姫に、心から安心しました。
「でも、先生、その前に、何か食べるものはないかしら。
お腹がすいて、しかたがないの。」
「まぁ、いきなり普通の食事は無理ですよ。
いま林檎をすりおろして差し上げますから、少しお待ちください。」
「え〜、そんな物ではとてもたりないわ。
食堂に行って、こっそり干し肉でもかすめてきてちょうだい。」
「え〜、姫様、お肉をお召し上がりになるんですか。」
ロゼ女史が、「え〜」と、子供っぽいアオイ姫の口ぶりをそっくりにまねして、
二人で大笑いしました。

大広間の部屋の前まできたアオイ姫は、部屋の入り口で近衛兵に話しかけます。
「旅の者が、女王様に面会を希望していると、お伝えください。」
近衛兵は、一瞬驚きましたが、正装したアオイ姫のその態度に恐れ入って、
すぐ姫様の言葉をそのまま女王様に伝えようと、部屋の中へと入って行きました。
一緒についてきたロゼ女史でしたが、どうしたものかとおろおろしています。
「ロゼ先生はここまで一緒に来てくれればもう充分ですよ。」
と、いつ扉が開いても堂々と入室できるように身構えながら話します。
「はいはい、姫様、あまりおてんばがすぎないように、ご注意くださいね。」
アオイ姫は一瞬、ふふっと笑顔をみせましたが、すぐに背筋をピンと延ばしました。
と、そこへ、二人を見つけて、「姫様。」と叫びながらビスクが走ってきます。
口元に指をたてて、アオイ姫は、静かにと、強くビスクに目配せします。
その圧倒的な目の力に、ビスクはすっかり安心し、すぐに冷静さを取り戻し、
そっと静かにアオイ姫に近づき、アオイ姫の言葉を待ちます。
「ビスク、これから私は女王様とお会いするのですが、あなたも一緒に来ますか。」
「はい、それは、もちろん、姫様にお供しますじゃ。」
とは言ってみたものの、
まったく状況がわからないビスクは、不思議そうにロゼ女史の顔をみます。
ロゼ女史は、「いえいえ。」と意味なく手のひらを顔の前でふって、
そっと後ずさりし、二人から少し距離をとります。
扉が開き、近衛兵の導きで、アオイ姫とビスクは、大広間へと入って行きます。

「旅のかた、ゆっくりと休めました。」
アオイ姫のその立ち振る舞いをみた女王様は、
用意していた言葉を、とっさにそう言い換えました。
「ありがとうございます。女王様。
おかげですっかり元気になりました。ご迷惑おかけして申し訳ありません。」
「そうですか、それはなによりです。それで、私にお話があるとか。」
「はい、まずは、
このように私をお城に滞在させていただいているお礼を申し上げに来ました。」
女王様は、ゆっくりとアオイ姫のその表情、立ち振る舞いを見つめます。
「そして、私は、いましばらくここに滞在した後、再び、ここより就航したいと思います。
そのときには、このビスクと、
ビスクの船をお借りしたいとお願いにあがったしだいです。」
内心はどうであったかは定かではありませんが、
女王様は決してその威厳を揺るがしたりはなさりませんでした。
そしてアオイ姫に話しかけます。
「あなたはわが国を守るために、自らの船を海に沈めてしまったと聞きます。
わが国を守ってくださったお礼に、船を引き上げ、修理してあげたいと思いますが、
船の修理が完成するまで、この国でゆっくりなされてはどうですか。」
「ほんとうですか、おかあさま!」
そう叫んで、アオイ姫は、しまった、と思いました。いままでのお芝居が台無しです。
自分の船に再び再会できると思った瞬間、
嬉しさのあまり、我を忘れてしまったアオイ姫でした。
女王様は、その言葉をまるで聞かなかったように、ビスクに話しかけます。
「今回の件では、そなたもわが国のためにずいぶん働いてくれたようですが、
何か望みがあればかなえましょう。」
「ははぁ、女王様。恐れながら、わしの願いは、
こららに御座せられる姫様のお供として冒険の旅にでること、
ただそれだけでございます。」
「それは、また、謙虚な望みだこと。」女王様が少し声を出して笑われます。
やれやれ、ビスクは芝居がおおげさなのよね、
と、取り残された感じのアオイ姫は悔しがります。

実は、女王様も、こんな流れにまかしていいのかと、ほんの少し不安ではあったのですが、
国の平和が保たれた安堵感もあって、今回の一件は、そんなふうに決定してしまいました。

(あとすこし)








☆エピローグ☆


船の完成には数カ月を要しましたが、女王様の期待に反して、アオイ姫の決心は固く、
出航の日、駆けつけたロゼ女史が、
「姫様、本当に行ってしまわれるのですね。」と涙ぐむ姿に、
「すぐ、帰って来ますよ。というか、お互いさま。」
と、元気に船に乗り込むアオイ姫でした。
ずいぶん国を離れ、どこまでも続く海原を見つめ、アオイ姫が、ビスクに尋ねます。
「ねぁ、ビスク。あなたは昔、鯨漁師だったのね。」
「どうして、姫様、その事を。」ビスクは少し狼狽します。
「姫様、こうして航海の日々を続けて、何か昔のことでも思い出しましたか。」
どう言っていいのかわからず、あわててビスクがアオイ姫に尋ねます。
「うぅうん。おとうさまが教えてくれたの。
私が小さいころ、ビスクの船で鯨をみた時のことを。」

アオイ姫がまだビスクの腰くらいの背丈しかなかったころ、
ビスクが王様とアオイ姫を自分の船に乗せ、
自ら鯨を仕留める勇士をみせようと銛を投げようとした時、
ビスクの動作を制止しようと、ビスクの太股に抱きつき、
反動で船から海に落ちてしまったアオイ姫。
鯨漁、人が食事をすることの仕組みを、アオイ姫に諭す王様。
それいらい、ずいぶん長い間、食事をいっさい食べようとしなかったアオイ姫。
その事に、心痛めて、二度と銛は持つまいと決心したビスク。

そんなに遠くはない昔のお話。今につながっている大切なお話。
しかし、今のアオイ姫には、もうまったく記憶になく、
遠い別の世界のおとぎ話のようなのでした。

(おしまい)









☆はじまりまじまり?☆
−アオイ姫の物語 番外編−


ここがどこの惑星なのかすら、まったくわからないほどに広がった砂漠。
見渡す限り360度地平線、そこにテントを張り、一夜を過ごす少年。
彼は、生まれた山岳地帯でとれたわずかな珍しい食料とテントをリュックに背負い、
幾日もかけて、果てし無く続く砂漠地帯を横断し、豊かな都市へと行商にいく。
そしてその僅かな稼ぎを、薬などに変え、生まれた故郷へと持ち帰る。
少年の名を、ブルー。

少年は、今回行った港街で、生まれて初めて船に乗り、遠い沖合に鯨を見る。
そのちいさな命が同性なのか異性なのかも分からないまま、
明日の朝を無事に迎えられるかどうかもわからない、
星だけが満天に輝く砂漠のその真っ暗闇のテントのなかで、
その遠く見た命にアオイ姫と名付け、恋をし、眠りに就こうとする。




宇宙歴105億年頃、
カラーズ銀河系のブルー惑星に、無軌道彗星アオイが衝突。全てが光と変わる。
その光は現在、そこから45億光年の半径を描く空間で観測できるはずである。

ブルーとアオイが、本当に出会うのは、それくらい、遠い世界の話。。。































.          . '
     ..・.’’ 
   .'.”.’・
.' ’   .