聴之。即啓曰。自今以後号皇子。応称日本武皇子。
                               『日本書紀』


     信然也。於西方除吾二人無建強人。然於大倭國益吾二人而建男者坐祁理。
     是以吾獻御名。自今以後、應稱倭建御子。
                               『古事記』




     


     ――――それが全ての始まり。少年にかけられた呪いの一節である。





     
     
     始原にして至高。それがこの国における英雄としての“彼”の立ち位置である。古今の誰もが彼の名を知っている。その伝説も然り、だ。故にこれからの語りに意味などなかろうが――――それでもほんの少しだけ、彼の伝説に耳を傾けてもらいたい。
     彼の伝説を語る上で、欠かすことのできない人物が幾人かいる。その内の二人の話をしよう。傲慢で、豪胆で、強大な兄弟の話である。自らの武のみを頼りに、蛮勇を誇るクマソ一族の頂点に登りつめた男達。圧倒的な暴力を有したその兄弟の呼び名は、当然の如く“クマソ最強”だった。即ち――――クマソタケルがその兄弟の名である。
     況や彼の伝説は、この兄弟の殺害から始まったと言っていい。中央王権に対して頑として頭を垂れぬクマソ一族の最強力。一族にとって反逆と武の象徴であったこの兄弟に対し、痺れを切らした中央はついにその排除を決定した。神命の形で下されたその命令は、受けるものにとって拒否することも失敗することも許されぬ、絶対の責務であった。
     クマソ最強の戦士の暗殺。それが彼に託された命だった。しかしその神命の、何と残酷なことか。彼は当時、未だ変声期すら終えぬ少年だったのだ。その上従者の一人すら、彼には与えられなかったのである。
     与えられた武器は、一振りの剣と女物の衣装。たったそれだけだ。何とも馬鹿げた話であった。たった一本の銅剣と服を与え、かのクマソ最強を殺せとは全く無茶がすぎるというものだろう。
     しかし彼はそれを不満に思わなかった。何しろそれらを用意してくれたのは、少年が敬愛する叔母であったのだ。クマソ最強の首を獲るのに、この二つがあれば十分とあの叔母が判断したのだ。ならばその装備に、不足などあろうはずが無い。
     叔母に対する少年の信頼は恐ろしく純粋だった。あるいはそれは、敬遠な信徒が神を信じる強さにも似ていたかもしれない。信者が神の言葉に疑問を挟まないように、少年もまた疑いを持たなかった。恐れも抱かなかった。彼にあったのはたった一つ、必殺の意思だけだ。
     結果、標的の心臓に刃を滑り込ませる瞬間、少年の心と身体はしなやかに迅速に強靭に動いた。およそ他者を殺害する上で、その時少年の心身は疑いようもなく最高の状態だったのだ。
     
     ――――きっとその瞬間、私は生涯で三番目に強い“私”だったのだ、と。
     クマソ最強と呼ばれた兄弟を暗殺せしめた時のことを、彼は妻にそう述懐した。

     







     その日の宴は、美しい少女のなりをした少年の蛮行によって、惨劇として幕を閉じようとしていた。
     むせ返る血臭の中、少年は頬に飛び散った鮮血を袖口で拭った。眼前の男の背に深々と突き刺さった剣を、無造作に引き抜く。

    「――――!」

     男が激痛に対する悲鳴を飲み込んだのは、誇りか意地か。
     両方だろう、と少年は未だ興奮冷めやらぬ頭の片隅でそんな事を思った。何しろこの男こそは、音に聞こえしクマソの最強力、クマソタケルの片割れである。魂の双生児と呼ばれたクマソ兄弟。二人で一人のクマソタケル。その片翼であるクマソの弟は、うつ伏せの状態から身を起こし、そうして再び、仰向けに倒れる。
    ごぼり、と血の泡を吐き出し、
     
    「貴様、何者だ」

     自らを刺殺せんとする少年に、クマソタケルはそう問うた。その顔には怒りでも驚愕でもなく、ただ獰猛な笑みだけが浮んでいた。
     彼が負った傷は致命傷である。ならばその問いは、末期の言葉となるだろう。

    「――――」

     末期の問いに、少年の唇が「オグナ」と動いた。ヤマトオグナ、それがこの少年の名前だった。

    「は――――」

     呆れたように、クマソタケルは吐き捨てた。それも当然だろう。兄を殺し、今まさに己を殺さんとする眼前の人物は、恐ろしく美しい少女の姿をしていた。細く、小柄で、氷のように怜悧な美貌だ。その女が、よりにもよってヤマトオグナを名乗るとは。
     真実を突きつけ、さらりと髪を掻き揚げる少年に、

    「違う」

     くつくつと肩を震わせ哄笑し、クマソタケルはそう言った。強く、鋭く、恐ろしい声だった。ぴくりと身を震わせた少年の姿を、検分するような視線で眺めるとクマソタケルは、

    「ふざけるな、貴様はもうオグナなどではない・・・・・・・・・・・・・・」

     そうだろう? とクマソタケルは笑みで告げた。貴様は殺した。髪を下ろし、女人の衣装を身に纏い、酌をしその美貌を愛でさせ、そうしてクマソ最強たる自分たちを欺き殺した。

     貴様は――――殺したのだから。
     
     貴様は、我等を。
     
     クマソ最強たるタケルを・・・・・・・・・・、欺き殺したのだから・・・・・・・・・。
     
    「今後、誰にも負けることは許さぬ」と。
     
     クマソ最強の戦士であった男は、眼前の少年に呪いをかける。



    「今日からお前がタケルだ・・・・・・・、皇子よ」



     ――――満天の星空を抱いた、その夜。


    「わかっている。私は決して、誰にも負けぬ」



     少年は――――“最強”になった。
     








     こうして彼は剣となった。
     剣士、ではない。彼こそが一振りの剣そのものだったのだ。『最も猛々しきもの』との銘を刻まれた大和の剣。およそこの島国で、この剣ほどに英雄としての要素を備えた人物は史上存在しない。彼は皇子であり、英雄であり、そして国という形なき概念によって振るわれた剣だったのだ。
     初太刀にてクマソ最強を討ち果たし、返す刀でイズモ最強の首を刎ね、次撃で東方に潜む反逆の芽を余さず刈り取った最強の剣。
     強きか弱きか。美か醜か。善か悪か。その剣の真実の姿を知る術は無い。それでも唯一つ断言できることがある。彼は紛れもなく、この国最大の英雄だった。覇王、聖人、剣聖、天下無双。後世この国に出現した全ての英雄達が、この男の伝説の前ではかすむ。彼の人生を彩る物語は、まさに人々が夢想する英雄譚そのものだった。
     皇子として生まれ、クマソとイズモの最強を討ち果たし、蛮族と荒ぶる神々を相手に戦に明け暮れた一振りの剣。
     この日本くにで最も尊き武の体現者。
     
     ――――その剣の銘を、日本武尊ヤマトタケルノミコトと言う。













     士郎と凛。二人の遠ざかる足音が、空洞内に木霊する。沸々と胸の奥に湧き上がる闘志を押さえつけながら、セイバーはじっとその音を聞いていた。

    「…………」

     視線を上げ、眼前で佇む男の姿を改めて見る。
     第六次聖杯戦争における『セイバー』のサーヴァント、真名を日本武尊。この男に対して、セイバーには苦い記憶がある。言うまでもなく、それは彼と初めて剣を交わしたあの日のことだ。
     ――――己の宝具を利用され、マスターである凛を傷つけてしまったこと。
     その事実は、今も野太い杭となって彼女の心臓に深々と突き刺さっている。屈辱、慙愧、怒り、悔恨、恥辱。昏睡するマスターの傍にいた彼女の胸に去来した思いは、そんなありきたりな言葉で表現できるものではない。セイバーにとって、それは自身の敗北よりなお辛いものだった。
     そうして彼女は、その身を震わせ静かに悟った。自身の心を苛むその杭を抜くためには、あの剣士を斬り伏せるより他にないことを。
     遠ざかる足音が、やがて聞こえなくなった。その無音こそが騎士王にとっての号砲である。押さえつけていた闘志を解放すると同時、緑玉石の瞳に凛とした光が宿る。

    「――――それでは」

     剣を取る。身を沈める。そうして彼女は静かに吼えた。ブリテンの偉大なる王。最優のサーヴァントセイバー。衛宮士郎と遠坂凛の剣。彼女を構成するその全てを賭けて。

    「決着をつけよう、『セイバー』」

     本日これよりこの場所で。
     失った誇りを取り戻す。

     
     




     月の浮かびし聖なる杯  Interlude10 〜Gift〜







     疾風と雷光が交差する。空洞内を縦横無尽に走る黒い雷が、不可視の牙を剥いて蒼い風に襲い掛かかる。二人のセイバー。アーサー王と日本武尊。東西の島国で最高位に位置する英雄達の剣戟は、まさに物語の中で語られる神話の戦いそのものだった。
     かつて衛宮士郎は、『セイバー』の剣を舞いのようだと表現した。成る程、確かに彼の足捌きは舞踏のようだ。美しく、優雅で、何より速い。繰り出される斬撃は舞い落ちる枯葉のように軽やかに見えるが、その実威力は鉄槌のそれである。

    「――――!」

     迎撃と同時に、大気が爆発した。両者の激突で発生した魔力の余波が、うねりぶつかり荒れ狂う。空洞内を渦巻く魔力の台風の中心で、二つの刃が咆哮をあげていた。
     風の結界と水の鞘。宝具『風王結界インビジブル・エア』と『水神寵籠アマノムラクモ』。刀身を不可視にすることで近接接近戦に多大なアドバンテージを生み出す両者の宝具は、しかしすでにその意味をほとんど失っていた。 互いの獲物の長さは既に両者の知るところである。単純に長さを比較すれば、騎士王の聖剣がおよそ握り二つ分ほど長いか。両者の体格とリーチはほぼ互角。つまり間合いの利は騎士王の側にあった。
     優雅な足運びで接近する『セイバー』へと向け、セイバーは横薙ぎの斬撃を繰り出す。走る刃は、速く重い。その威力たるや、まともに当たれば『セイバー』の肉体を文字通り吹き飛ばすだろう。
      
    「…………く!」

     轟音と共に呻いたのは、しかし『セイバー』ではない。斬り込んだセイバーのほうだ。騎士王必死の一撃を武神は苦もなく受け止めていた。その小柄な身体はおろか、剣を担う細腕すら小揺るぎもしない。羽毛の如き身軽さで接近してくる敵は、しかし彼女の剣を受け止める瞬間、巨大な巌と化すのである。どれほど力を込めて押そうと、山を動かすことなどできようはずもない。
     既に両者の剣戟は五十合に届こうとしていた。先日の衛宮邸での一件も合わせ、セイバーはここに至って一つの結論に辿りつかざるをえなかった。
     ――――剣撃のみでこの男を崩すことは至難。何かしらの偶発的な事象が入り込まない限り、ほぼ不可能に近い。
     歯噛みするセイバーの懐へと、『セイバー』は滑らかに侵入を開始した。同時に疾走する剣が描いたのは神速の突きだった。その軌跡、例えその刀身が不可視に非ずとも視認できるものではなかったろう。

    「――――!」

     迫り来る死へと己が剣を叩きつけ、全力をもって弾き飛ばす。攻めも守りも、一撃一刀全てに全身全霊で当たらねばこの剣士相手には致命となる。
     両者の技量はほぼ拮抗していた。運ラック以外の基本性能で上を行かれているとはいえ、無論易々と倒される騎士王ではない。攻め、受け、弾き、迫り来る死の影を捌きながら、セイバーの瞳は必死に活路を見出そうとしていた。この騎士王に絶望はない。彼女こそは、如何なる難敵が相手であろうとそれを打破し、二度の戦争を勝ち抜いた最強にして最優の剣である。

     だが――――

    (シロウ、凛――――!)

     脳裏に浮かんだ二人の名を、セイバーは胸中で叫んだ。二人に対する信頼は揺るぎないが、それでも一抹の不安を抱かぬわけではない。『セイバー』との戦闘が長引くにつれ、その棘は否応もなく大きくなって彼女の心を苛んでいく。
     いや、早々に活路を見出さねばならない理由はそれだけではない。この拮抗、このまま続けば先に崩れるのは間違いなく彼女の方だ。武神の担いし神代の剣。神剣草薙はこの国最大の幻想種殺しの象徴である。凛マスターからのバックアップを十分に受けているとはいえ、いずれセイバーの魔力はこの龍殺しの証明によって削られきってしまう。対して黒い聖杯である桜と繋がっている『セイバー』は、無限に近い魔力の供給を受けることができるのだ。
     どちらが先に燃料切れを起こすかなど、言うまでもあるまい。

    「く――――あああ!」

     裂帛の気合と共に、セイバーは上段から剣を振り下ろした。だがその一撃も相手には届かない。轟音と共に、剣撃を受け止めた『セイバー』の足元にひびが生じる。

    「…………」

     しかし男の表情は毛筋ほども変わらない。それを見て取ったセイバーは、後方に大きく飛びのいた。一瞬で両者の間合いが十メートル近く開く。地面に降り立ち剣を構え直したセイバーの額には、うっすらと汗が滲んでいた。
     内心の焦りを、彼女は努めて押し殺した。それと悟られぬよう、深く静かに息をつく。
     叶うなら、今すぐにでも士郎と凛の元に駆けつけたいという思いはあった。だが、そのために決着を焦ればいずれ致命的なミスが生じるであろうことも解かっている。セイバーにとっての最重要は、ともかく眼前の剣士を打倒することなのである。
     視線をあげて、彼女は『セイバー』を睨み据える、と。

    「……大したものだ」

     ぽつりと、独り言のように『セイバー』は呟いた。その声に言葉通りの感情は読み取れない。さりとて裏に嘲りも無かった。この男の言葉には、相変わらず一切の感情が存在していないのだ。
     淡々と『セイバー』は言葉を紡いでいく。
     
    「よもやここまで手こずらされるとはな。……二度の戦争を勝ち抜いた剣か。全く大したものだ、騎士王」

     それは真実心からの賞賛だったのかもしれない。しかし同時に、なんと傲慢な台詞か。反応を返さない騎士王に対し、それでも『セイバー』は構わず言葉を続けた。

    「――――だが、良いのか?」

    「…………?」

     だらりと腕を下ろし、右手一本で剣をぶら下げた『セイバー』の姿は、見ようによっては戦闘の意思を失ったようにも見えた。しかし、無論そんなはずは無い。この男には必ず、騎士王の首が必要なのだ。
     セイバーに油断は無い。しかし戦闘の途中、唐突にこんな事を言い出す『セイバー』の真意が、不気味と言えば言えた。
     
    「何の話をしている、『セイバー』」

    「このまま埒の明かぬ戦いを繰り返していて良いのか、と聞いている。衛宮士郎と遠坂凛――――こうしている間にも、あの二人はアサシンの手にかかっているやも知れぬぞ」

    「――――!」

     その一言は、彼女の心臓に突き刺さっていた棘を乱暴に引き抜いた。どくどくと、ぽっかり空いた穴から黒い感情が流れだしていく。
     戦慄く唇を引き剥がし、セイバーは、

    「――――どうかな? 凛は優秀な魔術師だ。それにシロウは、時折思いもよらないことをやってのける。存外、既に倒れているのはアサシンのほうかも知れんぞ」

     不敵に言い返す。必死の思いで、セイバーは動揺が表に出る事を回避した。このサーヴァントに、付け入る隙を与えてはならない。
     獰猛な光が、騎士王の瞳に宿る。努めて冷静を装いセイバーは、

    「……それにしても、随分口が軽くなったものだな『セイバー』。剣ではなく、言葉でこちらの動揺を誘うなど……タケルの名が泣くぞ――――」

     セイバーは改めて目の前の男を観察した。この男の真名と伝説は、過日に士郎と凛から聞かされている。日本武尊、その名が持つ意味も同様だ。日本で最も猛々しきもの、この国で最も強きもの。それこそが、この男が背負う“武”の一字に込められた意味であるという。
     ならばその名にかけ、言葉など弄せず剣のみでこちらの首を獲ってみろ。
     凛とした声でそう言い放つセイバーに対し、

    「……タケルの名、か。
     ――――生憎、その名は既に汚れきっている。今さら何をしたところで、これ以上貶めることなど」

    「……何?」

     それは変わらず空虚な声だった。薄れゆく陽炎の如く儚い声であった。意味のわからぬ独白に、セイバーは眉を顰める。
     己の失言に気付いたのだろう。セイバーの問いかけに『セイバー』はゆるりと首を振った。そのまま頭を傾け、足元に広がる無機質な岩肌を見つめ『セイバー』は、

    「“剣”を振るう気にはならぬのだな? 騎士王」

     風の結界に覆われ、未だその尊き光の片鱗すら見せぬ聖剣を『セイバー』は一瞥した。
     瞬間、彼の両腕がみしりと軋む。
     同時にその細腕を中心として、膨大な量の魔力が『セイバー』を包み込んだ。それは、あたかも魔力で編まれた巨大な蛟が絡み付いているかのよう。並みの魔術師であれば視認した瞬間発狂しかねぬほどの魔力量であった。

    (何、だ――――?)

     その異様な光景に騎士王は息を呑んだ。同時にけたたましい警報がセイバーの脳裏に鳴り響く。
     それはあまりにも巨大な死への警鐘だった。本能の絶叫だった。心臓が激しく暴れまわり、背筋が冷たく凍りつく。
     
     濁り、淀んだ瞳の奥に暴力の光を灯した『セイバー』は、

    「未だ鞘を解くに足らぬと言うのなら……よかろう。貴殿の望みどおり、存分に武わたしを教えてやる――――!」

     全身を撓ませた黒衣の剣士は、次の瞬間その身を砲弾と化して突撃を開始した。
     それはあまりに愚直な突進であった。ただただ最短の距離を最大の速度で走破する弾丸の如き跳躍。先刻までの優雅な動きの名残など微塵も無いその姿を前に、セイバーは真正面に剣を構え相対する。
     十メートルの距離が、瞬き一つで零になる。だが忘れてはならない。間合いの利は騎士王の方にこそあるのだ。どれほど速かろうと『セイバー』の突進が真正面からの単純なものであれば、先手は確実にセイバーが取れる。
     その間合いの利を生かせぬ騎士王では断じてない。剣を振り上げると同時、セイバーは一足を踏んで断頭の一撃を振り下ろした。その剣線の、なんと速く力強いことか。『セイバー』にこれを回避する術はなく、己が首を守るためには剣を用いて受け止めるより他にない。

    「…………!」

     果たして『セイバー』は、予想通り迫り来る刃を迎撃した。響き渡る轟音は、鋼と鋼の激突と両者の肉体が衝突する合奏である。空洞そのものを揺るがすような衝撃を撒き散らしながら、鍔迫り合いの形でセイバーは五メートルほど押し込まれ――――そこでようやく停止した。
     巻き上がる粉塵の中、奥歯を強く噛み締めたセイバーが、

    「が――――!」

     その表情を大きく歪ませた。
     互いの吐息すら感じられる距離で、セイバーは驚愕の瞳を眼前の男に向ける。膝が震え、視界が歪む。その身を襲った衝撃が喉元までせり上がり、声と共に口から飛び出した。

    「貴……様……!」
     
     彼女の痩身を包む、強固な鎧。
     その鎧の中心に、いつの間にか『セイバー』の膝が突き刺さっていた。

    「ヒュ――――」
     
     叩き込んだ膝を引き抜いた『セイバー』が、呼気と共にその場で回転した。周囲を舞う粉塵が、彼を中心として渦を巻く。同時に不可視の神剣が半円を描いていった。
     それはあまりにも乱雑な剣撃と言えただろう。回転力を加えた横薙ぎの一閃は、あまりにも無骨で、荒々しく、醜悪ですらある。およそ剣霊と呼ばれる存在が振るったとは思えぬ、力に任せた無様な一撃であった。

     そう。それはまるで。
     
     古の城壁すらも打ち砕く、巨人の振るった槌のような――――

    「――――?!」

     瞬間、世界が振動した。それはたちの悪い冗談だった。冗談のような威力の剣撃であった。互いの刃が激突した瞬間セイバーの腕に走った衝撃は、先刻までの比ではない。常人であれば受けた瞬間両腕が弾け飛ぶであろうと想像させる、破滅的な暴力である。
     馬鹿な、とセイバーは胸中で唸りをあげた。この威力は一体なんだ。あまりにも、彼我の剣撃の威力に差がありすぎる。
     確かに魔力の総量という点でセイバーは今の『セイバー』に劣るが、それでも瞬間の“放出量”では僅かに優っているはずなのだ。甕かめと柄杓ひしゃくを用いて例えれば、『セイバー』の甕は無限に近い水量を蓄えてこそいるものの、そこから水を汲み上げるための柄杓の大きさはセイバーの方が上のはず。
     ならばこれは、単純な筋力の差に他ならない。だが、そんな事がありえるのか。セイバーとて筋力は魔力放出の加護の下、サーヴァントとして最高クラスのAランクを誇るのだ。
     前回のバーサーカーや、かつて彼女の円卓を構成していた太陽の騎士――――力で彼女に優るもの達は確かにいた。しかし自身と同程度の体格・・・・・・の敵を相手に、これほどまで筋力の差を見せ付けられた経験が、かつてあっただろうか。
     
    「フ――――!」

     武神の担う神剣が再び煌いた。その上段からの斬り下ろしは、およそ対人戦を想定した破壊力ではなかった。さもあらん、これは巨獣を両断するための剣撃だ。対獣、そして対神戦。神秘が神秘として生きていた時代、神と呼ばれた獣達を討ち果たした英雄の、その本質がこれである。
     言うまでもなく、セイバー・アーサー王は史上屈指の英雄である。万軍を統率するカリスマ、未来予知の領域にまで到達した直感、なによりその身に宿した竜の因子。それらを兼ね備えた彼女は、まさに英雄の中の英雄だろう。
     そうした英雄としての才の数でいえば、武神・日本武尊は騎士王に遠く及ばない。なにしろ彼に与えられたのは、たった一つだけだ。たった一つの、恐ろしく単純シンプルな“特別”だけ。
     
     ――――生来の異常筋力。

     その細身に似合わぬ豪腕。それこそが彼を英雄タケルたらしめた才能。天が彼に与えた才能ギフトだった。
     クマソを、イズモを、獣達を捻じ伏せた、この日本くにで最も尊き武の体現者。その身に宿る日本ヤマト無双の筋力。黒き聖杯をマスターとして迎えた今、彼は十全にその才を振るうことができる。舞踏の如き剣技などという仮面を脱ぎ捨て、本来の武を形にできる。
     幼少時、素手で実の兄の四肢をへし折り、引き千切った怪力は無限に等しい魔力の後押しを受け、その五体全てを凶器と成す――――!




    「ふ――――ゥウウッッ!!」
     
     それは津波だった。剣撃という名の、引くことを知らぬ津波だった。上下左右前――――後方を除いた全方向から怒涛の勢いで叩き込まれる連撃は、受けるだけで騎士王の腕を削っていく。
     
    「く、うう!!」

     反撃どころか呼吸する暇すら与えてくれぬその圧力を、それでもセイバーは全て受け止めていた。それは薄氷を踏むが如き防戦である。このままでは腕が持たない。いや、それより魔力が尽きるのが先か。まして一瞬でも気を緩めれば即座に殺される。剣撃は重く、魔力を削られていく感覚が煩わしい。兎に角この連撃を止めねば、いずれ押し切られてしまう。
     必要なのは間合いだった。一足すら踏まず『セイバー』が乱打を続けるこの距離は、セイバーにとって近すぎる・・・・のである。剣は彼女の聖剣のほうが長いのだ。自身最適の間合いで打ち合わねば、これほど筋力で圧倒されている以上勝負にならない。望み得るなら一足一刀。最低でもあと一歩半の間合いを取ることがこの死地を脱する絶対条件であった。
     だと、いうのに。

    「く!!」

     その間合いを取ることがどうしてもできない。いや『セイバー』が許さない。セイバーが後ろに下がろうと真横に跳ぼうと、『セイバー』は寸毫違わずその動きを追走する。 それはあたかも、見えない鎖で両者の身体が繋がれているかのような光景だった。どれほど強く速く、時にはフェイントすら織り交ぜて距離を取ろうとしても、その太く短い鎖がどうしても切れてくれない。

    「…………」

     それが断ち切れぬ鎖であるのなら、『セイバー』との距離を変えるためにセイバーが取れる行動は一つしかなかった。単純な話である。離れられないのなら近づけばいい。それも互いの鼻先が触れ合うほどに近く。互いに剣を振るえぬほどに近く。ショートレンジすらも飛び越えた零距離にまで接近し、鍔迫り合いの要領で相手を突き飛ばすとともに、その反発力を利用し後方に跳ぶ。巌の如き『セイバー』を弾き飛ばすことができずとも、全力を以ってあたればその場に止める事ぐらいはできる。
     決断は迅速だった。この状況、迷い遅れるほどに悪くなる事をセイバーは知っている。真横から迫り来る一閃を受けると同時、セイバーは即座に『セイバー』の懐へと滑り込んでいく。
     対して『セイバー』の反応は鈍かった。剣を振り上げた体勢のまま、いとも容易く武神は騎士王の侵入を許してしまう。

    「『セイバー』!!」

     膂力を全身に蓄積したセイバーは、僅かに曲げた膝を伸ばすと全力で突進し腕を前方に押し出した。魔力放出を伴ったその突き飛ばしは、互いを繋ぐ鎖を断ち切るのに十分な威力を備えているだろう。
     剣の柄を握り締めたセイバーの拳が、『セイバー』の胸元に触れる。と、

    「――――!!」
     
     とてつもない激痛が、セイバーの脳髄を焼いた。





    「……あ」

     あまりの痛みが、意識を漂白していく。
     刺された――――真っ白な意識の中で思い浮かんだその言葉を、しかしセイバーは即座に否定した。『セイバー』が担う剣の柄を、彼女は視界に捕らえていたのである。その剣は振り上げられたまま、セイバーを刺せる位置にない。
     ならば一体何をされた。あまりに鈍く、そして強すぎるその痛み。悲鳴をあげる知覚を叱咤し、セイバーは痛みの発生源へと意識を向けた。

     それは胸よりも下。

     腹よりも下。

     腿よりも脛よりもさらに下。



    「ぐ……ぁ……」

     ――――足の甲を踏み抜かれた・・・・・・・・・・のだ、と気付いた瞬間、

    「ヒュ――――!」

     砲弾が、王の顔面を捉えた。




     セイバーの身体が、堪えることすら許されずに吹き飛んだ。振るわれた右拳はまさに必殺の凶器だった。たかが拳と思うなかれ。埒外の筋力を有するこの武神の拳打は、実際に幾人もの人間を、そして獣を殺めてきた彼の武器である。むしろ即座に頭部が消し飛ばなかった事実に、流石はサーヴァントの耐久力と賞賛を送るべきだった。
     
    「――――」

     それは真夜中の海に沈みゆくような感覚だった。痛みは無かった。苦しくもなかった。一筋の光も無い暗闇の中で、心地よい浮遊感がセイバーを包んでいた。それはあまりにも優しい麻酔だった。このまま意識を手放せば、あらゆる苦痛から解放されるだろうと確信させる甘い誘惑だった。
     しかし。
    (――――違う!)
     闇の中でセイバーは絶叫した。敵に敗北することの何が解放か。シロウと凛。セイバーは二人のことを思い、次いで『セイバー』のことを考えた。
     ここで自分が倒れれば、あの悪鬼は二人の後を追う。その後に待ち受ける結末など、想像するだけでおぞましい。
     それだけは、
     絶対に、
     あの二人の剣として、断じて容認できるものではない――――!

    「……ぐ」

     ――――断ち切れかけた意識を繋いだものは、サーヴァントとしての意地だった。

    「ぐ……ああ」

     もがくように身を捩り、足元から着地できたのは彼女自身の幸運だった。

    「あ、あ、あ……」

     ならば、着地と同時にその腕を突き動かしたものは――――剣士としての本能だった。


    「ぁああああ――――!!」
    「ヒュ――――――――!」

     両者の剣が激突する。眩い火花が空洞内を一際明るく照らした。鋼のあげた悲鳴が、永遠に続くかのように木霊する。

    「…………」

     互いの瞳が、両者の表情を映し出す。武神の黒瞳の内で騎士王が、苦悶の表情を浮かべながら鮮血を吐き捨てた。微動だにせぬ武神の表情。しかしその裏で、『セイバー』は心中で感嘆していた。彼の右拳には未だセイバーの顔面を打ち抜いた感触が残っている。間合いこそ僅かに近すぎたものの、あの拳打は耐久力の低いサーヴァント相手ならばそれだけで即死させ得る一撃だったはずだ。その拳を受けて意識を保ち続けるばかりか、即座に体勢を整え剣を振るうとは。
     その意地を、その幸運を、その本能を。
     何よりも、自らを一振りの剣となすその在り方を。

    「……未だ甘く見ていたということか。見事也、騎士王」

     賞賛をもう一度口にして、『セイバー』は剣の柄をより強く握り締めた。自身の間合いへとその身を置いた武神の連撃が、再び騎士王を襲う。
     噛み締めた歯を血で真っ赤に染めながら、セイバーも再度その斬撃を捌いていった。先刻の焼き直しに見えるその光景は、しかしその実全くの別物だ。そのことを両者は共に悟っていた。

    「――――!」

     セイバーの防御が、迎撃が、先刻より僅かに遅れている。瞬きほどのその遅れは、しかしこの剣士たちの剣戟においては致命的であった。いまや薄氷どころか紙一重で保っているこの拮抗が、やがて崩れ去ってしまうことは目に見えている。
     
    「ォオオ!!」

     『セイバー』の剣撃がより一層苛烈さを増していく。常人ならば疲労によってその剣撃が鈍ることもあろうが、サーヴァントにそれは無い。まして無限に近い魔力供給を受ける事のできる今の『セイバー』は、それこそ永遠にでもこの連撃を続けられるだろう。
     だがその必要はあるまい。袈裟斬りの一閃を放った『セイバー』は、それを受け止めたセイバーの防御に限界を見た。恐らくあと数度。数度目の斬撃を受け終えたところで、セイバーは一手遅れる。それは生涯を戦に捧げた『セイバー』の経験が告げる確信だった。

    「ヒュ――――」

     真横からの一閃を受け止めたセイバーの体軸が、そこでぶれた。それこそが『セイバー』の確信が現実と重なった瞬間だった。これで騎士王は詰んだ。次いで繰り出した武神最後の一手は、腕を限界まで折りたたんでの刺突である。これをセイバーは弾けない。かわすこともできない。視覚でこれを認識できても行動が間に合わない。思考が下した命令を肉体が実行するその前に、神剣の切っ先は騎士王の喉に大穴を穿つだろう。

    「終わりだ騎士王……!」

     不可視の切っ先がセイバーの喉元に到達したその瞬間、

    「――――!」

     己が担い手に触れる不埒な鋼の横面を、彼女の聖剣は強かに打ち据えていた。



    「……!?」

     軌道をずらされた草薙が空をきる。その事実を目の当たりにした『セイバー』は、眉間に小さな皺を寄せた。
     『セイバー』の胸中に、小さな驚愕と疑念が沸き起こる。あの体勢と間合いで、騎士王の防御が間に合うはずが無いのだ。認識、判断、伝達、実行。肉体を動かすのに必要なその過程の内、最後の一手に騎士王は届かないはずだった。
     刺突をかわした体勢のまま真横へと跳躍したセイバーを追撃しながら、『セイバー』は胸中に沸いた疑念をしかし即座に封殺した。いずれにせよ眼前の騎士王を追い詰めているという事実に変わりは無い。偶然か、あるいはその底力をまだ見誤っていたのか。必殺の確信をものにできなかった理由がどちらなのかは知れないが、あと数手で騎士王の首が獲れることに変わりは無い。

     そう。ほんの、後数手。

    「…………」

     ほんの、後数手。

    「…………」

     後、数手で。

    「…………」

     後――数手で。

    「…………!」

     数手……で!


    「――――な、に」


     再開した連撃の手数が三十を越えたところで、『セイバー』はついに耐え切れずその表情を驚愕で歪めた。攻撃と防御。あと数手で崩れ去るはずの紙一重のその拮抗。その数手が終わらない。紙一重の先に届かない。斬る、突く、薙ぐ、落とす。受ける、弾く、かわす、いなす。攻めて、攻めて、攻めてなお、セイバーの防御は崩れない。
     それはありえない現象だった。さもあらん、認識、判断、伝達、実行――――『セイバー』の剣撃を防ぐのにこの四工程が必要だと言うのなら、セイバーはとっくに一手遅れている。ならばその首は、とうの昔に落ちているのが道理である。
     しかし。

    「アアア!」

     この騎士王こそは、その道理を覆す者。先刻『セイバー』が自省した通り、彼は彼女の底力を見誤っていた。
     ――――ならばいまこそ知るがいい、武の体現者よ。そなたの眼前にいる剣士が天より与えられた、その才能ギフトの力を。
     奇跡のタネは単純だ。剣撃を捌くセイバーの感覚は、既に“今”を認識していなかった。その緑宝石に映るのは、一瞬先の未来の軌跡。『セイバー』の剣が始動するより先に、彼女には“それ”が視えている。『セイバー』が剣撃を振るうより以前に、騎士王はその認識を終えているのである。

     この死地にあって。

     セイバーの『直感』は、極限領域にまで研ぎ澄まされていた。


     直感による未来予知。『セイバー』の剣を受け止めると同時に、セイバーには次の剣撃が視えている。後はその剣線へと、己の剣を滑り込ませればいいだけのこと。
     だが、

    「――――シィッ!」

     騎士王のこの異常なまでの反応速度は、断じて直感による事前認識だけでは成しえまい。むしろ真に驚嘆すべきはもう一方の理由だった。持続不可能なはずの防戦を支える、もう一つの“奇跡”。直感・剣技、その何よりも、その異常こそが恐ろしい。
     彼女は、何一つ判断をしていない・・・・・・・・・・・。未来予知によって次撃の剣閃を認識しているセイバーは、後に続くはずの判断を行っていない。恐るべきことに、この騎士王は自身の直感を寸毫も疑うことなくその身を委ねているのである。
     その行為、言うは易い。しかし行なうは難い。いや、難いというよりそれができるモノは最早人ではない。
     死ぬのだ。その直感が外れれば、確実に。なれば迷い躊躇うのが人というもの。英雄であってもそれは変わらない。
     だがそれを成し遂げる剣士が今、武神の目の前にいる。認識を事前に済ませ、判断に要する時間をカットする――――疑い迷わぬ以上、セイバーに判断のための時間は必要ない。その究極の不惑こそが、武神が見誤っていた騎士王の底力であった。
     
    「……セイバーァァ!」

     神剣を叩きつけながら、静かに『セイバー』はその名を呼んだ。それは彼の胸中に小波のように生まれた感情の発露であった。武神の黒瞳に映るのは、一点の曇りなきどこまでも研ぎ澄まされた一本の剣。王の中の王。騎士の中の騎士。剣士の中の剣士。美しく、清廉で、正しく強い。本物の英雄がここにいる。
     
     
     ……正しく英雄であり続ける剣士が、ここにいる。
     
     
    「…………!」

     心中に生まれた小さな感情を打ち砕くように、『セイバー』は強く踏み込んだ。同時に放たれたのは、鞭のように腕をしならせた横薙ぎの一閃であった。振りぬかれる豪腕はあまりに速く、重い。それは紛れもなく今回の戦争において最強の剣撃であったろう。
     けれど。
     だからこそその一撃は、この騎士王相手では少々雑に過ぎるだろう――――

    (勝機――――!)

     迫り来るその剛剣を、彼女の直感は知っていた・・・・・。ただひたすらに耐えてついに手繰り寄せた一筋の光明。その場に身を沈ませたセイバーの頭上を、唸りをあげて神剣が通過する。闇の中、僅かに断たれた金糸がはらりと舞った。
     返しの太刀は、来ない。当然だ。あれほどの勢いで振りぬいた剣は、如何な豪腕を誇る『セイバー』といえどそう易々とは返せない。必死で振りぬくとはそういうことだ。それを外しておいて二の太刀が間に合うほど、彼等の技量に差は無い。
     
    「アアア!」
     
     初めて見えた武神の隙。その間隙へとセイバーはその身を滑り込ませていった。その姿勢は変わらず低い。額の位置など、『セイバー』の腰ほどの高さしかない。それは獲物を確実に仕留める獅子の如き突進であった。
     
     ――――だと、いうのに。
     男が冠した“武”の一字は、その光明すらも塗りつぶす――――!
      
    「爆ぜよ……!」

     眩い光明に見えた、一瞬の隙。それすらもこのための撒き餌だったというのか。身を翻した『セイバー』はその場で膝を跳ね上げた。身を沈めたセイバーの顔面は、打ち砕くに容易い的だったろう。瞬間、身の毛もよだつ不吉な音が生じ、残響を残して消えていく。
    必殺の一手であった。いや、一手ではなく一足か。この男の膝蹴りは、甲冑の上からですらあの威力なのだ。生身であるなら骨が砕け肉が弾ける、死に至る一撃となる。武神の命じた爆ぜよとは、文字通りの意味だった。如何なセイバーとはいえ、先刻の拳のように耐えられるものではなかっただろう。


    ――――それが、直撃したのなら。


    「――――!」


     膝を通して伝わる固い感触に、ようやく『セイバー』は己の愚策を悟った。読まれていた。いや、この膝蹴りすらも予知されていた。彼の膝頭が衝突したのは、セイバーの顔面などではなかったのだ。武神の放った死の棘を受け止めたのは、騎士王の担う聖剣の柄だった。柄尻を握る左手と、刃の腹の根元に添えられた右腕。その中間に、『セイバー』の左膝は静止していた。

     金色の獅子が闇の中で瞳を爛と輝かせ、眼前の獣殺しに問いかける。
     
     ――――まだ、何か残っているか・・・・・・? 『セイバー』。
     
     いいかげん、奇策のタネも尽きたろう――――!
     
    「アアア!」

     セイバーは、身をぶつけるようにして剣を押した。二足で大地を踏みしめていないのなら、『セイバー』は既に山ではない。小柄で軽いサーヴァントだ。魔力放出を行うまでもなく、純粋な身体のばねのみで突き飛ばす事ができる。それは鋭い刃となって、ついに両者の身体を繋ぐ見えない鎖を断ち切った。
     
    「ぬ――――!」

     それでも『セイバー』は体勢を立て直し、転倒する事を回避した。だがそれだけだ。嵐のような剣撃によって防壁を形成していた『セイバー』は、いまや野に立つ案山子のように隙だらけだった。
     両者の間に空いた距離は、セイバーにとっての一足一刀。武神が剣を振るうには僅かに遠く。
     騎士王にとっての、必殺の距離。
     
    「――――!」

     朗々と響き渡る咆哮と共に、セイバーは一足を踏む。その瞬間、彼女の目には確かに見えていた。自身の振るう一刀が『セイバー』の首を絶つ、その軌跡が視えていた。あとはその軌跡に、現実を追走させるだけのこと。
     
    「『セイバー』!!」

     永遠を内包した刹那の後。
     
     剣士の鮮血が、闇の中に舞った。