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ぼくらの冬休み・ソラとママのプレ修学旅行・其の弐

やっぱり、京都へ行こう…の巻

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三条通周辺

 

 

さて、場所は変わって京都市役所駅前。蹴上から地下鉄で来たものの、突然街中、うーんどっちだ?ここから歩いて三条通を目指さないと行けない。三条通にはコナンの映画で出てきた「弁慶石」がある。買い物もしたいんだけどな。お腹もすいたし。どっちだ?どっちだ?地図を広げてママはキョロ^(・д・。)(。・д・)^キョロ

でも、その前に、有名なところが目の前にあった…(@@)おやぁ?もしや「本能寺」では?

 

ちゃんと織田信長公御廟所と書かれている

 

1582年に織田信長公が明智光秀によって討たれた「本能寺の変」で有名なあの「本能寺」。さすがにこれはソラだけでなく誰でも知っている小学校の歴史でも勉強する有名なお寺の名前。でも、この「本能寺」…実はあの当時の本能寺ではないのだそうだ。行く前にJR東海の「そうだ、京都、行こう」で読んで知ったんだけど、まさか場所が移動しているとは。

「そういえば、あの本能寺ってここじゃないんだって。移動してきたみたいだよ」 キョロ^(・д・。)(。・д・)^キョロ

「そりゃ燃えたからじゃねーの?」 ソラ、即答…(-"-;)…あ、そうか。

 

 

ここの寺門は「「結び雁金」と「鶴の丸」   瓦の紋は↑は「結び雁金」

 

現在の本能寺は、信長が討たれた本能寺ではなく、信長の死後(10年後)に豊臣秀吉の命によって移転、再建されたものなんだそうだ。ソラの言うとおり確かに「本能寺の変」では焼き討ちにあっていたものね(苦笑)本能寺は焼き討ち、火事などにより六回も再建されていて…近年(?)ではあの「蛤御門」の変でも焼失したとか。どんだけ燃えてるの〜()

当時はこの場所ではなく四条西洞院にあったらしい。境内の奥には織田信長の供養塔があるってことだったけど、お腹すいたソラがショートカット希望だったので、中には入らず前を通過。(いいのか?それで!前は行きたがってたクセに〜)

 

 

通過した本能寺からすぐのところに「鳩居堂」を発見。お腹が空いたと騒ぐソラをなだめつつ、ちょっとのぞいてみることにした。だって、今日じゃなきゃあと来れないよ〜きっと。お願い(--)〜ちょっとだけ!

 

 

夕方だけに、大混雑の店内。着物だから後ろの帯が気になって、狭い通路も歩きにくい。筆やら髪やらゆっくり見たいところだけど、人がいっぱいでそれどころじゃない。さっさとソラは座れるところを探して座り込んでしまった。疲れたしお腹すいたと顔に書いてある() 急いでポチ袋や葉書の場所を探して、お土産用に見るママ。うわ〜可愛すぎ!あれもこれも…。こーゆーお店大好きなんだけどなぁ。昔から和紙とか千代紙が好きなママ。一人だったら1時間はいただろうな。

 

可愛い猫の葉書をみつけました(^^)後姿がなんともいえません♪

 

大急ぎで買い物したママ。所要時間わずか15分弱とゆーママにはありえないスピード。もっとゆっくり見たかった

そのまま鳩居堂を出ると、途中で松坂牛の肉まんを買い(Top↑の写真)三条通りを弁慶石を探しながら食べることにした。

「弁慶石」は三条通の「よーじやカフェ三条店」の横にある。映画では平次とコナンはバイクで来るんだけど…そんなスピードで来たら通り過ぎてしまいそう。だって、あまり大きな石ではなかったような気がする。キョロ^(・д・。)(。・д・)^キョロ

 

弁慶石

これもコナンと平次が石を眺めながら話をしていたシーン

 

案の定、通り過ぎたママ。( ̄◇ ̄;)アレッ…よーじやカフェを見て慌てて戻る。おかしいなぁ、ちゃんと見てたのに。

石はよーじやカフェの右隣の階段の下にひっそりと置かれていた。これは弁慶が好きだった石とか、五条大橋から投げたとか言われる石…ってこれ投げるの無理じゃ〜ん。

「何石なんだろう…」

「だから弁慶石〜

「ったく!そーじゃなくて!

「…錦石とかそーゆーの?種類なんざ知らんよ〜

弁慶の死後、最期をとげた岩手の平泉に移された。ところが石が「三条京極に行きたい(帰りたい)」とうなりだし、その村では熱病が蔓延…恐れた人々は石を三条に戻したとか。他にも諸説あり…まぁでも、この石がここに落ち着いたのは近年らしいのから、どれが本当なのかわかったもんじゃない。大体、大昔すぎるよねf(^^;) 伝説ってそんなものだろうけど()

 

 

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2009/11/29

 

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