猫の手も借り隊会報0号所収
VELVET PΛW の軌跡 ――― 愛と涙と感動のストーリー ―――
| 1981年 | 千弘が現在のパウの母体となるグループを結成。4人編成でハードロックの コピーやオリジナル(もうやってた!)を中心に文化祭で活躍。学園ロッカーとして 君臨し文化祭大衆賞を見事獲得してロック研究会地位向上に貢献した。 |
| 1982年 | ちひろのひきぬきで“あんこ椿直美”と異名をとっていた、クラブの後輩の直美が加入。 当時は“ちひろさん”なんて呼ぶういういしい奴だった。直美の加入で、ベルベット パウは、バンド活動に必要な、様々な労働とプレッシャーに対する巨大なパワーを得た。 |
| 1983年 | British Hardっぽいオリジナル曲を中心に、都内ライブハウスで活動を開始。 この年野音のイベントでスクエアやAB'S、松岡直也バンドの前座をつとめる。 学校にバレない事前工作が何より気がかりだったあの頃・・・。 |
| 1984年 | あこぴーがぴあのメン募を見て“プログレやハードロックも好きだけど、イヨちゃんも好き” と応募してきた。耳のかわいい低音あこぴーはその日にパウのメンバーとなった。 |
| 1985年 | 大阪・名古屋・東京の3都市で行われたCircuit of Progressive Waveに出演し て、話題をさらった。この頃、とってもプログレしていた私達は、ステージにMCも、 笑いも、コミュニケーションも持ち込まない、哲学の心とパンクの魂をもった少女だった。 |
| 1986年 | 友人の紹介でオマスが加入。しばらく変拍子にもがいていたが、すぐに中毒になった。 この頃ブティックでバイトしていたオマスはマヌカンオマスと呼ばれて、ラフなパウの中で 珍重され、そのとってもペンギンなキャラクターで皆に愛された。この後パウの音色は 多彩さを“増し田”のはもちろんのことである。 |
| 1987年 | 年頭、某社のレコーディングに入ったが、千弘が急病で倒れ、中止となった。季節はず れの3月の大雪の赤坂で突然の大きな挫折にうちのめされた5人であった。退院し、 精神的ショックからちひろが立ち直るまで、根気良く待ち続けたメンバーに支えられ、 そして多忙ながらも、お見舞いにパンツを送ってくれたデーモン閣下に励まされて、より強い団結のもと再起したパウは、精力的なライブを再開した。Popな要素も導入した。 |
| 1988年 | CBSレディースロックコンテストに出場。PopsやR&Rが優勢なコンテストで、どうせなら ういてやろうと、最終選で曲を変更してドプログレをやった。どうだ、ういただろう!まいった だろう!!と開き直っていたがスポンサー賞を頂いた。その後結成当時からいたGが やめ、3ヶ月のオーディションの末、ショーコが加入。(やめた初代G は、一児の母となった) ショーコは最年少ながら果敢な努力を持って短期間にバンドになじみ、多忙なスケ ジュールにいどんだ。その成果もあって、ショーコのホッペは3分の2にへった。 この年NaonのYaonUに初のアマチュア参加を果たした。 |
| 1989年 | 開き直りが功を奏してか、CBSからデビューがきまり、半年に渡るレコーディングの末、 セルフプロデュースによる、1stアルバムをリリース。NaonのYaonVにも参加 |
| 1990年 | 4月から直美は ミッドナイトスペシャルでルーク参謀のAs.パーソナリティをつとめる。7月 には2ndアルバム「サイン」をリリース。NaonのYaonWにも参加した。 |
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