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H19.12.16作成開始 H20.2.2更新
伊佐・伊達氏辞典
随時加筆中(現在の完成度10%?!) |
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>>>伊佐・伊達氏との関係を中心にごく簡単な説明にとどめてあります。 【あ】 吾妻鏡 あずまかがみ 東鑑とも。鎌倉幕府の歴史を綴った歴史書。 【い】 伊佐城 いさじょう 常茨城県筑西市中舘にある城跡。茨城県指定文化財(史跡)。伊佐氏の居城と伝わり、南北朝期には伊達行朝がここに拠って北朝方の高師冬などと戦ったとされる。 伊佐郡 いさのこおり・いさぐん 常陸国の西部に存在した郡。 伊佐為宗 いさためむね 生年不明−承久3年(1221年)か。常陸冠者為宗、伊佐大進。常陸入道念西の長男。文治5年(1189年)の奥州合戦で佐藤庄司を討ち取る功をあげ、一族の奥州進出に道を開く。 石那坂の戦い いしなざかのたたかい 文治5年(1189年)に行なわれた源頼朝による奥州合戦中の戦いのひとつ。常陸入道念西の子息である常陸冠者為宗(伊佐為宗)、同次郎為重、三郎資綱、四郎為家が従軍し、佐藤庄司を討ち取った。この軍功により奥州伊達郡を賜った常陸入道念西一族が同地に下り、以後伊達氏を名乗る。 【う】 魚名 うおな ⇒ 藤原魚名 【お】 奥州合戦 おうしゅうかっせん 奥州征伐とも。文治5年(1189年)に行なわれた源頼朝による奥州藤原氏追討の戦い。。常陸入道念西の子息である常陸冠者為宗(伊佐為宗)、同次郎為重、三郎資綱、四郎為家が従軍し、石那坂の戦いで佐藤庄司を討ち取った。この軍功により奥州伊達郡を賜った常陸入道念西一族が同地に下り、以後伊達氏を名乗る。 【か】 観音寺(茨城県筑西市) かんのんじ 施無畏山延命院観音寺。茨城県筑西市の伊佐城跡に残る天台宗の寺院。 観音寺(伊達郡桑折町) かんのんじ 【き】 北畠顕家 きたばたけあきいえ 文保2年(1318年)〜延元3年・暦応元年(1338年)。陸奥守。北畠親房の長子。後醍醐天皇の皇子・義良親王を奉じ、父・北畠親房などとともに奥州へ下る。その後も南朝方として各地を転戦した。 北畠親房 きたばたけちかふさ 永仁元年(1293年)〜正平9年・文和3年(1354年)。正2位大納言。後醍醐天皇に重用され、南朝の中心として活躍した。陸奥守となった子の顕家とともに奥州に下向。足利尊氏が離反するとこれに対抗したが、顕家の戦死などで徐々に劣勢となる。東国支配を回復すべく義良親王などと伊勢を出航したが暴風雨で常陸国に流れ着き、小田城や関城にこもり尊氏方と戦った。この時の伊佐城も親房方としてともに戦っている。常陸国滞在中に『神皇正統記』を著した。 【ご】 後醍醐天皇 ごだいごてんのう 正応元年(1288年)〜延元4年・暦応2年(1339年)第96代天皇。天皇親政を目指し鎌倉幕府の打倒を図るも失敗、隠岐に流される。のちに脱出して建武の新政を開始するが、足利尊氏の離反により新政権は2年程で挫折。後醍醐は吉野に逃れ、朝廷が京の北朝と吉野の南朝に分裂し争うこととなる。 【じ】 貞暁 じょうぎょう 文治2年(1186年)〜寛喜3年(1231年)。鎌倉法印。父は源頼朝、母は常陸入道念西の娘である大進局。 【た】 伊達郡 高房 たかふさ ⇒ 藤原高房 伊達朝宗 だてともむね ⇒ 常陸入道念西か 伊達政依 だてまさより 伊達氏第4代当主。 伊達宗村 だてむねむら 伊達氏第2代当主。伊達朝宗の次男で母は結城氏の女とされる。寛永諸家系図伝では伊達宗村をもって常陸入道念西とする。 伊達行朝 だてゆきとも 伊達行宗。伊達氏第7代当主。元弘4年(1334年)奥州式評定衆に任命され、南朝方として北畠顕家などとともに各地を転戦した。 伊達行宗 だてゆきむね ⇒ 伊達行朝 伊達吉村 だてよしむら 延宝8年(1680年)〜宝暦元年(1752年)。伊達氏第21代当主、仙台藩第5代藩主。 為宗 ためむね ⇒ 伊佐為宗 朝宗 ともむね ⇒ 藤原朝宗、伊達朝宗 【ね】 念西 ねんさい ⇒ 常陸入道念西、伊達常陸入道念西、中村常陸入道念西。 【の】 義良親王 のりよししんのう ⇒ 後醍醐天皇の皇子。北畠顕家に奉じられ奥州に下向する。 【ひ】 常陸入道念西 ひたちにゅうどうねんさい 伊達氏の始祖。寛政重修諸家譜では伊達朝宗、寛永諸家系図伝では伊達宗村をもって念西とする。文治5年(1189年)の奥州合戦に従軍した常陸冠者為宗(伊佐為宗)など4人の子息が軍功をたてたことにより奥州伊達郡を賜り、同地に下って伊達氏を称する。 常陸冠者為宗 ひたちかじゃためむね ⇒ 伊佐為宗 【ふ】 藤原氏 ふじわらし 藤原魚名 ふじわらのうおな 藤原北家。 藤原実宗 ふじわらのさねむね 藤原北家。 藤原高房 ふじわらのたかふさ 藤原北家。 藤原時長 ふじわらのときなが 藤原泰衡 ふじわらのやすひら 奥州藤原氏。 藤原山陰 ふじわらのやまかげ 藤原北家。従三位、民部卿、中納言。 【み】 源為義 みなもとのためよし 永長元年(1096年)〜正保元元年(1156年)。六条判官。源頼朝の祖父で河内源氏の棟梁。『寛政重修諸家譜』は伊達氏初代朝宗の母を為義の娘とする。 源義朝 みなもとのよしとも 保安4年(1123年)〜永暦元元年(1160年)。左馬頭、下野守、播磨守。源頼朝の父。 源頼朝 みなもとのよりとも 久安3年(1147年)〜正治元年(1199年)。源義朝の3男で、母は熱田大宮司・藤原季範の女。鎌倉幕府初代将軍。常陸入道念西(藤原時長)の娘・大進局とのあいだに若公・貞暁をもうける。 【む】 宗村 むねむら ⇒ 伊達宗村 【や】 山陰 やまかげ ⇒ 藤原山陰 【ゆ】 行朝 ゆきとも ⇒ 伊達行朝 行宗 ゆきむね 伊達行宗 ⇒ 伊達行朝
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