平成16年1月11日
午前11時、羽村の堰の玉川兄弟銅像前。今回はここから多摩川左岸の河川敷を下って行きます。
僕の住まいは親元で3ヶ所、一人暮しで2ヶ所、結婚して2ヶ所と移り住みましたが、青梅の霞川の辺を除き、多摩川水系の流れがごく身近な存在としてありました。幼き頃から僕にとっては川辺は不思議と落ち着ける場所でした。釣り、川遊び、悪戯、考え事、友との語り合い等など川辺の思い出はたくさんあります。そんな身近な河川である多摩川の河川敷を東京湾目指して『KSR』を駆り、新しい発見に期待をしつつも思い出を重ねながら、ささやかな探検をすることにしました。ただし、自転車や歩行者の専用道路は原付とはいえ走れないので走行ルートはかなり制約されることが予想されます。
玉川兄弟銅像
羽村の堰にて玉川上水を切り開いた玉川兄弟銅像前より多摩川の流れを見下ろす。水門脇には切り込みがあり、江戸時代に三田領(青梅や奥多摩)の材木を組んだ筏を通す為、堰に設けられたそうです。切り込みの横上面はコンクリートで固められていますが、垂直面は玉石積となっていて、往時の面影を偲ばせます。多摩川の筏乗りにとって羽村の堰は最大の難所かつ腕の見せ所であり、花形的な職業の筏乗りは女性にモテたという話しをどこかで見聞きした記憶があります。その光景は、さぞや勇壮なことだったでしょう。
羽村の堰
出発早々、サイクリングロードが行く手を塞いでいる(笑)ので、土手を下り河川敷を走ったと思いきや再び土手を越え側道を走ったり、側道がなくなれば迂回して玉川上水脇を走ったりと忙しい。いずれも歩行者や自転車に迷惑をかけぬよう最大限注意しての走行です。
以前近くに住んでいた福生市南田園の多摩川桜並木下を感慨深くゆっくりと駈け抜けてゆきます。脳裏には映画『天と地と』で長尾影虎が満開の桜並木の下を騎馬で疾駆するシーンが思い出されます(KSRではせいぜいポニーといったところでしょうか…笑)。
JR五日市線のガードを迂回してくぐり、多摩川側道を進み、福生南公園に入ります。公園内の道路はハンプやシケインが設けられていて、スピードを落とさせる為ピョコンピョコンと跳ねてしまう凹凸がほぼ全域の車道に施されています。20年程前までは昼夜とも開放された公園でしたが、深夜にはH車や暴走車両の溜まり場となってしまい、公園の改修を期に夜間閉鎖及び車道は凸凹舗装とジグザグの形態(ボンエルフ仕様)となってしまいました。
水門
とのこと
公園を過ぎ、土手をのんびりと走って行くとなにやら案内板が立っています。近くには水神の石碑とコンクリートの構造物が見えます。九ケ村用水取水口跡とのことで、その昔、昭島や立川への農業用水の取水口だったそうです。今ではもう役目を終えたコンクリートの取水口には右から左への横書きで九ケ村用水・・と掘り込んでありました。サビ具合が歴史を語っています。
拝島の堰とKSR110
右手に巨大な堰が見えてきました。昭島市拝島町から多摩川を渡り八王子市高月町へと横たわる堰です。右手遠方には高月城址、左手遠方には滝山城址の山並みが見えます。大石氏や北条氏の居城で、武田信玄、上杉謙信、前田利家、上杉景勝等の軍勢が攻めてきた時代を遠く想像しながら、コンクリートの堰と山城跡を対比してみると感慨深いものがあります。そういえば小学生の頃に釣りでこの堰を初めて見たとき、巨大さに圧倒されたことが思い出されます。
進む
河川敷を走って行くと道はどんどん川に近づいてしまい、落ちたら川にボチャンぜよの獣道(釣人道)となりました(笑)。単独行なので無理せず土手下に戻るべく2輪2足で藪漕ぎ突入です。藪を脱出しあぜ道の快調な走りも束の間、拝島橋を潜った先で進路方向には苔むしたコンクリートの護岸が立ちはだかります。KSRのノーマルタイヤはロードタイプなので滑ってしまい登れません。やむなく「うおーっ」と引っ張り上げて慎重に進むと今度は草に覆われた土手となりました。押しながらなら進めるだろうと判断し、進んだところ後輪がズルズル落ちて、斜めで止まる。前にも後ろにも進めず愚かな態勢でしばしの思案。犬の散歩中の老人が見つめるなか、前進も後進も出来ぬのなら上進じゃいということで、ズルズルと土手の上に向かって「んうぉりゃ〜っ」と『KSR号』を徐々に引っ張り上げていきます。なんとか土手上に上がり、しばし座りこみます。もう、汗だくです。
走り初めて今度は獣道も尽き、背丈以上の雑草の樹海で必死の藪漕ぎ突入です。足場は玉石もゴロゴロしていて、ついに進めなくなりました。その場でバイクを180°ターンさせ(よっこいしょ)、戻るつもりが来た道が不明です、というか道がありません(笑)。道なき道を懸命に戻り、ちょっと開けた所で小休止(疲)。エンジンのフィンには枯れた草の茎がたくさん刺さっていたので、取り除きます。
JR八高線多摩川橋梁
八高線の多摩川橋梁下で休憩です。上着を脱ぎ、火照った体を冷やします。上空を米軍横田基地へ向かう軍用ヘリコプターが通過して行きます。この辺一帯は僕の多摩川の中心的な場所です。子供の頃は自転車で川(鉄橋も???秘密)を横断したり、釣りに飽きたら泳いでしまったり、藪を抜けたらカメラマン達がヌードの撮影会をしていたり(笑)、いろいろな出来事がありました。昔は八高線も垂れ流しのトイレがついていて、うっかりすると飛沫が飛んできました。
昭島市の下水道処理場前の土手下グラウンド脇を進むもリトルリーグの試合をやっていて観戦中の保護者軍団のあまりの人数に恐れをなし、土手下走行を断念、迂回して多摩大橋下を通過し、土手上の道を進みます。ここは川と家並みと河川敷の距離が近く、住んだらけっこう快適そうです。JR中央線や残堀川付近でちょろちょろと迂回してなんとか川の近くの道を進み、R20を横断、野球場のある公園内をうろちょろし、水路脇を走り、通ったこともない裏道を進み、ふと気になった神社の前で停車して境内に入りました。
青柳神社にお参り
青柳稲荷という神社で、多摩川の洪水で流された村人達がこの地に移住し、村社としてこの神社は祭られたそうです。
カモの親子と中央道遠景
府中に入り、ふと川面を見るとカモの親子の群れがプカプカと横一線に漂っています。しばしその愛くるしい光景に見入ります。日もだいぶ傾いてきましたので、コンビニで冷凍鍋焼きうどんとおにぎりを仕入れ、府中市四谷小学校前の河川敷で、ガスコンロで鍋焼きうどんに火を入れておにぎりをほおばり遅い昼食をとります。
冷凍鍋焼きうどん加熱状況遠景
対岸の聖蹟桜ヶ丘のビル群を見渡しつつ熱いうどんをすすります。
一面のすすきと聖蹟桜ヶ丘
走行はここまでとし、続きはいずれ又の機会にしたいと思います。今回の走行で特に印象深かったのは、河川敷に住むホームレスがあまりにも多いことです。1qに一軒ぐらいの割合という印象です。自転車所有は言うに及ばず、番犬まで飼っている小屋も多数ありました。部落のようなものも出来ていて進路変更を余儀なくされたことも多かったです。日本社会の暗部の一端を垣間見てしまったようです。彼らの住居は河川敷を不法占拠しているのですが、問題解決への根は深く、人生に失敗すれば誰であっても明日は我が身という気持ちも手伝って、どうしたものかと考えさせられました。