平成16年5月12日

 今日は所用にて休暇を取っていました。

 朝早く出発し早々に用事を済ませて時間があればどこか遠乗りでもという算段でしたが、昨日の遠足で体調を崩してしまった長男坊が、未明から度重なる嘔吐や下痢の症状に見舞われ、我が家は大騒ぎとなってしまいました。幸い発熱もなく、症状も治まってきましたので出掛けることにします。

 結局家を出たのは10時半になってしまいました。『KSR』に跨り、一路調布方面を目指します。奥多摩バイパス・甲州街道は渋滞こそないものの、スムーズな流れには程遠い状況で、携帯電話に夢中になり運転の疎かな人・突然のブレーキでほぼ停止してからウィンカーを出す人・無意味に進路変更する人等などがスムーズな流れの妨げに拍車を掛けています。ヘタな乗用車の後を走るぐらいなら、営業ナンバーの大型車の後を走るほうがまだ順調に走れます。

 急ぎ!?用事を済ませます。自宅から携帯に電話は入っていないので、長男坊の具合は大丈夫なようです。

 さて、どうしたものかとしばしの思案・・・。時計を見るとすでに13時・・・。とりあえずということで、設計を担当し、竣工後2年になる建物を見に行ってみることにします。
 工事のあいだは週に2度3度と通った道は、半ば懐かしくなりつつある時間が経過しています。迷うことなく現地に到着。



建物と新緑(KSR含む)

 アプローチの木々はかなり成長し、豊かな緑を繁らせつつあります。そういえば、こちらのオーナー様から頂いたツツジは、ここのツツジと兄弟であり、我が家の猫の額ほどの庭の一角で瑞々しい新緑の葉を繁らせて根付いています。
 建物の縦に連なる小窓はガラスブロックで、朝には内部で陽が美しく輝き住人を送りだし、夜には外部で灯篭となり住人を迎えることを意図して設けてみました。今後、木々が更に成長してゆけば、建物としてもともに成長していけるのではないかと思って(願って)います。

 相変わらずゴミゴミした甲州街道を西へ走り、立川に入った辺りで右へ折れ、栄町の陸上自衛隊の駐屯地脇を抜け、芋窪街道を北上します。玉川上水駅のアンダーパスを潜り、信号を右折して、東大和市桜ヶ丘の南公園(元小松ゼノア工場用地内)に到着しました。

 この公園には、太平洋戦争末期、米軍戦闘機や爆撃機による機銃掃射や爆弾炸裂の跡のある元変電所が保存されています。
 この建物をはじめて見たのは僕が小学生の頃だったと思いますが、見た瞬間に衝撃を受けたことをよく憶えています。18で車の免許を取ってこの辺りを流していて、忘れていたこの建物に再会したときには驚きました。壊されずにしかも現役選手だったのですから。



東大和市文化財 史跡・戦災建造物 旧日立航空機株式会社立川工場変電所
壁一面の銃・爆撃跡

案内板によると

 この建物は、昭和13年に建設された航空機のエンジンを製造していた軍需工場、東京瓦斯電気工業株式会社(翌年、日立航空機株式会社立川工場〈立川発動機製作所〉に改名)の変電所です。
 北隣りにあった設備で発電した66,000ボルトの電気を33,000ボルトに変電して工場内に供給する重要な役目を果たしていました。
 外壁に残る無数の穴は、太平洋戦争の時、アメリカの小型戦闘機による機銃掃射やB−29爆撃機の爆弾が炸裂してできたものです。
 工場地域への攻撃は3回ありました。最初は昭和20年2月17日、グラマンF6F戦闘機など50機編隊による銃・爆撃。2回目は4月19日、P−51ムスタング戦闘機数機によるもの。3回目は4月24日、B−29の101機編隊による爆弾の投下で、あわせて110余名に及ぶ死者を出し、さらに多くの負傷者を出しました。
 この変電所は、経営会社が変わった戦後もほとんど修理の手を加えぬまま、平成5年12月まで工場に電気を送り続けていました。
 都立公園として整備されるにあたり、一旦は取り壊される運命にありましたが、貴重な戦災建造物を保存し次代に伝えたいという市民の活動や、元従業員の方々の熱意がひとつの運動となり、保存へと実を結んだのです。保存にあたっては、最後の所有者であった小松ゼノア株式会社や東京都建設局の多大なご理解とご協力をいただきました。そして、東大和市は平成7年10月1日にこの建物を東大和市文化財(史跡)として指定し、末長く保存、公開するために修復工事を施しました。
 戦後、戦争の傷跡を残す建物は次々に取り壊され、戦争に対する私たちの記憶もうすらいできています。この建物から、戦争の悲惨さと平和の尊さを改めて受けとめていただきたいと願うものです。
 平成8年3月 東大和市教育委員会

とのことです。

 変電所から西にちょっと離れた一角に、給水塔が建っていました。こちらも無数の弾痕が激しくコンクリートに刻まれており、風化して深い灰色に変色したコンクリートの塔は、激動の昭和を刻んだ生き証人でもありました。なんと、平成12年まで工場に水を供給していたとのことですが、残念ながら老朽化と用地の問題で解体されてしましました。

 変電所を後にし、芋窪街道を更に北上します。中堰堤を渡り、多摩湖(村山貯水池)に到着。

 かつての多摩湖周遊道路は走りのスポットでしたが、二輪車の事故が多く、20年前に通行止めとなりました(後に四輪も夜間通行止めとなる)。


profileにあるARとMBXの写真はこの辺りで・・・。



往時にはズラリと単車が並んでいた中堰堤 

 ここに来ると、誰かしらは知っている走り屋が居ました。まだ16才でしたので、夜な夜な走って集まって語り合ってということが、とても楽しかったです。



周遊道路中堰堤側入口 遠景

 中堰堤を後にし、西武球場前を通過して信号を右に折れ、球場裏のかつての見学コーナーに到着。昔は当然のことながらキャッツアイなどはありませんでした。

 ここでは、夜な夜な缶コーヒーなど飲みながら、当時最速といわれた人達の走りを見学したり、誰が速くて誰が遅いだの、誰かの彼女はカワイイだのと・・・若さ故の『熱い雑談』を交わしたりしたものでした。



西武球場裏 旧見学コーナー サイドにフォグをつけたZ400FXの走りはカッコ良かったな〜。

 見学コーナーを後にして、山口城跡方面に迂回し、周遊道路の西武園側入口に到着。昔はロータリーのように周囲が丸く広い交差点でターン場所となっていました。
 profileにも記しましたが、軽トラのサンバーで走り仲間とこちらの交差点(ロータリー)で談笑中、見知らぬキャリーがやってきて、ガンを飛ばしてフォンフォンと吹かして私を挑発してきました。若気の至りでもちろん挑発に乗りました。行きは先行・帰りは後行で、激しくテールを流しながら熱いバトルを繰り広げてしまいました。同乗者いわく、『軽トラおもしれえ』を連呼していました。ほぼ互角の走りでした。バトル後は仲良くなったのは言うまでもありません!



この辺りで事故を起こすと、警視庁と埼玉県警でどちらの事故かで押しつけあい・・・という噂・・・が。



周遊道路西武園側入口にて

 先程、通過した山口城址へ向います。



マクドナルド前の案内板

案内板によると

 埼玉県指定旧跡 山口城跡

 山口城は、平安時代末から鎌倉・室町時代にこの一帯を本拠とした武蔵武士の山口氏によって築かれました。この場所は北に椿峰の丘陵がせまり、南は柳瀬川と、湿地に囲まれた要害の地で、西側には鎌倉街道が通っていました。城跡の規模は、東西約400メートル、南北約200メートルと推定され、埼玉県の旧跡に指定されています。
 築かれた頃の大きさは不明ですが、戦乱の時代に館を囲む土塁(土手)や掘は徐々に広げられました。室町時代の終わりには、複数の郭がつながった姿となりました。この城跡には石垣がなく、土塁の上に木や竹の柵を造り、幅が広くて深い堀をめぐらせて敵が入るのを防いでいました。
 戦国時代の戦乱によって落城し、江戸時代に入ると城跡は畑や宅地として拓かれ、堀跡は溜め池に利用されました。その後、道路や鉄道が開通し、元の姿は一部を除いて失われました。現在、周辺には「堀の内」、「城上」、「梨の木戸」といった城跡に関係する地名が残されています。

 土塁と堀跡

 現在、敷地内には三基の土塁があり、土塁の規模はそれぞれ異なりますが、幅10m前後、長さ20〜30m、高さ3m前後です。
 第1号土塁と第2号土塁は互いに向かい合い、第3号土塁L字形で東側に張り出しています。さらに発掘調査によって、第1・2号土塁の間に南北方向に伸びる第4・5号土塁が新たに確認されました(下図参照)。
 土塁の外側には堀がめぐり、上部幅約4m、底部幅約3m、深さ1.5〜2mの逆台形で、底から水が湧き出して沼地のような状態でした。これらの築造と掘削の年代は、戦国時代に入った頃と考えられます。
 土塁の下から永楽通宝が、堀跡の底近くからは木製の碗や塔婆が出土しています。

 郭・曲輪

 土塁に囲まれた内部は、東側より一段高く東西約20m、南北約32mの長方形の平地となっていました。これを「くるわ」と呼び、何回か繰り返し整地を行っています。多数の柱穴や焼土とともの井戸跡六基が発見され、建物があったことが推測できます。
 また、鎌倉・室町時代の灯明皿や、常滑焼の壷や瓶の破片、年号のわかる板碑等が出土しました。

所沢市教育委員会

とのことです。


右後ろの山が土塁跡の一部


後ろの土盛りが土塁跡の一部

 山口城跡は、石碑や案内以外はなにもないと聞いていたので、思っていたよりは遺構がありましたが、しかし見事なまでに破壊されてしまっていることに変わりはありません。
 いわゆる城というのは、一般的にこのクラスのものが『普通の城』であり、世間一般でいうところの天主のあるような『城』というのは例外的に巨大な城なのであって、僕としてはこの『普通の城』に興味があります。
 マイナーな城を訪ねる場合、原付二種は小さくて機動力もあり、良いです。

 帰り道、熱くて美味いコーヒーが飲みたくなりました。最近は御無沙汰してしまっている、羽村にある『樹樹』というコーヒー店に久しぶりに立ち寄ります。
 この樹樹は若マスターに聞いたところ、もともとは森だったところを、木を極力そのままとしながら、当たってしまう部分は植え替えということで、初代マスターと建築家との共同作業で設計して、建物は築30年程になるとのことです。
 心地よい空間はいつ来ても本当に落ち着けます。BGMはいつ来てもビートルズが流れています。
 それと、お店の人を筆頭に凛々しい美人が居るという印象は、昔も今も変わっていないようです。


ブレンドコーヒー


樹樹 中央アプローチ外観

夕方に帰宅しました。

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