憂鬱なときでも笑えば元気が出てくる
自分でもよくわからない鬱々とした気持ちや不安をどうにかしたいというときは、気持ちとは反対の動作をしてみると元気になることがあります。こんなときは前にも紹介しましたが、無理にでも笑ってみると効果的です。憂鬱な気分なのにカラ元気を装うなんて、後で空しくなって余計に落ち込みそうと思う人もいるかもしれません。しかし、何も楽しい気持ちになって笑う必要はありません。気持ちは落ち込んだままでも、笑ったときのように顔の筋肉を動かす、たったそれだけでOKなのです。心の中をコントロールするのに外的な刺激を与えることが有効であるということは、心理学の実験でも証明されています。普通人間は、不安になったり緊張したりすると、自然に顔に縦ジワがよって顔の筋肉が緊張したり、心臓の鼓動が早くなったりします。その反対に楽しいことや明るいことを考えれば、頬の筋肉は自然と緩み、血圧は下がり、脈拍も安定しています。つまり、人間の気持ちは外からの刺激によって変えられるということです。これを普段の生活に活用しない手はありません。何だか楽しくない気分、不安な気分が襲ってきたというときは、少々無理をしても笑ったときと同じように筋肉を動かしてみるといいです。心から楽しめなくても、元気なときと同じような顔つきをしていれば、やがては気持ちもラクになってくるというわけです。「笑い」は人間にとって、とても重要なものです。大いに笑うとガン細胞を殺すナチュラル・キラー細胞が増加するという報告もありますし、体の変化が心が及ぼす効果も無視できません。割り箸を口に挟むようにして作った笑いでも全身にいい影響を与えるといわれていますから、形から入る笑いであっても、心の元気は後から自然についてくるというわけです。
失敗した自分を笑い飛ばす!
「真のユーモアの源泉は哀愁である」とアメリカの作家マーク・トウェーンは言っています。笑いには、世の中の不条理や人間の悲しさといいったものに対する共感が含まれているようです。例えば、一人芝居を演じる或る有名なコメディアンは、会社のお金の使いこみがバレたサラリーマンや、家族サービスに奮闘する父親など、懸命に生きているのにどこか悲劇的な状態にある人たちを、少々デフォルメして演じることで笑いを誘います。しかし観客にとっては、この笑いは決して他人事ではありません。自分にも起こりうる、あるいは既に自分もそうかもしれないという同情と共感をもって笑っているのです。もちろん実際に自分の身に喜劇のネタになるような良からぬこと起これば、笑っている余裕はなくなるしれませんが、そうやって切羽詰って身動きが取れなくなってしまったときこそ、笑いが必要なのです。失敗した自分を笑うということは、自分自身にちょっとした優越感を抱くことになり、失敗によって引き起こされる失望感を軽く感じさせるクッションのような役割をはたすのです。失敗したことに対してあまりに思い悩んでしまうと、その状態からなかなか抜け出せず、次の一歩が踏み出せなくなります。真剣に悩めばいい解決方法が浮かんでくるかといえば、必ずしもそうではありません。むしろ、失望感を軽くして心を元気にするためにも、自分を笑ってしまった方がいいこともあるのです。しかしどうしたらそんな不愉快なときに笑う事ができるのでしょうか?そういうときは、大いに困ったり、とことん深刻になって辛さを体で表現することです。深刻さもその度合いが大きくなると滑稽に思えるというのは、喜劇の舞台ではよくあることです。まさに役者になったつもりでオーバー・アクションをしてみるのです。例えば「困った、困った」と大声で叫びながら七転八倒してみる、「自分は何と歴史に残るような大失敗をしまったのだろう」などとオーバーに思い悩んでみる・・・。馬鹿馬鹿しいと思った人は、それが正解なのです。深刻に悩んでいるのなら、とことん深刻になり、度を越したアクションをする、そうすることで失敗して思い悩んでいる自分自身が、何だか可笑しくなってくるというわけです。喜劇役者のように振る舞い、そんな自分を観客になって笑ってしまうことは、落ち込んだ気持ちをあっという間に元気にさせるちょっとした魔法なのです。