焼け焦げて熱を持った私の表面たちが、こそげて落ちてゆく。




「螢」





 パラパラという硬い音。
 私はひどく驚いて、窓の外を見つめた。
 降っているのは雪。もう雪も半分溶けかけた季節に、乾いた音を立てて雪が世界を打ちつけている。
 私は外へ飛び出した。上着も着ないで、靴のかかとも踏みつけたままで。
 パラパラと、パラパラと、私にも平等に打ちつける硬い雪。
 道路にも草の上でも溶けないそれを手のひらに受けて、私は一目散に家の中へ戻った。
(お姉ちゃんに見せたい、お姉ちゃんに見せたい…!)
 私は、ドアを開ける。



『……しおり?』

 ……お姉ちゃん…

『……ほら、泣かないの』

 ……お姉ちゃん?

『……もう、じゃあ、今度はお姉ちゃんも一緒に見に行くから』



 少しだけ湿った両手を握りしめて、しゃくりあげる私を、
 困ったように笑いながら、お姉ちゃんは一緒に外へついて来てくれた。
 でも、そのときにはもう、短すぎる夕立のようなあられは収まっていて。

『……っく、う、うわあぁぁーーーん!!」』

 私はなぜか、ボロボロと泣き出してしまった。
 膝をかがめて私の髪を撫でるお姉ちゃんの手のひらが温かくて、涙は余計に止まらなかった。
 残り香のように降っていた粉雪が、私の涙に染み込むように溶ける。

 それが、私の一番古い思い出。





 今になって思い出して、少しだけ考える。
 なぜ、あんなに悲しかったのだろう。
 なぜ、あんなに泣きたくなったのだろう。
 あのとき私は何を見て、
 何を、知ってしまったのだろう。




2nd‐『ポロメリア』





 久しぶりに見る家は、なんだか無機質に見えた。
 生まれてから、今まで半分以上の時間を過ごしてきたはずなのに、
 思い出が、なんだか歪んでいる。
「……おかえり、栞」
 私と一緒に車を降りたお母さんが、私に向かってそんなことを言う。
 ちょっとだけ誇らしげに、もうちょっとだけ儚く。
「……ただいま」
 私がため込んでしまったらしい儚さを伝染してしまわないように、
 いつものように、微笑う。


 それが私の周りの世界。
 それが私の周りの空気。

 私が、造り上げなければならなかった





 廊下の突き当たりの部屋。
 あの部屋は、私の記憶の中と同じだろうか。
 変わってしまっているのだろうか。
 何も映そうとしないあなたの表情。
 人の顔色を読み取ることばかり覚えてしまった私でも、
 そんな単純で大事なことだけ、どうしてもわからない。


 一つ手前の、私の部屋。
 そこから先は、見えない壁に阻まれていて、進めない。
 それは、お姉ちゃんが造ったものではなく、
 私の造り出した壁。
 だから、皮肉にも、私だけ進めない。
 ノックをするように掲げた手を握りしめて、何もない空間を叩いても、

 ……コン、コン…

 あなたの心には、決して、響かない。
 響かないように打っている。
 いつかのあられのように。





『……また降るわよ』

 ……ほんと?

『ええ。お姉ちゃんが栞にウソついたことある?』

『……ぐすっ…ない……けど…』

 …いつ?

『……そうねぇ…』



 あのときあなたは、私に微笑みかけてしまった。

 ごめんね。
 私はあなたになついたりなんてしなければよかった。
 そしたら、もしかしたら、今よりも、
 私を、憎みきれたかもしれないのに。


 愛されることが、痛い。
 思われることが、こんなにも苦しい。
 人には伝染らない私の病は、錆びたナイフのように私を刺して、
 罰のない罪を、増す。





「……学校は、もうちょっと体調が安定してからにしましょうか?」
「…うん。それがいいと思う」
 私は、笑う。
 お母さんが、そう望んでいるから。
 だから、笑う。
 私のためではなく他人のために。
 それが私の、きっと最低限の義務。
 死にきるまで、
 私は幸せだったと微笑みかける。

 そう誓ったのは、もういつのことだっただろうか。


 私がせめて、あなたたちの理想の娘であるように。
 死んでもいい、などとは、どうあがいても思ってはくれないのだから。
 うれしい、と、涙することまではできないけれど。





 ぽすん、とベッドに横になる。
 久しぶりの感触。とうに忘れていた匂い。
 病院から見る世界と、ほんの少しだけ違う星空。
 雪は降っていない。
 月も見えない。
(…そうか、今日は新月だったんだ)
 月のない夜空。
 あるべきものが、あるべきところにない。
 私は目を凝らして空を見上げた。見当さえつかない天球からは、少しだけ薄い黒を見分けることも出来ない。





 私は何もしないでいる。
 夜の中でうずくまって、じっと世界を見つめている。

 私は、そうするべきであり、
 そうすることしか、私には残されていなかったから。





 遠い遠い記憶。
 緑が一面に広がる小高い岬で、私はお姉ちゃんを探していた。
 かすかに湿った海風は、私の短い髪とスカートを揺らし、ざわめきだけ残して草の上を行き過ぎる。
 なだらかな丘の向こうに、岬の先端はある。
 そこは風の生まれる場所。
 お姉ちゃんのいるところ。
 履き慣れないサンダルで草の上をこぎながら、私はゆっくりと歩く。
 右手で髪を、左手で少し長いスカートを押さえて。

 ある、夏の日。


 不意に風がおさまって、私は立ち止まると両手をぶらんと垂らして空を見上げた。
 遥か遠く、水平線にかかるように浮かんでいる雲。
 海の青を再び吸い込んだように映える空の青。
 両手を腰のうしろで組んで、まっすぐ前を見つめて、私は再び歩き出す。
 あの丘の向こうへ。
 あの丘を越えれば。
 暖かさが

 いつも。





 そんな夢を、好んで見ていた。
 遠い遠い昔。
 金網のこちら側から、ずっと、私を。

 夢見ていた夢を。




<つづく>



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