綺麗よりも暖かくて…
written by 空也
「そろそろ朝ご飯にしませんか?」
新年の朝を迎えた水瀬家に、秋子の声が響き渡る。
朝と言うにはかなり遅い時間。もうすぐお昼を迎えそうだった。
けれども名雪は勿論、祐一にとっても真琴にとっても、眠いことには変わりがない。
昨夜は夜遅くまで家族揃って除夜の声を聞き、その後も理由を見つけては寝付けないでいた。
つき合うように、名雪も眠い目を擦りながらリビングに座り続けていたのだった。
「ふわぁ〜。秋子さんおはようございます」
「まだ寝たりないよぅ……」
欠伸をかみ殺しながら、キッチンへと入ってくる。
「明けましておめでとうですよ、祐一さん」
料理の手を止めて、秋子が顔を見せる。
「昨日の夜も行ったじゃないですか?」
「気分の問題ですよ。昨夜はそのまま眠ってしまったじゃありませんか」
「今日はみんなで初詣に行くんだもんね。やっぱり『明けまして』よね」
秋子の言葉に、真琴は嬉しそうに笑顔で同調する。
「そういうものなのか? 一度言えば十分な気がするんだけどな」
眉を寄せて、よく判らないと祐一はこぼす。
秋子は柔らかな苦笑を浮かべる。
「一度だけなんて、もったいないですよ。折角のお祝い事なんですから」
「そうよねぇ。祐一って、いまいちデリカシーに欠けてるのよね……」
「……しみじみ言うんじゃない」
祐一が真琴に、今年初めての鋭いツッコミを入れる。
「痛いわね、新年早々なにするのよぅ」
「お前が新年早々、馬鹿なことを言うからだ」
「駄目ですよ二人とも。新年早々ケンカをしては」
秋子が祐一たちのことをなだめていると、
「うにゅ……おふぁようございますぅ」
名雪も二階から下りてきた。
「今朝は『明けましておめでとう』だそうだぞ、名雪?」
「あ、そうだったよね」
「祐一が偉そうに言える事じゃないわよっ、自分だってちゃんと言えなかったくせにぃ」
「なにおぅ」
「はいはい。まずはご飯にしましょうね?」
秋子に促されるように、再燃しかけた口論が鎮火されてしまう。
祐一と真琴は、渋々テーブルへと向かってゆく。
けれども。
「……明けましておめでとうございます」
かなり遅れた名雪の挨拶に、すぐに笑顔を見せていた。
テーブルには既に、お重に詰められたおせち料理が並べられていた。
「祐一さんは、お餅は三つでいいですよね?」
「それでお願いします」
キッチンの奥から聴こえてきた秋子の声に、祐一は大きな声で答えて返す。
しばらくするとお盆を持って、秋子がテーブルへとやってくる。
「それじゃあ、朝ご飯にしましょうね」
秋子は雑煮の入った椀を、それぞれに配ってゆく。
餅はそれぞれの椀に二つずつ。
「これが祐一さんの分ですから」
彼のだけは餅が三つだ。
「「「いただきます」」」
「はい、いただきます」
秋子がそう応えると、祐一たちは箸を取って朝食を食べはじめた。
「これを食べたら、初詣に行くのよね?」
伊達巻き卵をつまみながら、真琴が尋ねた。
名雪が箸を止めて、置き時計を確かめる。
「ちょっと待ってね……。もう少し後になると思うよ」
「……やっぱり昨日の夜にも、出掛けておくべきだったと思うよぅ」
少し残念そうな真琴。
済まなそうに、名雪は彼女の様子を眺める。
「ごめんね。わたしが起きていられなくて……」
「名雪のせいだなんて言ってないわよっ、ただちょっと残念なだけで。それに──」
「初詣はみんなで行かないと意味がないものね」
「うんっ、勿論よね」
秋子の言葉に、真琴は元気よく頷いた。
「……名雪は振り袖なんて着ないのか?」
祐一は雑煮を食べながら真琴たちのやり取りを聞いていたが、ふいに思い出したように話しかけて来た。
「えっと……祐一は着て欲しいのかな?」
名雪は期待に満ちた眼差しで問い掛けるが、
「別に。ただ訊いてみただけだぞ」
祐一は素っ気なくそう言って、顔を背ける。
名雪は不服そうに、拗ねた表情で彼のことを見つめていたが。
横合いから、真琴が彼女へと尋ね掛けてきた。
「……ねぇ。『フリソデ』ってなんのことなの、名雪?」
「あ、真琴は見たことが無かったんだよね。あのね……うーんと……」
「着物のことだ」
言葉が見つからないでいる名雪の代わりに、祐一が短く答えを返す。
「なによぅ、着物なら真琴だって知ってるのにぃ……。変に難しい言葉を使わないでよね、祐一」
「……ちなみに、真琴の知っている着物ってのはどんなのだ?」
「夏祭りの時にみんなで着たもんね。祐一だけはいつものまんまだったけど」
からかうように、真琴は笑みを浮かべた。
けれども、祐一の方はさらに意地悪そうに笑いながら喋りかけて来る。
「……残念だが、それは“振り袖”じゃあないな」
「えっ? でも浴衣も着物なんでしょ?」
「確かにそうだが、振り袖と浴衣は別物だからな。かなり違う」
「いったい、どんな風に違うって言うのよぅ」
「普段着と余所行きの服くらい違うんだ。……ちなみに浴衣の方が普段着だぞ」
「あぅ……」
落ち込む真琴。
「あまり真琴のことを虐めてはいけませんよ、祐一さん」
秋子がたしなめる。
祐一も少しだけ言い過ぎたと感じたのか、真琴へと謝った
「悪かったな。……真琴なら何を着ても似合うと思うから、あんまり気にするな」
「今更そんなこと言っても遅いわよっ、祐一」
真琴は怒ったように返していたが、その口元は微笑んでいた。
朝の食卓はいつものように賑わいでいる。
去年と同じように、今年も続いていくと思わせる、そんな光景だった。
そんな中、箸を止めて名雪は、ぼんやりと考え事をしていた。
きっかけは真琴の問い掛け。
答えは出ているのに踏ん切りをつけられない、そんな困惑の表情を名雪は浮かべていた。
けれども、名雪はひとつ頷く。
そして秋子の方へと顔を向けると、小声で話しかけた。
「……お母さん、ちょっといいかな?」
「どうかしたの、名雪?」
秋子が食事を止めて顔を向ける。
「うん。……あのね、お母さんに相談事があるんだよ」
名雪はそう話すと、席を立って秋子の元へとゆく。
そして、祐一と真琴には聴こえないように、そっと耳元に囁きはじめた。
怪訝そうに祐一たちは、その様子を眺めている。
「……真琴にね……どうかな?」
「名雪は……そうね……判ったわ」
断片的な言葉は流れてくるが、意味を掴むことは出来ない。
話を終えると、名雪と秋子は二人して真琴に優しい笑みで笑いかける。
「え? 真琴がどうかしたの?」
「心配いらないよ。とっても素敵なことだからね」
驚いたように尋ねてくる真琴に、名雪は楽しげな笑みで答える。
「詳しい話は食事が終わってからね」
秋子も真琴に微笑み掛けると、箸を動かしはじめる。
真琴は不思議そうに二人のことを見つめていたが、二人の優しげな眼差しに残りの雑煮を食べ始めた。
食事が済み、食器を洗い終えると。秋子は名雪と真琴に、自分の部屋に来るようにと話した。
祐一だけは「しばらく待っていて下さいね」と蚊帳(かや)の外だ。
「そろそろ何の用事なのか、話してくれてもいいと思うんだけどぉ……」
部屋に入ると、真琴が少しだけ不安そうに話してくる。
秋子は優しく微笑んで応えた。
「真琴に譲ろうと思っているものがあるのよ」
「……真琴に?」
「少しだけ待っててね」
秋子はそう話すと、部屋の片隅にある木製のタンスを開いていった。
訳が分からないといった顔でその様子を見守っている真琴。
そんな彼女に、名雪が笑顔で話しかける。
「きっと真琴も気に入ってくれると思うよ」
「……名雪は知ってるの?」
「勿論だよ」
そう話して笑う名雪の瞳には、迷いはなかった。
真琴たちが見守る中、ようやく秋子はタンスの中から目的のものを見つけだす。
「これですよ」
そう言って、白い和紙に包まれたそれを真琴たちに見せる。
するすると和紙が開かれて、その中身が姿を現す。
白地の上に、赤や金銀で彩られた錦の布地。
「わっ、凄く綺麗」
真琴が短く感想を漏らす。
「うん、やっぱり綺麗だよね」
名雪も笑顔で頷いた。
秋子は錦を丁寧に広げて見せる。
「これが“振り袖”っていうんですよ、真琴」
「……こんなのを着たりするの?」
「折角のお祝いですからね」
秋子はたおやかに笑って応える。
「真琴が着たら、きっと似合うと思うよ?」
名雪が嬉しそうに話しかける。
驚いて訊き返す真琴。
「真琴が着るの?」
「当然だよ。その為にお母さんに頼んだんだからね」
「私のお古になるのだけれど、それでも良いかしら?」
真琴は俯いてしまう。
ぽたりと床へと落ちる滴。
ごしごしと顔を拭くと、真琴は赤い瞳のまま秋子に話しかけた。
「ありがとう、秋子さん。絶対に汚したりしないから」
「礼なら私にじゃなくて名雪に言ってあげてね。本当ならその振り袖は、二十歳の時に名雪に譲る約束だったんだから」
「お母さんっ」
「本当のことでしょ、名雪?」
秘密をばらされて詰め寄る名雪を、秋子は笑顔で退ける。
「……名雪」
真琴はそんな中、済まなそうに名雪のことを見つめていた。
困ったように眉を寄せる名雪。
「気にすることはないんだよ。わたしは他にも自分の振り袖もあるんだからね」
「でもぅ……。名雪はこの振り袖のことを楽しみにしてたんでしょ?」
「……それはそうなんだけどね」
名雪は苦笑を浮かべる。
「でもね。わたしは真琴と一緒に振り袖が着られることの方が、何十倍も嬉しいから。だから真琴に着て欲しいんだよ」
「名雪……」
真琴はじっと彼女の顔を見つめている。
いつものように微笑んでいるその笑顔には、嘘はなかった。
「……大切にするからね」
真琴はやはり少しだけ済まなそうに、けれども何十倍も嬉しそうに、名雪に笑って応えた。
リビングで一人待っている祐一。
その耳に足音が聴こえてくる。
席を立って廊下へと出てみる。
「……真琴なのか!?」
「あははっ、綺麗すぎて見違えちゃった?」
華やかな振り袖を着た真琴が、そこには立っていた。
いつもの笑顔も、何処か艶(あで)やかに見える。
「その振り袖はどうしたんだよ?」
驚きを隠しきれない声で、祐一が訊いてくる。
「秋子さんと名雪に譲って貰ったのよ。……似合う、祐一?」
「ま、まあ、綺麗な振り袖だもんな」
「綺麗なだけじゃないんだからね」
「うん?」
「とっても暖かいんだから……。心の奥まで包み込んでくれるくらいにね」
真琴は嬉しそうに微笑んで、優しく布の上を撫でていた。
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