Latino Sine Declinatione(俗名「Scivolemese」)
は文字通りラテン語から格変化を排除してはいるが、まだ動詞の人称変化を残している人工語であり、極めてInterlingua語に似ていて、事実、Interlingua語の話してとはほぼ滞りなく意思の疎通ができる。これに酷似する人工語としてLatino
Sine Flexione語があるが、この言語は文字通り全てのFlexion{屈折
= (格変化 + 動詞の人称変化)を排除した人工語であるのだが、動詞の(人称変化及び時制変化)の取り扱いの所で責任ある形が提案されてなく、事実上この言語は消滅した。それに取って代わったのがInterlinguE語(後にInterlinguA語との差別化のためにOccidental語と呼ばれる)やInterlinuA語である。
Latino Sine Decliantioeは上記の幾つかの競合人工言語の中で下記のような際立った利点を呈している:
1) 大胆にラテン語のままの動詞の人称変化と時制変化を継続維持したため、Interlinguaに見られるような時制及び法の不足による不自然感が完全に取り除かれた。
2) 名詞と形容詞間の性及び数の一致が保持されているため、多くの近代に見られる修飾語と被修飾語との相関関係が文章全体の中で追尾し易く、明確で安心感のある自然語と同様の感覚を味わえる。
3) 語彙及び語順はほぼ完全にInterlinguaから借用されているので、新たな辞書の編纂や文法的説明は不要である。
4) 動詞の人称変化はラテン語から借用しているため、これも新たに人工的動詞の人称変化を発案する必要がない。むしろ、こうすることで、攻略困難なラテン語の動詞を普段からInterlingua語の話し手とチャットすることでLatino
Sine Declinatione語 とLatin語をちゃっかり同時にマスターできる。又、特に欧州人はInterlinguaが余りにも易しく、余りにも不自然で、且つ余りにも表現力不足であるため、その存在意義を蔑視又は無視する傾向が顕著に見られる中で、Latino
Sine Declinationeは動詞の人称変化、時制にかなり手ごたえのある適度な難度を呈しているため、欧州人はこれを蔑視又は無視するどころか、常に自己の言語学的自負心に挑発を受けるような適度な刺激がある。一部の欧州人はLatino
Sine Declinationeの虜になっている嫌いさえある。
ラテン語の攻略については、多くの人は最初から諦めるか又は途中で断念している。しかし、これはLatino
Sine Declinationeの存在を知らなかったのがその悲劇をもたらして来たといっても過言ではない。Latino
Sine Declinationeさえ学べば、ラテン語の攻略は日本からアメリカまで航海するのに既にハワイに付いているようなものである。そのなのです。特定言語を攻略できないのは自己の執念の欠如のみならず、自己の要領の欠如かもしれないのである。
Latino Sine Declinatione はその他、諸々の自然語からそれぞれの利点を取り入れているため、極めて自然であり、表現力が豊かである。ポルトガル語やイタリア語に見られる最高水準の前置詞と冠詞の間の縮約形は勿論見られる。又、母音間衝突をさけるためのエリジョンや補助子音挿入はイド語と同程度に実践されている。
発想法や表現は母国語の自然語に見られる通りどんどん使用して行けば良い。Falsos
amicos にぶち当たってもその時にお互いに説明し合って擦り合わせれば済むことであり、むしろ、falsos
amicosの罠に嵌って笑いを取った方がよっぽど人生楽しくなるという物ではないのか。
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