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高松塚の彩色壁画に黴が発生し、著しく原画を損傷し既に一瞥では原画の判別が困難な状態にある。周知のように、石室を解体して壁画を切取り樹脂で固めて保存することになった。ところがその後、壁画の保存作業にいくつかのミスがあったことが明らかになって来た。
高松塚は昭和45年に関西大学の網干教授らの手によって発掘され、その後保存管理は文化庁に移管された。発見された当時、極彩色の壁画は日本中に古代史ブームを巻き起こし,明日香は発掘考古学のメッカ的な存在となった。学生時代に古美研(古美術研究会)に籍をおき少なからず関心をもっていた私は心躍らせ、現地周辺をうろついたり画集を買い求めたりしたものだった。
当時、奈良の考古学の指導的な役割をされていた故末永雅雄博士(関西大教授、橿原考古学博物館初代館長)は徹底的な壁画の保存を主張された。そのため古墳は直に密閉閉鎖され、一般人は勿論研究者さえも全体を見ることが出来なくなった。「末永は発見を独り占めにする」と非難を受けたりしたが博士の信念はかわらなかった.彼は兼ねてから、伝承や文化に頼りがちな考古学を発掘物という物証を基礎とした学問にするように努めていたし、発掘物が完全に保存可能な手段が確立するまで発掘すべきでない、と考えていた。千数百年を経た文化財は将来にわたる我が国民全体の財産であり、現在の研究者の興味で発掘してはならないと思っていた、そのために発掘が何100年遅くなろうとも一向にかまわないと、、。
保管管理を文化庁に移管する件も、現地の研究者や民間の考古学愛好者からは反対意見が多かった。今まで発掘に携わってきた研究者の中には涙して反対するものもいたという。末永博士は「高松塚は地域や研究者のものでなく国民全体の財産だから、文化庁はその立場で立派に保存をやってくれるだろう」と説得して回った。高松塚は国宝となり石室は閉鎖され大規模な温調装置が設置され徹底した温湿度管理がされて永久保存の処置がとられた、と信じられていた。見学者は壁画館でレプリカを見るのみあったが文化財の永久保存のためと納得していた。
今回の黴発生事故は末永博士の意思に遠く、我々の期待をも裏切ったものだった。不注意で壁画を2度も疵付けその場で補修したとか、防護服なしで石室内に入るなど黴発生の原因となるような行動があったという。しかもそれらの記録を公表せず頬被りをしていた。
人間だからミスはある、では済まされない。ミスで壁画を消失せしめる恐れがあるなら、末永博士の言うように発掘調査などせずに後の世代の人々の手にゆだねるべきであったのかも知れない。
当初、文化庁は黴は温暖化の影響?とかいっていた。文化庁の研究者が懸命の努力をされていることは疑いないと思うが、功名や立場の為に拙速になったことでないことを信じたい。強引と思える石室の解体と原画の切取保存も、自らのミスを焦ったためでなかったことを信じたい。
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