ホームへ戻る
“とうやん”@t0_yan 「つぶやき:twitter」
《 前 へ 戻 る 《 ( つぶやき:「古代」 目次編 a ) 》 次 へ 進 む 》
つぶやき「古代」目次 a へ 戻る
(ご注意)目次をクリックすると該当のページへスキップします。
大和朝廷「日本国」出生秘話 《 つぶやき: 「 古代 」 目次編 a 》
● 《 つぶやき: 「 古代 」 001 》
昔(000a) 『九州王朝から近畿天皇家への権力移行期』 ・ 2010年2月18日(木)
昔(000b) 『「難波副都の九州王朝片方の王家」 と 「葛城〔秦国〕の取込み」』 ・ 2010年3月10日(水)
昔(001) 『日本書紀だけの「舒明から持統まで」』 ・ 2010年4月4日(日)
昔(002) 『年老いた女性・斉明は生まれ故郷での死を希望』 ・ 2010年4月4日(日)
昔(003) 『平城京1300年祭と、「大仏開眼」』 ・ 2010年4月7日(水)
昔(004) 『大和王朝の素性』 ・ 2010年4月10日(土)
昔(005) 『郡制施行(=建郡)は50年後の696年』 ・ 2010年4月10日(土)
昔(006) 『天下立評の倭王家の一派が大和王朝だ』 ・ 2010年4月10日(土)
昔(007) 『徴税には強大な軍事力が必要』 ・ 2010年4月10日(土)
昔(008) 『造複都難波京の詔』 ・ 2010年4月10日(土)
昔(009) 『天下立評できたのは九州王朝倭国しか考えられないね』 ・ 2010年4月10日(土)
昔(010) 『日本書紀って、いい加減な史書』 ・ 2010年4月10日(土)
昔(011) 『分かってしまえば、如何って事のない』 ・ 2010年4月10日(土)
昔(012) 『倭国史を復元して欲しいね』 ・ 2010年4月10日(土)
昔(013) 『ひどん(毘曇)の乱のコピー丸出し』 ・ 2010年4月10日(土)
昔(014) 『具体的に書くと御幣があった』 ・ 2010年4月11日(日)
昔(015) 『隋唐帝国の北東アジア支配と倭国の政変』 ・ 2010年4月11日(日)
昔(016) 『何故「日本書紀」は九州「倭国」を抹殺したのだろうか』 ・ 2010年4月11日(日)
昔(017) 『隋書でいう秦王国こそが飛鳥・葛城『秦国』であり、蘇我氏であろう』 ・ 2010年4月11日(日)
昔(018) 『秦王国と十余国を経て「海岸」に達するとは』 ・ 2010年4月11日(日)
昔(019) 『周防国が秦国だと言う説もある』 ・ 2010年4月11日(日)
昔(020) 『広瀬と龍田の神とを祀った』 ・ 2010年4月11日(日)
昔(021) 『〔造複都難波京の詔:649年10月〕』 ・ 2010年4月12日(月)
昔(022) 『即断即決の為大宰府王家と難波副都王家に分担した』 ・ 2010年4月12日(月)
昔(023) 『倭国・日本国の遣唐使が喧嘩・拘束』 ・ 2010年4月12日(月)
昔(024) 『「冊府元亀」蝦夷国、倭国の使に随いて入朝す』 ・ 2010年4月12日(月)
昔(025) 『「蝦夷・粛慎」を征服・懐柔・皇化』 ・ 2010年4月12日(月)
昔(026) 『唐国・新羅に同盟遣使の葛城『秦国』王家の蘇我氏』 ・ 2010年4月12日(月)
昔(027) 『「日本書紀」が何故、九州王朝「倭国」を抹殺したか』 ・ 2010年4月13日(火)
昔(028) 『葛城『秦国』王家の蘇我氏の滅亡』 ・ 2010年4月13日(火)
昔(029) 『九州王朝倭国は特異な兄弟王朝制度だった』 ・ 2010年4月13日(火)
昔(030) 『白村江に出兵しなかったのは蘇我氏打倒の為か』 ・ 2010年4月13日(火)
昔(031) 『倭国の留守居王権としての天智天皇』 ・ 2010年4月13日(火)
昔(032) 『踏んだり蹴ったりの難波副都倭王家』 ・ 2010年4月13日(火)
昔(033) 『「高市皇子」と「天皇」』 ・ 2010年4月13日(火)
昔(034) 『高市皇子の死と藤原不比等の栄達』 ・ 2010年4月13日(火)
昔(035) 『九州王朝倭国は696年(持統10年:大化2年)滅亡した』 ・ 2010年4月13日(火)
昔(036) 『倭国の唐への悲惨な戦後賠償』 ・ 2010年4月13日(火)
昔(037) 『「兄弟王朝」倭国と日本国』 ・ 2010年4月13日(火)
昔(038) 『天武天皇の皇子に「尊」「命」 出典が違うのだ』 ・ 2010年4月14日(水)
昔(039) 『九州倭国の倭王家「片方の弟王家」が「大和王朝」である』 ・ 2010年4月16日(金)
昔(040) 『大和王朝は九州王朝倭国の「分家」だ』 ・ 2010年4月16日(金)
昔(041) 『「高市天皇の暗殺」 と 「藤原不比等の栄達」』 ・ 2010年4月16日(金)
昔(042) 『九州王朝倭国の倭王家「片方の弟王家」が大和王朝の前身である』 ・ 2010年4月19日(月)
昔(043) 『「隋書」の時点でも大和朝廷「日本国」という記述はない』 ・ 2010年4月19日(月)
昔(044) 『唐国と葛城『秦国』とが同盟の誼』 ・ 2010年4月19日(月)
昔(045) 『620年(608年推古16年9月+12年?)葛城『秦国』朝貢か?』 ・ 2010年4月20日(火)
昔(046) 『新羅の「ひどん(毘曇)の乱」』 ・ 2010年4月20日(火)
昔(047) 『暗殺によるクーデターの自慢話「乙巳の変」』 ・ 2010年4月20日(火)
昔(048) 『尽く文籍を市い、海に泛んで還る』 ・ 2010年4月20日(火)
昔(049) 『大和朝廷の天皇のもともとの古巣が筑紫だった』 ・ 2010年4月22日(木)
昔(050) 『これは大嘗祭の大和朝廷初出記事ではない』 ・ 2010年4月22日(木)
昔(051) 『倭国は特異な「兄弟王朝」システムだった』 ・ 2010年4月22日(木)
昔(052) 『志士達に頼られた当の孝明天皇は佐幕攘夷だった』 ・ 2010年4月22日(木)
昔(053) 『691年〔持統即位2年〕11月1日これが倭国王最後の大嘗祭である』 ・ 2010年4月23日(金)
昔(054) 『九州王朝「倭国」が滅亡し、新たに、大和王朝「日本国」が誕生した』 ・ 2010年5月2日(日)
昔(055) 『明治維新も天子暗殺を隠す、公表しないための万世一系だった』 ・ 2010年5月5日(水)
昔(056) 『窮地に立った丹比真人嶋らは高市天皇を裏切っただろう』 ・ 2010年5月5日(水)
昔(057) 『明治天皇は吉田松陰の教えの「南朝革命」を主張した』 ・ 2010年5月5日(水)
昔(058) 『「万世一系の皇統譜」について』 ・ 2010年5月5日(水)
昔(059) 『「 □ 武 」は王統初代を表わす』 ・ 2010年5月5日(水)
昔(060) 『「武力革命」を防ぐ「選挙制度」「民主主義」は非常に大切だ』 ・ 2010年5月5日(水)
昔(061) 『今の歴史教育は間違っている』 ・ 2010年5月5日(水)
昔(062) 『岩倉具視と丹比真人嶋との働きが似てる』 ・ 2010年5月7日(金)
昔(063) 『・ん、なこと言っても、、、分かる人いない』 ・ 2010年5月7日(金)
昔(064) 『簡単に言うと686-652=34年後とした』 ・ 2010年5月7日(金)
昔(065) 『九州倭国の34年前の史実を、大和王朝の歴史に見せかけた』 ・ 2010年5月7日(金)
昔(066) 『倭国王が吉野ヶ里軍事基地へ閲兵に出向いた』 ・ 2010年5月7日(金)
昔(067) 『34年繰り下げ/50年繰り上げの対照表』 ・ 2010年5月7日(金)
昔(068) 『国内の行政・軍事関連はずらし、隋・唐との外交記事はずらしてない』 ・ 2010年5月7日(金)
昔(069) 『倭国の附庸国・秦国との交渉は秦国の正史にあっても唐の正史に記載ない』 ・ 2010年5月7日(金)
昔(070) 『608年:推古16年-略ー唐帝を聘ふ、唐の建国は618年』 ・ 2010年5月7日(金)
昔(071) 『[天皇「唐帝」を聘ふ]まったく、間の抜けた記事書きやがって』 ・ 2010年5月7日(金)
昔(072) 『周防での偉人は奇兵隊天皇・伊藤博文・児玉源太郎の3人』 ・ 2010年5月8日(土)
昔(073) 『足利義満は後円融天皇の皇妃、三人の寵妃までも悉く陵辱』 ・ 2010年5月8日(土)
昔(074) 『難波副都はまさに都というより軍事基地』 ・ 2010年5月10日(月)
昔(075) 『683年造複都難波京詔は34年遡上説に従うと649年の出来事となる』 ・ 2010年5月10日(月)
昔(076) 『「難波宮出土須恵器」と「伊予三島縁起の番匠初め」の紹介』 ・ 2010年5月10日(月)
昔(077) 『「天下立評」為し得る勢力と言えば九州王朝倭国それも弟王家でしょう』 ・ 2010年5月11日(火)
昔(078) 『「前期難波宮は九州王朝難波副都である」可能性が高い事柄の整理』 ・ 2010年5月11日(火)
昔(079) 『又竹斯国に至り、又東して秦王国に至る。其の人華夏に同じ』 ・ 2010年5月11日(火)
昔(080) 『本来は巷苛(蘇我)の伊奈米(稲目)ー有明子(馬子)ー善徳(蝦夷か)』 ・ 2010年5月11日(火)
昔(081) 『大和王朝「日本国」が九州王朝倭国の倭王家〔分家の弟王家〕だったとはな』 ・ 2010年5月12日(水)
昔(082) 『何故、国内的には「日本書紀」が九州王朝「倭国」を抹殺したのか』 ・ 2010年5月15日(土)
昔(083) 『倭国は白村江敗戦よる唐国への戦後賠償費の支払いで疲弊・困窮した』 ・ 2010年5月15日(土)
昔(084) 『舒明は接続詞の役目で難波副都倭弟王家に属さないかも』 ・ 2010年5月16日(日)
昔(085) 『海外を古資彌凍国の「古資:こし:越」と言ったと思うが?』 ・ 2010年5月16日(日)
昔(086) 『古資彌凍国は越水門国で、継体は任那の『越水門国』の出身となる?』 ・ 2010年5月16日(日)
昔(087) 『古資彌凍国は現在の固城、書紀の古嵯、新羅以前小国名が小伽耶』 ・ 2010年5月16日(日)
昔(088) 『倭薈王(=磐井)最後の場所は宇佐の小高い丘「小倉山」頂きだ』 ・ 2010年5月17日(月)
昔(089) 『追慕の気持ちだけで、薬師寺・東大寺を建てるだろうか』 ・ 2010年5月17日(月)
昔(090) 『そもそも継体天皇とは実在人物か、うたがわしい』 ・ 2010年5月19日(水)
昔(091) 『500年代初頭の近畿に大和朝廷なるものは存在してなかった』 ・ 2010年5月19日(水)
昔(092) 『「善記」以後の倭国史を以前に継体を置くことで倭国史・元号共々を抹殺した』 ・ 2010年5月19日(水)
昔(093) 『日本には「日の出を意味する東」と「日辺に在る意味の南」の2つある』 ・ 2010年5月22日(土)
昔(094) 『又聞く日本の天皇及び太子・皇子、俱に崩薨りましぬ』 ・ 2010年5月22日(土)
昔(095) 『倭薈(磐井)王・安羅の王安(日本の天皇)・小伽耶の継体天皇は別人』 ・ 2010年5月22日(土)
昔(096) 『継体天皇が任那日本府王家遺族共々避難し、倭国を發倒(=再興)・継体した』 ・ 2010年5月22日(土)
昔(097) 『継体天皇・越国・日本国・天皇に関する項の整理』 ・ 2010年5月23日(日)
昔(098) 『継体天皇は九州王朝倭国の倭薈(=磐井)王に反逆してでの事だろうか』 ・ 2010年5月23日(日)
昔(099) 『倭国王倭薈は宇佐市の駅館川西岸の 小倉山に死亡』 ・ 2010年5月24日(月)
昔(100) 『安羅国王家が日本府と称し、その王が天皇を号した』 ・ 2010年5月24日(月)
昔(101) 『任那は九州倭国の直轄地でも大和朝廷の出先機関でもない』 ・ 2010年5月24日(月)
昔(102) 『農耕民族は太陽信仰であり、狩猟遊牧民族は北極星などの星信仰』 ・ 2010年5月25日(火)
昔(103) 『倭人は遊牧民族では無く、航海民族だった』 ・ 2010年5月25日(火)
昔(104) 『「日出づる所に近し」と「日辺に在る」とは字義が違う』 ・ 2010年5月25日(火)
● 《 つぶやき: 「 古代 」 002 》
昔(105) 『大和王朝「日本国」の前史「日本書紀」が九州「倭国」を抹殺したわけ』 ・ 2010年5月26日(水)
昔(106) 『日本書紀のからくりだ!九州元号で倭国史書をコピペした』 ・ 2010年5月26日(水)
昔(107) 『九州倭国の天下立評・蝦夷懐柔の前進基地で大和王朝のうぶすな』 ・ 2010年5月26日(水)
昔(108) 『意図的に34年の時間を操作する書物が史書であるはずはない』 ・ 2010年5月27日(木)
昔(109) 『年・元号の使用は公用は止めて、私用に限るべきだ』 ・ 2010年5月27日(木)
昔(110) 『皇太神宮儀式帳 「難波朝廷天下立評給時」』 ・ 2010年5月28日(金)
昔(111) 『郡制施行に先んじる、評制施行の史実が文書で裏付けられた』 ・ 2010年5月28日(金)
昔(112) 『「白雉年間の難波副都建設と評制の創設」へと次々展開する』 ・ 2010年5月29日(土)
昔(113) 『九州王朝難波副都の天子伊勢王こそ、評制創設の立て役者』 ・ 2010年5月29日(土)
昔(114) 『思ったより高度な測量技術が古代にあったと言うことらしい』 ・ 2010年5月30日(日)
昔(115) 『日本が「日辺にある」の南から「日出づる所に近し」の東へなった』 ・ 2010年6月2日(水)
昔(116) 『継体天皇は九州倭国の倭薈(=磐井)王をほんとうに継体したか』 ・ 2010年6月3日(木)
昔(117) 『九州王朝の「常色の改革」こそ大和朝廷「日本国」の起源だろう』 ・ 2010年6月7日(月)
昔(118) 『そもそも、大和王朝「日本国」はいつ発生したか?が問題だ』 ・ 2010年6月8日(火)
昔(119) 『「常色の大改革」を推し進めた倭国王とはどんな「王」だったか』 ・ 2010年6月8日(火)
昔(120) 『持統が大嘗したのでなく、遷都后の高市だったとわかる』 ・ 2010年6月11日(金)
昔(121) 『なんと法隆寺は、九州王朝「倭国」の版図より「移築」されていた』 ・ 2010年6月12日(土)
昔(122) 『大和王朝「日本国」・「天皇」の系譜』 ・ 2010年6月12日(土)
昔(123) 『倭⇒俀(大倭)⇒大倭(俀)⇒大和と変化し、大和を“やまと”と呼んだ』 ・ 2010年6月14日(月)
昔(124) 『「長谷寺」・「藥師寺」・「東大寺」の故里』 ・ 2010年6月15日(火)
昔(125) 『王家と軍隊だけでは、「国」はできません』 ・ 2010年6月15日(火)
昔(126) 『何で今の天皇家苗字がないんでしょうね?』 ・ 2010年6月17日(木)
昔(127) 『連邦制各附庸王国が解体し、大和朝廷の前身へ統合・強大化した』 ・ 2010年6月17日(木)
昔(128) 『多利思北孤だけのことかもしれませんが、仏教に帰依したみたいで』 ・ 2010年6月17日(木)
昔(129) 『白鳳より以来、朱雀以前、年代玄遠にして、尋問明め難し』 ・ 2010年6月18日(金)
昔(130) 『倭国の弟王家が大和朝廷なら、なんで九州年号は知らないと言ったか』 ・ 2010年6月18日(金)
昔(131) 『九州王朝倭国は暗殺された高市天皇を最後に696年亡んだ』 ・ 2010年6月19日(土)
昔(132) 『休戦協定成立后、郭務悰・唐の駐留軍は本国へ引揚げたか』 ・ 2010年6月23日(水)
昔(133) 『壬申の乱の意味合いっていうのが、変わってくる』 ・ 2010年6月23日(水)
昔(134) 『「大宰府倭兄王家」と「難波副都倭弟王家」の白村江戦後』 ・ 2010年6月24日(木)
昔(135) 『「高市天皇」暗殺が、「乙巳の変」のモデルになっている』 ・ 2010年6月25日(金)
昔(136) 『高市天皇の皇子:長屋親王は、結局は「長屋王の変」で抹殺された』 ・ 2010年6月25日(金)
昔(137) 『「偽書」じゃない歴史書なんてこの世の中に存在しない』 ・ 2010年6月26日(土)
昔(138) 『九州王朝倭国「天帰王(あまぎ・甘木)」の「常色の改革」以降』 ・ 2010年6月26日(土)
昔(139) 『真実が解かれることを願って書いたとしか思えない箇所がある』 ・ 2010年6月27日(日)
● 《 つぶやき: 「 古代 」 003 》
昔(141) 『これから「倭の国王は百済語で話す」の著者金容雲先生を取材します』 ・ 2010年6月29日(火)
昔(143) 『日本書記は、讖緯説の物差しと元嘉歴の時間歴よったのでは?』 ・ 2010年7月1日(木)
昔(144) 『出雲大社は解慕漱を祭っているのでは?』 ・ 2010年7月2日(金)
昔(145) 『軍事権・祭祀権を独占し、藤原氏独裁の思想が語られている』 ・ 2010年7月2日(金)
昔(146) 『四分暦と儀鳳暦と余り定数の違わぬ景初暦が使われなかったか』 ・ 2010年7月2日(金)
昔(147) 『金容雲(キムヨンウン)氏の著書「日本語の正体」(日本語版)』 ・ 2010年7月3日(土)
昔(148) 『日本=百済に思えるのは錯覚なのか妄想なのか?』 ・ 2010年7月4日(日)
昔(149) 『鮮卑族李朝が占領の韓半島を百済・桓武の子孫の明治天皇が取戻した』 ・ 2010年7月5日(月)
昔(150) 『そもそも百済は義慈王・豊璋で息絶えたわけで子孫がいたのか』 ・ 2010年7月6日(火)
昔(151) 『三つ足の雀=八咫烏=高句麗古墳出土の三足鳥と同じですよね?』 ・ 2010年7月7日(水)
昔(152) 『古代結負制の復元と代制の起源:新井宏氏』 ・ 2010年7月7日(水)
昔(153) 『難波宮と難波長柄豊崎宮(第268話 2010/06/19)古賀達也氏』 ・ 2010年7月8日(木)
昔(154) 『日本人でお酒に弱い人は、もしかしたら中国南部から来た集団かも』 ・ 2010年7月8日(木)
昔(155) 『「博多人は酒豪」から解く日本人のルーツ』 ・ 2010年7月9日(金)
昔(156) 『読んで眺めていたのでは駄目なので、根気良く読解け』 ・ 2010年7月9日(金)
昔(157) 『日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造』 ・ 2010年7月10日(土)
昔(158) 『難波長柄豊崎宮は分家・弟王家の伊勢王の都と言うより「住居」』 ・ 2010年7月11日(日)
昔(159) 『日本書紀は天武天皇を、「二人で一役」の合成人間で記述する』 ・ 2010年7月13日(火)
昔(160) 『1300年に及ぶ「事大主義と属国根性が染みついた民族性」』 ・ 2010年7月13日(火)
昔(161) 『三国史記新羅本紀文武王10年天智9年670年倭国更えて日本と号す』 ・ 2010年7月14日(水)
昔(162) 『なんとも言えない匂いに悪酔いしそうだった。後から聞くと「香草」だと言ってた』 ・ 2010年7月14日(水)
昔(163) 『錦川上流の広瀬付近の向畑に / 平家の落ち武者のおばあちゃんが桜の古木の花見』 ・ 2010年7月16日(金)
昔(165) 『郭務悰⇒塔務悰⇒唐無双⇒藤腹無双⇒藤原不比等じゃないかなー』 ・ 2010年7月16日(金)
昔(166) 『娜大津の磐瀬宮は伊予国宇摩郡津根・長津の村山神社:合田洋一著』 ・ 2010年7月17日(土)
昔(167) 『継体紀の「長門以東は朕がとろう、筑紫以西は汝がとれ」とは』 ・ 2010年7月18日(日)
昔(168) 『高杉晋作はフランス語のゲリラを訳して奇兵隊と造語』 ・ 2010年7月18日(日)
昔(169) 『大和王朝「日本国」がどういう経緯で忽然と極東アジアに現れたのか』 ・ 2010年7月19日(月)
昔(170) 『長門以東は朕がとろう、筑紫以西は汝がとれ。 / もっぱら賞罰を行え、ひんぴんと報告しなくともよい』 ・ 2010年7月21日(水)
● 《 つぶやき: 「 古代 」 004 》
昔(171) 『ともかく美しいのだ。日本ってこんなに緑豊かなのだって、ひとりほくそ笑んでしまう』 ・ 2010年7月22日(木)
昔(172) 『天武天皇は二人いた(日出島哲雄著)』 ・ 2010年7月23日(金)
昔(173) 『6月伊勢王とその弟の王とが、日を接して薨じた』 ・ 2010年7月23日(金)
昔(175) 『磐瀬宮は従来説では(福岡市三宅)、合田説では (伊予国宇摩郡津根・長津)』 ・ 2010年7月24日(土)
昔(176) 『倭国史の九州年号で白雉の記事を34年后の朱鳥へと置換えを知らずいきなりは無理』 ・ 2010年7月25日(日)
昔(177) 『「難波副都倭弟王家」の「近江朝」が倭国から実質的に分離独立』 ・ 2010年7月26日(月)
昔(178) 『(683年:白鳳23年)天武12年⇒(649年:常色3年)孝徳5年12月13日』 ・ 2010年7月26日(月)
昔(179) 『白村江敗戦后すぐに「近江朝」の天智は本州・四国を直接支配下に置いた』 ・ 2010年7月27日(火)
昔(180) 『唐国へ立ち向かった高句麗・百済・倭国の独立心』 ・ 2010年7月28日(水)
昔(181) 『熊野本宮大社なう、三つ足烏である八咫を祭っている』 ・ 2010年7月30日(金)
昔(182) 『金春秋は唐・新羅・秦国の東西枢軸へ参入勧誘の為に秦国へ赴いた』 ・ 2010年7月31日(土)
昔(183) 『九州王朝「倭国」が在ったことは、周辺国が認めていることだ』 ・ 2010年8月1日(日)
昔(184) 『九州王朝系の「格」の痕跡の「発見」記事の紹介』 ・ 2010年8月3日(火)
昔(185) 『隋書・伊予温湯碑・元興寺丈六光銘・やつらの舞・筑紫舞の何れも捨てがたい』 ・ 2010年8月3日(火)
昔(189) 『「常色の改革」の一環としての難波副都での「天下立評」がその発端』 ・ 2010年8月7日(土)
昔(190) 『秀吉が朝鮮戦役では、加藤清正の寅退治が有名だ』 ・ 2010年8月10日(火)
昔(192) 『百済3史は日本書紀編者がでっち上げた史書であるか』 ・ 2010年8月10日(火)
昔(194) 『「韓国は日本人がつくった:黄文雄著」を読み勉強しよう』 ・ 2010年8月12日(木)
昔(195) 『いまNHKで『韓国人の70%なぜ日本が嫌い』を放映してる、非常に興味がある』 ・ 2010年8月14日(土)
昔(196) 『伊勢王が大和朝廷の始祖王で、皇極・斉明天皇は伊勢王と同一人物だろう』 ・ 2010年8月14日(土)
昔(197) 『長江中・下流域からの直接の渡来:日本のイネに半島にない遺伝子があった』 ・ 2010年8月15日(日)
昔(198) 『「隋書」俀国伝中に、記載の『俀国』『秦王国』のいずれもが、 / 日本書紀に出て来ないのだ』 ・ 2010年8月17日(火)
昔(199) 『中国の航空母艦充実の動きは原油ルート確保の他に海外制覇でしょう』 ・ 2010年8月19日(木)
昔(200) 『毛利長州藩の英雲公の「撫育方」制度の確立、撫育金の秘密裏の貯蔵であろう』 ・ 2010年8月21日(土)
● 《 つぶやき: 「 古代 」 005 》
昔(201) 『そして改めて、「倭国は、更えて日本と号す。」について』 ・ 2010年8月23日(月)
昔(202) 『若しD因子が縄文人ならば半島の縄文人男性は全て抹殺されたとなる』 ・ 2010年8月23日(月)
昔(203) 『山口県内の文献に見える逸年号「寺社由来」『熊毛宰判呼坂村熊毛神社』』 ・ 2010年8月23日(月)
昔(204) 『女帝の推古・皇極・斉明・持統・元明・元正・孝謙・称徳を並べ立てたのは唐への恭順』 ・ 2010年8月24日(火)
昔(205) 『長門城及び屋島城は近江朝が九州王朝倭国から、 / 実質的に分離・独立したが為に必要になった』 ・ 2010年8月26日(木)
昔(206) 『法隆寺釈迦三尊の光背銘には九州年号『法興』が並行してあった』 ・ 2010年8月28日(土)
昔(207) 『昼間の刺青は萎びて見るも無残でしたが、 / 風呂に入るとお湯で光沢が出てきれいになるんですね』 ・ 2010年8月30日(月)
昔(209) 『〔 大和朝廷「日本国」出生の秘話 』〕 ・ 2010年8月31日(火)
昔(210) 『「評と郡」・「都督と評督」・「天下立評」における「わたしの理解」について』 ・ 2010年9月1日(水)
昔(211) 『米田良三著「法隆寺は移築された」』 ・ 2010年9月2日(木)
昔(212) 『「源氏物語」 と 「桂離宮(=桂殿)」』 ・ 2010年9月2日(木)
昔(213) 『韓国と日本は対馬海峡を挟んで対岸にいる。 / しかし、世界のどんな人種よりも一番近しい』 ・ 2010年9月3日(金)
昔(214) 『土地には、女が多く男が少ない。たくさん文字があり、習俗は仏法を敬う』 ・ 2010年9月5日(日)
昔(215) 『「北朝」は滅亡していた!! 南北朝秘史』 ・ 2010年9月6日(月)
昔(216) 『Jew =儒とはこじつけの最たるものではないでしょうか』 ・ 2010年9月7日(火)
昔(217) 『〔新唐書「日本」は言う〕』 ・ 2010年9月9日(木)
昔(218) 『「プロト大和朝廷」は、江戸時代の京都が大宰府で、江戸城が難波京に相当します』 ・ 2010年9月9日(木)
昔(220) 『日本書紀が列島史・半島史を切り貼りし、万世一系の皇統譜をでっちあげた』 ・ 2010年9月12日(日)
昔(221) 『古田武彦氏を囲む古田史学の会による長年の研究成果がようやくあらわれてきた』 ・ 2010年9月12日(日)
昔(222) 『倭国王分家の弟王家が難波副都に常駐し、「天下立評」を推進した』 ・ 2010年9月13日(月)
昔(223) 『秦王国はどこか「出雲・加賀・吉備・尾張・毛野(常陸)」 / でないとすれば飛鳥・葛城の他に無い』 ・ 2010年9月17日(金)
昔(224) 『古田武彦氏は同時代の赤壁戦いから確か70m位だと書かれてたはず』 ・ 2010年9月17日(金)
昔(225) 『法隆寺釈迦三尊の光背銘には、『①法興元31年、歳次辛巳(621)』 ・ 2010年9月17日(金)
昔(226) 『歴史偽造の本家本元は中国で日本へは半島経由入った』 ・ 2010年9月18日(土)
昔(227) 『最初は鹿島昂氏の秦国が日本国の前身かとも考えましたが』 ・ 2010年9月18日(土)
● 《 つぶやき: 「 古代 」 006 》
昔(228) 『「日韓併合」の真実:水間政憲著』 ・ 2010年9月19日(日)
昔(229) 『朝日新聞地方版のマイクロフィルムの中から、 / 「大阪朝日新聞・朝鮮版」がたまたま見つかったからです』 ・ 2010年9月20日(月)
昔(230) 『〔朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実〕 / 〔韓国が主張する「七奪」は日本の「七恩」だった〕:水間政憲 著』 ・ 2010年9月21日(火)
昔(231) 『まさか、特捜の主任検事が証拠品改ざんだって』 ・ 2010年9月21日(火)
昔(232) 『古代ローマと秦の始皇帝の焚書(ふんしょ)坑儒(こうじゅ)』 ・ 2010年9月22日(水)
昔(233) 『日本府・天皇を最初に名乗ったのは安羅国王』 ・ 2010年9月24日(金)
昔(234) 『新羅の法興寺は647年頃完成し、毘曇の乱に同時期である』 ・ 2010年9月24日(金)
昔(235) 『壬申の乱の瀬田の戦いの場所は熊本県大津町の瀬田である』 ・ 2010年9月25日(土)
昔(236) 『九州王朝「倭国」は、いつ滅亡したか?』 ・ 2010年9月25日(土)
昔(238) 『吉野ヶ里遺跡は九州王朝倭国の歴代の王墓だった。 / 長江中流域に甕棺のルーツがある』 ・ 2010年9月25日(土)
昔(241) 『巻向遺跡が「邪馬台国」の女王卑弥呼の宮殿であるかのような報道がなされましたが』 ・ 2010年10月2日(土)
昔(243) 『蘇我臣蝦夷らが、誅されるに臨んで、ことごとく天皇記、国記、珍宝を焼いた』 ・ 2010年10月5日(火)
昔(246) 『朝日新聞」1959年7月13日付けの記事でしょうから、写真をご参照』 ・ 2010年10月7日(木)
● 《 つぶやき: 「 古代 」 007 》
昔(247) 『大和王朝は難波副都で「天下立評」した九州王朝倭国の倭王家〔分家の弟王家〕だ』 ・ 2010年10月7日(木)
昔(248) 『「評」の淵源についての若干の考察(川西市・正木裕)』 ・ 2010年10月9日(土)
昔(249) 『朕が天智で物部麁鹿火大連が大海人皇子の天武天皇だとしたらどうだろう』 ・ 2010年10月10日(日)
昔(250) 『しらぬひの 筑紫の綿は 身に付けて いまだは着ねど 暖けく見ゆ』 ・ 2010年10月13日(水)
昔(252) 『まぼろし の 邪馬壱(臺)国 は、どこか?』 ・ 2010年10月15日(金)
昔(253) 『筑紫君薩夜麻(=天武天皇・白鳳王)の倭国白鳳王復位宣言』 ・ 2010年10月17日(日)
昔(254) 『〔「逆賊磐井は国父倭薈だ」米田良三著〕 / 倭薈の死は筑後国風土記 逸文「磐井の墓」』 ・ 2010年10月20日(水)
昔(255) 『里山の復活といっても、みんな町へ引っ越してしまい』 ・ 2010年10月21日(木)
昔(256) 『今一度伊勢王と甘木王のことを知りたくなって改めて見直している』 ・ 2010年10月25日(月)
昔(257) 『斉明天皇は九州のどこにいたか?』 ・ 2010年10月25日(月)
昔(258) 『「胸に卍文、掌に輪宝文、足の裏に瑞祥文」の刺青を描いていたという』 ・ 2010年10月26日(火)
昔(259) 『九州年号・書紀天皇表〔九州年号の34年繰り下げ/50年繰り上げ〕』 ・ 2010年10月26日(火)
昔(260) 『いえ上陸地は有明海に注ぐ佐賀市、嘉瀬川で間違いありません』 ・ 2010年10月30日(土)
昔(261) 『長門以東は朕がとろう。筑紫以西は汝がとれ』 ・ 2010年10月31日(日)
昔(262) 『真実は明確なほど、忘れ去られている』 ・ 2010年11月3日(水)
昔(264) 『万人の眼前に輝く「真実の歴史」こそ、人々の認識の外におかれている』 ・ 2010年11月7日(日)
昔(265) 『新羅本紀「阿麻来服」と倭皇天智帝:西井健一郎氏』 ・ 2010年11月8日(月)
昔(266) 『〔薩夜麻の「冤罪」II:正木裕〕書紀では「筑紫」が完全にカットされている』 ・ 2010年11月11日(木)
昔(267) 『封禅の儀で倭王と倭国の体面が保てるよう尽くした事』 ・ 2010年11月11日(木)
昔(268) 『郭務悰⇒塔務悰⇒唐無双⇒藤腹無双⇒藤原不比等じゃないかなー』 ・ 2010年11月11日(木)
● 《 つぶやき: 「 古代 」 008 》
昔(271) 『大伴博麻は自身を奴隷に売って筑紫君薩夜麻の帰国を援けたか』 ・ 2010年11月15日(月)
昔(272) 『甘木王即位后、唐の侵略に対抗する為「常色の大改革」を次々断行』 ・ 2010年11月16日(火)
昔(273) 『日本国を、文武天皇は「日辺にある」、天智天皇は「日出づる所に近し」』 ・ 2010年11月17日(水)
昔(274) 『〔古賀達也の洛中洛外日記〕 / 『第196話 2007/11/16「大化改新詔」50年移動の理由』』 ・ 2010年11月17日(水)
昔(275) 『大和王朝は難波副都で「天下立評」した / 九州王朝倭国の倭王家〔分家の弟王家〕だ』 ・ 2010年11月18日(木)
昔(276) 『「倭国から日本国への政権交代は?」禅譲・放伐論争シンポジウム』 ・ 2010年11月19日(金)
昔(277) 『九州王朝「倭国」は、いつ滅亡したか?それは「日本書紀」のおわりに書いてある』 ・ 2010年11月21日(日)
昔(280) 『ではこの『近江に遷都した』以前天智天皇はどこにいたか〔難波に居た〕となる』 ・ 2010年11月25日(木)
昔(281) 『私の「日本書紀の正体がわかった」の方がずっと面白いと思うよ』 ・ 2010年11月26日(金)
昔(282) 『北辰とは北極星、太一のことで天皇大帝のシンボルとして / 中国皇帝の時代から習合されていた』 ・ 2010年11月27日(土)
昔(283) 『泊瀬女の 造る木綿花 み吉野の 瀧の水沫に 咲きにけらずや』 ・ 2010年11月29日(月)
昔(284) 『[大和王朝「日本国」出生秘話]・「九州:大和のできごと対比年表」』 ・ 2010年12月2日(木)
昔(285) 『あんれ、同じ意見?⇒ 楮の繊維で作った神祭りの幣帛のことを / 木綿「ゆう」といいました。「もめん」ではありません』 ・ 2010年12月4日(土)
昔(286) 『イスタンブールで、オスマン・トルコ歴代皇帝の墓を見たときに、 / 普通の日本人の墓と同じ質素だった』 ・ 2010年12月4日(土)
● 《 つぶやき: 「 古代 」 009 》
昔(287) 『大和朝廷「日本国」の出生が、 / 日本書紀のいう神武の東征からというのは正しいのか』 ・ 2010年12月8日(水)
昔(288) 『淑人(よきひと)の よしとよく見て 好(よ)し言ひし / 芳野吉(よ)く見よ 多良人(たらひと)よく見』 ・ 2010年12月12日(日)
昔(289) 『淑人を古田武彦氏は唐の郭務悰だと言うが、 / 唐より帰国直後の倭王薩夜麻ではないか』 ・ 2010年12月14日(火)
昔(290) 『この伊勢王こそ、「遷都平城京1300年祭」の / 奈良朝、大和朝、近江朝、プロト大和朝、のいわば「始祖王」だ』 ・ 2010年12月16日(木)
昔(291) 『「壬申大乱の駅鈴問題」と「古代の大動脈・大宰府道」について』 ・ 2010年12月17日(金)
昔(292) 『高校の国語で意味不明な解釈を押し付けられて、 / 一気に嫌な柿本人麿にされてしまった』 ・ 2010年12月22日(水)
昔(293) 『唐の倭国占領政策は行き詰まっていた。 / その解決策が「倭王」薩夜麻の解放・帰国だった』 ・ 2010年12月22日(水)
昔(294) 『「駅鈴」は何に使われたか、ちょうど戊辰戦争時の「錦の御旗」のように使われた』 ・ 2010年12月22日(水)
昔(295) 『総集編 〔大和朝廷「日本国」出生秘話〕 今年その何たるかを語り終えたかな(1) 』 ・ 2010年12月26日(日)
昔(296) 『総集編 〔大和朝廷「日本国」出生秘話〕 今年その何たるかを語り終えたかな(2) 』 ・ 2010年12月26日(日)
昔(297) 『総集編 〔大和朝廷「日本国」出生秘話〕 今年その何たるかを語り終えたかな(3) 』 ・ 2010年12月27日(月)
昔(298) 『総集編 〔大和朝廷「日本国」出生秘話〕 今年その何たるかを語り終えたかな(4) 』 ・ 2010年12月27日(月)
昔(299) 『総集編 〔大和朝廷「日本国」出生秘話〕 今年その何たるかを語り終えたかな(5) 』 ・ 2010年12月27日(月)
昔(300) 『総集編 〔大和朝廷「日本国」出生秘話〕 今年その何たるかを語り終えたかな(6) 』 ・ 2010年12月28日(火)
昔(301) 『総集編 〔大和朝廷「日本国」出生秘話〕 今年その何たるかを語り終えたかな(7) 』 ・ 2010年12月29日(水)
昔(302) 『総集編 〔大和朝廷「日本国」出生秘話〕 今年その何たるかを語り終えたかな(8) 』 ・ 2010年12月29日(水)
● 《 つぶやき: 「 古代 」 010 》
昔(303) 『嘉瀬川が初瀬川(=泊瀬川・長谷川)というのは分かりますが、 / 吉野川だというのは、今一納得出来ません』 ・ 2010年12月30日(木)
昔(304) 『《み吉野の瀧》って、そもそも、どの川にあった滝なのか?』 ・ 2010年12月31日(金)
昔(305) 『わぁーま・まさか、感激です。 / 古田武彦ご本人とtwitterでお目にかかれるとは、お孫さんに感謝です』 ・ 2011年1月3日(月)
昔(306) 『古田武彦師のこの柔軟な発想はどこから湧き出るのでしょうね^^』 ・ 2011年1月5日(水)
昔(307) 『吉備の津の采女の死(みまか)りし時に、 / 柿本朝臣人麿の作れる歌一首並せて短歌』 ・ 2011年1月5日(水)
昔(308) 『鹿島:高市が新羅人だということは「万葉集」にかいてあります』 ・ 2011年1月10日(月)
昔(309) 『高市皇子の尊の、城上(きのへ)の殯宮の時、 / 柿本朝臣人麿がよめる歌一首、また短歌』 ・ 2011年1月10日(月)
昔(310) 『この長歌199の中身は「真冬から早春にかけて」で壬申乱の歌ではとてもないのだ』 ・ 2011年1月10日(月)
昔(311) 『久堅乃 「天帰(=甘木)」月乎 網尓刺 我大君者 蓋尓為有』 ・ 2011年1月11日(火)
昔(312) 『万葉歌239・240は661年「甘木王」事故死、万葉歌199・200は / 白鳳2年(662年)、洲柔戦で「明日香皇子」行方不明を歌う』 ・ 2011年1月14日(金)
昔(313) 『万葉歌の標訓は、直して解釈しないと、 / なんとも意味不明な愚歌といわれても仕方ないだろう』 ・ 2011年1月16日(日)
昔(314) 『九州年号「白鳳」は、661ー684年で、 / 白村江敗戦で倭国は実際には滅亡寸前だったのだ』 ・ 2011年1月16日(日)
昔(315) 『《うつけ と たわけ》上通下通婚の「婚」を「たわけ」といったそうです』 ・ 2011年1月16日(日)
昔(316) 『1年ぶりの 「持統紀」はなかった(「高市紀」だった):飯田満麿著』 ・ 2011年1月18日(火)
昔(317) 『再々度:天武天皇は二人いた(日出島哲雄著)』 ・ 2011年1月19日(水)
昔(318) 『〔近江朝遷都・天智『天皇』即位・『日本』号す〕が象徴するのは、 / 『長門以東』の『独立』だ』 ・ 2011年1月20日(木)
● 《 つぶやき: 「 古代 」 011 》
昔(319) 『法隆寺の金堂や五重塔は大宰府の観世音寺から移築されたものだった』 ・ 2011年1月21日(金)
昔(320) 『〔法隆寺移築説の原点である観世音寺・考:米田良三論〕 / これは、古賀達也氏対する公開討論』 ・ 2011年1月22日(土)
昔(321) 『『源氏物語』と『和泉式部日記』と『旧唐書』は、 / 同じ事件を三様に記録していることが分かります』 ・ 2011年1月23日(日)
昔(322) 『礎石の位置関係からそれにのっていた建物の規模が、 / 明らかにワンランク下であったのだ』 ・ 2011年1月23日(日)
昔(323) 『「法興寺⇒法隆寺移築⇒跡地に1ランク下の観世音寺建造は可能」 / の技術的根拠』 ・ 2011年1月25日(火)
昔(324) 『「法隆寺移築説の原点である観世音寺・考:米田良三論」は、 / 屋上屋を架す(重ねる)ではないか』 ・ 2011年1月27日(木)
昔(325) 『単に〔法隆寺は移築された〕では、済まされない「内容」なのだ』 ・ 2011年1月27日(木)
昔(326) 『表仁、綏遠の才無く王子と礼を争い、朝命を宣べずして還る / ●⇒ま・まさか @@ 源氏物語で、ここまで分るか』 ・ 2011年1月28日(金)
昔(327) 『唐の冊封要求を、倭王子・為尊親王は拒絶。 / 唐使・高表仁と言い争いになり、切られてしまう』 ・ 2011年1月28日(金)
昔(328) 『地蔵菩薩さまと神功皇后さまとは、どのような御関係なのでしょう』 ・ 2011年1月29日(土)
昔(329) 『観世音寺の東隣の井戸遺構の中から「東院」と書かれたかわらけが発掘されている』 ・ 2011年1月29日(土)
昔(330) 『倭国副都難波宮で先鞭の天下立評(評制)を、 / 後の藤原京での原・大化改新(郡制)で覆い隠し亡きものにした』 ・ 2011年1月30日(日)
昔(331) 『天武天皇は二人いた、の傍証「帝位に即いた」、他の天皇は「天皇位に即いた」』 ・ 2011年1月31日(月)
昔(332) 『しばらくして、移築を認める内容の手紙をいただいたのはその償いかも知れない』 ・ 2011年1月31日(月)
昔(333) 『大唐の大使郭務悰が天智天皇のために造った阿弥陀像を送りたてまつれ』 ・ 2011年1月31日(月)
昔(334) 『何故「東面回廊は、倒壊したままの状態で」放置されたか?』 ・ 2011年2月2日(水)
● 《 つぶやき: 「 古代 」 012 》
昔(335) 『672年の壬申の乱の記述は、裏に倭国滅亡を含くんでいる?』 ・ 2011年2月2日(水)
昔(336) 『「近畿王家」は漢風諡号を制定し、開元初年(713)の / 粟田真人を正使とする遣唐使によって「新:皇統譜」が報告された』 ・ 2011年2月4日(金)
昔(337) 『追い討ちの「筑紫大地震678年」、 / その后の「倭国の難波への王権の禅譲・難波遷都」』 ・ 2011年2月4日(金)
昔(338) 『長谷寺跡:佐賀県の泊瀬(現在、初瀬川が流れる)には、 / 杉神社以外に、本堂跡の近くに鏡神社が現存し、祭神は息長足姫尊』 ・ 2011年2月4日(金)
昔(339) 『面倒くさいから、何でも良いんだ。 / だってさ、やれやれだな。倭国があろうが無かろうが、知ったこっちゃない』 ・ 2011年2月8日(火)
昔(340) 『杉神社確認しました:祭神、仲哀天皇、神功皇后、竹之内宿禰 / 1264年野田周防守が香椎宮より分霊とあり』 ・ 2011年2月9日(水)
昔(341) 『それにしても、なんで、そんな山間部に長谷寺なんでしょうね? / 又、お寺の跡地に杉神社です?』 ・ 2011年2月10日(木)
昔(342) 『「八幡大菩薩大明神」の掛け軸、これって神道ですよね。 / でも「南無」「菩薩」「多宝塔八幡」とかは仏教用語』 ・ 2011年2月11日(金)
昔(343) 『「東国国司(招集・賞罰)詔の実年代』をもとに、「高市暗殺の前か・後か」で区別して検討すると、 / 「筑紫朝廷」が、どのように滅亡し、「大和朝廷」にバトンタッチしたかが分かる。 』 ・ 2011年2月13日(日)
昔(344) 『源氏物語に玉蔓だっけ、長谷寺のふもとの“椿市”なる所で落合うのってありますよね。 / 現在地名何処だと?』 ・ 2011年2月14日(月)
● 《 つぶやき: 「 古代 」 013 》
昔(346) 『白村江の会戦の年代の違いを検討する:中国山東省曲阜市 青木英利氏寄稿 』 ・ 2011年2月15日(火)
昔(347) 『古代の時代からの博多・福岡の歴史遺産の掘り起こし。 / 福岡城・鴻臚館の復興も是非ご検討下さい』 ・ 2011年2月17日(木)
昔(348) 『「源氏物語」は、九州王朝「倭国」の最盛期の / 一番華やかなりし頃の601年-653年の筑紫が舞台だ』 ・ 2011年2月18日(金)
昔(349) 『杉神社(=初瀬寺・長谷寺)から、初瀬川沿いに三瀬峠を越えて / (JR博多駅西隣の)住吉大社にお参りをする』 ・ 2011年2月19日(土)
昔(350) 『(再度)真実が解かれることを願って書いた / としか思えない箇所がある:2010年6月27日(日)』 ・ 2011年2月21日(月)
昔(351) 『従来の連邦制と異なる中央集権的政策である / 「天下立評(=全国評制施行)」の完全実施』 ・ 2011年2月22日(火)
昔(352) 『九州年号「白鳳」について云えば、ちょうど「昭和」にそっくり同じだ』 ・ 2011年2月23日(水)
昔(353) 『帰結は《「倭国王」高市の自らが遷都に伴って、 / 寺社仏閣の移築命令を出した》となる』 ・ 2011年2月24日(木)
昔(354) 『「茅原大墓古墳」で、盾に人の頭を乗せた4 世紀末ごろの / 「盾持ち人埴輪」が見つかった』 ・ 2011年2月27日(日)
昔(355) 『「天下立評(=全国評制施行)」が、如何に革命的だったか? / その結果が「大和朝廷」の誕生なのだと言える』 ・ 2011年3月1日(火)
昔(356) 『福永光司著「道教と古代日本」(1)「天皇」「真人」の項に、 / 「古代日本の天武・持統の頃云々」』 ・ 2011年3月1日(火)
● 《 つぶやき: 「 古代 」 014 》
昔(358) 『その後、卑弥呼を離して脊振山地を越えた伊勢の国に伊勢神宮として祭った』 ・ 2011年3月2日(水)
昔(359) 『卑弥呼の墓の覆い屋は巨大な象を思わせる造りで象山(きさやま)と呼ばれ』 ・ 2011年3月4日(金)
昔(360) 『筑紫野市山中に「平等寺」の地名があり、 / 現地には「昔立派な寺があって価値ある宝物が所蔵」の言い伝え』 ・ 2011年3月4日(金)
昔(361) 『「干食王后が百済王室の一員であった」とすれば、 / 百済観音と慕ったことは必然である』 ・ 2011年3月5日(土)
昔(362) 『この時点、九州王朝「倭国」の都「大宰府」で倭国元号とは別に、 / 西暦が移入され既に認識されていた』 ・ 2011年3月7日(月)
昔(363) 『小袖で登るわけではないが、主には方位の感覚をと、 / 高松塚、キトラにみえるような敦煌に嵌っているはずだ』 ・ 2011年3月7日(月)
昔(373) 『歴史は教える、九州王朝「倭国」の滅亡の直接の引き金が、 / 『筑紫大地震(678年)推定震度「7.1以上」』である』 ・ 2011年3月13日(日)
■