向山先生をたどる旅

 ビートルズファンならイギリスリバプールへ行くだろう。
 憧れを持った者なら誰でもそうするように、私も向山先生の活躍した場所を尋ねたくなった。
 JR五反田駅。ここは、向山先生の活躍する向山ランドの入り口である。
 これから、TOSSの最前線、TOSSビル、TOSSインターネット事務局をはじめ、お勤めになった小学校の数々という向山洋一先生の足跡をたどる旅をはじめるのである。

 朝、9時過ぎ、五反田駅まえの吉野屋で朝飯を食べ、東急池上線の改札を探す。




 池上線の乗り場は駅前の東急デパートの4階にあるようだ。階段で4階まで上がり、切符を買う。すでに心は踊っている。おたくとはなんとおセンチな生き物であろう。向山先生がこの駅を使い、電車に乗ったのだと思っただけで嬉しくなってしまうのである。自動改札を抜け、ホームに向かう。ちょっとくたびれた感じの駅舎もまた雰囲気を演出する。古ぼけているということは、昔と変わりないということである。教師修行十年のあの若きころの向山先生のころに思いを馳せる。

 五反田から旗の台までは駅にして4駅。時間にしてもたかだか10分足らずである。
 車窓から見えるのは、東京の込み入った古い住宅街である。荏原中延(えばらなかのぶ)の駅をとおりすぎたあたりで、気分は最高潮。いよいよ旗の台である。
 旗の台の駅は、またいっそう歴史を感じさせるような駅である。
 この駅は、東急大井町線との乗換駅なので、なおいっそう込み入った感じがする。

駅を出る。
 下町というか、洗練されすぎていない懐かしい感じがする。ははぁん、なるほど、演歌を聞きながらお仕事をされる向山先生の姿とぴったりマッチする。人間味あふれるといった感じがする町と向山先生の雰囲気がぴったりとイメージとして結びついた。
 どうも、効率のよい出口では無かったようで、踏切を渡り、ガードをくぐってケンタッキーフライドチキンのおじさんを遠目に見ながらその先に昭和大があるのを確かめ右に曲がった。





歩く人は、なぜだかきちんとした格好をした人が多い。アルペンホルンのような商店街のトレードマークが建ち並ぶ道を進むとぱっと目に飛び込んだのが「いこい鮨」である。
 おお、これがかの有名ないこい鮨。向山先生の教室ツーウェイ(明治図書)の編集長日記には「いこい寿司」と書かれていることが多いのですが、正しくは「いこい鮨」であったのです。(おたくとはかくもこまかなことをつべこべ言うけむたい存在であります)
 いこい鮨はまだ支度中ということで(そりゃ朝の10時に開いてっこないですが)先に進む。
 これから向かうのはTOSSビルである。



文教大学学園は今日は学園祭なのでありましょう、にぎやかな装飾がある。そんなものには目もくれずに先を急ぐ。
 線路の上を超える歩道をあるき、住宅街の路地を左に曲がると、あった!!黄色い壁にシャッターがつき、その上には東京教育技術研究所 TOSS の文字!ここから発送がされているのだなぁと感慨ひとしお。頭脳の中枢、運動の最前線。みられただけで満足。



次にTOSSインターネットの建物を探す。
 しかし、どうさがしてもみつからない。近くに停車していた宅急便のメール便配達の方に聞いてみる。「いくつかありますけど、この先にもあります。」と親切に教えてくれた。さすがヤマト運輸である。
 亀屋酒店さんを右にまがると、ありましたありました、ガラスにTOSSインターネットランドの文字。気分は探検隊。そしてみつけた宝物。(30過ぎた男がトホホ…)表情を変えずにとおりゆく人の目を気にしつつ記念撮影。事務所のみなさん、決してご迷惑はかけませんので、撮影くらいはお許しください。



さて、次は調布大塚小学校である。なぜ調布大塚小学校かというと、旗の台から一番近いからである。本当は向山先生のお仕事では、最初に大森第四小学校、次に調布大塚、雪谷、池雪、多摩川小という順番であるが、ここは効率を考えてやむなく順路変更。
 旗の台から長原、洗足池、石川台と過ぎて雪ケ谷大塚までほんの7分ていど。旗の台は木製ベンチに木製のホームの屋根の支柱だったのに対して、雪ケ谷大塚の駅はちょっと新しくてきれい。
 外に出ると、いきなり広い通り。環七と環八を結ぶ中原街道である。








調布大塚小学校は。駅からほんのちょっと先、でもこんなところに学校なんてあるのかな?と思いつつ進む。三井銀行を過ぎ。右に曲がると一気に住宅街になる。車庫に停めてあるのは外国車がけっこうある。すると、とつぜん門が見え、向こうに校舎が見えた!これが大塚の教育で有名な調布大塚!
 長野県の広々、24時間開放の学校ばかり見ている私にとっては、なんともこぢんまりした学校。しかし、ここがまさしくまぎれもなく日本中に発信され驚愕された授業が生まれた場所なのである。グランドは砂で、校舎の屋上に柵がある。今日は体育館開放中で校門がすこし開いているらしい。自由にはいれないのが東京流である。
 学校を一周まわって駅に戻る。





実は、向山先生の勤務された学校というのは、大森第四小を除いて徒歩で歩けるほど、隣接している。雪谷大塚駅のすぐわきの踏切を渡って、次は雪谷小学校へ向かう。にぎやかな繁華街を過ぎると、また閑静な住宅街にでる。多少の地形の起伏はあるものの、ほとんど平らである。





さらに進んで踏み切りから6分、雪谷小学校前という信号にたどり着く。しかし、学校が目立たない。さらに進むと、あるある。これがあの雪谷小だ。住宅街と道一本柵ひとつ隔てて存在する小学校の校舎は、ぎっちり詰まってますという感じ。ここでも長野県の小学校との違いを痛感。しかし、狭いながらもちゃんとへちま棚もあるし、栽培活動もしている。校舎に囲まれた校庭で向山先生が運動会をしたんだなぁと思うだけでまた感動。






次は、池雪小学校を目指す。
 雪谷小学校の近くに川があり、その横を川とともに下っていく。やはり住宅街が続く。左手にすごい坂がある。この当りは地形の起伏が激しいらしい。雪谷の谷がつくくらいだから、なにかしら地形に変化があるんだろう。そういえば市ヶ谷も坂だ。渋谷も坂だ。
 雪谷中学も過ぎて通りを一本変え、さらに歩く。10分も歩いた当りで、左手坂の上にみどりのフェンスが見えた。あっ!あれは学校っぽい。行ってみるとありました。池雪小。










今までの小学校の中で一番大きいなぁと感じる小学校。さっそく周囲をぐるっと回ってみる。校庭とそれを取り巻く後者が見える。ぐるっと回って、やはり校舎のすぐわきの柵と道路を挟んで四方を住宅街がすぐに接近している。 
 伝説の授業はここでも生まれたのだ。また大感動。
 実際の教室を見てみたかった。今はDVDでみるばかりである。

あんまり歩き回ったので、さすがにくたびれた。雪谷大塚駅まで戻る気力もなく、池雪小学校の横の道にバス停があったので、バスに乗ることにする。
 東急のバスは10分おきくらいにあるようで、すぐに来た。このバスは、大森駅行きだが、途中東急の池上駅にも寄るらしい。運賃はどれだけ乗っても210円。池上駅に向かう。

池上駅から次の目的地多摩川小学校に行くこともできたが、はなっからタクシーになど乗るつもりのない私は、少しでも距離を稼ごうと、東急多摩川線の矢口の渡し駅まで電車で行くことにする。ずいぶん距離的には無駄な感じだが、一旦東急蒲田駅まで行き、東急多摩川線に乗り換えて矢口の渡し駅まで行くのである。運賃は120円。初乗りの運賃でいける。
 
 矢口の渡し駅は比較的小さな駅であった。
 しかし、駅を出たとたん、活気ある商店街が広がった。



商店街を左に進み、セブンイレブンの先を右に曲がれば、あとは一直線である。
 広い通りを横切る。左のほうには大きな橋が見える。
 あれは多摩川を渡る橋だ。
 さらに進むと、左にはマンションが立ち並ぶ住宅街だ。
 しかし、「製作所」と名のつく工場もちらほらとある。



あれ?本当にこっちだろうか?と思うころにあった。屋上のフェンスに多摩川小学校の文字。
 これが向山先生最後の6年生の学級を持った多摩川小学校だ。
 ぐるっと一周回る。多摩川の土手のすぐ脇の小学校は、ちょっと広々とした感じのする学校であった。ここは今でも舘野校長先生が学校を取り仕切っておられるのであろう。





矢口の渡しの駅までまた戻り、京急梅屋敷駅に向かう。
 いよいよ最後の小学校、大森第四小学校だ。
  行きかたはこうだ。
 東急の蒲田駅まで行き、そこから歩いて15分くらい。京急の蒲田駅までいって大森第四小の最寄り駅、梅屋敷まで行くというわけだ。
 東急蒲田駅は、JR蒲田駅と同じ敷地だが、そこから商店街を抜けて京急の駅まで行く。商店街の入口には「京急蒲田駅近道」と書いてある。
 道なりに進んでいったら迷ってしまった。
 すぐに正しい道はわかったが、少々うすぐらい道である。

京急蒲田駅の駅できっぷを買う。梅屋敷までは130円。駅にして1つである。
 梅屋敷の駅はホームが短いらしく、前より4両しか扉が開かないらしい。前の方で待つ。

梅屋敷の駅にはすぐについた。
 降りると、商店街の雑多な感じがすぐに目に飛び込んできた。
 活気のある街だ。






踏み切りをわたりしばらくいくと国号15号に突き当たる。
 そこをわたってなお進むと、すぐに焼き鳥のいいにおいが漂ってくる。焼き売りしているのだ。
 地図では商店街から一本向こうの道をずっとずっとひたすらまっすぐに行けば大森第四小学校である。
 早速歩き始める。
 まったく普通の住宅街である。しかし、とても懐かしい感じのする街だ。
 さびた屋根の小屋なども目に入ってくる。

八幡神社ひめゆり幼稚園は、取り壊されたらしく広い空き地になっていた。きっと向山先生も昔この神社は見たに違いない。







国号131号線は、横断歩道がない。
 仕方なく向こうの横断歩道まで歩いていく。
 途中、実にふるいお米屋さんがあった。
 向こうにわたり、大森東4郵便局まで歩き、その先を曲がる。



 細くてふるい家並みを見ながら進むと、橋の下に道があるところにでる。
 地図で見ると、どうも蒲田中学のあたりからずっと道が平行してきていて海に向かっており、そこをわたるように橋がある。昔は川でも流れていたのだろうか。





ここを超えればいよいよ大森第四小学校は間近である。
 ガソリンスタンドを過ぎて、金属加工をしているのであろうか、「製作所」と名のつく工場がみえ、モータがまわり金属が擦れ合う音が響いてきた。









大森第四小学校が見えた!
 商店街の前にある。これが向山先生の最初の赴任地である。
 いつからこの校舎なのであろう。
 たぶん、立て替えらてはいないのだから、向山先生のいたときの校舎であろう。
 向山先生は昭和43年から50年までこの学校でお勤めになられた。
 その間には次のような出来事があったようである。
 
 43年 3月20日 防音鉄筋校舎完成(昭和45年5月11日防音改築工事完了)
 48年 5月25日 開校40周年記念式挙行
         (大森第四小学校HPより)

 それ以後は立替などは内容なので、多分この校舎だ。
 3年生の教室はどこだったんだろう?
 この校庭で若き日の向山先生が授業をされたんだ。
 そう思えば、なんともタイムスリップするような気分になった。
 それをさせる周囲の雰囲気があるのである。
 うらに回って正面玄関に、ふるい校章と少女の像があった。






それから工場街を抜けて海にでた。
 羽田空港から飛び立つ飛行機の音が、ごおっとなった。
 向山先生の全ての赴任地を見た。
 
 向山先生の実践の生まれた土地に立つことでエネルギーがわく気がした。

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