生まれるまでの日記
おともだち
ゆうくんとみいくんが生まれてくるまで2回入院し、仕事も少々しました。
そのときの日記です。
エコーにうつるまで〜8月
毎日なんとなく憂鬱で、やるきのない日が続きました。おかしい、と思い病院に行くと赤ちゃんがいることがわかり
ましたが、エコーにはうつりません。エコーにうつらないのは小さすぎるからだろう、、と言われた
けど、実はその時出血もしていたので、生きているかどうかもわからず、不安がいっぱいのスタート
となりました。出血の治療で2〜3日おきの受診。それから1週間後、ようやく小さな小さな豆粒
のような胎児ちゃんを発見。たった1週間だけど、その1週間はとっても長くかんじました。いる事
はわかっても、まだ心臓のドキドキを確認できず、生きてるかどうかはわからないと言われました。
先生が、私の気持ちを考えながら慎重に言葉を選んで話してくださるのが分かったけど、何を言われ
ても不安になりました。ただ、なんとなく元気に生きている予感はありました。その1週間後、心臓
の音を確認!恥ずかしいことに、感動でないてしまいました。
えっ?ふたごちゃん!!〜9月
そろそろ妊娠4ヶ月目ころ、いつものように検診へ行くと、エコーを手にする先生の動きが止まり
「あれえー??」と言いはじめました。私はどっきり!!何かあったのか。いろんなことが脳裏
をめぐりました。「2つある」と先生が言いました。=「2人いる。」−−−ふたご??
想像もしていなかったので、おどろきました。それから不安でした。自分が双子を健康に生めるかどうか、
育てられるか、それから周りの反応も不安でした。とにかく頭に双子の文字が全くなかったので、
素直に喜ぶことが出来なかったのが正直な感想です。
偉大なる母〜9月続き
双子発覚から数分後、まずはだんなさんに報告。なんとなく浮かない声・・・。後から聞くと、私と
同様やっぱりふあんだったらしい。私がここまででも不安定な状態だったのでそれは勿論不安に決まって
ます。次に母に報告。返ってきたのはなんとも明るいいつもの声。しかも大喜び大笑い!!
「お母さんウレシイ〜ッ。一気に2人のおばあちゃんかあ〜。」この言葉に私はすっかり元気と自信を
取り戻したのでした。そして、母の偉大さはここから更にもっともっと発揮されていくのでした。
双子を妊娠したら、将来を心配するより、選ばれたと思って自信をもつのがいいかも・・・。と思う今日この頃です。
初めての入院〜9月末
9/27日、出血が止まらなくなり、病院へ行くと入院を勧められました。いよいよ管理入院です。
私は仕事を休まなくてはならなくてたくさんの人に迷惑をかけながらの入院となりました。
1週間の入院のつもりが、「よし!退院」という日に出血したりし、結局1ヶ月ちょっとかかって
しまいました。個人病院で、全くの個室。テレビと窓がお友達で話しかけてくれるのは、朝のドクター
の回診と、朝夕2回の看護婦さんの検温時のみ・・・。他の患者さんとすれ違うこともなくぼーっと
してるのみの毎日。歩くことも、考えることもほとんどしませんでした。こんなにヒマなはずなのに、
1日はあっという間にただすぎていきました。→ダラダラシテイレバ時間ハ早クスギル
こんなに何もせず過ごしたので、1ヶ月ぶりに外に出た時は風の匂いに排気ガスを感じたり
車の騒音がやけに気になったりしました。
そして入院した時は半そでを着ていたのに、退院したら11月で寒くなっておリ、年賀状の予約販売
が始まっていて、タイムスリップしたような気分になりました。
心待ち〜入院中
入院中、暇な私が楽しみにしていたことは、まず「胎動」です。いつ胎動がくるのか、毎日
お腹を気にしてました。ところがやっと来たのは退院間際の10/26頃。グニュってかんじです。でも
この時はまだ一人ずつの胎動としてはかんじられませんでした。
夫
私の夫は基本的に優しい人です。初めて会ったときは世の中にこれほどノンビリ
している男の人がいるのか・・・!と不思議に思ったくらいです。のんびりしている
のはよく知ってましたが、結婚式の時、友達のスピーチでも「時間にルーズ」とみんなから
言われていたので、そこまで重症だった事にまたも驚かされました。それはそうと、のんびりや
ですが優しい人です。普段仕事から帰ってくるのが遅い人ですが、入院中は努めて早く帰ってきて
病室で泊まっていきました。何かいるものはないか、と聞いて、病室でラジオを聞けるように
ラジカセを買って来たり、CDを買って来たり、私の好きな村上春樹のほんを買って来てくれました。
家では自分の服はじぶんでクリーニングに出し、夕食もコンビニなどで済ませ、頑張る夫です。
退院〜10/29〜
主治医の先生はおちゃめなおじいちゃん先生です。このころ、かわいい胎児ちゃんは16週
(5ヶ月)にはいっていました。先生は退院の記念に!といって胎児ちゃんがおしゃぶりしている
ところをエコーに写してくれました。私としても、そういうナイスショットは大感激で、嬉しいも
のです。先生に感謝です。帰りにようやく母子手帳をもらって、実家の豊田に帰ってきました。
16週2日
腹囲 77センチ 子宮底 18センチ 胎盤は2つある
仕事復帰
私は未熟な看護師4年目です。女の世界は厳しい・・というのは一昔前の話で、実際
職場の妊婦さんの立場は明らかに改善されているようにおもいます。妊婦と言えばやっぱり
仕事が制限されます。重いものは持てないし、放射線には近づきたくないし、急に体調が
悪くなる事もあります。正直にいって、一緒に仕事をする人に負担が増えてしまいます。
それでも私の職場では、多くの人が思いやりのある言葉でいたわってくれました。そのこと
はとても私の気持ちを明るくさせてくれました。それから、双子に興味を持ってくれるのも
嬉しかったです。「胎動はふたつ?」とか「頭はどこにある?」とか聞いてくれるのが
すごくうれしかったです。特に私はNICU(新生児集中治療室)という赤ちゃんに携わる
職場だったから、良かったのかもしれません。でも、妊婦の時期にも快く働かせてくれたこと
をありがたく思うし、これからもっと働きやすい環境がどこでもできていくといいなあ、と
思います。妊娠は病気ではありませんが、命をもう一つ(ふたつ以上の人も!!)かかえて
確かに気持ちもナイーブになったり、体も変化してますので、ちょっとの思いやリがあってほしい
と思います。
12月5日
仕事を再開して1ヶ月たちました。この頃になると、仕事が忙しくなってきました。
NICUは慢性的に忙しい場所ですが、波にのってほんっとうに忙しい時期があります。
仕事をしている以上、できる範囲で一生懸命やらなくてはいけません。
お腹を蹴っているふたりがよくわかるようになってきました。ちょっとお腹が張り始めてるのも
分かるようになってきました。休みながらやってはいましたが不安もありました。
入院か自宅安静か〜12月28日
検診がありました。2人ともとても大きくなっていましたが、子宮口が1センチ開き始
めていました。先生は「入院だねえ。もう結構やばい(生まれてきてしまう可能性がある)
です。どうしようかなあ・・。」と、悩んでいました。というのは12月28日で、年末
とお正月おひかえていたからです。私も、ここで入院になったら4月まで退院できない!
と思っていたので入院は避けたい気持ちでいっぱいでした。なので、「実家なので動かない
ようにするので、自宅安静でおねがいしたいです。」と伝えたところ、「じゃ、がんばって
動かないように」となり家に帰ることをゆるされました。入院は確かに安心ですが
プライバシーは守られないし、かなりストレスもたまります。それを先生は心配したのかも
しれません。おかげで、年末、お正月は家で迎える事ができました。
いよいよ入院〜1月18日 27週6日
昼から受診でとうとう入院になってしまいました。覚悟をしてきたとはいえ、なんだかがっかり。
点滴をして、ジ‐ッとしていなくてはならないです。お風呂もシャンプーも、トイレもいつ
も点滴と一緒です。しかも、点滴に慣れず手が痛いです。字もかけないし、寝てても姿勢に
困ってしまいます。寝返りもできず、緊張して寝なくてはいけません。これが来月も再来月
も続くかと思うと、とっても憂鬱でした。
点滴
私の入院生活はほとんど点滴といっしょでした。歩くと”ピロリ・ピロリ・”とアラーム
が鳴り、私の居場所が一気に分かってしまいます。夜、トイレに行けば”カラカラ”と点滴
台を押すおとが響きます。でも、そのうち体が重くなり、この点滴台に寄りかかりながら
歩くようになっていたので3月17日に点滴を抜いた時はなんだか頼りなく感じました。
お別れ
長く入院していると、仲良しのお友達ができます。でも患者さん同志なのでいずれどち
らかが退院するとお別れになってしまいます。産科の場合、どちらかが出産すればお別れ
が近くなります。今思えばたかが2〜3ヶ月の出来事で対したことがないのですが、その当時
の私には大事でした。しかも、私より後から入ってきた人が、先に産んで退院して行ってしま
うので、それはそれは寂しかったです。病室が私の住家になっていた証拠かもしれません。
特別
私は双子ができるなんて、特別な存在だと思っていました。ところが入院してみたら、
私も!私も!と、次から次へとツインフェイスがでてきて、私の思い込みが勘違いへと
変わっていきました。一時、私の病室(6人部屋)が、双子ママに占領されてしまった
ことがあるくらいです。双子は本当に多いのです。驚きました。
双子の大きいお腹
私は27週(7ヵ月)で入院しましたので、出来るだけ産まれないようにする治療
をしていました。でも入院している人のなかには、逆に産まれるようにする人もいます。
私が入院していた病院では42週をすぎた人は産まれるように治療をしていました。まず
は内服、そして、点滴で促進をかけます。その点滴は陣痛を呼ぶものなのでとっても
痛いです。苦しそうに点滴を押している姿をよく見かけました。そして、そういった人が
よく点滴をしている私に「なんでそんなに平気そうな顏をしてるの?予定日を何日
過ぎてるの?」と聞きました。私はまだあと2ヶ月〜3ヶ月待たなくてはならないのに
40週を越えた人と並ぶほどの大きなお腹をしていました。
双子の大きいお腹U
大きいお腹は大変です。まず寝る姿勢が出来ません。溺れる感じになって苦しい
です。だから頭を少し上げて、体を右か左向きにして寝ます。次に右向きから左向き
に変われません。まず、正面を向いて、ヨイショって感じです。あくびが苦しいです。
お腹でつっかえる感じなので思いっきりしたことがありませんでした。トイレで長く
座っていたら足がしびれました。それから、お腹でしゃっくりしているのが分かる時、
お腹が規則的に動いてたいへんでした。本当に大変でした。
NST
毎日の生活の日課に胎児ちゃんの心拍数とお腹の張りを見る機械=NSTをつける・という
お仕事がありました。これが結構苦しいです。同じ姿勢を保たなくてはいけません。ただでさえ
上向きで寝るのがつらいのに機械をつけながら・・・です。たまに機械を付けながら、看護婦さん
が忙しいと1時間や2時間そのままって時があって、最悪です。それから、せっかく上向き
姿勢で耐えていたのに「赤ちゃんの心拍数がうまく拾えなかったからもう一回ね。」
なんて言われると顔で笑っても心はしょんぼりです。腰がピリピリして苦しいです。
結果がなんともなければそれで”お疲れ様”となりますが、張リが強いと注射や座薬をしてもらい
ます。この張りというのはよくわからないもので、「今日は張ってるなあ」と思うときこそ
「大丈夫」だったり、逆にダメだったりするのです。でも、胎児ちゃんの心拍がボクボクと
聞こえてくるのは胎児ちゃんとの一体感が生まれてなかなか感動です。
入院ママ
入院中はさっきも書きましたが友達がたくさんできます。寝るも起きるも
一緒なので家族のようになってしまいます。目指すは出産!私達は戦友のようです。
長い入院を共にのりこえました。こんな友達はこれから先、できるかわからない
と思うくらい心を許せる友達ができました。ここまでで分かるように、私は
入院生活を楽しんでいました。
通い母
私は里帰り出産です。なのでこの入院期間は母がせっせと病院へ足を運んでくれ、私の
見の周りの事をしてくれました。洗濯はもちろん、ほしいものの買出しや、郵便物のかんり、
赤ちゃんグッズの買物も任せっきりでした。もともと陽気な母なので、同室のお友達とも
うちとけた母は、みんなからも「はは、はは。」と呼ばれ、親しまれるようになっていき
ました。時計のように1日2回、本当によく来てくれました。
それから、母はよくなんでも買ってきました。私が好きなクッキーやジュースを・・・。
でも私は運動もできなかったし、(トイレくらいまでしか歩いてなかったから)食事にかなり
気をつけていたのでお菓子はほとんど食べませんでした。母はまるで自分が子供を産むかのように
一生懸命病院へ通ってくれました。密かに来るのを楽しみにしていた私です。
うつ病
楽しい入院といってもやっぱり辛い時がありました。毎週体重測定と、血液検査
点滴と、注射、歩けるのはトイレやシャワーまで・・・。買物好きな私は何か欲しいもの
があると、時々夢で買物へいっていました。自転車に乗っている夢もみました。
ある日、いろんな人から一気に励ましメールがきました。それは、「飲みに行ってきたよ。」
とか「買物へいってきたよ」とか「旅行へ行ってきたよ。」とか近況を知らせるメールでした。
本当は有難いメールでもその時は、でかけられない事やひとりだけ退院や外出できないことに
にイライラしていて、すごくブルーになって、うつ状態になってしまいました。
生まれた!
長く入院していた私は、食事も管理されていたのでむくみもほとんど出ず36週まで来て、
いよいよ早産を防ぐ点滴も抜いてもらいました。そして5日後、急に足がむくむようになり不
安だらけになりました。座っていたら重力のほうに水が行き、足がポヨポヨになるのです。太
ももに手を乗せると、手の跡が付くぐらいです。さすがにヤバイと思いました。次の日、病院
へ帰って検査をしたら案の定、腎臓が悲鳴を上げていました。「赤ちゃんは元気だけどこのま
までは母体が限界なので、今から帝王切開か明日の検査結果を待つか考えましょう。」と先生
は言いました。自分でももう限界に感じていたのでいよいよだなあ、と思いました。そして、
その事を家族に伝え部屋に戻ると、なんだかいつもにない背中の痛み・・・。そして、破水か
どうかわからないくらい少しの破水。そう思っているうちに、あっという間に陣痛がやってき
ました。
生まれた! 続き
陣痛は痛かったけど、「上手にかっこよく生むぞ!」と思っていたので我慢していざと言う時
用の背中の麻酔を入れてもらいました(いつ帝王切開になってもいいように背中に麻酔を入れ
ました)先生は「子宮口も開いてるから、早いよ」と言うので「私はなんて運がいいの??」
とまだまだ余裕で幸せに感じてました。ところが全然出てこない!陣痛の感覚も狭くなり、時
計を見ても時間が進まない。あまりに痛いし苦しいし辛いし、のども乾くので、力を全力絞っ
てもびくともしないので疲れきって力尽きてしまいそうでした。先生はお茶を飲む私を見て
「余裕だなあ。喫茶店だ。」みたいなことを言うので、なんとかしてこの苦しみを分かっても
らおうと、陣痛の合間に気を失ったふりをしてみたけど、すぐに次の陣痛がきて効果なしでした。
やっと吸引の力を借りてあっくんが出て来た時は嬉しかったし、ほっとしたよ。けど先生が「よし
、もう1回な。」と言った時はギャグマンガかと思っちゃっいました。結局促進剤を使ってもとう
くんは出てこず、産道に血腫ができてしまったので帝王切開になりました。つらいお産がおわり、
、気がついたら次の日の昼で、とても明るかったなあ。こんな面白い主治医の先生ですが
私は信頼し、今でも感謝しつづけています。けど、「よくがんばったな。ちょっとカッコ悪かった
けどな。」と言われたことはなんともがっくりの想い出なのでした。
生む前データ
体重+10キログラム・・食事は本当に気を付けていました。入院中は途中から自ら塩分控えめ食に
してもらい、お菓子もたべず、自己管理を心がけていました。でも、後半は
体に水が溜まってきたせいか、週に1kくらい増えました。それでも、食欲
があって困るのは妊娠発覚時のみであとはつわりやらなんやらで+10kでおさまりました。
生む前に準備したもの
ベビーベッド・・知り合いから1つだけ譲っていただきました。
実際は夜も顔をみていないと不安だったり、自分も膝が
痛くて立ったり座ったりが辛かったので、最初のい週間
くらいは使ったけど、後は一緒のふとんで寝ました。
すぐに大きくなるので1つのベッドではすぐ窮屈に
なるし、ベッドってけっこう大きいです。
ベビーバス・・我が家では最初のころ毎日使ってました。
肌着・・・・・短いのと長いのを合わせて10枚ぐらいは有りました。
布オムツ・・・80枚ぐらい。家はばあばがお洗濯してくれたのでできた
けど、正直いって布は面倒です。家計の為に!なんていってら
れません。水道代もかかるし、布は大変ですね。
ガーゼ・・・・お口をふいたりなんだかんだと使いました。
搾乳器・・・・けっこう母乳が出たけど子供達が飲めなかったので絞って
飲ませてました。手動だったけど便利でした。
服・・・・・・5枚ずつくらいありました。
クーファン・・ほんとはダメだけどクーファンに乗せて車に乗って
退院してきちゃいました。お昼もクーファンの中にいたり
ベッド代わりでもありました。
おしり拭き・ほ乳ビン・よだれかけ・あとは、出産前にデジカメとデジタルビデオ
も買っちゃいました。
出産の準備って何を準備していいのか分からなくて、最小限のものだけ準備
することにして、後から少しずつ買い足しました。退院して、あっ??と
思ったのが実はミルクです。「お湯お湯!」と思い、「熱すぎる(>_<)」
と思い、「どうやって作るんだっけ?」とあわててミルクの缶を読み直す
始末。ミルクは退院の時に試供品で1缶もらえたのでそれを使いました。
ほんとに戸惑いました。