疑わしいものに同意することを禁じ、それによって誤謬に陥るのを避けることが出来る、自由意志が私たちにはある――ルネ・デカルト17世紀
一つの命題を正しいと考えるべきなんの根拠もない場合、これを信ずることは望ましいことではない――バートランド・ラッセル20世紀
懐疑主義には「哲学的懐疑主義と科学的懐疑主義(Philosophical and Scientific)」で論じたように、二つの大きな文脈がある。私たちの立場を指すそれは、後者の科学的懐疑主義であり、哲学的懐疑主義は、無関係ではないが、関係性が薄いのも事実である。
本来、懐疑主義(Skepticism)は、西欧哲学思想史において重要な役割を果たしてきた哲学であり、「哲学的」という冠を付ける必然性はない。しかしながら、科学的懐疑主義との区別をする必要がある場合において、あえて、混同を避けるため哲学的懐疑主義という呼称を用いる。
その意味からすれば、哲学的懐疑主義とは「伝統的な学問としての哲学(狭義の哲学)に入る懐疑主義」という定義をすることができる概念でもあり、在る意味ではこれで解説終了である。
もっとも、それだけでは意味がないので、古代の懐疑主義から哲学としての懐疑主義の位置を概観した上で、本項の最後に、定義に立ち返ることにしよう。
なお、哲学懐疑主義はあまり必要でないが、実のところ、科学的懐疑主義の立場から文献を調査したり、考察を深めるにあたって、哲学的懐疑主義に対する認識が必用になることもあれば、有用なこともあるため、ある程度の基本は知っておいても損はない。
そもそも、近代科学を生み出した西欧哲学思想史において、懐疑主義(Skepticism)は、古代から近代まで、非常に重要な役割を果たしてきた。その歴史と影響は驚くほどだが、同時に、懐疑主義という単語が、単一の哲学を意味しているわけではないという事情は無視できない。
懐疑主義の歴史は古く、その思想性は、紀元前3世紀頃の哲学者ピュロンや、プラトンが創立したアカデメイア(Akademeia)を懐疑主義に転向させたアルケシラオス(Arcesilaus)によるアカデメイア派懐疑主義にさかのぼる。
懐疑主義(skepticism)や懐疑論者(skeptic)という言葉は、そもそもは「考察、吟味、検討」などを意味するギリシア語のスケプシス(skepsis)や、「思慮深い者、よく考察する者」などを意味するスケプティコス(skeptikos)、その複数形スケプティコイ(skeptikoi)に由来している。
そして、ピュロン主義の後継者たちが活躍した2世紀頃になって、ようやく「スケプティコイ」という言葉が「発見よりも終わりなき探求の継続を重視する人々」という意味での懐疑学派(懐疑主義者)を指す言葉になったという。*1
ただし、ピュロンもアルケシラオスも、本人の著作が残っていない*2ため、現在知られている古代の懐疑主義――つまり、ピュロン主義やアカデメイア派の懐疑主義が、どのような哲学だったのかは、2世紀頃のセクストス・エンペイリコス(Sextus Empiricus)による『ピュロン主義哲学の概要』に基づいて研究されてきた。
このセクストスの著作によれば、ピュロン主義哲学は「心の無動揺・平静にいたるためには、経験的な事象の本質について、真だの偽だの判断するのをさし控るべきだ」という内容だそうだ。
正直、現代人にはピンとこないが『ピュロン主義哲学の概要』には次のような記述がある。
「 懐疑主義者はもともと、諸々の表象を判定して、そのいずれが真であり、いずれが偽であるかを把握し、その結果として無動揺[平静]に到達することを目指して、哲学を始めたのであるが、けっきょく、力の拮抗した反目のなかに陥り、これに判定を下すことができないために、判定を保留したのである。
ところが判断を保留してみると、偶然それに続いて彼を訪れたのは、思いなされる事柄における無動揺であった」『ピュロン主義哲学の概要』p.20
へ?心の無動揺って何でよ?―そんな、おいてけぼり感は私も抱いた。
この「無動揺・平静」というのは、アタラクシア(ataraxia)という精神的な境地のことで、紀元前4世紀頃の哲学者エピクロス(Epikros)による快楽主義が目指した幸福でもある。ちなみに、快楽主義といっても、エピクロスのそれは安直な快楽追及主義とは違うため、誤解してはならない。
エピクロスの快楽主義は、現存する資料が少ないのに明瞭なので要旨をまとめておく。
まず、快楽主義の前提にある世界観は、紀元前5世紀頃の哲学者デモクリトス(Dēmokritos)が提唱した原子論*3であり、その分、私たちと価値観も近い部分がある。
エピクロスによれば、快楽こそは善であり、幸福であり、人生の目的だという。ただし、ここでいう快楽というのは、道楽者の快楽でも、性的な享楽でもなく、恐怖や不安や苦痛によって心を乱されない心の平静―つまりアタラクシアの境地―を実現する精神的快楽である。*4
そのためには、やはり死に対する不安や恐怖を排除することが重要で、その件について、エおいクロスの書簡が残っているので引用しよう。
「 死はわれわれにとって何物でもない、と考えることに慣れるべきである。
というのは、善いものと悪いものはすべて感覚に属するが、死は感覚の欠如だからである。それゆえ、死がわれわれにとって何物でもないことを正しく認識すれば、この認識はこの可死的な生を、かえって楽しいものとしてくれるのである。
というのは、その認識は、この生に対し限りない時間を付け加えるのではなく、不死への空しい願いを取り除いてくれるからである。
なぜなら、生のないところには何ら恐ろしいものがないことを本当に理解した人にとっては、生きることにも何ら恐ろしいものがないからである…
…死は、もろもろの悪いもののうちで最も恐ろしいものとされているが、実はわれわれにとって何物でもないのである。」『メノイケウス宛の手紙』
これを全体から意訳すると、次のような意味である。
「 人間は、生きていれば死んでいないし、死んだならば、生命のない原子に解体するだけなので、死後の懲罰を恐れて不安に苦しむ必要はないし、死を恐怖する必要もない」
エピクロスは「死への恐れ,死後の不安から解放されるならば,それだけでも人間はアタラクシアの境地に入ることができるのだが,生きているうちは安んじて快楽を追求すべきである」とも主張しており、エピクロスの快楽主義は、死の恐怖からの開放といった高潔な話だけでなく、実生活における、快のほどほどの追求も必用である、ということを主張している。
この「ほどほど」というのがキモであり、たとえば、食欲や友情など、自然で必用な欲求は適宜満たすべきだが、莫大な財産の保有や過度な美食大食はマイナスもあり満たすべきではなく、政治的野心など不自然かつ不必要な欲求からは距離をとるなど、現実生活を通してアタラクシアに到達することが快楽主義の意義であって、口だけ賢者や、出来もしない仙人状態を目指すと称したゴミとは異なっている。
ここには、当時、快楽を否定し、理性による感情の支配を目指す方向から死への恐怖という先入観の方が怖いことだとして、最終目的をアタラクシアではなく、アパテイア(無情念)に求めたストア派との距離感など、細かいことは、他にも補足がある。
しかしながら、本題は古代の懐疑主義に関係するアタラクシアであるため、エピクロスの快楽主義については、原子論に基づく世界観を採用していたことから、懐疑主義の哲学に関係深いエッセンスがいくつか出てくる様を紹介して終わろう。
こちらは、やはり数少ない現存する資料の『主要教説』から引用する。
「正義は、それ自体で存するあるものではない。それはむしろ、いつどんな場所でにせよ、人間の相互的な交通の際に、互いに加害したり加害されたりしないことに関して結ばれる一種の契約である。」
「不正は、それ自体では悪ではない。むしろそれは、そうした行為を処罰する任にある人々によって発覚されはしないかという気掛かりから生じる恐怖の結果として、悪なのである。」
つまり、正義は社会契約であり、不正はアタラクシアの境地を阻むから悪だという主張である。これは、唯物論的世界観が、善悪は絶対的な存在ではなく、あるのは客観的な実在世界と、そのなかで生きる人間社会で通用する相対的な概念だという立場と似ているわけだ。
さて、古代の懐疑主義に戻るが、『ピュロン主義哲学の概要』で、突然出てきた無動揺だの平静だのは、エピクロスの快楽主義が前提にある。つまり、無動揺や平静といったアタラクシアという精神的境地の実現が、哲学の目的であり、幸福であるという価値観を採用しているからこそなのだ。以上を踏まえ、先にピュロン主義で引用した部分を要訳すると、次のようになる。
「 懐疑主義者とは、真なることを真、偽なるものを偽、在るものを在る、無いものを無いとする認識を達成し、アタラクシアの境地を実現しようと思っていたが、必然的に判断が困難なものにぶつからざるを得ない。そこで、判らないものは判らないとして結論を保留したところ、意図せずしてアタラクシアの境地に達していた。」ちょっと意訳だが、こういうことである。
一方で、キケロの著作と『ピュロン主義哲学の概要』から推定されているアカデメイア派懐疑主義は、開祖プラトンの独断論に反対する立場であり、絶対の真理を獲得しうる可能性を否定し、だが、蓋然性による判断を支持する蓋然論だったと伝わっている。
さて、そういった古代懐疑主義の中身についてよりも、興味深いことは「アタラクシアへいたる方法」や思想的早熟性ではなく、古代の懐疑主義から必然的に導出される認識論である。
セクストスの『ピュロン主義哲学の概要』などに基づいて、古代の懐疑主義を調べると、次のような世界像が得られるのだ。
「我々が知覚し認識する経験可能な世界は、感覚器官を通して脳が再構築した主観であるからして、完全な客観など望むべくもなく、外界の真なる姿を知ることはできない。人間が誤った知識を得るのは、外界からの入力による感覚に基づいた認識を誤解するからだ」*5
もちろん、「脳」という表現は意訳だが、本質的に上記と類似した認識が導かれるものであり、近代科学の根底にある経験主義の世界観が、ここに出ているのである。
こういった世界観のもと、アカデメイア派の懐疑主義は、蓋然性による判断を支持する蓋然論を出しており、蓋然主義とも呼ばれている。ピュロン主義の方は「判らない場合は、判断を保留すれば良い」というところに繋がっている。
そんなわけで、実際に、近代の自然科学が成立するための不可欠な要素である経験主義は、古代の懐疑主義からはじまるといってよいだろう。何を隠そう「セクストス・エイペイリコス」とは、「経験主義者セクストス」という意味なのだ。
かように早熟な古代の懐疑主義であったが、セクストスがいた2世紀以降、16世紀まで、ほとんど忘れられた存在だったという世知辛い黒歴史がある。そう、時代の闇に埋もれていたのだ。
懐疑主義が1000年を越える刻を経て、失われし古(いにしえ)の懐疑主義哲学として再び息を吹き返すには、ルネサンスを待たねばならないのであった。
ちなみに、私は学校で習った記憶がないのだが、ルネサンス(Renaissance)とは「再生」を意味するフランス語で、14世紀〜16世紀にイタリアを中心としてはじまった古代ギリシア・ローマの文献の再発見による学問・知識の復興運動なんかを意味している。
なぜルネサンスが起きたのだろうかというと、これまた私は学校で習った記憶がないのだが、西欧史では、中世(5世紀から14世紀)を暗黒時代と呼んできた。中世は、古代ギリシア・古代ローマの偉大な文化が衰退し、文化や芸術や知識が停滞した時代だと考えられていたのだ。
そんな時代だが、天文学や物理学などが発展するにつれ、やっぱり神だのナンだのって、ちょっとね〜という空気が生まれ、人類史上、最も優れたた時代であった古代ギリシア・ローマの芸術、文献、知識、学問などを復興しようではないか、ということで起きた運動なのである。
余談だが、ミスター味っ子のアニメ主題歌で「ルネッサ〜ンス、情熱」という歌詞があるが、あれはおそらく、味っ子の父親の優れたレシピを再発見し、復興しようとする意味が隠れているのであろう。無駄に知的な歌詞だったようだ、たぶんだけど。
味っ子はよしとして、ルネサンスによって1562年『ピュロン主義哲学の概要』ラテン語訳版が出版され、これにより、懐疑主義が、急激に西欧諸国の知識人に認知されることになる。
つまり、16世紀になって、やっと古代の懐疑主義が学問的に再発見されたわけだ。そして、ルネサンスの再発見文献のうち、後の哲学に最大の影響を与えたのが、このセクストスの『ピュロン主義哲学の概要』であり、つまり懐疑主義の再発見による認識論の革命なのである。
なんせ、それ以降300年ほど「哲学といえば認識論」という状況をもたらした主犯が、この懐疑主義の再発見という事象である。いまでこそ、私たちにとって、哲学というと認識論のイメージが強いが、本来、学問的哲学に絞っても、相当なジャンルがある。
有名なカテゴリを列挙するだけでも、ざっとすぐにこれだけ浮かぶ。
存在論:「存在するとはどういうことか」「何が存在するのか」
認識論:「我々はどのようにして世界を認識しているか」「真理とはなにか」
自我と意識:「私とは何であるか」「自己意識はいかにして可能か」
意味論:「言葉の意味とはなにか」「言葉の理解とはどういうことか」
道徳・倫理:「我々は何をすべきか」「善とは何か」
人生論:「我々はいかに生きるべきか」
社会哲学:「社会はどのように成り立っているか」「どのような社会がのぞましいか」
政治哲学:「政治はどうあるべきか」
などなど、よく考えればそうだな、というくらい豊富である。そんなわけで、向こう300年の哲学を認識論に染めた、ということが何を意味するかといえば、要するに、懐疑主義の再発見こそ、近代の自然科学が成立するための極めて重要なトリガーであったということでもある。
したがって、セクストスの『ピュロン主義哲学の概要』は、古代の哲学を伝える史料価値よりも、その影響によって、哲学思想史上における超一級の重要文献にもなっている。
それも当然で、この2世紀頃の文献に重大な影響を受けた人物には、モンテーニュ、デカルト、ヒューム、カントなど、門外漢でも耳にしたことのある、哲学史上(のみならず科学史)に顔を出すような超大物が並んでいるのだ。
そうした、古代懐疑主義の再発見を経て影響を受けた人物のうち、17世紀のルネ・デカルト(仏:René Descartes)が、近代哲学の父として知られているのは周知のとおりである。
ただし、懐疑主義とのかかわりでは、デカルトの場合、懐疑主義を継承するのではなく、抵抗していくことで真理を探究する哲学を生みだしたという、独特の立ち位置にいる。
ちなみに、懐疑主義とは離れるが、デカルトは当時、万人が持つ理性によって真理を探究すべしという視点を明確に打ち出した人物であり、これは歴史上、かなり画期的なことである。
いまでこそ、人間ならば原理的に、幾何学の証明などは、等しく真であることを確信することができるという風に理解しているが、それを明確にしたのがデカルトなのである。
また、いまでこそ私たちは「真」や「善」などを、事実命題と価値命題とに区別しているが、かつては、必ずしもそうではなかった。真善美も同じくらい普通に「真理」という関心の持ち方でとらえられており、そのため「理性」ではなく「信仰」で真理にいたるという立場も、不自然なことではない時代だったということを知れば、よりデカルトの功績が理解し易いかもしれない。
さて、1637年のことデカルトは『理性を正しく導き、もろもろの学問において真理を求めるための方法の叙説』という本を出版する。そう、これぞ有名な『方法序説』である。本書は、驚くべきことに、17世紀にして「女性や子供も読めるように」という、信じがたい設定で書かれており、学術論文用のラテン語ではなく、フランス語で出版されている。
この書では、第一章から「良識(bon sens)はこの世で最も公平に分配されているものである…」という美しくエレガントな文章から始まる。続けて引用してみよう。
「…すなわち、よく判断し、真なるものを偽なるものから区別する能力、これが本来良識または理性と呼ばれているものだが、これは全ての人において生まれつき相等しいこと、したがって、我々の意見がばらばらであるのは、我々のうちの或る者が他の者よりもより多く理性を持つから起こるのではなく、ただ我々が自分の考えをいろいろ違った道によって導き、また我々の考えていることが同一のことではない、ということから起こるのだということ、である。」
というのである。また、このような想定で執筆されているため、読んだことがない人は驚かれると思うが『方法序説』は、読み物として、かなり平易である。
本書においてデカルトは、知識の体系を建造物に喩える。
「 …どうやら、道徳も哲学も弁論術も、数学以外は、その基礎に不確かな足場を含んでいる。一生に一度でも、それまでの自身の偏見などを払うために、いったん不確かな知識を破壊し、誤り得ないほど確かな足場だけを認め、そこからやり直すことをすべきである。そのようにしてから真理の探究をはじめようと考えた。
原理的に疑う余地がある全ての命題は、ひとまず偽として排除しておく。それでもなお、疑い得ないほど確実な足場があれば、それは哲学の基礎として採用するに足る真理だろう」
という。そこで、次のような考えを述べるのである。
疑い得ない原理を公理とし、そこから、誰の理性でも納得のできるほど明瞭な単位を一歩とし、知識の体系を延ばす方法を見出した、と。
そうして、これぞ世にいう方法的懐疑と演繹である。ちなみに、これが「合理主義」である。
デカルトのこうした立場は、基礎付け主義(foundationalism)として、後の科学哲学者からは却下される立場でもあった。たしかに、その認識には「真だとするものは絶対的に誤りの可能性を含んではいけない」という前提がある。
もし人類が、外界からのフィードバックなしの純粋な思弁で、精度無限大の知識を得られるならば、疑い得ない公理を探し、演繹する方法は、真理という知識の体系を構築する目的に適うものである。しかしながら、残念なことに、人間はそんなに素晴らしい存在ではない。
実際に、デカルトの方法的懐疑を経て見出された真理は、立派な理念から、無価値な話がうまれる様子を具現化しているように思えてならない。
なにせ、デカルトが基礎に据えるに値するとして行き着いた、疑い得ない真なる命題が、世に有名な「cogito, ergo sum」つまり「我思う、故に、我あり」なのだ。
デカルトは、コギト・エルゴ・スムについて「懐疑論者のどのような法外な想定によってもゆり動かしえぬほど、堅固な確実なものであることを、私は認めたから、私はこの真理を、私の求めていた哲学の第一原理として、もはや安心して受け入れることができる、と判断した」としている。
しかしながら、純粋な思弁でこねくりまわした「真理」から演繹される知識が、どんなものかといえば、「霊魂と肉体」の二元論と、「神は存在する」という話なのだから、困ったものである。
もちろん、二元論は、精神と物質という考えから、機械論的世界観を生んでいるため、あながちクズではないが、あれほど数学者として功績の多いデカルトが、現代の自然科学に入る事象についての理論は、呆れるほどでたらめだったことからも、その程度が知れよう。
少なくとも私たちは、後知恵から、そのダメっぷりを指摘することができる。
ともあれデカルトの方法的懐疑は、徹底した懐疑を貫徹した後に、絶対的真理の発見にいたったと主張する独断論めいた地点に降り立つことから、その他の哲学的懐疑主義とは区別される。
このデカルトらの立場は「大陸合理主義」と呼ばれ、古代の懐疑主義の直系に近いイギリス経験論と、対立する哲学としても知られている。
ところで、本稿は哲学的懐疑主義の解説であるため、デカルトの位置については、それで充分なのだが、どうしても言及しておきたいことがある。それは、私が思うに、デカルトの哲学の中身はタワゴトだが、外側は注目に値するほど素晴らしいということである。
これは自戒の意味もあるが、私はかつて、デカルトの著作を一冊も読んでいないとき、しかも、文脈や目的、17世紀の知的風景を知らない状態で「我思うゆえに我あり」の説明を知った。
恐ろしく陳腐に感じた。
なにしろ、ノーベル物理学賞を受賞したS・ワインバーグが「哲学者は、深遠と不明瞭を混同した人達だと感じる」*6と、弁明を交えて語っていたことを思い出し、妙に納得したのである。
しかしながら、ちょっとしたきっかけで『方法序説』と、その詳細版である『省察
』や『哲学原理』を読んだところ、はっきりいって考えを改めた。いろいろな誤解にも気がついた。そうしたわけで、哲学について無関心な懐疑論者やデバンカーも、とりあえず『方法序説』と、時代の背景についての資料は、基礎教養のためにも読んでおいたほうがいいと思う。
知的好奇心を喚起するために、いくつか興味深い下りを紹介しておきたい。
たとえば、デカルトの代表作の一つ『哲学原理』には、次のような箇所がある。
「 この懐疑を実生活にまで適用してはならない、ということ。
この懐疑は、真理の観想だけに限らなくてならない。なぜかというに、実生活においては、私たちが懐疑から脱し得ないでいるうちに、行動すべき機会が去ってしまうことが実に多いので、単に真実らしいというだけのものでも容認せざるをえないという場合も稀ではないし、のみならず、二つのうちどちらが他方よりも真実らしいか決まらないという時でも、どちらか一方を選ばねばならない場合さえあるからである…
…疑わしいものに同意することを禁じ、それによって誤謬に陥るのを避けることが出来る、自由意志が私たちにはある、ということ。」 『哲学原理』
他にも『方法序説』には、デカルトが、科学的方法にある理念の原型や、ガリレオに対する実質的な擁護論、疑似科学やオカルトに対する考えなど、デカルトの聡明さが輝く話が散在*7しており、読みすすめると驚くこと請け合いである。
さらに、独断論に陥ったとされがちなデカルトだが、メタな視点では、自己の誤りを批判的に検討してもらい、自己修正を尊ぶような、科学的方法に通じる発言も書簡に残っている*8。
つまり、デカルトの著作を通読し、良いとこ取りだけをすれば、現代の感覚でも非常に合理的な態度が確認でき、しばしばクリティカルシンキングや、科学的方法など、健全な懐疑主義の姿勢をみてとれるということに気がつくだろう。
ところが、そんなデカルトだが、懐疑主義という意味では、ぶっちゃけゴミである。
方法的懐疑は、懐疑主義の影響を受けてはいるが、直系ではない。
さらにいえば、デカルトは(近年では独断論に陥ったという評価には批判もあるそうだが)17世紀の科学革命、ニュートン以降の自然科学の発展に関して、あまりにも役にたっていない。
そういうわけで、むしろ、古代懐疑主義の再発見を受け、我々の興味に強く関係する哲学者は、奇蹟批判などもおこなった、18世紀の懐疑主義者デイヴィッド・ヒューム(David Hume)である。
ヒュームといえば、さるチャネラーの女性が、同じ名前の霊媒D・D・ヒュームと混同していたが、はっきりと別人なので、注意して欲しい。
ヒュームは、イギリス経験論(British empiricism)の代表格であり、デカルトらの大陸合理主義(continental rationalism)と対比される哲学上の立場にいる*9。
ヒュームは、それまで哲学が自明としていた思考様式に疑義をなげかけ、数学を唯一の論証的に確実な学問と認め、経験的な事象についての確実な知識の存在は、そもそも原理的に保証されていないではないか、と考える懐疑論を打ち立てた。
理論とは、直観や信仰よりむしろ世界についての観察に基礎に置くべきだとし、実験による調査研究、帰納的推論を礎においたわけである。
さらには、物理法則の斉一性の原理(principle of the uniformity)に気がつき、帰納の限界を指摘した人物でもあるのだ。これは、物理法則の普遍性は、永久に真理であるとする保証はなく、論理的に証明されるものではないということを含意する。
ここまでくると、自然科学の暗黙の前提である「科学的事実は究極的には暫定であり、近似である」といった視点が得られるだろう。
また、このことは「実際には真実と扱って問題がないほど十分に高い蓋然性をもった知識」の存在と両立するものであって、ヒューム本人も、そういう立場である。
つまり、物理法則の斉一性が絶対的な真理の保証がない決め付けであっても、明日、物理法則が狂ってしまうことを懸念して足踏みする必要はない。さらにいえば、だからこそ、もし、誤りであれば、そのときに修正すれば良いだろうという、科学の強みに繋がるのである。
むしろ、外界の振る舞いについて、論理的に完璧な証明は「原理的にできない」のだから、蓋然性で判断すべきだとするのが科学の背後にある経験主義であり懐疑主義なのだ。
これは、後にカール・ポパーが支持する、可謬主義(Fallibilism)の哲学的態度でもある。
この立場は、知識について、論理的に絶対確実な正当性を期待する必要はなく、むしろ「経験的知識」は、さらに観察などにより修正され得る可能性が、常にあることを認め、知識とみなしているものはどれも「誤りであることが判明する可能性があり、究極的には暫定である」ということを承認する態度である。
こうした近代の可謬主義は、基本的に、独断論的、あるいは絶対的真理を基礎に演繹することで真理の体系を得ようとする、基礎づけ主義に対する批判から重視されてきた。
そして、このような立場にも、遡れば、古代懐疑主義、とくに経験主義や蓋然論を通じて連綿と続いている何かがあることを見出せる。その意味で、哲学的懐疑主義とは、古代懐疑主義にはじまり、ルネサンスを経て、自然科学が成立するまで、前から後から横から、重要な役割を果たしてきた認識論の哲学ともいえるのである。
「懐疑主義」(Skepticisim)というと、日本語の場合、疑い・疑念・不信といった意味(英語doubtのニュアンス)で受け止められがちであるが、こうして歴史を紐解けば、多分に原義のスケプティコイなど、知的な要素のニュアンスも含んでいることが判るだろう。
少なくとも、何の根拠もなく、諜報機関が私を毒殺しようとしているのではないかとか、全ての親切には裏があるという警戒を抱き続ける精神性は、哲学的懐疑主義とすら関係ない。
なお、自然科学の成立以降も、20世紀の科学的懐疑主義とは違う、本道の哲学的懐疑主義の系譜は続いており、20世紀を代表する懐疑論者投票では、カール・セーガンに次いで第4位に選出された人物、バートランド・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell)がいる。
ラッセルは、アリストテレス以来、最大の論理学者とされアインシュタイン=ラッセル宣言や「ラッセルのパラドクス」で有名だ。しかし、それ以上に、私にとっては、尊敬する唯一の哲学的懐疑主義者である。このラッセルの『懐疑論集』(Sceptical Essays)にある「序説:懐疑主義の価値について」からは、至言を見出すこともできる。
曰く「一つの命題を正しいと考えるべきなんの根拠もない場合、これを信ずることは望ましいことではない」
とてもシンプルな言葉である。当たり前じゃん、と思うかもしれないが、これは、健全な懐疑主義のあり様などについて、考え抜いた先に、必ず到達する重要な価値観であるし、そして、いつしか「当たり前」という以上の深みを見出すことになるのだ。
ただし、「哲学的懐疑主義」という呼称は、あくまで科学的懐疑主義との区別で用いる意味での区分であることを強調しておきたい。
そのため、近代の哲学的懐疑主義は、無視する必用はないが、考慮するすることなく「哲学的懐疑主義」を定義しておくことはできる。
まず、ここまでに論じた歴史的な経緯を踏まえ、哲学的懐疑主義を荒っぽくまとめると。
「 懐疑主義とは、絶対的な真理や基本原理の発見を主張する独断論(Dogmatism)に対し、その普遍性や客観性を吟味し、結果として反対するような認識論の哲学である。
懐疑主義は、古代ギリシアで、ピュロンによって誕生した生き方についての実用性を目的とした哲学であった。しかしながら、それは、必然的に経験主義的な認識論を提供するものであり、そこから、あらゆる判断の保留(エポケー)を推奨したり、あるいは蓋然論を提唱したり、時代や主張者によって、いくつかの立場が派生している。
そのなかでも経験論や蓋然論は、自然に対する知識の獲得について、絶対的な真理という保証が得られないことをきちんと見据え、それでも知の探究をすることで、永久に届かなくとも漸近は可能だという、科学的な態度の哲学を可能たらしめた認識論の哲学である」
とすることができよう。
その上で、科学的懐疑主義と区別する意味での哲学的懐疑主義は、「古代の懐疑主義から、デカルトの方法的懐疑、イギリス経験論などひっくるめた、伝統的な学問としての哲学(狭義の哲学)に入る懐疑主義」ということで定義することができるのである。
なお、哲学的懐疑主義について興味のある方は、主要な原典の邦訳をはじめ、資料となる文献が豊富にあるので、それら専門家の解説にあたることができる。脚注の後に「その他資料」として、関連する文献などを掲載しておいた。