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迷うのって楽しいですね
山下 敬子
『わく星通信』の発送が7月に入ってずいぶん遅くなってしまい,とうとう7月後半になってしまいました.それは,私が原稿を書かなかったからです.何度かお電話で問い合わせをいただいたり,励ましてもらったりした方もいらっしゃり,楽しみにしていただいてると知り本当にうれしかったです.ありがとうございました.
今,わく星サンガ(滋賀県高島郡朽木村生杉)にわく星の子どもと来ています.早朝この文を書いています.女の子たちはダベリング.男の子たちは音楽をしていた徹夜組はグーグーねています.でも元気な何人かは朝5時から原生林の中の源流までfishingに行きました.この辺では,アブラハヤ,ウグイ,アユ,ヤマメ,イワナなどがとれます.
私は今朝はよもぎ・どくだみをつんで干しています.どくだみの花が咲いている時がいちばん薬効のある時なのだそうで,根っこから抜いて,冷たい川で洗って,サッと日にあて,あと陰干しします.よもぎはほとんどはお茶に.おふろ用に少し残しておいたり,葉を少しアルコールに漬けて傷の消毒薬にします.くこの生葉を摘んでごはんに入れてたくと良い香りで,とてもおいしい.とげがちょっと痛いけど,葉っぱを干しておいてお茶にもなります.こんな暮らしをわく星の子どもたちとできる日が楽しみです.北海道の「子どもの村」の徳村さん夫妻のたよりをよんでいると本当に「森」のくらしの中で子どもたちが本物の命を生きているのがわかります.
今学期,わく星は「川」について調べたり体験する学習をしました.川というものを生命のつながりの中でとらえてほしいと思いできるだけ川そのものの中につかって,歩いて,たわむれて,身体で知ってほしいと思いました.子どもの自然な流れでいくとそれぞれの子が自分の好きな分野で,川について学んでいきます.体系的にはなかなかならないけれど,子どもの感じ方で,とらえ方で,無理なく何かを身につけているのがわかります.結果よりも過程を楽しめることが子どもが学習する上でとても大切であるということがわかります.いつもこの京都のせまいわく星の空間で何ができるんかなやんでしまいます.本物の命のある学びができるんかと毎日迷っています.
今学期の子どもたちは,いろいろな経験をつんだと思うけど,「自分の考えでやっていくのが一番や」というのがわかるというのが収穫やったと思う.建物の設計をしている奥村啓三さんが話していた.「とにかく見てくれのいい,お手軽セットで作ったものやったらこわれたらもうおしまい.一からは作れへん.そんなんで作った人は『自信』やら『ほこり』やらがない.けれど,一から,材料から自分で捜して自分のオリジナルを作った人は見てくれは悪くても『自信』や『ほこり』をもっている.つぶれても,もう一度作れるものをちゃんとつかんでる.」わく星学校では後者の学びを身につけてほしい.
毎年この時期,中学生たちが苦しんでいる.学校に行ってる子に対して,学校に行ってへん自分は何がほこれるのやろかということで.4月からわく星にやって来て友だちも出来た,家から出て外でいろいろな経験もした,けれどちょっとおなかがふくれてまわりを見ると学校行ってへん自分が行ってる子に何がほこれるのやろということで.学校行ってた時の自分の尺度で見たら,やっぱり「変」.自分が変な人のグループに入ってる.いやだー,という感じ.この時点でやめていく人は毎年いる.
人間の価値観なんて,そう変わらない.またかんたんに変わるならそれも変やし.以前は,わく星に問題があって,そのことが私がダメやと言われてるように感じてしまって,不十分で努力がたりんと私も苦しんだ.フリースクールはそんなとことちがうと怒ったスタッフもいたけど,最近平井雷太さんがちょっと詩に書いてはったけど,「教育」って恩にきせたり,恩にきたりすることちがう.よく親御さんで,私は子どもが不登校になって180度価値観が変わった,ありのままでいいんやと思えるなんていう人がいるけど,子どもがフリースクールに来て元気になっていろいろやり出すとやっぱり結局勉強しろだとか,ああしろこうしろと言い出す.「ありのままでええんとちゃうのかー.」と子どもが怒っている.親も子も「変わる」なんて考えないで「迷ってます」言うて来てくれはって,ずっと迷ってます言うて,「私もそうです.迷ってるのって楽しいですね」ってやっていくのがフツーなんだってのが最近落ちついたところです.
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