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チビ、さようなら
山下 敬子
1999年さようなら。2000年よいらっしゃい。これが届くのはいつもは新年になるのですが今回はちょっと早い目におくります。じつは喪中につきあけましておめでとうとは言えない事情がありまして…。
わく星学校の校長、猫の「ちび」が12月7日に他界しました。14年にわたってわく星学校に住み、開学以来9年間校長の座にあって、子ども達から愛され、ときには「猛獣狩り」にあいながらもめげずに玄関のまねき猫としてたくさんの幸福をもたらしてくれたのです。わく星学校の「ちび」をかわいがってくれたみなさん本当にありがとう。
チビはいろんなことを私たちに教えてくれました。例えば家の中でどこが一番涼しいか、あたたかいか。どんな食べ物がいいのかわるいのか。などなど人間が忘れてしまっている自然の本能、知恵。
チビは家族全員が寝静まっていないと自分は寝ませんでした。誰か起きているとその人のところへ行ってはずっとそばでみていました。眠れないで悩んでいる家族の心を読んで、いろいろなことを教えてくれたり励ましてくれたりもしたのです。
チビはおとなしくてちょっと気弱、賢いけれどひかえめという我が家の3人にはないキャラクター。めす猫は家にいつくというけどそのとおりで外にはめったに行かず、ちいさかった娘達が誰もいない寂しい家に帰ってきたときは「おかえり」と玄関でじっと待っていてくれました。
せっかちな私にはその遠くを見るまなざしや、おだやかでゆうゆうとした歩みで、「目先のことばかりにとらわれずに、長い目で時を把握し、全体を見渡すゆとりをうしなうなと」言っているようでした。
東京の友人のところから見知らぬ娘さんに新幹線で我が家まで運ばれてきたのにはじまって、猫としてはいつもいい人と巡り会い幸福な人生を歩んだと思います。私たちがアメリカ放浪の旅に行っていた間、1年間も佐々木もっちゃんの家でかわいがってもらいちゃんと待っていました。お隣の荒田さんが大の猫好きで留守がちな我が家にかわってチビのことをいろいろ気をつけて見守っていて下さったこともチビが長生きできた理由のひとつです。
ペットはその家族のうつし身というけれど、わく星学校にとっても「校長は猫のチビ」といわれるだけあっては影の大きな存在だったのかもしれません。
猫というものはだいたいわがままで勝手な動物だというけれど、チビはいろんなことがわかった猫でした。
ほんとは子ども達にごちゃごちゃ触られるのが好きじゃないけど、逃げないで目をつぶって堅くなっているのをみると我慢しているんだなとわかりました。わく星校長猫だからこれは自分の役目だとさとっているようでした。獣医さんが注射をするときもそうでした。(自分の運命を抵抗せずに受け入れるタイプだったことも我が家にはないキャラ。)
不登校になった子どもの相談に来られた親御さんがチビをだいてなでながら辛かったことや子どもへの想いを話されたり、見学にきてチビが気に入ってわく星学校に行きたいといった子ども達もいます。ここは安心できる場なんだよということをチビは無言のうちに伝えてくれていたんだと思います。
12月7日には「ちび」のお葬式をしました。子ども達は岩倉の山々で採ってきた野の花をいけてくれました。そしてチビの亡骸をなでまわして「寝てるみたい」「冷たいね」「かたくなったね」「目つぶらしたげよ」とかいってもう動かないチビであることを確認しているようでした。わく星学校に来てからずっといっしょに居たチビなのですが、不思議なことにチビとのつきあいが多い子ほどその死に対して、否定感や恐れというものがありませんでした。最後の一週間はぐったりとしてやせてきたチビをみて子ども達はとても心配していて辛かったようです。でもこうして生き物はやがて死ぬんだということを受け入れたのでしょう。だれが言ったのでもないのに、自然にチビの前で読経がはじまったのにはびっくりしました。おいていた般若心経を恵ちゃんが読み始めると、その本をまわして次々と何人かの子が読んでくれたのでした。
そしてお焼香もして、チビのお棺に花を入れ、手を合わせて黙祷とかいっていました。子ども達にとってはお葬式ごっこみたいでおもしろいからやったんで、おそらくどこかで体験したことを再現してやってみたのだろうけど、形式だけでなく、これで終わったんだということがどの人にも受け入れられるようにこうした儀式があるというその意味も含めて、子どもはいろいろなことを見て覚えてやってみて身につけていくんだとおもいました。難しい「死」という哲学的課題もこうして体験的に身につけていくんだとおもいます。
この様子を見ていて「孟母三遷」という話、「学校」の近所にひっこししたから孟子が学問好きになったんではなくて、「市場」「寺」「学校」と三回引っ越ししたというその課程で孟子が色々なことを感じ、体験したから学問がおもしろくなったんだと思います。いい学校に行けばよいという、環境さえ整えたらいいというお話ではなく、いろいろな経験からたくさんのことを感じて自分の中に疑問や問題が生じてこそ学問をする意味が生まれ、そこに血のかよった学問がうまれるという教訓ではないかと思いませんか。
わく星の子ども達の今週は、手作り市で「経済」、岩倉山の家で「農業」や「土木」、山じゅうつかってのかくれんぼをして「地理」や「生物」、チビの葬式で「哲学」、ドッチボールで「心理学」でした。(こう思うとフフーん、やってるやんか)
必ず死はある日突然、誰にでもやってくるのですから、それを受け入れるしかありません。では死にまつわる恐怖や否定感を乗り越えるにはどのようにしたらいいのでしょう。だれでも死を体験することはできません。臨死体験を語ることはできても、自分の死を体験することは不可能です。こうなんだろうと想像するしかありません。人は自分には未だ来ぬ「死」を他の「死」のそばに居てそれを見、感じることしかできないのでしょうか。光と影のように、死というものがあるから生に意味があるということを、頭ではわかっていても私たちは深いところでどのように納得して生きていくのでしょうか。チビはまたわたしたちにたくさんの課題をなげかけて、新たな旅にでたのでした。
チビ校長は今年の夏からしょっちゅうヒマラヤ杉のてっぺんに登って西の空をみつめていました。わたしはそのころからもしかして…。と感じていましたが、動物には自分の生命がそろそろ終わりに来たことがわかるのかもしれません。今思うと赤い夕日に「西方浄土」を想い、やがて旅立つ日を焦がれていたのでしょうか。
去年ちびの母さんも東京でなくなったそうです。今年6月には他の兄姉2匹ともなくなったそうだから、猫としては寿命を全うしたのかもしれません。
いつかまたわく星学校の玄関に小さな子猫がやってきて「にゃーん」とわたしたちを呼びます。そのとき私たちはすぐにチビがかえってきたことがわかると思います。
でもチビに似た猫はいても「チビのように生きた」猫はやっぱりもう居ません。
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