山下 敬子
今年の夏合宿は8/21〜25で徳島県海部郡牟岐町の出羽島に行って、休校中の出羽島小学校に滞在させてもらい、3日間蝶々魚のいるきれいな海でおもいっきり泳ぎました。島の方々に親切にしてもらい、タコやウニ、巻き貝なんかもとって、お魚もいっぱい食べ、みんな元気いっぱいすごしました。
8/21(月)
みんな京都駅で顔合わせ、青春18切符で普通列車に乗り込み列車旅のはじまり。
ひろ、きみはゆうと3人でフランスから、ゆうきは屋久島から。敬子も東北の旅から帰ったところ、みんな日焼けして旅のみやげ話にはながさく。一方しょうた、たけし、じゅん、こさちゃんの「めだか生態調査」班もこの夏中の調査で日焼けして真っ黒。小学生のちあき、しゅうへい、かいしもはりきっている。東京の高校にいっためぐみもきてくれて、スタッフの山口さんとで今回は総勢14人。マリンライナーで四国に渡り、高松で「讃岐のごんぶとうどん」を立ち食い。うまい。列車の待ち時間に買い出し班のしょうた、かいしと高松駅周辺ですだち、蛸、地鶏など夕食買物。産地食べ物はヘルシーで安い。でもやたらと「四国電力=クリーンエネルギー=エコロジー」???のポスターとかが目に付く。今回の東北の旅でも思ったけど、駅はその地の顔なんだ。勉強になる。
牟岐線に乗りかえてコットンコットンと山間の斜面を行く。ひろ、ゆうき、ちあき、しゅうへい、かいしはもっぱらトランプ「大富豪」「ポーカー」をしている。勝負事の弱い私にもみているとなかなかその子らしいゲームぶりがおもしろくてついのめりこむ。やっと17時19分、牟岐駅に到着。島への連絡船「大生丸」17トンは1日4〜5本だけ。17時20分が最終なのだが私たちの到着にあわせて5分ほど船の出発を遅らせて待っていてくださった。私たちは港まで大疾走。船長さんのキダさんや島の皆さんにご迷惑かけてしまった。ありがとうございました。
連絡船に着くと今回の出羽島の紹介者坂本るみ子さん一家と、京都「まほろば」の和田ひろこさんたちもみんなで連絡船でまっててくれて心強かった。
るみ子さんにいろいろ教えてもらって、いよいよ出羽島計画スタート。
この出羽島は牟岐町から連絡船で15分。港の周りだけ漁師さんの家がならんでいる。だんだん畑に少し野菜や米もつくっているがほとんど漁業で暮らしている。現在は「赤ウオ」といわれる甘鯛や糸より、はも、つばすなどの天然ものの高級魚をとっている、うでききの漁師さんが多いらしい。
交通機関はすべて船。車は必要なく、島内では自転車か手押し車で移動している。
宿泊予定の出羽島小学校は灯台への途中の小高い丘にあった。管理人のノダさんに諸注意をきく。25日までこの学校の全部をかしていただけるらしい。料理は給食室・用務員室で、シャワーは職員住宅で、宿泊はおそらくこの島唯一の鉄筋建物である広い体育館でみんなで寝ることになる。
夕方の家並みは静かで朝が早いせいかもう午後7時頃でひっそりとしている。閉めかけているただひとつの店でたのんで食料を買う。地鶏のカレー、蛸サラダ、鳴門ちくわなどで夕食。
さっそく元気組は夕食後も体育館でバスケ、フラフープ、跳び箱。メグ、たけし、しょうたは音楽室でシロホン、エレクトーンとかで楽しむ。4年5年6年の教室の黒板もそのまま。黒板にはさっそく「ごぶりん」「さぶちゃん」のリアル画像が出現(だれや?)。
私たちはシャワーをして早めに「おやすみ」。でも鉄筋の体育館は昼間の陽射しでむんむんあつくてその上すごい大きな蚊の襲撃にあってねむりを醒まされたのでした。
8/22(火)
こんなに朝早く漁師さんたちが漁をしてくれてるなんて知らなかった。午前4時。しかも拡声器でお互いに連絡しあって港を出ていく。朝っぱらからすごいにぎやかさ。
ああもう寝てられないと昨夜の蚊騒ぎもなんのその、高台にのぼって海の方を観望。薄明かりの中をおもちゃの船のような小さい船が何隻も港からでて行ったかとおもうと、ぶいぶいとばしている明かりが走るのがみえる。灯台の明かりがきれい。今日も大漁でありますように。漁船がみんな出ていって静かになったところでまた寝た。
今日は島巡り。朝ミーティングをして島を一周していい泳ぎ場を捜してそこで泳ぐことにする。島の遊歩道をみんなで歩き始めたところで、テレビのロケ隊に遭遇してしまった。関西テレビの番組「キッチンアイランド」で川崎カイヤさんと島崎あだもちゃんとかが出ていた。
すうっと通ればいいのに、わく星は目立つんだ、アダモちゃんに「島の子どもさんたち」とすっかり間違えられてゆう、ひろむ、きみ、かいしの金髪組としょうたもなんかインタビューされてる、しかも15分以内にアカセカニ10匹取ってくることになってるし。ぼくら京都やといってるのに、あっちは聞いてないし。(島には4人の純朴な子ども達がいるけど、だいたいそれが金髪なわけないやろ。)コサちゃんが「先生、先生」とかいわれて怒った顔になってきた。ヤバー。カメラ、マスコミぎらいなわく星連中。ああ、きれて番組つぶしたらどうすんねん、というわたしのドキドキをよそに彼らはしっかりカニもとってきて、島の子をやらされてしまったんだ。(ちなみに9/2の本番組ではその場面はほとんどカットだった。)「せっかくカニとってきたのにろくに料理もせんとほかさはったし、ぼくらの役はなんやったんや」と疑問ののこったわく星はじめて突然のテレビ出演だった。チャンチャン。
島一周は1時間ほどで回れる遊歩道になっている。北に海峡をはさんで四国山脈、南に太平洋が望める海岸線の道、気候はお向かいの牟岐町ともちがって亜熱帯。「ハイビスカス」や「アロエ」「そてつ」、「ニッポンタチバナ」「はまゆう」などの亜熱帯植物の間をはしる道を潮風をほほにうけてのんびり歩く。この景色は屋久島みたいだなあ。「ああっ、ゆうきがいない」ロケ隊のところでゆうきをおいてきた。
山にはいるとジャングルって感じ。セミのかわりに「かに」がうようよ。「大池」というところには国指定天然記念物の「シラタマモ」が自生している。それは見たところマツモみたいだがよく見ると、ところどころ白玉みたいな小さな丸い気泡のようなものがついている。中生代の白亜紀、約1億4千万年まえに繁殖した海藻で、生物が海から陸へ移行する途中の形質として貴重なもので、日本ではこの「大池」にしか生えていないということだった。
午後はさっそく港のはしっこで泳ぐことにした。海は温かく、ボラやチョウチョウウオなどの色のあざやかな魚がいて南国の海底をおもわせる。時々港から連絡船が出入りする。朝に漁を済ませた漁師さんたちは船を洗ったり、網を修理したりしている。堤防に囲まれて波もない静かな港には、泳ぐ島の子そらちゃん、かいちゃん兄妹と、しょうくん、りょうくん兄弟、わく星の子どもの声だけがひびく。島のおばあちゃんたちが何事かとのぞきに来て、穫れたものをにこにこ見ている。
きょうの買い物班はしゅうへい、ちあき、しょうた、かいしで、食料を買うため牟岐町までいきました。牟岐町漁協はすでに朝市を終わっていたので近所の「木村」さんという魚屋さんによって行きました。
「安くてうまいお魚ください」とはいってきた子ども達に店のおばあちゃんは小さい目をつり上げ「まあっどこからおいでじゃ」と驚き「へー京都からきましたか、うちの孫も京都でがんばってるんよ。」歯抜けのくちもとでにこにこしながら、「えーねえ。自分たちで料理するかねえ。よろしい、よろしい。今おばあちゃんが美味しいお魚をさばいてあげるから」と魚料理を次々とつくってくれたのです。つやつやに潮焼けしたまんるい顔でうれしそうに「可愛い子らじゃ」とほめてくれるので子ども達もますます熱心におばあちゃんのお魚講釈に聞き入ります。あっというまにみごとに鰹をさばいて「徳島風かつおたたき」「なまぶし」のできあがり。お魚は苦手というしゅうへいとちあきちゃんにはエビとアジのフライをくれました。おまけにとっても安くしてくれたので私たちは大満足、明日もくるよ。明日は天ぷらだから材料よろしくといってかえったのでした。
どこに合宿にいっても若い人が都会に働きに出るようになって小さい子どもが少なくなった地域では、お年寄り達は、子どもがいないのを寂しがって、たまたまいったわたしたちでも孫のようにとってもかわいがってくれます。わく星の子は、やさしくて親切なおばあちゃんやおじいちゃんによく出会い、甘えさせてもらいました。
さて夕食作りをと帰り着くとまあ、海組の収穫の多いこと。ウニ、シラバ貝、びな、ニシキウズなどの貝類。みんなで手分けして料理する。わく星のお兄さんたちにかかったら海鮮料理はおまかせ。あっというまにお皿が並びました。
いっぱい食べて、またまた跳び箱やってコサちゃんに合気道技もおしえてもらって、その夜は遊び疲れてもう体育館の暑さも巨大蚊もなんのそのの爆睡でした。
8/23(水)
「にぎりめし」をもって今日はモラスコ牟岐(貝の博物館)のある対岸の砂浜海岸へ。港から徒歩1時間。けっこう疲れたけどついたところは波の静かな青い海と真っ白な浜。やったあ今日はこの透き通った海で一日泳ぐぞとばかりさっそくどぶん。コサちゃんのあとについてどんどん深いほうへ、こわくなって引き返したのは私だけ。かいし、しょうた、きみ、じゅん、ひろ、たけ、ゆう、めぐなんかはもうずっとむこうにおよいでて波間に見え隠れ。磯までいくと、ウニ畑にいろいろな魚が泳ぐのがみえる。
がそこで何人かがあわてた様子でもどってくる。
「何かあった?」「くく、くらげにさされた」
みるとひろむの足がみみずばれ。ゆう、きみ、たけしも赤く刺されている。刺したのは聞くところによると「アカクラゲ」で他のクラゲより触手が長く浮遊してるだけでなくじぶんでも動くタイプらしい。痛みは体質にもよるらしく島の人でも何年もクラゲのいるところでもぐってても平気な人と、ひどくなる人がいるとのこと。「ミズクラゲ」は大きいけど、だいじょうぶらしい。
で、ちょっと昼休みにして昼食。午後わたしとちあき、山口さんは「貝の博物館モラスコ牟岐」を見学。巨大なシャコ貝や今まで拾った貝殻の名前なんかを調べた。他の人たちはめげずに再び海へ。かいしはウニ取りに専念。おおきいムラサキウニをいくつも獲っている。しゅうへい、ゆうきは長いことかかって砂で大きい砦みたいなのを作っている。みんなおもいおもいにこの湾につつまれて遊ばせてもらった。
連絡船に乗る前にまた木村鮮魚のばあちゃんとこによって、天ぷら用に「かます」と「たこ」を、煮物に「いか」「まぐろ」をさばいてもらい、かぼちゃ、れんこんなんかはただでもらっちゃって美味しい天ぷらをつくることにする。弁当のおかずは梅干しを入れて炊くと腐りにくいからと「うめぼし」もくださる。ありがとうおばあちゃん。
8/24(木)
今日は合宿最後の水泳日、朝のミーティングをしてすぐに湾内に泳ぎに行く。私と山口さん、しょうた、しゅうへい、ちあきは出羽島の漁協で朝の魚のせりを見に行った。
4時ごろ出かけた漁船が9時ごろになるとどんどん帰ってくる。この日は「糸より」「マサバ」「ガシラ(カサゴ)」「はも」「たこ」などと、「はまち」「いさき」などがどんどん水揚げされていた。それを漁協の人が計って値段をつけている。大きさや活きのよさで仕分けされる。漁師さんの奥さんが仕分け作業をして、漁協の人が値踏みする。どちらも真剣だ。黒板にはその他「レンコ」「あまだい」「シオ」「つばす」「鯛」「平アジ」「バチ」「イカ」「モンゴ」「メー」「ヨノミ」「平政」「サザエ」「三角バイ」とかがキロいくらか書いてあった。
私たちはおじゃましないようにせりの落ち着いたころまた買い物に来ることにする。
湾内ではみんながどんどん潜ったり、泳いだりしていた。かいしは潜って「たこ」をしとめていた。じゅん、たけし、きみのりも「ニシキウズ」や「あわびもどき」(ながれこ?)をさがしていた。ひろむたちはきのうのにっくきクラゲをつかまえてお仕置きをしていた。
ゆうに「海中はい走り術」をおしえてもらった。3メートルくらいの深さに潜って海底をひっかきながらはい回り、息がきれるぎりぎりのところで水面に上がるというもんでゆうなんかあっというまに10メートルはむこうまですすんでいる。他の子ども達も見よう見真似でやってしまう。うらやましいけど、子どもの時でないと恐いが先に立ちとても私には無理だった。
その後みんなで対岸まで泳ごうということになった。ゆう、めぐ、しょうた、かいし、たけし、じゅん、きみのりとかは前からやってたけど。今回はあとのみんなも一緒に挑戦した。プールではなく、底の見えない深い海ではたとえ25メートルでも泳ぐのは恐いのによくがんばったもんだ。こうやって仲間に勇気をためされ、認知されるためにいろんなことに挑戦して、挫折して、また挑戦して自信をつけて成長していくんだろう。時には仲間たちは残酷なことをいったり、からかったりするけど「この子は仲間だ」という信頼関係が作られるまでのすれすれのためしあいとかけひきは大人には測り知れないものがある。その経験が多様であり、開かれていれば子どもは豊かに伸びる。合宿ははらはら、ドキドキもするが、あったかい感動映画を観ているようだ。
いつまでも海に入っていたいけど夕飯準備もあるからスイカをたべておしまいにしてもらう。焼けてしょっぱくなった体に冷たい甘いスイカがとってもうまい。
さてさて夕食は「いさき」「はまち」「たこ」のさしみ。これはたけし、じゅんとしょうた、かいし達の出番。「チキン煮込み」はきみのり、ひろむにフランスで覚えた味をだしてもらおう。カボチャ煮はめぐみが、なすが大好きなユウ君は「なすのみそいため」を担当。じゅんたちは「びな」「あわびもどき」をたんねんに料理する。
ちあきとしゅうへいはキャベツときゅうりをきってサラダをつくってくれた。今夜は最高の夕食。
寝る前に出羽島小学校のお掃除を手分けしてやり、明日の長旅にそなえて早めにおやすみ。
8/25(金)
とうとう今日は帰京の日。「今日はどこでおよぐのかね」と子ども達に聞いてくれたり、雑魚をくれたり、貝のお料理をおしえてくれたおばちゃんや漁師のおじいちゃんたち、坂本るみこさん、管理人のノダさんに「お世話になってありがとう、さよなら」をいって、静かな漁港を後に連絡船は出発した。牟岐についてから今度は木村鮮魚店のばあちゃんにお礼とお別れを言いに行った。
そろそろ列車に乗ろうと言うときになって、木村鮮魚店のばあちゃんが一升瓶をもって自転車で追いかけてきた。「ゆず酢」をもってきてくれたのだ。見ず知らずだった私たちに来年は「うちに泊まりなさい」といってくださり、親切にしてもらったうえに、おみやげまでもらって本当にありがたかった。
今回は日本のやさしい自然とやさしい年寄りにであえた旅でした。