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タイから帰ってきました その1

山下 敬子

 2月18日から26日まで「タイ子どもの国学園」に行ってきました。今回ここであった「オルタナティブライフと教育」についての集いは私にとっては大変意義深いものでした。
 今回の旅で「生活のある学び」というわく星の新しい方向性が見えてきたようにも思えます。
 ムーバンデック(子ども村学園)は1979年に設立された、孤児や、貧困・家庭崩壊などの事情をもつ子ども達を預かっている施設です。ここは3歳以上の子ども達97人が共同生活をする場であり、タイ国から認可を受けた学校でもあります。イギリスのサマーヒル学園のニイルの教育思想による、子どもの自由と意志を尊重した教育をうけることができる小さなコミュニティーです。
 ここで子ども達と1週間を過ごしました。ここにいると自分の子どもの頃の幸せだった日々や、夢を思い出し、もういちど自分の夢を実現したくなり、そのことが実現しそうな勇気がわいてきます。
 学園のひとびととのふれあいのなかで今はもう失ってしまったあったかい家族的なアジア人独特の人情をおもいだしました。
 私はやさしかったおばあちゃんや親切な近所の人々とのふれあいをおもいだして「自分はたくさんの人々に愛されて育ったんだ」ということを思い出しました。
 子ども時代に一番大切なことは、人に愛され、人を心から信頼できるという経験をすること、正直で誠実な人間関係こそこどもにとってもっとも必要なことではないかと校長先生のラチャニーさんはいわれます。
 タイはいま経済的にたいへんな時にありますがここでわたしが感じたことは「なんにもなくなったとき、何が残るのか」をみせてもらったようにおもいます。
 その他今回の集まりにはインド、アメリカ、デンマーク、韓国などの国々からと、カレン族の人々もこられて、生活を共にしながら交流を深めることが出来ました。
 学園長のピポップ・ドンチャイさんはタイのオルタナティブ教育が民主化運動とともに歩んで来たことを話された。市民の自由と権利の闘いのなかで「子どもの村学園」も出来てきた。「オルタナティブ教育と政治改革は両輪」であると述べ、パウロ=フレイレなどを例にあげ、市民の教育権と自由は市民の手によって政治的に奪い返さなければならないという考えであったと思う。これからのオルタナティブ教育はグローバリゼーションということを大きく視野にいれて展開していくことだろうというのであった。
 インドでは「働く子ども達」が自治運営しているオルタナティブな労働組合グループの代表であるアムクタ=マハパットラーさんと、ボルーさんというインドの教育者がはなされた。それは教育というものの核心を述べていたように思う。良い教育というのは「読み書き」といった表面的なものよりも子どもが生まれながらにしてもっている「繊細さ」「明るさ」「正直」…などなどの「徳」を破壊しないもので、親や教師は彼らが自身で道を見つけられるように、彼らの「真の学び」について心遣いをなすものだといわれた。選択肢がたくさんあるということが自由であるとはいえない、その個人がどれだけクリアーであるかが大切なことだともいわれたことが印象的だった。
 そのほかアメリカのアパチナススクールとクロンララスクールの代表、デンマークの実習生ミカさんなどからもそれぞれの国におけるオルタナティブ教育の流れをきいた。
 韓国のオルタナティブ教育センターのチョさんは韓国もすぐに日本と同じ数だけの不登校問題をかかえるだろうと話をされ、若い人たちがインターネットなどによってネットワークをつくっている新しい活動を紹介された。
 カレン族のひとからおもしろい伝承ストーリーをきいた。森と共に生きてきた人々の知恵と文化の豊かさを教えてもらった。
 最近タイの政府は、自分たちの勝手な都合でその土地を国立公園にして200年以上森と共に生きてきた彼らをおいだそうとしているらしい。
 それぞれに考えるところがあり機会をつくって皆さんとわけあいの会をもちたいとおもいます。この文章は2回にわけて通信には載せる予定です。またわく星通信をお楽しみに。

タイから帰ってきました その2

 今回の旅で起こった出来事をおもいおこすと、人間は「不思議」の中に生きているんだなあとつくづく思います。私は1人旅も大好きですが、「縁は異なもの、味なもの」と昔からいうとおり今回の旅はメンバー同士が、出会いを楽しみつつ、いっしょに旅を作っていくという、料理でいうなら「すき焼き」のような、ほんとうに不思議がいっぱいのおいしい人生のような、豊かな旅だったと思いました。
 子ども時代は不思議な出来事がいっぱいあって、その「不思議」にどっぷりつかることができたのに、大人になってから自分がでくわしている人生の不思議を十分に味わうこともなく、前へ前へつんのめって歩いている。
 今回は人生の「不思議」に子どものように驚きつつも、それぞれの今、ここ、この時が何のためにあるのか、何を自分はやっているのかもよく見える旅でした。
 わたしにとっては一生涯忘れられないすてきな49歳の誕生日をムー・バン・デック(タイ「子どもの村学園」)でむかえられたことが一番の大きなよろこびとなりました。まず2月19日をムーバンデック(子どもの村学園)でむかえられれば自分は生まれ変われるかもという、個人的な夢を「呼びかけ人」の児島さんやムー・バン・デック(子どもの村学園)やツアーの皆さんが受け入れかなえてくださったことに感謝しなくてはなりません。
 旅の1日目であった19日の夜は学園のホールでは私たち一行のための「歓迎会」がおこなわれ、150人以上のアメリカ、インド、スエーデン、ハワイ、韓国、タイ、カレン族など世界各国の人々と子ども達が集まりました。仏壇には色とりどりの花や供え物が黄金色の仏様の前にあり、大人も子どももおだやかなほほえみを浮かべたようすは極楽図のようでした。
 はじめにタイ仏教の修行をしている「あきさん」という日本人のお坊様の読経のあと、コミュニティーのおばさんたちが御詠歌みたいなのをうたってくれました。次に子ども達がマリーゴールドの花輪と白い凧糸の腕輪をひとり一人のお客さんにいざりながら捧げもってきてくれました。そして白い凧糸の腕輪をするときは手首の上でその人の外側にひもを3回よじり、「悪いことはでていきますように」と唱えます。
 逆に「いいことがやってくるように」ととなえながら内側に向かってひもを3回よじってから手首に結んでくれます。私は自己紹介のときにタイ語で「ワンニー、ワンクーット、チャンカ、ア、ユー、スウィ、シップ、ガオ、リョ、カ」(今日は私の49歳の誕生日です。)と教わったとおり読んだのでおかげさまでみなさんに「ハッピーバースデイ、ウエルカム」と言ってもらって腕輪をしてもらいました。
 まるでほんとにお母さんのおなかからはじめてこの世に生まれてきた時みたいに…。この日の出来事はわたしにとっては新しい自分の誕生をあらわしているかのようでした。
 ツアーのみなさんからも心のこもった一言が書かれたバースデープレゼントもいただきました。どの人の表情も、本当に今ここにいることが幸せだと感じているようでした。
 もう一つの感想はムー・バン・デックは「ビー・ヒア・ナウ」という本来の自分に立ち返ることをそこにいる人々に生活のなかで体験させてくれる場であると思いました。
 実は私は10年目をむかえたわく星学校の成長を喜びつつも、「わく星学校」にないもの、いまだ出来ないことに責任といらだちを感じ、一種の行き止まり感をもっていました。それがどうしてなのか、いったいどのようにしたらいいのかを探りたかったのでした。
 ムー・バン・デック(タイ子どもの村学園)での滞在期間に気付いたことはいままでの自分のいらだちはできないことをしようとしていたり、やれることを素直にやろうとしてなかったからだとわかりました。
 ムー・バン・デックというお手本をみたからではなくて、ここが自らの問いに自ら答えられるような環境にあったからだと思います。
 「ゆたかさ」と「貧しさ」とはなにか?、「いったい何が今、大切なことなのか」とまず自分にたちかえって問いかける「気づきの時間と環境」がここにあったということが大きかったとおもいます。分かっていたつもりでも日本にいると見えなくなってしまう「マインドフルネス」(ティク=ナット=ハーン「BEING PEACE」)ということ…。
 学園の方針でもある「仏教の教えによる」というところは短期の訪問者には見えにくい部分でもありますが、ここでしばらく人々と生活を共にすると「すべての命はいちまいの織物の糸のごとくつながり、けっしてばらばらには存在しない」ということが空気としてあることがわかってきます。
 人々は早朝からおきて畑、家畜の世話などとよく働く。けれど忙しくない。午後は学校から帰ってきた子どもの宿題を大人が見ながら、食べ物を加工したり、料理をしている。また犬やねこといっしょに昼寝してるひともいる。子ども達は川にいって泳いだり、洗濯したりしている。おじさん達は朝からの大工仕事などから帰ってきてごろんとねそべったりしていて、できた食べ物を味見しあっている。おっちゃんもおばちゃんもその時手があいているものが家事や育児をしていて、男女別の分担とかはないみたいだ。
 庭さきで料理しているので通りがかると「これたべてみるか?」と声がかかり、みんながいっせいに「うまいか?」「これは日本にもあるか?」「タイ語で****というんだ」「もっと食べろよ」とか口々に教えてくれる。おかげで「アライカ?」(これは何?)とか「テジプンミ」(これは日本にもある)とか「チョプ・チャン****」(****がすきです)とか「アロイ」(うまい)とかすぐにおぼえた。
 あるものはみんなでわけあい、ないときは人にたよる。自分だけの「もの」はあんまりない。おじいちゃん、おばあちゃん、おっちゃんもおばちゃんも冗談をいいながら気楽にくらしている。失敗しても「マイ・ペン・ライ」(なんとかなるさ、ドント、ワリイ、ビー、ハッピー)。この国ではいちいち目くじら立てて怒らないのが大人というものらしい。
 午後、川からあがってきてぶらぶらしているとおばさんたちがにわとりを追っ払って、あいたところでキャアキャアいって盆踊りの練習を楽しんでいた。見ていると、いっしょに踊りましょうといってひっぱられとうとう、その夜のお楽しみ会でいっしょに踊ることになりおもしろかった。よく働き、良く笑い、唄い、踊り、みんなでよく食べるひとたちだった。
 ムー・バン・デックの子どもたちは早朝は畑で野菜の水をやり、草引き、収穫、家畜の世話とよく働く。食事の前にはみんなが小さい子の面倒をみながら料理をしている。大人達に混じって男の子達は火おこしや、大鍋の湯をはこんだり、中華鍋をかえしたり、小さい子は野菜の下こしらえなど自分たちの仕事を喜んでやっている。わく星学校の山の家での料理風景と同じだ。そして小学生は午前中は村内のフリースクールにいって、中学生以上の子は近くの学校へ、3時からは川や広場でたっぷり遊んで、夜は村内に住む10家族ほどと暮らしたり、男の子、女の子別の寮に分散して住んでいるようだ。子ども達の生活の様子は、大人に「評価」されたり「恐怖」を与えられることがなくても自然に規律のある生活をしている。
 仲間同士の問題は週一回の「アッセンブリー」で話し合って解決するようになっている。
 例えば「ある部屋を使う人たちが、いつもかたづけをしないで行ってしまうので…。」という問題の場合は、なぜそうなるんだろう?だれがどのように困っているか?どうすればいいか?などの話し合いがあったり、「子どもにだけ見てはいけない番組があるのはおかしい、おとなも子どもの番組をみてはいけないことにしよう」などといった子どもなりの考えも検討される。
 困ったこと、おかしいと思ったことは話し合いの末、大人も子どもも対等の一票のもとで多数決がもたれ、プロセスをへて規則が作られる。
 時には5人の判事と裁判官によって罰則が科されることもある。大きい子には罰金のシステムもあり、違反が重なると罰は加算され、自分の権利がどんどん小さくなっていく。例えばたのしい川遊びや、週末のお楽しみ会、遠足に行くことができなくなったりする。
 もちろん選ばれた審判官とともに罰の異議申し立てをすることもできる。
 会議では真剣に堂々と意見を述べている子ども達のようすは、とても印象深かった。
 ここの小さい子は、自分が尊重されると知っているので安心して言いたいことをいっている。また、だっこされたいとおもうと近くにいるだれかのところにいってすりよりだっこしてもらっている。犬もネコも鶏も、もちろんちびっ子もみんなにだっこされ、遊んでもらっている。
 今回の参加者も「ここに来ると、自分が小さかった頃のたのしい思い出や夢を思いだして、勇気がわく」とみんなが口々に言いあった。

 今年のわく星学校はリニューアルで桜の花が咲き、また春がやってきました。いい季節ですね。なんだかわくわくしますね、子ども達も活き活きしています。
 わく星のメンバーも少し出入りがありまた新しいメンバーを求めています。今のメンバーは2〜5年生までが4人、中学生が4人、15歳以上が3人です。そのほか時々参加する人や勉強をいっしょにしようというお兄さんもいれて仲間が15人前後。(スタッフは変わらず山下、小坂、大久保、石井、山口の5人。)
 私たちはもっともっと仲間が増えてほしいと思ってます。兄弟姉妹で来ている人が4組で、もっと新しい家族にもきてほしいです。わく星学校が居場所的なところというよりは、従来の学校と違った「新しい教育」をめざすところだと意識しだしてからわく星学校のもっている雰囲気が初めて見学にきた人にはなじめないのかもしれません。「これはちょっと個性的なところだぞ」と思わせてしまうのでしょうか、いまいち子どものメンバーが増えません。
 でもここの仲間になり、理解しだすとほんとうに安心してありのままの自分でいられるところだというのはここのだれもが言うことです。
 日本では多くの人がそれを支持していれば、たとえそれがめちゃくちゃなものでもそれに従うということがあります。今の日本の文部省の「学校」をこれでよしとはだれも思ってないけれど、では自分たちの子ども達の大切な人権のためにこれを変えていこうということにはならないし、ましてやこの大きな群からはずれて独自の新しい道を開拓していこうということにはなりにくいものです。
 たいていは子どもの不登校という事態に直面してはじめて疑問を持ち始めるのですが、でも「自由のはき違えが不登校をうんでいる」(自由をはき違えているのはあなたですといいたい。)といった町村文部科学大臣の発言からもうかがえるように、ほんとに子どもの立場に立って「子どもの学ぶ自由や権利」について考え、行動にうつす大人は日本にはすくないようです。
 わく星学校はたとえマイナーでも、「自分たちのものさしで考えた教育」をやっていきたいとおもいます。正しい教育なんて言わないけれど、少なくとも「赤信号みんなでわたればこわくない」に疑問をもった子ども、親、スタッフ、わく星協会の人たちによって運営していきたいです。
 今のわく星学校の子ども達には自分たちの生活がどこから来て、どこに行くのかがちゃんと見える生き方をしてもらいたい。そのために自分だけでなく他人ともちゃんとむきあって、問題を解決していける環境や時間が保障されなくてはなりません。
 4月からは広い自然に囲まれのびのびと遊べる「岩倉わく星学校」が週3回、便利な「北白川わく星学校」が2回となります。場所を分けているのはどちらの良い点も利用したいからです。
 今年は債券の資金を利用させてもらって念願の学校の環境整備をし、教育環境の充実に力をそそぎたいとおもいます。
 工事は子ども達にも手伝ってもらって、なるべく手作りでやるつもりです。みんなとても楽しみにしています。またわく星協会の会員さんで、どんな形でもけっこうですボランティアをもとめています。
 日常の活動については子ども達がわく星学校の主体者ですから彼らとプログラムを作っていくのですが、去年からのビオトープつくりや、めだかの観察、「吉田山の森の調査」もつづけてやり、だいたい自然・環境教育を中心にすえたいと思います。
 フリーマーケット「手作り市」や、サイクリング旅行、夏の東北旅行もしたい。子ども達のだいすきな「スポーツ」ももっとやりたいです。またこのような新しい教育についての理解を求める活動として北白川のわく星学校で、その便利さを活かして「竹の子会」(親と子の共育相談)や他のグループとの交流会・合宿も積極的にやろうとおもっています。
 また債券の返済のためには、「お米販売」や「ショップ」などの資金運営も考えなくてはいけません。
 通信をとってくださっていたり、わく星を応援してくださっているかたがたでもある「わく星協会」というコミュニティー(勝手にそう呼ばせてください)がわく星学校をささえています。今年度もわく星学校をよろしく応援して下さいね。

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