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わく星学校夏合宿2001
宮沢賢治と民話の故郷を訪れて

山下 敬子

 今回のわく星学校の夏合宿は7月29日から8月6日の8泊9日の長旅だった。
 今回の旅は一言でいうと「自分の世界を広げたね」という感じ。
 ちょっとハードだったかもしれないけれど、それぞれに好奇心いっぱいで、だれもが新しい経験をし、新しい自分を発見した。
 岩手県花巻近くの宮守村リンゴ園にある「四季の子ども村宮守分校」の川坂さんと松田てっちゃんや、盛岡の木原睦美さん、そして秋田県本荘市のひろむくんの祖母三浦文子さんなどなどたくさんの人に出会い、旅先でお世話になった。本当にありがとうございました。
 東北地方は近畿圏とまた違った北国独特の文化があり、初めてみるものや、聞くことがいっぱいだった。
 馬屋のある農家の風景、一面の稲田や、きりたった険しい山々。そして昔から語られ続けた民話をきいたり、伝統の神楽も観賞した。
 雨で霊峰「早池峰山」の岩山登山や「川遊び」が出来なかったことがちょっと残念だったけれど、大雨の中でのキャンプも今ではいい経験だったと思う。
 宮沢賢治が岩手県をイーハトーブとよび、理想の世界を夢見た所だけあって花巻市周辺各所にロマンあふれる賢治ゆかりの場所があった。
 7月末から、8月のお盆にかけては東北では、私たちの見た「早池峰神楽」「盛岡さんさ」「秋田竿燈」のほか、「青森ねぶた」「仙台七夕」「北上陸奥芸能」「宮城花笠」などとたくさんの夏祭りがあり、どこでもお囃子や太鼓、東北なまりの民謡を耳にすることができた。
 だれも体調を崩すこともなく、盛りだくさんの合宿を元気よく楽しめたのは日頃から体力、楽力、食力の「遊び力」をつけていたからだと思う。

7月29日(日)
 20時30分京都駅で待ち合わせ、「ああ800円のカツ丼より、たこやきにすりゃあよかった」とぶつぶついいながら3時間前からまっていてくれたゆうきくんがまず登場、そしてゴーグルでスタンバイして大漁を狙う海史くん、おばあちゃんのところにいく啓くんとしおりちゃん兄妹、吉浦毅くんと潤くん兄弟、どこにいくのもソックスにスリッパのおじいちゃんこと翔太郎くん、同じくノーソックスにぞうり派のゆん太くん、東京から合宿めざして7月からきてくれてる先輩めぐさん、麦わら帽子に半ズボンのスタッフこさちゃん、けいこの11人。
 「秋田でまた会いましょうねえ」と佐藤さんに見送られて、あっさりスタート。
 芭蕉さんとは反対コースで「大垣」から出発。快速「ムーンライトながら」にのってコトコト夜中走って、東京まで寝ながら行く。快速なので「青春18」チケットでオーケー。車中は登山合宿にいくのか大きなリュックの大学生たちでいっぱいだが、ヒロム君の誕生日とあって「するめと枝豆」をプレゼントする。枝豆が好きらしい啓君、気にもせず「ありがとう」といって食べてくれる。そばでしおり妹はさっそくおにぎりをぱくついている。毅兄はするめの匂いが車両中にプンプンしてるのでハラハラしてるが、潤弟とゆうきは気にせずマンガをみて、するめムシャムシャ。翔おじいちゃんは今日のエクササイズ。みんなそれぞれマイペースな旅人たち。サルのわく星「奥の細道21世紀版」のはじまり、はじまり。

7月30日(月)
 アナウンスで目が覚めると知らぬ間に東海道を通り抜け、5時10分東京に着いていた。
 さあここで広い上野駅を眠気まなこできょろきょろしてる間に、京浜東北線黒磯行きに1分差で乗り遅れてしまった。
 東京はなんてめまぐるしいんだあ。そういえば大リュック若者軍団が脱兎のごとく走っていった、あれに乗るんだったのか…。
 「この一分ミスで宮守村に着くのは3時間おくれるなあ」とみんなちょっとがっかり。そして「けいこさん、ほんとたよりないんだから。」と後にゆうきさんに寝言にまでいわれるはめになってしまった。
 「まあしかたないや、次の汽車をまって宇都宮方面へいくか」としょんぼりしていると、「宇都宮はギョウザやでえ」と翔太おじいちゃんが突然教えてくれる。「あー腹へったー。朝飯なに食べよ」とみんなもうけろり。
 食い物の話題でぱっと気分が変えられる所がわく星さるのすごいところ。で、朝食は「立ち食いそば」を食べ、昼食は高い駅弁はさけて、途中下車で福島駅前のスーパーまで走ってそれぞれ「海鮮どん」「うどん・ばらすし」「うなぎどん」とお好みの弁当を買って食べる。京都と違って安いし、ねたも新しいのに、400円程度だった。
 仙台駅の待ち時間に七夕飾りをみてまわったり、写真をとったり、陸橋からみて「仙台っておもってたより大きい街だなあ。大阪みたいな感じ。」と感心したりした。乗りおくれたおかげで郡山、福島、一関、花巻の各駅で途中下車できておもしろかった。
 仙台平野から北上盆地にはいるとあたりは牛小屋やサイロもある農家や見渡す限りの稲田、タバコ畑のある東北の田舎の風景。
 子ども達はみんな3時間ぐらいしか寝てないはずなのに元気。車中のたいくつしのぎの将棋が「ゆんた、ゆうき」白熱戦になり、「縁台将棋」ならぬ「車席将棋」に。周りのおじさんたちまでがのぞき込んでいる。ふたりの勝負におもわず手をだす海史に、「こらあ、やめろ。『バイキンマン』に『さる』がすくえるかあ」とゆうき先生の名ぜりふがとぶ。すっかりわく星モードで、ポーカーなどのトランプ遊びもみんなでわいわいやってるうちに夕方18時頃花巻に着く。
 これからは釜石線にゆられて山間の単線をのんびり走る。20時頃宮守村に着いた。
 駅には今回車の運転なんかでとってもお世話になった仙台のてっちゃんと新潟からやってきたチャムのおっかさん盛岡さんが迎えに来てくれていた。車でリンゴ園にある「四季の子ども村宮守分校」までつれていってもらう。
 川坂やっちゃんは8月2日の「さんさ踊り」のため盛岡に練習に行っているということだった。この日のためにみんな1年間練習を積むらしい。息子の翔君(翔おじいちゃんと同じ名前)は去年よりずいぶん大人っぽくなっていた。今年から遠野高校でサッカーをやってるそうだ。メンバーのうち恵、毅、潤、啓、悠樹と翔君は2年半前の新潟スキー合宿以来の再会である。
 あのときお世話になった新潟「四季の子ども村」は今は木原のおっちゃんが新潟のを引き継いで、川坂さんが岩手宮守村で、木原睦美さんが盛岡で、それぞれ分校をやっている。
 夕食は「ラム」等の焼き肉と畑で取れたての野菜だった。ここまでたどり着くのにほぼ24時間かかったけれど、お風呂にはいらせてもらって、美味しい夕御飯をいただいてほっとしたのか、疲れもとんでみんな食欲もりもりパクついていた。

7月31日(火)
 ゆっくり寝て目を覚ますと、朝の空気がひんやり。Tシャツだけではすこし寒いくらい。たくさんのひまわりの花が「おはようさん、今年もいらっしゃいませ」ってむかえてくれる。
 リンゴはソフトボールくらいの青リンゴになっていた。朝早くから農家のおばさん達が選果作業をしている。だいたい一枝に一つくらいにして虫食いの果実はより分けて採っている。広いリンゴ園のどこかにいるらしいが見えなくなった。丘の上の牛舎から牛のこえ。
 散歩しているとたくさんのハチや、紋白蝶、くもなどの昆虫がリンゴの木にいる。日のよく当たっている枝先の実は少し赤く熟れ始めている。
 丘の下のやっちゃんの畑と田んぼを見に行く。
 畑の方はインゲン豆やら、シシトウ、トマト、とうきびなんかも雑草の間にある。春菊の花や、オクラの花もきれいで余計な手出しをしないあるがままが宮守風だ。
 やっちゃんの完全無農薬、人力有機栽培、稲架掛天日乾燥の「罪作りやそはち八十八米」は10株ほどに分株が終わった感じだった。今年もやっちゃんの力瘤がはいっている。
 畦の間には「かやつりくさ」や、「コナギ」などの田の雑草が生えていて夏は暑い中の草まみれの日々だそうだ。「いやあ、せがれが学校に行くようになって朝弁当つくりやら送り迎えやらで田の草取りがなかなかできなくて。」とちょっと恥ずかしそうにいっているが、そこで除草剤とならないとこがえらい。
 このこだわりのお米を去年いただいて、一滴の汗も流さないままぱくぱく食べてしまったわく星さる軍団でありますが、ことしも草取りも手伝わず、「まつりだ」「神楽だ」と遊びほうけておいて、ちゃっかり「今年もおくってね」なんておねだりしてみる。でも、おいしいんだもの。
 今はつかっていないがなだらかな「牧草の丘陵」の景色に見とれ歩いていると、いいにおいがする。「やまゆり」「おにゆり」等が野原に咲き乱れる。たくさんの虫たちのウワン、ウワンといううなりが聞こえる。
 路沿いには「朴」や「クルミ」や「くり」や「さいかち」「すずかけ」の木などがまだいっぱいあって、あけびや山芋のつるがまいている。みんなここの農家の人が生活に役だつように昔に植えたのだろう。
 人と自然が調和して生きていた頃の名残りがまだあり、なつかしい。
 にわか雨に追われて戻ると、まだシーンとしている。みんなまだ寝てるのかなとのぞくと部屋でマンガ三昧。「カムイ伝」や「ブッダ」など30年まえのマンガもあわせて500冊以上はあるだろうか、驚きのマンガコレクションに群がるこどもたちであった。
 昼までゆっくり休憩して、長いミーティング。
 話し合いというとなかなかまとまらないのがまだわく星の未熟なところ。自分の考えや意見をいわずに、他人の意見の些細な間違いを非難したり、「要求」ばかりをだしたり、付和雷同になったり、みんなが納得するひとつの決定をだすのが至難の業である。今をどう過ごすかはひとり一人の責任だという自覚がまだまだ…。合宿中、とくにスタッフがつかれる場面である。
 やっとこさ意見がまとまった。
 午後になって早池峰山の麓のおおはざま大迫までいって「早池峰神楽」近く「笠置キャンプ場」にテントをはる。そのころから空模様が悪くなりはじめ、夕食の焼きそばを作っていると雨が降り出す。
 4時頃「早池峰神社」にいってみるともう弟子神楽をやっている。早池峰神楽は能以前の古式舞踊で、修験道者によって伝えられた山伏神楽を源流としている。この山深い大迫で「岳」と「おおつぐない大償」の2部落がその伝承を400年以上前からおこなってきた。毎年岳集落祭礼の宵宮の7月31日の夜、神楽を奉納する。親神楽である「岳神楽」と「大償神楽」のほかにも付近在郷に弟子神楽がある。
 一年間待ちこがれていた私は、あつかましいかなとおもったが、舞い手の足元まで見える脇正面にござをしいて陣取る。6時頃から子ども達もやってきて今年は「岳神楽」が先にはじまる。いつものとおり、鶏舞から「裏三番叟」「諷誦の舞」とすすむ。岳神楽の勇壮で激しい動きと、お囃子の鉦や太鼓のリズムに子ども達の足や肩がぴくぴく反応しだした。啓、毅、潤、悠樹やゆん太、翔太郎、恵たちはのめりこんでみている。子ども達にとってはおそらく初めての体験なのだろうが、電子音楽に慣れ親しんだこの子達の身体の中に流れている原始が反応している。
 私は大学卒論で初めてこの東北の山伏神楽にであったとき、「『歴史』というのは誰かが書いたストーリーではないんだ、私の血の中に流れているものをひもとく学問なんだ。」と直感した。
 誰かのつごうで書き変えられた「歴史」に惑わされず、自分の血にきいてみるような本当の歴史学があることを知ってもらいたい。それで今回こんな山奥まで子ども達にきてもらったのでもある。
 それにしても子ども達がこんな熱心に神楽を見てくれるとは思わなかった。結局9時頃までずっと見ていて、雨もぽつぽつきたので、後半の「大償神楽」がはじまる前、眠い子等をやっちゃんが連れて帰ってくれることになった。恵ちゃんと翔太朗君、こさちゃん、てっちゃん、私は「神楽」病にとりつかれたように、11時の最終までみて、「権現舞」が終わったところで大雨に。
 てっちゃん、海史、翔太、めぐ、敬子の5人はキャンプ場までのどしゃ降りの雨でびしょぬれになった。テントは中までびしょびしょ。でも、ぬれた寝袋のまま真っ暗なテントの中でしおりちゃんはスースー寝息をたてていた。たくましいもんだ。横で私も朝までうとうとした。
 その夜は車に避難した子等も、ぬれたままテントで寝た子等もどちらもたいへんな夜だったのに、だれも何の文句も言わなかった。

8月1日(水)
 昨夜の豪雨で「早池峰登山」はむりという判断。岳部落のおっちゃんたちも「今日は本祭り、捜索隊にいくのはいやじゃよ。鉄砲水がでたり、沢が渡れんかもしれんから止めた方がいい。」というアドバイスだった。
 海史君は岳部落のおじさんたちと仲良しになり屋台を手伝っている。おてつだいしておいしい「つけもの」や「クルミもち」「味噌だんご」などをもらった。朝から「早池峰神社」の本祭りを見ようということになり、展示館でみんなでビデオを見たりして神楽の勉強もする。
 いよいよというところでまた降り出して30体の権現様がおどる「権現舞」行列はついに見られなかった。
 神楽衆のおじさんたちは、朝みるとふつうの小柄なおじさんでどこからあのエネルギーがでて、神楽を舞うのかと思った。やはり、小さいときから伝承された神楽に誇りを持ち、修行するからこそあのような芸を極めることが出来るのだろうなあと思った。
 残念だけど登山も権現様行列もまた今度ということで、午後から新花巻にある「宮沢賢治記念館」に行くことにしておっちゃんたちにお別れをいって昼食に村の屋台の「味噌もろきゅう」「しょうゆだんご」「ずんだもち」などと「たこ焼き」をかじってから出発。
 新花巻の「賢治記念館」も雨の中がらんとしていた。期待した「銀河鉄道」も不通、賢治植物園の散歩もあきらめてテーマパーク内のホールの展示をみてまわる。
 「宇宙」、「天空」、「大地」、「水」の部屋はオブジェや映像、効果音をつかって賢治のイーハトーブが体験できるようになっている。イメージホールを抜けると、「セロ弾きのゴーシュ」と「注文の多い料理店」のミニチュアがあった。しおりちゃんやユンタもそれが気に入ったようだった。今年新しくログハウス風の展示館も出来ていてそこにもいってみた。
 ちょっと物足りない感じではあったが賢治の世界は実際に本でよんでもらうことにしてここは引き上げることにした。
 雨も降るし、きのうから服もしめってるし「花巻温泉であったまりたい組」はこさちゃんと、「早くかえってカレーライスを食べたい組」はてっちゃんの車とに別れて帰った。
 その夜は料理人毅、潤、翔太郎くんのおかげであっという間にわく星カレーの出来上がり。仕上げに梅干しもはいってベリー・グッド。
 その夜は温泉とビールでごきげんのこさちゃんと、翔太おじいちゃんが神楽「諷誦の舞」のリズムでジェスチャー合戦。
 例えば「エアロビクスのおすもうさん」とか「ルパンが銭形にうたれるところ」とか、「激走するおじいちゃん」とか「ワニにのみこまれたおじいちゃん、ファイト一発」などの迷演技。森岡おかあちゃんの機関銃のようなアンサーにたじろぎながら、やっちゃんと息子の翔くん、啓くん、しおりちゃん、ユンタもいっしょにやってきてみんなでお腹をかかえて笑った。忘れられない楽しい夜だった。

8月2日(木)
 昨日からの雨も止んで今日は遠野にいって「昔話」を聞いて、それから「盛岡さんさ祭り」に行くことになった。
 遠野の語り部ホールで10時から鈴木わきさんの「かたり」があった。はじめは白馬と娘の悲恋話「おしらさま」、つぎはかっぱにケガの膏薬を教えてもらう「かっぱぶち」、最後はタヌキの恩返しばなしで「小判にばけたたぬき」のおはなしだった。
 わきさんの語り口は美しい東北弁でとってもやさしくて、聞き慣れない言葉なのに不思議とどんどん物語の世界に引き込まれていく。
 わきさんは80才とはとてもおもえないつやつやのほっぺで、話を語ることで花開いたおばあちゃんの人間性を素敵だなあと思ってきいた。
 めぐさんがお話を聞きながらイメージをとっていいイラスト画にしていてこんな楽しみかたもできるめぐさんもいいなあとおもった。
 「遠野物語」の柳田国男資料館で、ゆんたくんたちが迷子になった。「ゆんたくん、お父さんがお待ちです」というアナウンスが…。受付のお姉さんにはこさちゃんがたのもしいお父さんにみえたんだ。
 昼には岩手飯岡の木原睦美さんの所についた。睦美さんは新潟「四季の子ども村」のおばちゃんで、去年トーマスカンサさんの講演会の時においしいパンを焼いて送ってくれた人だ。今回はピザを用意してまっててくれ、みんなで作り方も習って、みんなでつくって食べた。
 おばちゃんとも1年半ぶりの再会(一度京都にあそびに来てくれた)で子ども達の成長ぶりに驚かれたようだった。
 14時ごろ盛岡市のマリオスホールであるさんさ競演会にやっちゃんの「三本柳さんさ」グループがでるので応援にいく。
 こさちゃんも「ミスさんさ」がみたいとおおはりきりだ。「ミスさんさ」は美人だけではいけない。なにより「さんさ踊り」のセンスが良くて、しかも街中を踊って練り歩く体力と気力がなくてはいけない。けいこも挑戦したかったのに残念だった。えっ、おばさんは「ミズさんぽ」くらいでがまんせいって?
 いよいよ三本柳の出番、一番前でカメラを構えていると「イッヤー、やっちゃんがいたいた、踊りもきびきびして、なかなかかっこいい。」とミーハーになったけいこを横のおじさんが「ずーずー、べーべー、ずべずべずーずずー」(「三本柳さんさ」は飛び跳ねる踊りだから写真撮るのはむずかしいよ)といっているらしいが気にせず撮りまくる。
 そのとおりほとんどまともに写ってなかった。横の親切なおじさんが忠告してくれてんのに、無視してゴメン。
 そのあと市役所前のさんさスタート地点までてっちゃんにつれてってもらって「さんさ」パレードをさっさとみようとしたが、昨日は雨でやっと今日晴れたせいか、どこもここも期待していた人々の山。
 たくさん屋台もでていたのに、これにいくゆとりがなく行けず。楽しみにしてただろうに子ども達にはかわいそうなことをしてしまった。
 去年は正統派「さんさ」の他に、サンバ、パラパラ、イルミネーションやぬいぐるみなどの派手な流しもあり、子どもの喜ぶものもあったのだが今年はけっこう省エネ財政なのか地味なグループが多い。その分踊りや太鼓が充実していた。3時間たっても踊りの列は絶えない。きっと街の半分以上のひとが「さんさ」を踊っているんだろう。「さんさ」は老若男女の区別なくだれでも参加できるし、みんなが広場で集まって作りあげていくお祭りって感じで、賢治が夢見た「イーハトーブ」盛岡にはふさわしいお祭りだとおもった。
 22時ごろ汽車と車で宮守にかえり、はらぺこでやっちゃんがすでに用意してくれていた夕御飯と、「盛岡冷麺」をみんながつくって食べた。
 その夜もまた民俗芸能で盛り上がり、こさちゃん、ユンタ、啓、翔太、けいこは三宅島太鼓の「コン、ツク、ドン、ツク、コン、ドン、ツク、コン、ツク、ドン、ツク、コンドン、コドドコ、ドン、ドン」をやっちゃんに習う。なかなかむづかしいのに、こさちゃんはけっこうマスターしてしまった。やっちゃんの「はったり八分でリラックスしてやればいいよ。」というアドバイスがいい。ああおもしろかった。

8月3日(金)
 朝私たちが出発しようとすると晴天になってきた。
 みんなでお掃除をして、記念写真をぱちり。お世話になりましたのあいさつもそこそこで、9時50分に釜石線宮守駅にやっちゃん、てっちゃんにおくってもらう。
 花巻から北上線で北上へ。そこで10時51分から次の13時46分までの待ち時間になにをするか話しあって、「北上民俗村」見学ツアーと「北上」の町うろうろ隊とに分かれる。
 私はユンタ、メグ、しおり、海史、じゅん、たけしと民俗村の方に行く。民俗村はバスで20分。北上博物館と、北上川周辺の文化を紹介する民家などがある民俗村があった。ありがちなテーマパークというよりは、教育施設としてもなかなか充実していた。自然を調和的に活かし、古い民家を移築し、池や、里山の感じをだして、ゆっくり散策できまた来たいとおもった。
 北上博物館は北上川流域の自然分野の展示がよかった。北上川の魚の展示の中に、シナイモツゴや、ぎばちもいた。テツギョといって、ふなの変異して鰭が長いものがいた。「宮城県魚取沼」のもので初めてみたが、鉄色だけでなく、黒や赤いのもいた。
 ここで飼っている本メダカはずいぶんおおきかった。この辺が北限らしい。今回翔太朗君が秋田市の久保田城のある千秋公園のハス池にメダカがいるのを確認した。はたして本メダカかどうかはまだ分からないが、珍しいケースではないだろうか。
 北上川流域の歴史コーナーの原始時代の火おこしでジュンちゃんが煙まで出したが時間がなく火にできなかったのが残念。その他の展示物もさわれるようになっていて、手垢はついてるけれど、ちっともつぶれてないところにモラルの良さを感じた。
 みんなおなかがへってたけど、バスの時間があるので売店で「あんこ餅」や「味噌パン」、「おやき」、「南部せんべい」などを買って我慢した。休憩所のお姉さんが冷たい麦茶をいっぱいサービスしてくれた。
 北上駅にぎりぎり10分前につくと、啓、悠樹、おじいちゃん町組は鰻丼をくったとごきげんそうだった。とにかくあわてて13時46分にのって「ほっと湯田」にいって温泉めざす。
 「湯田」についたら、今日は31日からの豪雨被害で架線工事のため北上線は湯田から横手までバス輸送ということだった。で大急ぎで駅舎の中の温泉に入る。風呂のなかにシグナルがあって次の汽車がくると知らせてくれるので安心して湯に浸かれる。風呂からあがって、「銀河鉄道のアイス」や「やまぶどうジュース」をのんでバスへ。
 横手から汽車に乗り継いで、海史や悠樹はひろったマンガを取りあいしながら読んでいる。とうとう「秋田」についたのは19時。羽後本線酒田行きに乗って、啓ばあちゃん文子さんのいる羽後本荘駅に20時ごろ。駅近くまで佐藤さんが迎えに来てくれて、しおり、啓の兄妹はすたすたばあちゃん家へ。集平、キリイ、友ちゃんたちも8月3日の朝から来ていて合流。それでふだん静かなおばあちゃん家も急に15人の孫?で台風到来のよう。
 夕食はおばあちゃんが「食べ放題」レストランでおごってくれることになり子ども達はやったあーとうきうき。くれぐれも興奮して店の物を壊さないようにいいきかせ、毅、メグ、翔太の兄さん姉さんに監督をお願いして、子どもだけでいってもらう。
 ここ「羽後本庄」から由利高原鉄道にのっていくと出羽富士といわれる「鳥海山」の裏玄関ルートに入る。一度はあの東北第2の高山「鳥海山」の頂から、雲海のしたに日本海を望んでみたいなあと語りあう。
 「月日は百代の過客にして行きかう年もまた旅人」という有名な言葉ではじまる芭蕉の「奥の細道」の「きさかた象潟」もちかくだという。大人達が漂白の旅にでて、大自然に身をまかせた「松尾芭蕉」の大きな思想についてしみじみ語っていると、食べ放題に満足した子ども達がわいわい、どたばたと帰ってきた。あー…。
 え、うそでした。実は大人組も秋田郷土料理、たん塩、さしみ、じゅんさい、めかぶ、地酒などをおばあちゃんにごちそうになって、すっかりごきげんでした。はいすみません。

8月4日(土)
 朝から朝市に行って新鮮な魚や、夏野菜を買う。海史くんはスイカ、ユンタは青リンゴ、けいこは「いわしいりこ」をネコのおみやげに買う。文子おばあちゃんの実家で新鮮な卵やナスやきゅうりの漬け物もいただいて帰る。
 文子さんは70さいだがとっても元気。木のお家にはかわいいこけし、手作りの人形やおもちゃ、絵を飾って、庭にお花をいっぱいさかせて暮らしている。
 やっぱり、啓くんのおばあちゃんだけあって、クリエイティブな老後をすごしたはる。
 朝食にドジョウ汁や、じゅんさいすまし、うみたて卵のご飯をいただいて今日は本庄マリーナ海岸に海水浴に行く。
 北風にあおられて波があらく、南にながされるが、遠浅の砂浜海岸だから平気。ちょっと寒いくらいだけど、友ちゃん、しおりちゃん、キリちゃん、海史くん、集平君は波乗り。
 お兄さん達はふかいところでコサちゃんと泳いでいたがさむくなったのか、上がってきて、砂で巨大な「わく星城塞」を作り始める。
 毅兄と恵、悠樹、ユンタ、集平みんながなかなかがんばって作っている。城の塔の凝った部分は啓の担当、砂を集めてくるのは海史。波が来てつぶれそうになると、海史とジュンちゃんがからだを盾にして城壁を守る。じゅんちゃん、悠樹たちは洞穴トンネルもつくった。だれも統率しないのにひとり一人が役割をになって、まとまっている。こんな大きな遊びをするときのチームワークはすごい。異年令の子ども集団が自然相手にこんな大きな遊びをしているのを、このごろはどこにいっても見たことがない。
 わく星で育った子たちはお互いの違いを乗り越えてなにかを創り上げることができる力と知恵を持っている。これからの社会はそれを必要としている、こういう子たちが社会を変えていくと信じている。
 3時ごろから、けいこ、翔太、毅、恵、ユンタは「秋田竿燈まつり」に行くことになりバスで秋田に出発。1時間かかって秋田につく。
 祭りは7時からなのに街は3時間前からラッシュだ。あちこちで人溜まりができ早くも唄ったり、踊ったりしている。「山王大通り」には桟敷席もでき、道路沿いにはもう何組も陣取っている。私たちも路はしに新聞紙や、ペットボトル席取りをしてから街の見物に出ることにした。
 6時ごろ戻ろうとすると祇園祭なみのすごい人だかり。「ああ、もうあの道ばたのペットボトルなんかけちらされてるやろなあ」と心配顔のゆんた。
 見にいくと、人混みのなかでもささやかにおかれた新聞紙とペットボトルの席が空けられて、そこだけぽつんと空間がある!!秋田の人は義理堅い人たちやなあとみんなおもった。京都の人たちは祇園祭でこうするやろか?とちょっとはずかしかった。
 竿燈祭りは稲穂をかたどった20メートルほどのクリスマスツリーのような竹竿に提灯が46個つるされ、それを各町内のうで、力自慢がお囃子にあわせて担ぐというもので、「ねぶり流し」という盆行事から始まったという。夏は重労働の農作業でつかれて、居眠りのあいだに魔がさす。眠気払いをして、五穀豊穣を祈るというのが18世紀文化年間より行われているこのまつりのいわれだ。はじめお囃子にのって各町内や会社などの竿燈のグループが入場する。そのあと本囃子で竿燈が上がり、一斉に竿燈の技がみせられる。だいたい1人30秒で各人の技自慢をする。火をともした竿燈が夜空に揺れると一斉にかけ声がかかる。肩でかついだり、腰でささえたり、頭、手のひらなどで支えバランス感覚を競う。観客は「ドッコイセー」とかけ声で担ぎ手を励ます。うまくバランスが穫れて腰などで竿灯をもちあげると「オエタサー、オエタサー、根っこついたオエタサー」といってたたえる。竿燈が稲穂のようにすっくり根を下ろして、たおれないことがベストだが時々突風などで観客席にも倒れてくることがあり、スリル満点だ。
 となりに座ってたおばちゃんは「どっこいしょー、どっこいしょー」とあんまり威勢良くいうので翔太、毅、めぐ、ユンタのみんなはビックリしてしまった。東北は隠れたエネルギーのあるところだなあとおもう。
 その夜は「本庄川まつり花火大会」もあって、こさちゃん、じゅん、ゆうき、海史、啓、集平、友、キリイ、しおりちゃん達は子吉川に行った。なかなか楽しかったようである。旅の最後の夜、さしみをつくって食べ、お楽しみポーカーもして、明日の用意をして、私たち竿燈組が遅く帰ったころは半分寝ていた。
 子どもが寝た後、佐藤さんとコサちゃん、けいこで手分けして明日からのフェリーの食事を用意する。
 貧乏旅行はたいへんだ。交通費はほとんどの子が大人料金になり節約のしようがなく、宿泊費は現地の友達、知り合いを頼ってお世話になるとしても、食べ盛りの子ども達の食費の節約に一番苦労する。
 栄養は確保したいし、その土地のめずらしい食べ物も食べさせてやりたい、このチャンスにあそこもつれていってやりたい、ここも見せたいと今回とうとう赤字になってしまった。
 最初の設定料金が高いと行けない子も出てくるし、参加者が少なくなるともっといけない。結局赤字覚悟で、とにかく行く。こんなぐちもふっとぶくらい楽しいのがわく星合宿だからやめられない。旅先で出会う人々の温かい親切に支えられてこその旅だから本当に感謝しなくてはいけないと思う。

8月5日(日)
 早朝5時半お世話になった文子おばあちゃんや、佐藤さん、集平、友、キリちゃんたちにおわかれしてバスで秋田港へ。秋田港から8時50分の新日本海フェリーに乗り込んで帰途につく。
 あっという間に8日間がすんだ。乗り込むとやれやれと安心してか、コサちゃんもけいこもそのまま昼まで寝てしまう。
 子ども達は元気でフェリーの中を探検。夕食は人気のないころをみはからってロビーでかんずめ、おにぎり、カップ麺等みんなで食べて早く寝ることにする。
 明日は敦賀港から、子ども達はそれぞれの家路につき、家族のもとへかえる。今回はだれも病気もせず、けがもなく無事でよかったと、夕やけそらにお祈りした。
 みんな今年もいい旅ができたね、ありがとう。

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