空と文字(SKY)

代理出産に関する考察


一人の人間が出生するためには次の三つの条件が満たされる
必要があります。

1.新たな命を誕生させようとする意志の働き
2.生命を形作る素となる配偶子の存在
3.胎児が出生に至るまで成長を持続させることの可能な環境

この三つを仮に「生誕条件」と名づけるとしましょう。

通常、これらの条件は、精子を除いて一人の女性に備わっています。
それは当然のことであり、それ以外の状況などあり得ない。
考慮するまでもないことだったのです。
したがって、なんらかの理由により、卵巣や子宮が機能しない女性が
母となるには、養子縁組によるしか方法がありませんでした。

ところが近年、生殖医療の発展により、それぞれの条件を分離することが
可能となりました。

新たな命を誕生させたいと願う人。
配偶子を提供する人(精子及び卵子)。
胎児を育み出産する人。
この四者が役割を分担し、協力して人の誕生を実現させる。
それが「代理出産」です。

私は「代理出産」という呼称に誤謬があると感じています。
その昔、「借り腹」といって本妻に子供が出来ない場合に、別の女性に
夫の子を産ませ実子として引き取ることが、時折行われたようですが、
それこそが代理出産そのものであり、同じ呼称を用いるのは適当ではありません。
「扶助出産」とでも呼ぶ方が、本質に則していると思います。

「出来ない」と「してはならない」とは、本来別の意味です。
同時に「出来る」と「しても良い」も別です。
「可である」あるいは「不可である」と答えを出すには合理的な根拠が
必要です。

私は個人的に「不可とする根拠が無い場合は可である」という考え方です。
これは進歩性を重視する立場です。
人類の歴史を振り返るとき、弊害も多々ありますが、概ね進歩的であるほうが
メリットが大きいと判断するからです。
ベストではありませんが、モア・ベターであるということです。
もちろん逆の立場もあります。
「可とする根拠が無い場合は不可である」これも考え方の一つです。
ベストでなければ現状維持ということなのでしょうが、私は現状維持に
ロクなものは無いと思っています。
しかし否定はしません。

そこで問題は「代理出産を不可とする明確な根拠があるか?」及び
「代理出産を可とする明確な根拠があるか?」となります。

まず反対派の意見の代表的なものをまとめてみましょう。

「女性の体を出産の道具にしてよいのか?」
「妊娠出産の危険を他人に負わせてよいのか?」
「産まれてくる子供が差別の対象になるのではないか?」
「親子関係が希薄かつ複雑になるのではないか?」
「人身売買に等しい」
「金銭の授受に関わらず、児童を取引の対象としてはならない」
「総じて人の尊厳を危うくするものである」

ここであえて「神の定めた〜」「自然界のルール〜」は除外しました。
そのような人知を超えた存在が否定しているのならば、そもそも理論的に
不可能である筈で、是非を問う必要もなくなるからです。

太古の昔、生物は自らの細胞を分裂させることにより繁殖していました。
完全なクローン生命体です。
やがて、他の細胞のDNAを取り込み合成させる形態が発生し、様々な
環境に適応して行きました。
雌雄の別が確立されて行き、産卵、受精という方法により種の保存が
効率化しました。
進化が進むにつれて、より複雑化していく器官生成のために胎生を行う種が現れ、
言うまでも無く人類は、その内のひとつです。
「新しい形態である」ことが否定する根拠にはならないのです。



*「女性の体を出産の道具にしてよいのか?」

道具として扱うからには、利用者の意志が100%優先され、代理母には
一切の権利が無いこととなります。
また「道具」には「意志」はありません。
したがって権利もまた発生することがありません。
もしそのような状況であるならば実施されるべきでは無いでしょう。

しかし、そうではない事を前提とし、自らの意志に基づいて協力を申し出、
権利を行使することが認められているのならば、決して道具ではないと
言えると思います。
にも関わらず、それを「道具」と呼ぶのならば、普通の一般家庭の女性は
皆、道具扱いされていると言うのと同じです。(一部の家庭ではそうかも
知れませんが)

私は生誕条件の三つの要素は同格だと見なします。
樹木に例えると、「意志」は根に「配偶子」は花に「環境」は幹や枝葉に
あたります。
そのどれがかけても実を結ぶことはありません。

それぞれに同等の権利が発生しますが、その時期と有効期限には差があると
考えます。
配偶子の提供者には移植されるまでの間、拒否権があると思われます。
代理母には妊娠中から引渡し完了までの間、全ての決定権があり、結果の如何に
関わらず報酬を要求する権利があると思われます。
依頼者の権利は引渡し完了直後から永続的に発動すると思われます。

妊娠出産に伴う女性の心境の変化は、予め考慮されて契約に盛り込まれるべきで、
「新たな命の誕生に貢献」したことに対して評価されなければなりません。
具体的に言うと、例え引渡しを拒否されても、報酬を支払わなければならないと
いうことです。
そうでなければ、子供に値段をつけたことになり「人身売買に等しい」からです。
依頼者には、それだけの覚悟が必要だと考えます。

この報酬が金品の授受を伴うか否かは、必然的ではありませんが、私はボランティア
のみに頼るのは、現実的ではないと思います。
ビジネスとしての道を閉ざしてしまった結果、身内や権力による強制、半強制を
第三者が見抜くことが難しいからです。

無償の行為は尊く有益で、ビジネスは卑しく有害だとするのは、封建社会の名残であり
誤った固定観念だと、私は考えています。

私は代理出産が女性の体を道具にした行為とは限らないと思います。



*「妊娠出産の危険を他人に負わせてよいのか?」

妊娠出産がそれ程危険なものであるなら、人類はとっくに滅亡している筈です。
際限も無く増えつづけ、資源の危機が叫ばれている現状を見るに、繁殖は容易であると
判じるのが相当です。

確かに妊娠出産に危険が伴う場合もありますが、それは個人的な資質によるものか
或いは、環境に左右されたものが殆どで、基本的には自然の営みの一環として
クリアされるものです。

ましてや、体格の良い出産経験の豊富な女性に、しっかりとした医療体制を整えて
行うのであれば、ほぼ安全と考えて良いと思います。
まさか栄養失調の初産の女性を、代理母に選ぶとは思えません。

危険の伴う行為を、対価を支払い代行して貰うことは、我々が日常で頻繁に行って
いるものです。
荷物の宅配などは、もっとも身近な例です。
さらに危険なものもあります。
高圧線のメンテナンスや、高層ビルの建設、いくらでもあります。

妊娠出産が他に比べて殊更危険だとは思えません。



*「産まれてくる子供が差別の対象になるのではないか?」


そうかも知れませんが、回避できる問題だと思います。
代理出産で産まれたか、そうでないかなど見分けがつきませんし
わざわざ公表する必要もありません。
他者の知る所となるならば、それは誰かが守秘義務違反を犯した
からであって、それは犯罪です。
責められるべきは、その犯罪者であって、代理出産ではないと思います。

「差別の対象になるかも知れない子を産んではいけない」という論理は
そのまま優生思想を肯定するものだと付け加えておきます。



*「親子関係が希薄かつ複雑になるのではないか?」

これは養子縁組についても同じことが言えます。
双方の違いは、すでに生誕を果たした人に対する手続きか
これから生誕する予定の人に対する事柄であるかの違いです。
制度を充実させることで解決できる問題です。

「新たな法律を作るのが面倒だから不可である」というのが
お役所の本音ではないでしょうか?
法の為に人が居るのではない、人の為に法が在るのだという視点に立てば
なにも難しいことではないとおもうのですが。

また親子関係の密度は、個々の日常の生活の中で紡がれていく
ものであり、出発点が何処であったかは、さほど重要ではありません。
どのようにして歩いて来たかによります。

当然、当事者にはそれ相当の苦労と葛藤があるでしょうが、もともと
人生とはそういうものです。
流れに逆らって上流を目指すサケと変わりません。


*「人身売買に等しい」
*「金銭の授受に関わらず、児童を取引の対象としてはならない」


先の項でも述べましたが、どのような契約内容であるかで決まります。
例えば、稲刈りを手伝った賃金は、稲の作不作に関わらず、その労力に
対して支払われます。
結果の成否、子供の引渡しの有無に関わらず報酬が約束されるならば
売買とはならないと考えます。

児童を取引の対象とするのは養子縁組も同じです。
養子縁組に金銭の授受が伴っていないとは限りません。
にも関わらず認められているのは「昔からあった」というだけです。
単なる跡取として、或いは、自分たちの老後の世話をさせるためでないと
誰が言いきれるでしょうか?

嫡出子として籍にはいるからいいのだとすれば、それは代理出産でも
同じことです。
むしろ代理出産の場合の方が「愛情を持って迎え入れる」ことが
保証されているようなものです。
そうでなければ養子縁組で事足りるし、手っ取り早いのです。

養子縁組が認められるならば、代理出産も認められてしかるべきです。
要するに「今の法律では処理出来ない」というだけのことです。


*「総じて人の尊厳を危うくするものである」


人の尊厳とは何か?ということです。
何を指して「おごそかに、とうとい」とするのでしょう?

私は、人は人を知ることで、人に成ることを得ると感じています。
人が人を思いやる心、それを大切にしようとする意思が、人の尊厳
というものではないでしょうか。

子を持てぬ悲しみに暮れる人に対して、救いの手を延べようとする人がいる。
共に新たなる未来に託す願いがある。
その基本姿勢が崩されないのならば、私はそこに人の尊厳が輝いているのを
見て取ることが出来ます。

そこを見ようともせず、知ろうともしない傲慢さの方こそ、人の尊厳を
危うくするものだと思います。


結論として、いくつかの条件を満たし、適切に処置が行われる場合に
代理出産は公共の利益に反せず、むしろ、積極的に寄与するものだと
私は考えます。



トップ アイコン
トップ