歌兵の挽歌
男は食料基地で入手した極秘情報を頼りに、イサーン原理主義者たちが集結するとの噂が絶えない秘密要塞の探索を始めた。
途中、ワンヨン、ゲウター、チョーなど、たくさんの要塞を発見。しかし、今回のターゲットは、難攻不落の要塞として恐れられる「ルアイラーク」だ。ランドマークはセブンイレブン、タクシー会社、そして病院。食料基地のババアは、たったそれだけを口にした途端、固く口をつぐんでしまった。
そんな乏しい情報だけでは、まるでラチが開かないと思われたが、男は蛇のような執念で長時間に及ぶ探索のすえ、奇跡的に「ルアイラーク」の発見に成功した。その要塞を見上げると、タイ文字で「ルアイラーク」と厳かに記されている。内部からは、けたましい音楽や人のざわめきが漏れ聞こえていた。
男はこの日が来るのを、何年も待ちわびていたが、今や感慨にふけっている時間はない。こみ上げる「恍惚」と「不安」、その両方を振り払い、男はゆっくりと深呼吸をしながら精神を集中させた。次の瞬間、思いきりドアを蹴散らすと、鈍い音とともにドアが開いた。それは侵攻開始の狼煙代わりとなった。
要塞の中では、モーラムと称するイサーン地方の民族音楽が大音響で鳴り響いており、すでに酒に酔ったイサーン兵がトランス状態で踊っている。素早く人数を数えると、14名のイサーン兵士が、要塞の一画を占拠している。女性兵士も5人ほどいるのが見える。いずれにせよ、タフで結束力の強そうな小隊だ。
やがて世話人が姿を現した。友好的に食事をしたい、と男は手短かに要求を伝えると、世話人は不敵な笑みを浮かべ、小隊とは反対のポジションに誘導した。彼らの信仰によれば、客人はみな歓待してくれるはずだが、ここは何が起こってもおかしくない戦場。油断は禁物だ。
男は深くソファアに腰掛け、戦況の分析に入った。イサーン兵たちは、長引く戦闘の疲れを癒すべく、束の間の休息をとるべく集結し、俗に言う打ち上げをやっているようだ。
その時流れていたモーラムは、男もよく知っている曲だった。ボーラックシーダム・・・。にわかに男の顏が反省の色で曇った。なぜなら、まだその曲を全部歌いこなせないからだ・・・。途中の早くなるところでお手上げ。
ロックサドゥー2のVCDはその後も流れ続け、小隊の中で最も酔いの回った40代と思しき歌兵が熱唱している。かなり音程が乱れているのが気になるが、この歌兵がこの小隊のキーマンであることは間違いない。
それにしてもよく飲む連中だ。時として小ラム、大ラムの波が巻き起こり、活気づく。と、突如イサーン兵の一人が丁重にワイをたむけながら男に接近してきた。男は反射的に身構えた。しかしそのイサーン兵は殊勝にも「やかましくてごめんなさい」と謝罪を申し出てきた。男は精一杯の愛想笑いを浮かべ「マイペンライ」と答えた。
イサーン兵の宴はますます熱を帯び、男の戦闘意欲は削がれていく一方。男はその日の作戦を延期しようかとも思った。しかし、生ビールの杯を重ねていくにつれ、男の理性は麻痺していく。何よりも敵前逃亡だけは、歌兵としてのプライドが許さない。男は、苦悩の果てに、自らを鼓舞し、ついに作戦の遂行を決意した。
男は冷酷な眼差しで、世話人に「サーウサムノーイ」を入れるよう告げた。
「オレの生きざまを見てろよ。」
男はそう心の中で呟いた。
大勢のイサーン兵士を前にして、日本兵がモーラムを歌うことが如何に無謀なことか、男は十分に認識していた。しかし、あえて暴挙に等しい危険な賭けに出ようと思った。勝算の可能性は極めて低い。この時点で、男は死を覚悟した。しかし感傷に浸っている暇はない。もはや犬死にも、凄絶な死も、男にとっては本望だ。闘うしかない。それこそが「生涯一歌兵」の性なのだ。
ジャーン ジャカ ジャーン♪・・・イントロが流れると、やはり男が危惧していた通り、キーマンのイサーン兵が自分の歌と勘違いし「マイク!マイク!」とわめいている。
世話人が「いや違う。お前じゃない。」と説得し、こちらにマイクを持ってきた。そして嘲けり気味に言った。
「おい、歌えるのか?」
明らかに馬鹿にした態度だ。男は無表情のまま返す刀で答えた。
「多分ね」
しかし実はこの時、男の緊張感は極度に高まり、心臓は爆発寸前だった。やっぱりやめておけば良かったのか。男は震える手でマイクを握りしめる。もう逃げられない。賽は投げられた。次の瞬間、身の毛もよだつ戦慄の光景が待っていた・・・。
「オープーサーウサムノーイ♪」
男は通常より強めの調子で歌い出す。絶妙のマイクバランスだ。しかし殆どのイサーン兵は仲間が歌っていると思っているのか、会話に夢中になっている。
何人かの兵士が踊っているものの、酔っ払い過ぎて危機管理が機能せず、情勢を把握できていない。しかし彼らが事態の重大さに気づくのに、それほど時間は要らなかった。
「マッペンプーサーオサムノーイ♪」
この時になって兵士たちは、一体このカナリヤのように綺麗な歌声の主が誰なのか気になり始め、鳥みたいにキョロキョロし始めた。この滑稽な光景を、男はバードウォッチングを楽しむように眺めていた。
すると、やっとキーマンの歌い兵が顔を引きつらせながら、ある方向を指差して絶叫した。
「おい、お前らあれを見ろ!」
指差した方向には、眼鏡の奥で流し目光線を発しながら熱唱する男が・・・。神聖なるマイクを握っているのが、他ならない日本の歌い兵だと知るや、イサーン兵たちは一斉にざわつき始め、要塞は瞬時に強烈な緊迫感に支配された。
「コンジープン・・・」という単語があちことで聞こえる。そして次の瞬間、最も恐れていた事態が勃発した。
それはさながら直下型地震が直撃し、地面に激しく亀裂が走ったような衝撃であった。要塞はまるで爆弾を投下されたような騒ぎとなり、直後に巨大な津波のようにイサーン兵が押し寄せ、手を頭の上でヒラヒラさせる独特のスタイルで踊り始めた。今や彼らには、そうやって神に祈るしかなす術がないのであろう。男は満足な表情を浮かべ、ますます感情を込め喉を震わせた。一気に戦場と化したルアイマーク。作戦は予想を遥かに上回る成功をおさめた。
依然、激しい戦闘は続いたが、男はタイミングを見計らって、崩壊寸前の要塞から見事脱出した。戦いは終わった。11月の夜、外の空気は身が締まるほど冷える。
「パーティー イズ オーバー」
男はそう呟くと、要塞に向かって敬礼した。
次の瞬間、要塞は激しい爆音とともに目も眩むほどの閃光に包まれた。数秒後、物凄い勢いで立ち上る巨大なキノコ雲。視界は灰色の煙で何も見えなくなった。
男は飛び散る残骸の中から銀色に光るマイクの破片を見つけ、大切にポケットへ仕舞った。燃え盛る要塞を見つめながら、男は今日一日の行動を振りかえってみた。大勢のイサーン兵の前でモーラム攻撃を仕掛けるのは、物凄くタフなミッションだ。男は今なお強い緊張感が解けず、心臓はいつまでも激しく鼓動し続け、しばらく静まらなかった。
かのコンバー秒針プレッシャー並みに危険度の高い任務を無事遂行し、男は充足感と、それと同時に襲いかかる虚無感を感じていた。男は無線機のスイッチを入れ、静かに次の指令を待った・・・。
エンディングテーマ
ローイジン・ナックスー/LOSO
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