
■金山遺跡(下蕨金山茂右衛門遺跡=吉田家遺跡)
平成6年、蕨市中央2丁目に位置する「金山遺跡(下蕨金山茂右衛門遺跡)」の発掘調査が行われました。蕨市では初めての、弥生時代末期から古墳時代初期の遺物が確認されました。限られた範囲での発掘調査であったため、出土遺物も少なく、住居跡も確認できませんでした。しかし、蕨市では、中世以前の資料が発見されていなかったため大きな成果をあげることができました。出土品は「高坏形土器」「器台形土器」「壺形土器」「甕形土器」などで、弥生時代末期までさかのぼる歴史であることがわかりました。
| ご隠居は語る |
金山遺跡について、ご隠居(吉田氏・50代半ば)が語ってくれました。
■金山遺跡(下蕨金山茂右衛門遺跡)
私は平成4年の冬、手に入れたアメリカ軍撮影の昭和23年の蕨市周辺の航空写真を見ていると、自宅の場所が古代は水の流れの岸で、人が古代から居住していた所に違いないと思えてきました。
そこで、蕨市北町に住む遺跡発掘経験豊かな堀江清隆さんにそのことを話したところ、自分もそう思うのでお宅を掘ってみようとのってきました。
ようしとばかり、二人で敷地内数箇所を掘ったところ、堀江さんのいう遺跡存在が窺える土の層を発見しました。
それから、私は身内の者の笑いを背に、時あらば自宅の穴掘りに熱中、土器収集の趣味も役立ち、夏に土器片に違いない指先ほどの遺物数個を掘り当てました。
そして土器が出たと市史編纂室の小要博氏へ持込み、小要氏は土器との確証を得るべく、浦和市役所の青木義脩さんに持参、青木さんは4世紀頃の土器と判断され、私に小要さんを通じ、判断の結果と敷地内を試掘したいとの意向を伝えられました。
私も願うところで、翌平成5年8月21日に青木さんによる、区画整理で今は道路となったもと竹薮の敷地の北側、東西約20平方メートルの試掘が行われ、刷毛入り等4世紀の土師器や中世のすり鉢等、30数片の遺物が発見され、蕨市の4世紀における人の生活の営みが窺えました。
試掘の結果は市の対処へと進展し、10月25日にこれも道路となった南側及び東側について市と県が試掘し土器片等の遺物が、又、平成6年7月から8月には、北と東側について法政大学の伊藤教授による本格的発掘調査が行われ、3世紀以降の遺物等が発見され、3世紀以降の人の生活の営みがより確かになりました。
これまで、蕨市における人の生活の営みは中世からと考えられており、一連の調査結果は中世を3世紀に塗り替えるものです。
発掘地域は現在「金山遺跡」と称されていますが、私は平成5年に遺跡名は私が付けていいとの市側の意向で、「下蕨金山茂右衛門遺跡」を市側に提示しました。
「下蕨」は現在の中央全域にあたる「下蕨村」から、「金山」は旧大字蕨の小字からでて、共に後世に残すべき名とのことから、又、「茂右衛門」は我が家継承者代々の名、遺跡はその先祖が労苦で残し伝えたことに他ならないことからです。
「金山遺跡」の名は私の提示でとも思えますが、決定経緯は分かりません。
さて、近年歴史の常識を覆す遺跡の大発見がマスコミを賑わしていますが、大発見も名も知れぬ研究者の地道な努力や着目の結果が少なくないようです。
かの航空写真では蕨市内他の地区にも遺跡の存在が窺えますが、それが調査もなく区画整理等で消えるのは残念です。
いわゆる金山遺跡も実は、区画整理等で消える寸での発見で、市民多く方が先人歩みを蘇らせる着目をと願います。