■ アフガニスタンの位置
アフガニスタンの位置は、日本の区分では中東に位置し、北部をトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、北東部を中国、西部をイラン、南部から北東部にかけてパキスタンと接し、また、北東部の一部を領土未解決地であるカシミール地方に接する。
尚、パキスタン、インド、中国との国境については、カシミール地方の帰属などについて未解決状態となっている。
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| カシミールに関しては、帰属などの問題が未解決であるため、国境を示していない。(面積は停戦時の状況の値? 確認はしていない。) |
■ アフガニスタンの面積
アフガニスタンの面積は、647,500 km2 (2007年 CIA the World Factbookより)
■ アフガニスタンの人口
アフガニスタンの人口は、推定31,889,923人(2007年7月推定値)である。
(2007年 CIA the World Factbookより)
■ アフガニスタンの民族構成
アフガニスタンは、南部から東南部に分布しているパシュトゥン族を主要構成民族とする他民族国家である。
| パシュトゥン族 | 42% |
| タジク族 | 27% |
| ハザーラ族 | 9% |
| ウズベック族 | 9% |
| アイマック族 | 4% |
| トルクメン族 | 3% |
| バロック族 | 2% |
| その他 | 4% |
| (2007年 CIA the World Factbookより) | |
1700年代後半頃からの主な出来事を抽出し下表に示したもの。
表ー1 年 表
| アフガニスタン | アフガニスタン国外の事項 | |||
| 年 月 日 | 項 目 | 年 月 日 | 項 目 | |
| 1747 | アフド・シャーによるドゥッラーニー朝の成立 | |||
| 1835 | ドースト・ムハンマド国王即位(〜1839)(1842〜1863) | |||
| 1838 | 第1次 英・アフガン戦争(〜1842) | |||
| 1878 | 第2次 英・アフガン戦争(〜1880) | |||
| 1885 | ロシアがアフガニスタンに進出 | |||
| 1907/8 | 英・露協商を締結。(アフガニスタンに関しては、イギリスの勢力下であることをロシアが認めるものであるが、ロシアと敵対しないという条件で行われる内容) | |||
| 1914 | 第1次世界大戦(〜1918) | |||
| 1917 | ロシア革命 | |||
| 1919 | ハビーブッラー国王が暗殺される アマーヌッラー・ハーン国王が独立宣言をし、第3次 英・アフガン戦争勃発。1ヶ月で終戦(〜1919) アフガニスタンの独立が承認される | |||
| 1929 | 反乱が起こり、アマーヌッラー・ハーン国王イタリアへ亡命 | |||
| 1939 | 第2次世界大戦(〜1945) | |||
| 1947/8 | インド独立、パキスタン独立 | |||
| 1947 | 第1次インド・パキスタン戦争 | |||
| 1960 | ベトナム戦争(〜1975) 1965 アメリカの北ベトナム攻撃開始(〜1973) | |||
| 1965 | 第2次インド・パキスタン戦争 | |||
| 1971 | 第3次インド・パキスタン戦争 バングラデシュ独立 | |||
| 1971 | パキスタン Z.A.ブットー政権樹立 | |||
| 1973 | 無血クーデターで、ムハンマド・ダウドが国王を追放 アフガニスタン共和国成立 ダウド大統領就任 ザヒルシャ国王イタリアに亡命 | |||
| 1977 | パキスタン軍事クーデター ハク軍事政権樹立 1979年Z.A.ブット大統領処刑される | |||
| 1978/4 | クーデターによりダウド大統領暗殺される アフガニスタン民主共和国成立 | |||
| 1979/12 | ソ連がアフガニスタンに侵攻 | |||
| 1982 | ソ連ブレジネフ書記長就任死去 チェルネンコ書記長就任 | |||
| 1985 | ソ連チェルネンコ書記長死去 ゴルバチョフ大統領に就任 | |||
| 1987 | ムハンマド・ナジブラが大統領に就任 | |||
| 1988/4 | ソ連が完全撤退するジュネーブ合意成立(1989年2月までに撤退完了) | |||
| 1988/8 | パキスタン ハク大統領飛行機事故で死亡 | |||
| 1988/11 | パキスタン B.ブットー政権樹立 | |||
| 1988/5 | ソ連がアフガニスタンから撤退 | |||
| 1989/6 | 中国政府による市民への武力弾圧(天安門事件) | |||
| 1989/7 | ミャンマー軍事政権がアウンサンスーチーの自宅軟禁を開始 | |||
| 1989/11 | ベルリンの壁崩壊 | |||
| 1990/1 | 湾岸戦争 | |||
| 1990/11 | パキスタン シャリーフ政権樹立 | |||
| 1991/9 | ソ連エリツイン大統領就任 ソ連崩壊 | |||
| 1992 | ナジブラ政権崩壊 | |||
| 1993 | ラバニが大統領に就任 | 1993/10 | パキスタン B.ブットー政権樹立 | |
| 1997/2 | パキスタン シャリーフ政権樹立 | |||
| 1994 | タリバン出現 | |||
| 1996 | タリバンがカブールを制圧 反タリバン勢力が北部同盟を結成 | |||
| 1997/3 | 北部同盟がマザリシャリフを拠点に新政権の樹立宣言 | |||
| 1997/9 | タリバン政権がナジブラ元大統領を処刑 | |||
| 1997/10 | アフガニスタン首長国を宣言 オマル首長を選出 | |||
| 1998/8 | ケニア、タンザニアのアメリカ大使館爆破事件 | |||
| 1998/8 | アメリカがスーダン、アフガニスタンのアルカイダをミサイル攻撃 | |||
| 1999 | パキスタン軍事クーデター ムシャラフ政権樹立 | |||
| 1999/7 | クリントン・アメリカ合衆国大統領がタリバンへの経済制裁を発表 | |||
| 1999/11 | 国連によるアフガニスタンへの経済制裁が決定 | |||
| 2001/3 | タリバンがバーミヤンの大仏を破壊 | 2001/1 | ブッシュ大統領就任 | |
| 2001/6 | ムパキスタン シャラフ大統領就任 | |||
| 2001/9/11 | アメリカが同時多発テロ攻撃を受ける | |||
| 2001/10 | 米によるアフガニスタン空爆開始 | |||
| 2001/12 | タリバン政権崩壊 カルザイを議長に選出 暫定政権発足 | |||
| 2002/6 | カルザイ大統領が就任 | |||
| 2003/3 | 米・英軍によるイラク攻撃開始 2003/5 ブッシュ大統領がイラク戦争の終結宣言 | |||
| 2004/3 | マドリードで列車爆破テロ事件 | |||
| 2005/7 | ロンドンで同時爆破テロ事件 | |||
| 2007/9 | ミャンマー軍事政権による民衆弾圧 | |||
■ 国土について
アフガニスタンの2007年時点での省略しない国名は、Islamic Republic of Afghanistan アフガニスタン・イスラム共和国という。
国土面積は日本の約1.7倍で、国土の4分の3は山岳地帯で、中央部から北東に6000m級の山脈が連なる。 最高峰は7000mを越える。 南部には砂漠地帯が存在する。
気候は乾燥しており、気温は砂漠から高地まで高低差が大きい。
多民族、他言語の国家であるが、国民の99%程度がイスラム教徒であり、また、貧困の影響や宗教の教則が制約となって、識字率は30%程度といわれている。
東洋と西洋を結ぶ地勢的な位置から、古来よりシルクロードの中継点として物資、文化が行き交ってきた。 その名残として遺跡等に文化的な歴史を残している。
■ グレートゲーム
アフガニスタンは、古くから周辺諸国の征服や大国の覇権争いに巻き込まれて、軍事侵略も受けた。 また、内乱が続き、国内が荒廃していた。
英国がインドを植民地化していた19世紀に、帝政ロシアが勢力を拡大し中央アジアへの南下政策を押し進めつつあった。 このため、英国はロシアによる英領インドを奪われる脅威を感じ、英領インドの権益の確保をはかるため、アフガニスタンがロシアの勢力下に入らないようにアフガニスタンへの武力抗争を開始した。 英・アフガニスタンの抗争は1838年から1919年までの間に3回あり、この英国のロシア帝国勢力に対抗するために行った一連の抗争・策謀のことが、いわゆる「グレートゲーム」と呼ばれている。
■ 1970年代以降のアフガニスタン
アフガニスタンは、1970年代に共和制になり、1980年代は国内の部族間の内戦時代であり、北部の人民民主党政権を支持するためソ連が侵攻したが、ムジャヒディーン(イスラム聖戦士)からの激しい抵抗にあい撤退せざるを得なくなった。
この時、反ソ連を支援する勢力に対し、パキスタン、サウジアラビア、アメリカが資金面、武器供与面への援助に関与していたことが指摘されている。 また、資金面、武器供与、軍事訓練センター運営面などについては、アフガニスタンに関する利権が絡み、それらの国々からのタリバンへの支援が続くのである。 また、タリバンへは、ウサム・ビンラーディンからの資金援助があったと言われている。
1989年にアフガニスタンからソ連が撤退後、和平合意に反対するムジャヒディーングループが覇権争いを続行し泥沼化した。 このような中、タリバンが現れた。
タリバンは、パシュトゥーンのイスラム教神学校の神学生の小さな集まり(当初30人程度といわれている)が政治運動を始め、組織を拡大し、軍事化し、ムジャヒディーンの横暴な武装集団に対抗し、処刑するなどして民衆の支持を得た。 タリバンは急速に勢力を拡大し、支配地でイスラム教の厳格な教則の戒律を守るように強制した。 女性が学習することを禁止。女性が家庭外で就業することを禁止。女性のブルカ着用を強制。 テレビ、音楽、スポーツ、凧揚げの娯楽の禁止。 男性があごひげを生やすことやターバンを強制。 そして、違反者には厳罰を科した。
1994年秋にタリバンが出現後、勢力と支配地を拡大し内戦をほぼ勝利し、1997年にアフガニスタン首長国を成立させ、パキスタン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦はタリバンを承認した。
元来、タリバンは、ウサム・ビンラーディンが掲げる「反米」、「米国に対する聖戦」をかかげてはいなかった。 タリバンへの良き資金提供者であるウサム・ビンラーディンの思想的影響を強く受け、アルカイダの過激な思想としての「反米精神」、「米国に対する聖戦」、そして、英雄的な殉教思想を受け入れ、報復に染まってしまったようだ。
1991年9月にソ連が崩壊すると、次々に中央アジアの諸国が独立した。 このカスピ海周辺の中央アジアの国々には、豊富な地下資源が埋蔵しており、欧米の資本や周辺国は、この開発やその資源の輸送ルート敷設に伴う莫大な収益を期待していたのである。 このため、アフガニスタンのタリバン政権が早く全土を支配し、国政の安定化をはかることが必要であった。
その中央アジアの国のひとつがトルクメニスタンである。 トルクメニスタンには豊富な石油、天燃ガスが埋蔵しており、油田開発やアラビア海の港からの搬出ルート計画について、企業と検討協議がなされ、アメリカ企業の事業収益、パイプ敷設国としての莫大な資金の投下・権益を獲得せんがために、パイプライン・ルートをトルクメニスタン・アフガニスタン・パキスタン・ルートでカラチ港に輸送する計画に積極的であった。
イラン経由あるいはイラク経由でアラビア海への搬出する検討ルート案は、計画を推進する際にアメリカの干渉で支障が生じ、なかなか進展しない。 そこで、アフガニスタンの政情の安定化をはかり、アフガニスタン領土を通過するパイプライン計画への協力を取り付ける必要があったのです。 そこで、パキスタン、アメリカは、この頃のタリバンへの積極的な援助を行っていたのである。
しかし、1998年にケニアとタンザニアのアメリカ大使館爆破事件が起こり、アメリカによるアルカイダの潜伏地へのミサイル攻撃が展開された。 また、2000年にアメリカ海軍駆逐艦コールへの自爆攻撃で米兵の死亡事件が発生し、その後、アルカイダが聖戦の攻撃対象をアメリカとする声明を出すなどしたため、タリバンへの援助をうち切り、タリバンへの経済制裁を開始したのです。 また、米国による国連安保理へのタリバン制裁決議が提出され、加盟国による国際的にタリバンの海外資産の凍結、タリバンが運行する航空機の乗り入れ拒否などの制裁が実施された。 これによって、アフガニスタン・パキスタン経由のパイプライン計画案は断ち切れてしまったのです。
このような経過のなか、2001年9月11日にアメリカが、民間航空機をハイジャックしたテロ攻撃を受け、3000〜4000もの人が殺されたのです。
アメリカは、テロ攻撃の首謀者をアルカイダのウサム・ビンラーディンとみなし、タリバンの最高指導者であるムハマンド・オマルに引き渡しを交渉したが、タリバンが交渉に応じずビンラーディンを擁護する態度をとり続けたので、アメリカは、世界的な脅威である国際テロ集団を壊滅するという大義を掲げ、アフガニスタン周辺国に対して、アメリカがアフガニスタンへの軍事攻撃を行う事に対して理解と協力を取り付け、2001年10月7日に爆撃を開始したのです。 ロシアもイスラム教徒のチェチェン人による爆弾テロを抱えており、チェチェンの独立を阻止する立場であるからアメリカの攻撃には反対しなかった。
アメリカのタリバンへの攻撃は、トマホークミサイル、クラスター爆弾、気化爆弾、デージーカッターなどが使用されたと言われている。 これは、アルカイダのみならず、一般市民の生活を巻き添えにしたものであった。 そして、同年12月にタリバン政権は崩壊し、カルザイ議長のもと暫定政府を設立し、2002年6月にカルザイ大統領が就任し現在にいたっている。
アフガニスタンでは治安維持を担当する International Security Assistance Force(略称:ISAF)が活動している。 現在は、北大西洋条約機構(NATO)加盟国からのNATO軍とアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドを含め、合計38の国々がISAFの活動を行っている(ISAF資料より)。 しかし、対抗するタリバン勢力が勢いを増してきているのが今の状態と言われている。
(参考書籍及び資料) |
■ 終わりなき「不朽の作戦」及びアフガン難民
アルカイダを壊滅するためのタリバンへの攻撃「不朽の作戦」であるが、ウサマ・ビンラーゲィンを捕まえることも殺すことも未だ達成できていない。 タリバンの反撃が弱まる様子は見えてこない。
アメリカの自衛のための抗争なのか、タリバンの自衛のための抗争なのか、タリバンが全滅するまで終わらない。
未だに、世界の各地でテロによる爆弾攻撃が多発している現実が存在しています。
アフガニスタンへのソ連侵攻以降でアフガニスタンから国外に脱出したアフガン難民は、360万人以上に昇る(2001年9月10日時点 国連アフガニスタン人道援助調整事務所(UNOCHA)の資料による)。 また、その後の2001年10月のアメリカによる攻撃に備えて国外へ脱出した難民数、タリバン政権崩壊後の帰還人数は不明である。 アフガニスタン国内にいる現在の難民の数に関しては手持ちの資料が無く不明です。
| (リンク)
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