
北海道の宗谷岬に日本最北端の地と書き込まれていますが、実際は現時点で行政権が及ぶ最北端の地ですね。日本の最北端は、択捉島{(えとろふとう)いわゆる北方 4島の中で最大の島}最北端のカムイ山(神威山)がある岬であり(北海道の北方4島の自然参照)、位置は、(国土地理院の地形図の読み値)北緯約 45度 33分、東経約 148度 45分の位置に在る。現在は依然ロシアの占領下にあります。 北方4島は、択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島(水晶島(すいしょうとう)、秋勇留島(あきゆりとう)、勇留島(ゆりとう)、志発島(しぼつとう)、多楽島(たらくとう)、および貝殻島(かいがらとう)をはじめとする小さな島々)です。択捉島の面積は、約 3,183km2、国後島は 1,499 km2であり、沖縄本島の 1,202km2、佐渡島の 854 km2より大きい島です。 旧ソ連は第 2次世界大戦で日本の降伏後に北方 4島から日本人の原住民を追い出し、サン・フランシスコ平和条約において、旧ソ連ほか一部の国が条約を不服として批准しないで、現在もロシアが占領している状況が続いています。 香港でさえ、イギリスに譲渡せざるを得なかった状態から、イギリスへの借地権を認めた内容になり、中国への返還がなされたのに、ロシアは、時代錯誤もはなはだしい。
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北方 4島の説明図
領土の変遷に関わる条約とその領土の変遷は、おおむね次のような経緯で示されます。
| 『西暦 1855年 2月(安政元年12月)調印の「日本国魯西亜国通好条約」』 |
| 日本とロシアの国境を択捉島とウルップ島の間に定めた。《第二条; 今より後日本国と魯西亜国との境「ヱトロプ」島(択捉島)と「ウルップ」島との間に在るへし。「ヱトロプ」全島は日本に属し、「ウルップ」全島夫より北の方。「クリル」諸島は魯西亜に属す。「カラフト」島に至りては日本国と魯西亜国との間に於て界を分たす是まて仕来の通たるへし。》 |
| 『西暦 1875年(明治 8年)の「樺太千島交換条約」』 |
| 千島列島をロシアから譲り受けるかわりに、樺太全島を放棄した。千島列島の譲り受ける島々は、択捉島より北の千島列島のすべての島[シュムシュ島(占守島)からウルップ島(得撫島)までの島]が示されています。 |
| 『西暦 1905年(明治38年)の「ポーツマス条約」』 |
| 南樺太を日本領とした。 |
| 『西暦 1951年(昭和26年)の 「サン・フランシスコ平和条約」(旧連合国 48ヶ国との間に調印された講和条約)』 |
| 日本は千島列島(ウルップ島より北の島)・南樺太を放棄した。 |
第二次世界大戦のヨーロッパでの戦争終結後、旧ソ連が日本との戦争に参加する条件について、スターリン、ルーズベルト、チャーチルの間でヤルタ会議を行い協定を結んだ。
1941年締結された日ソ中立条約は、1945年 4月に旧ソ連の廃棄通告により失効し、1945年 8月 8日に旧ソ連は日本に対し宣戦布告を行った。日本がポツダム宣言を受諾して 8月15日に無条件降伏した。その後、8月末から 9月にかけて、旧ソ連は択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島を占領した。
1951年 9月 8日日本と連合諸国とのあいだでサンフランシスコ講和条約を調印したが、この会議には 52カ国が参加したが,ソ連・ポーランド・チェコスロヴァキアの 3カ国は調印しなかった。また会議に参加しなかったインドは講和条約発効後自主的に戦争状態の終結を宣告した。また、台湾の国民党政府との講和条約も締結されたが、調印したものの批准しなかったインドネシアや参加しなかったビルマ、参加を認められなかった中国の共産党政府との国交回復はその後にもちこされた。領土に関しては、日本国は千島列島並びに日本国がポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄することとなった。 沖縄などの諸島をアメリカの信託統治下に置くと定めたが、千島列島や南樺太が帰属する国についてはを明記されなかった。
旧ソ連はヤルタ協定をもちだし、千島列島や樺太の南部に隣接する島々が旧ソ連に帰属することを主張しているが、旧ソ連が東欧での支配拡大の行動にでたため、アメリカは、ヤルタ協定を旧ソ連が無視したとき、公式に、同協定で約束されたいくつかの合意事項を履行する責めを負う何ものもなくなったと宣言した。ヤルタ協定によってソ連領土問題が決定したのではなく、又講和会議においてもその帰属は連合国による最終決定に付されると決められたのだから、旧ソ連が単独講和によってその帰属を決めることは出来ないとしている。『サンフランシスコ講和条約 1951年』において、旧ソ連は調印していなくて、戦争の終結と平和についてはその後の交渉を行うことになるのです。また、ソ連が消滅した後に誕生したロシアが日本国との国際的約束を引き続き適用されることを双方で確認している。
なお、「サン・フランシスコ講和条約」の領土の内容について、アメリカの信託統治下におかれた奄美・小笠原・沖縄は、それぞれ返還協定によって日本に返還された。韓国等との領土については、個別におこなうことになる。
詳細およびその後の日ソ間の交渉の内容については別途調べていただきたい。
参考資料として関係する宣言や条約等を整理しました。こちらまで。リンクの「日本国憲法の誕生」には種々の資料がありました。
また、 北海道の北方領土の歴史のサイトを案内します。その他参考書籍;「日本の領土」芹田健太郎著、「知られざる北方領土秘史」戸丸廣安著、「北方四島」朝日新聞北方領土取材班著
リ ン ク |
| 日本国憲法の誕生 |
日本国民の人権を守るため、日本の真の独立を勝ち取り、アメリカの奴隷からの開放を目指すため、日米安保条約解約。
日本は、日本国民が無視され続けている不平等の日米安保条約を解約しなければならない。 日本国民が戦わねば、日本の夜明けは訪れない。