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日本国民は、美しい海、辺野古の埋立て工事反対!! 独裁的な安部政権の国民への人権蹂躙を許さない!! 駐留米軍は日本から排除されるべき。
◆大嘗祭は神道儀式 公的としたことは政教分離規定に抵触 否定できない 1996年3月大阪高裁判断
「即位の礼・大嘗祭国費支出差止等請求控訴事件」として大阪高等裁判所(裁判年月日 1996年3月9日)で審理された事件であるが、例によって、日本では行政行為についての直接的、純粋的な憲法裁判は取り扱われないので、控訴人は、儀式等を国費により執行することが違憲であって主権者たる国民としての権利を侵害するものであるとして提起する方法の損害賠償請求によって裁判することによらざるを得ない。そして、裁判結果は、国が公的に儀式をとりはからい、費用を公費として支出したとしても、差止めの対象とされている国費の支出が終了している以上、訴えは実現不可能な給付を求めるものであって不適法であるとし、儀式自体は神道的儀式で政教分離の原則に抵触するとしても、
控訴人が精神的損害を被ったとして精神的苦痛が残っているとしても、別途損害賠償請求の法律に基づいて対処することが適切であって違憲性を確認することが必要であるとは解されないとする。
裁判所は、天皇や日米安保条約、駐留米軍に関わる憲法との合憲・違憲性への踏み込んだ判断を決して行わないのである。これらに端を発して生じる実態によって国民の権利が侵害される件については、結果的に国民の主張が認められることはない。政府が憲法を無視して政策を実行しても、それを叱責することを行わないので、結局政府の独断的な主張が否定されないことになり、政府が独裁化するのである。
日本は憲法を制定して、これに基づいた法律、政府・役人の行為、組織・政治や司法の機構が定められているが、日本の統治機構の内閣府が憲法を逸脱した政治を勝手に行うと、最早日本は法治国家という名称を返上しなければならない。つまり、独裁国家と同じと言っても過言でなくなる。その憲法判断を行わない不作為の無責任がもたらす日本の進路を誤らせる政府の悪行の結果については、司法者も悪行を一体的に為したということを心しておくことである。
1996年3月9日の大阪高等裁判所での控訴審の裁判における高裁の判断の概要を筆者の理解として整理する。
裁判所は、控訴人の主張項目に対して裁判所の判断を示すのであり、控訴人が、思想・良心の自由、信教の自由、納税者基本権が侵害されたことに対する救済として、国の行為が違憲であることの確認を求めるとしたことについて、現在の権利または法律関係の存否を問うのが直接的且つ効果的であって、
過去の事実や法律関係の存否を問題にするのは、原則として確認の利益がないとする。又、被控訴人である国の儀式の詳細について説明を行い、「この大嘗祭が神道儀式としての性格を有することは明白である」とし、「これを公的な皇室行事として宮廷費をもって執行したことは、最高裁大法廷昭和52年7月13日判決が示した目的効果基準に照らしても、少なくとも国家神道に対する助長、促進になるような行為として、政教分離規定に違反するのではないかとの疑義は一概には否定できない」とし、即位の礼についても、儀式の様態について、
「旧登極令及び同附式を概ね踏襲しており、剣、璽とともに御璽、国璽が置かれたこと、D首相が正殿上で万歳三唱をしたこと等、旧登極令及び同附式よりも宗教的な要素を薄め、憲法の国民主権原則の趣旨に沿わせるための工夫が一部なされたが、なお、神道儀式である大嘗祭諸儀式・行事と関連づけて行われたこと、天孫降臨の神話を具象化したものといわれる高御座や剣、璽を使用したこと等、宗教的な要素を払拭しておらず、大嘗祭と同様の趣旨で政教分離規定に違反するのではないかとの疑いを一概に否定できないし、
(筆者から見れば、婉曲な曖昧な説明を行うな!と言いたい。裁判所は白黒を明確に判断することが、その機関の役目であるので、職責をきちんと果たさなければならないと主張する。)
天皇が主権者の代表であるD首相を見下ろす位置で「お言葉」を発したこと、同首相が天皇を仰ぎ見る位置で「寿詞」を読み上げたこと等、国民を主権者とする現憲法の趣旨に相応しくないと思われる点がなお存在することも否定できない。」とするものの、「諸儀式、行事の国費による執行が、憲法19条、第20条1項の思想・良心の自由、信教の自由の侵害を禁止したと控訴人が主張する件については、国家の政策決定及びその実施が人の思想・良心の自由、信仰の自由の侵害行為と評価されるためには、右政策が個人の思想等の形成、維持に、抽象的、間接的ではなく、
具体的且つ直接に影響を与えるものであることを要する」とする説明を行い、「控訴人らに対する影響は間接的なものである」として、「思想・良心、信教の自由を侵害したと評価することはできない」と説明。よって、損害賠償請求はいずれも失当として棄却されたのであった。
但し、「・・・もし、個人が祝意を表すことを国家が事実上にしろ強制すれば、私人の思想、表現の自由の侵害になるので、国家がこの種の要請をすることには慎重でなければならないと解せられる」との判断を説明した。
判決の際の裁判所の判断では、控訴人らの国費支出差止請求、違憲確認請求はいずれも不適法として却下すべきであり、損害賠償請求はいずれも失当として棄却すべきである。よって、本件控訴はいずれも理由がないとして、判決は、控訴を棄却するとされた。
(詳細は、大阪高等裁判所 事件番号:平成4(行コ)48、事件名:即位の礼・大嘗祭国費支出差止等請求控訴事件、裁判年月日:1996年3月9日の判決を参照。)
(2018年12月)
日本の報道機関はこの憲法に関わる事案について深く追求を行わない。多くの報道機関が戦争時の大本営発表を踏襲している。第二次世界大戦時の報道のあり方について、国民に真実を伝える機関としての責務について、当時、国民を騙して日本政府の馬鹿げた戦争を肯定し、政府の言いなりの報道を貫いていた行為の反省を表明した報道機関も存在したが、現在の安倍政権の放送免許の停止措置の言及という弾圧に屈したかのようにダンマリを行うようになる。
報道機関は、今や、民間企業のトップの背任事件や韓国軍と日本の航空自衛隊の間の事件を騒ぎ立て続けているが、現天皇の退位にともなう新たな天皇の即位における神道儀式に莫大な国費を投入する憲法違反問題については、既に大阪高裁で政教分離の憲法違反問題、また、主権在民の憲法の基本を根底から否定する儀式の様態について説明がなされている現実が存在しているにも拘らずに、安倍政権がこれを無視して強硬に儀式に国費を投入して執り行うために、憲法無視の独裁的に2019年度の国の予算に計上しているのであるが、報道機関は、この問題については先に示した繰り返し報道のごとくには決して報道を行わない。
政権側は、この憲法に抵触する事案の重大問題を国民的に議論しようとすることを封じ込め、国民の注意が向けられて国民が騒ぎ立てることが一般に広がらないように策略していると筆者は見る。
項 目
著作権 正義の主張