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■ 核 密約問題 問題は、核兵器を積載した艦船や航空機の事前協議対象外の密約ではなく、緊急時に、日本領土への核兵器再持ち込みに対して、アメリカから要請があれば、日本がアメリカの戦略に支障がでないように遅滞無く認めるという合意の機密です。
核兵器積載艦あるいは核兵器積載機が日本に寄航、飛来しているのに、日本政府はアメリカ側から事前に通知が無いから核兵器を積載しての艦船、航空機の日本への寄航、飛来はないとしているのですが、日本国民は、この事案が、日米間で事前協議の対象外としての何らかな合意があるだろうということは容易に推測されたことなのです。
なぜなら、戦略的にみて、核爆弾や核ミサイル弾頭を艦船や航空機から降ろしていたのでは攻撃能力の低下や核抑止力の防衛力が機能しないから、明らかにそのような非現実的なことは実施されないことであると国民は感じていたのです。 それに、アメリカの元政府高官達が次々に当時のアメリカ軍の航空機や艦船が日本へ飛来あるいは寄航する時の核兵器積載状況について明らかにしていたにも拘らず、日本の政府高官達はすっとぼけて来たのです。 国民は、これらの様子をみて、日本の国の政府高官は何を考え、国をどうするつもりなのかを疑い、将来日本は、日本が掲げてきている戦争放棄という観念を捨て、アメリカと一体型の覇権の行使に向かうのではないかという疑念が既に頭をよぎっていたのです。
核密約問題に関して日本国民は、日本政府が言う、”アメリカ側から事前協議を受けていないから、核を積載した状態では艦船などが日本に寄航していないことになる。” と、日本国民を騙し続けてきている政府・官僚の汚れきった体質が問題であると糾弾しているのです。
そして、一番の問題は、沖縄返還の1972年当時に、核兵器の再持ち込みに関して日米首脳間で、日本が米国に承認を与える密約に関するものであり、この密約が有効であって、これに伴い核の日本への再持ち込み状態が発生したかどうかの疑惑です。
第2次世界大戦で敗戦した日本国。 アメリカ軍の占領下に置かれた日本。 そして、1951年に署名、1952年に発効したサンフランシスコ平和条約により、日本の大部分はアメリカの占領が終了し主権は回復することになるが、沖縄を含む日本の領土の一部はアメリカの信託統治下におかれた状態が継続されることになり、そこでは、国民主権を持たず、領土や住民に対してアメリカが行政、立法、司法権を行使する権利を有した、いわゆる占領下の状態が続くのです。
この占領下の沖縄では、アメリカ軍の北西太平洋の前線基地として核兵器が存在していたのですが、当時の佐藤総理は沖縄の日本への返還を強く打ち出し、アメリカの当時の大統領であったニクソン大統領や政府高官に佐藤総理は特使を派遣して沖縄返還について幾度と無く交渉を重ねさせていました。 そして、特使を通じて、佐藤総理が「1972年、核抜き、本土並み」と銘打った返還に固執している強い要望を伝えることやアメリカの承諾を得るためのアメリカ側が容認可能となる条件などを探るなどして、その実現への道を模索していたことが知られています。
当時の特使であった若泉敬が後年に、事の重大さを考慮して、少しなりとも回顧録として残しておく必要性を感じ、その著「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」において、沖縄返還を巡る交渉の裏側を記しているのです。 その中には、沖縄の核や基地に関して、あるいは日本周辺の有事やアジア諸国の平和維持に関してのアメリカの軍事的姿勢および日米安全保障面よりのアメリカが日本に期待する同盟国としての友好的な対応のあり方などについて触れている内容が見出だせます。 その著には、当時、最終的な合意決定に至ったと想像された会談は、関係者は立ち会わせないで、非公開での両首脳間のみで為されたような記述があります。 しかし、両首脳間で何が話されたのかは明らかにされていません。 そしてこの1969年11月の合意調印を経て後、1972年5月に沖縄が日本に返還されたのです。
筆者が想像するに、本のタイトルが意味するとおり、恐らく若泉敬がこれより他に策はなかったと自身に暗示をかけて、救われたいと願望を込めた内容であろうと推察するのです。
この時代は、アメリカと旧ソ連(以降、単にソ連と記述)の第二次世界大戦後のいわゆる2大国の冷戦状態が続く時代であるが、ソ連が1991年に崩壊するまでの期間には、紛争や種々の軍事的衝突の危機が起こっています。 例えば、ソ連による秘密裏に行われたキューバへの核ミサイル配備をアメリカが察知し、アメリカとソ連との軍事的緊張が極度に高まり、その撤回に関してアメリカが即時攻撃も辞さない状況に至ったと伝えられる1962年のキューバ危機。
アメリカの支援を受けた南ベトナムと、ソ連、中国の共産主義国の支援を受けた北ベトナムとの間のベトナム戦争において、1965年に北ベトナムへの爆撃を開始したアメリカのベトナム戦争。
ソ連支配下にあった社会主義体制の旧チェコスロバキアにおいて、1968年春からのドプチェク共産党第一書記の時代に厳格な検閲や言論統制を緩め始めたことに対して、旧チェコスロバキアが西洋的な自由化への道を歩むのではないかと危惧したソ連が、ソ連を主軸として結成された同盟軍であるワルシャワ機構軍が1968年8月に旧チェコスロバキアに軍事介入を行い、その自由化へのさきがけの芽を潰し、その後チェコスロバキアが厳格な社会主義体制に戻されることになる事件。
内戦状態であったアフガニスタンにおいて、北部を中心とする共産主義勢力であるアフガニスタン人民民主党の支援のため、1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻を開始した事件。
それらに代表されるようなアメリカおよびソ連の軍事介入、軍事的緊張、地球の各地域で、世界の安全が超大国に支配される構図が非常に極まっていた時代でした。
その当時から現在に至る期間においては、ソ連中心の東側の軍事同盟軍と西側の軍事同盟軍との国境付近での対峙およびアメリカがトルコと共に東側の軍事同盟と対峙し、また、近年の中国と台湾の関係においては、1971年に国連で中華人民共和国が中国の正当な主権国政府として承認されたのですが、それまでは、中華民国(台湾)が中国の正当な代表であり国連の常任理事国であったが、その国際的地位を失ったのです。 しかし、それまでアメリカは、台湾政府への支持並びに軍事的支援関係を約束して台湾海峡を挟んだ両国の軍事的対峙において強力な抑止力を担っていたのです。 また、インド、パキスタンにおいては、両国の領土問題などに端を発した紛争と対峙のなかで、核爆弾の開発・保有という事態にいたり、また、北朝鮮においても核開発を行い、核爆弾を保有したと看做される事態が発生したのです。
この北朝鮮の核爆弾やミサイル発射の事態を受けて、日本政府がどのようにアメリカ政府と協議したかは筆者にはよくわかりませんが、アメリカの政府高官は、この北朝鮮の核問題に対して、日米安全保障条約による核の傘により日本防衛を履行する旨の発言を行っているのです。
このように、いつ軍事的緊張の高まりが更に増大するか予測の付かない事態が発生してきた時代を考えるとき、米ソ間の核兵器開発競争が激化して莫大な個数の核兵器を保有する戦略、そして、固定されたミサイル基地以外の核兵器を移動できる航空機や艦船や潜水艦を活用する戦略的重要性、並びに、アメリカ国内以外の基地を活用した攻撃力の重要性が増していたのだと筆者は考えます。
核密約疑惑は、米ソの冷戦時代から発生して継続してきた事案であり、そして現在の北朝鮮の核開発及びミサイル開発により発生したアメリカへの核攻撃への危惧に伴い、アメリカの国家戦略でとられている、ならず者としての対象国家への核政策のなかで、日本のアメリカ軍基地からの攻撃態勢がいかに構築されているのかは一般国民には推測できませんが、米ソの冷戦時代から継続して冷戦終了後の現在においても、日本にあるアメリカ軍基地に配備状態ではないが、ある場所においては既に核の再持ち込みが実施されて、この状態が維持されているのではないかと疑心暗鬼が生じるのです。
先に紹介した若泉氏の著書に、1961年11月21日発表予定の日米共同声明の予定の極秘の草案内容が記載されているのですが、最終案かどうか、あるいは文章が修正されているのかがよくわかりませんが、修正されていなければ、恐らくこのような内容の合意であったと推定できます。 それによると、「・・・(略)・・・日本を含む極東諸国の防衛のため米国が負っている国際的な義務を効果的に遂行するために、重大な緊急事態が生じた際には、米国政府は、日本政府と事前協議を行った上で、核兵器を再び沖縄に持ち込むこと、及び沖縄を通過する権利が認められることを必要とするであろう。 かかる事前協議においては、米国政府は好意的回答を期待するものである。 さらに、米国政府は、沖縄に現存する核兵器の貯蔵地、すなわち、嘉手納、那覇、辺野古、並びにナイキ・ハーキューリーズ基地を、いつでも使用できる状態に維持しておき、重大な緊急事態が生じた時には活用できることを必要とする。・・・(略)・・・ 日本国総理大臣は、大統領が述べた前記の重大な緊急事態が生じた際における米国政府の必要を理解して、かかる事前協議が行われた場合には、遅滞なくそれらの必要をみたすであろう。 大統領と総理大臣は、この合意議事録を二通作成し、一通ずつ大統領官邸と総理大臣官邸にのみ保管し、かつ、米合衆国大統領と日本国総理大臣との間でのみ最大の注意をもって、極秘裏に取り扱うべきものとする、ということに合意した。 1969年11月21日 ワシントンDCにて R.N . E.S.」 (上記著書の若泉氏自身の英文を自身が日本語訳して載せた文章から引用)
この当時の世界情勢やアメリカ軍の戦略上の重要性や若泉敬の”これより他に策はなかったと信じたい・・・”のような内容記述を総合的に判断すると、核兵器の日本のアメリカ軍基地内への再持ち込みの承諾に関わる秘密や更に再持ち込み事案の疑惑がおぼろげに見えてくるのです。
この核再持ち込みに関する共同声明の合意が為されており、その中で核兵器のために使用できる基地について合意決定されているのであれば、事前協議についても日米間にはホットラインがあるのですから手続きは容易であり、重大な緊急事態として、アメリカ政府から日本の総理や政府高官に口頭で直接要請ができるのです。 ですから、過去の政府高官がアメリカ政府からこの要請を受けたかどうかが問われることになります。 アメリカから要請されれば、日本は「ノー」と言えるでしょうか。 これが、疑惑なのです。
しかし、日本国民は、この外交機密の合意が事実である場合には、日米安全保障条約が継続する限りは、機密文章あるいは仮定として文章でなくとも口頭での代々継続する機密の引継ぎ事項として、それらは表舞台に出されることがないこともわかっているのです。 つまり、これを明らかにするためには、日米安全保障条約の締約を解消するか、あるいは、国家公務員の守秘義務と罰則を、この件に限り除外する特例措置を定めるか、あるいは、この実情のもと、これに拘った官僚がこの事実を黙秘した合には、執行猶予なしの禁錮10年以上の刑罰でも与えるような特別法を作らない限り暴露されないことであり、そして、もし万が一暴露されれば、必然的に日米安全保障条約は継続できないことになります。 そこまで徹底しないと解明できない案件なのです。
核再持ち込み事案は現時点では決して判明しないことは明らかですので、民主党政府が行っている核密約事案の解明は、この核積載艦、あるいは核積載機が日本に寄航、飛来将来している事前通告が不要であるとして、アメリカの公文書で公表可能内容とされ、既に見つかっている内容のみであって、これ以外の現在進行状態の機密は対象外であり、見つからないことは確実ですから、言ってみれば、最初から国民の批判をかわす政府の単なるパーフォーマンス的な所作であろう。
今、日本に求められている安全保障のあり方、将来を見据えた最善の政策は、日本とアメリカの2国間の安全保障条約から脱却し、北東アジアにおける多国間による安全保障条約の締約をはかることです。 そして、これを基に多国間での軍事力行使の抑制の取り決めを進展させ、核兵器削減・撤廃への道筋が拓かれるように努力し、それぞれの国は、軍事予算費の削減により確保できた予算を、社会資本整備、国民生活関連、医療関連、産業技術開発関連、経済などへ有効に活用をはかり、国際間では相互信頼をはぐくむことが重要なのです。
(追加)(2009年12月22日元総理の佐藤栄作氏の親族が日米両首脳の署名入り核持ち込みに関する極秘合意書を新聞記者を通じて公表した)
本来は公表されないものが公表されたということは何を意味するか。 それは、これに代わる機能が既に日米間で合意・構築されているにちがいないと想定される。
日本の外務省は日本人を騙すことを厭わないことがはっきりしているから、日米安保条約に関して協議する事項を極秘裏にして、沖縄返還交渉時の日米両首脳の署名入り核持ち込みに関する極秘合意書に代わるものをちゃんと準備してあるのです。
日本の外務省は、暴力団の脅しに対して金を払うのとちょうど同じように、アメリカの脅しに対して、脅しとはせずに、自主的に同意して日本への核兵器持ち込みを容認するとか、アメリカ軍への財政的支援、その他軍事的後方支援を約束していることが充分想定できます。
核再持ち込み密約 署名入り極秘文章が公表されたが、日米安保条約の付属合意、運用で核持ち込み可能を参照。
(追加)(2010年3月 密約調査で核兵器の持ち込み・持ち出しが自由である仕組み及び核貯蔵施設に核兵器が貯蔵されていることが確実視されることが判明した)
日本はNPT(核拡散防止条約)を批准し、日本はNPTで核兵器を保有できない非核兵器国である。 よって、核兵器を保有できない日本であるが、アメリカに基地を提供し、軍事同盟として共同的に行動することで日本に核兵器を持つ状態を可能とし、そして維持し、日本は核拡散防止条約に狡猾に挑戦しているのです。
日米の悪徳官僚達は、如何に悪賢いか、国民は感心させられます。
密約調査 核持ち込み introduction:事前協議対象外核容認 entry 何も変わらない日本の虚偽を参照。
日本国民の人権を守るため、日本の真の独立を勝ち取り、アメリカの奴隷からの開放を目指すため、日米安保条約解約。
日本は、日本国民が無視され続けている不平等の日米安保条約を解約しなければならない。 日本国民が戦わねば、日本の夜明けは訪れない。
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