「いいなぁ、こんな素敵なところに行ってみたいなぁ」
ある日の夜、図書館で借りてきた雑誌をパラパラめくっていた管理人妻がため息混じりにつぶやいた。無視していると恨みがましくさらに追い討ちをかける。
「行きたいなぁ。でも、海外旅行なんてもう無理だよねぇ。もうどこにも行けないよねぇ」
管理人と管理人妻は以前はバックパッカーで、何年も日本をほったらかしにして海外をうろつきまわる生活をしていたが、結婚して、まともな会社に就職して、ペットも飼ってしまい、新婚旅行でインドに半年行って以来六年間、旅行といえばたまに伊豆か千葉か山梨へ日帰りでドライブするくらいなのだ。
「素敵なところだなぁ。死ぬまでに行けるかなぁ。でも人間いつ死ぬかわからないしねぇ」
話がおおげさになってきた。このままほっとくと噴火して「行きたいよー。行きたいとこも行けないなんて私の人生なんなのよー。ワーワーワーバタバタバタ(わめき声と足の音)」となりやっかいなので、ひとまずそんなに素敵な場所とはいったいどこなのかその雑誌を見せてもらうことにする。
「これこれ、ねえすごく素敵でしょう」
管理人妻がさし出した雑誌を見た。そこにのっていたのは・・・、えっ? これってタイガーバームガーデンじゃないか。
「そうそれよ、素敵でしょう」
素敵でしょうって言われても・・・。いや、管理人妻の趣味はよく知っていたが、ため息が出るほど素敵なところというと、エーゲ海とか南仏とかニューカレドニアとかだと思うじゃないか。そんな遠いところは仕事が休めないので無理だ。だが香港なら行ける。
「ほんとう!?」
とたんに管理人妻の眼がキラキラ光った。仕事はがんばれば4日までは連休が取れる。ペットは半年前に死んでしまった。
「じゃあ行こう。香港行って変な寺見よう」
寺じゃないだろ。それに、「変な」ってなんだよ。「素敵な」って言ってただろ。あっ、管理人妻の中ではこのふたつはイコールなのか。まあいい、とにかくこうして3泊4日で香港へ行くことになった。短期ならすべて自由行動のツアーのほうが安くすむだろう。そうだパスポート取らなきゃ。もうとっくに有効期限が切れてるはず。
着々と渡航準備を進めているころ、衝撃的な情報を入手した。
タイガーバームガーデン閉鎖
もう、ずいぶん前のことらしい。管理人が若かりしころ香港へ行った時は香港はまだ英国領で、タイガーバームガーデンも九龍城も啓徳空港も健在だったのに。管理人妻はがっくり肩を落としている。いじわるく、じゃあ旅行やめる? と聞いてみた。
「行く行く行くよー。香港行ったことないし。前から高いビルがばーっとならんでるとこみたかったし。しょうがないから夜景でもみるよー」
こうして旅行のテーマが「香港で素敵な寺へ行く」から「香港で夜景でも見る」に変更されたのであった。