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「水の世紀」の始まりにあたって |
| (社)アジア協会アジア友の会会報 No.80 http://www.jafs.or.jp 水と貧困の2つの問題を切り離して考える事はできない。水を手に入れるのに苦労し、洪 水に苦しむ人々の多くは、都市に住む貧困家庭や、農村地帯に住む貧しい農家である。 仕事がら、水の関連プロジェクトに携わり、途上国の現場を訪れる機会が多いが、そこで は、人々が水に苦労していたり、水道ができて喜んでいたりと、水にまつわる悲喜こもご もの風景に出合ってきた。 スリランカの農村地帯では、小学校でこぎれいな制服を着た子供たちが集まってきて、学 校に新しいトイレや井戸ができて、どんなに便利になったかとか、水が健康や環境に大切 だと習ったことなど、楽しそうに話してくれる。近所の農家では、新しくできた井戸やト イレを、きれいに掃除して大事に使っている農婦がいる。井戸ができる前は、数キロ歩い て水を汲みに行っていたのだという。また、毎月少しずつお金を出し合って、皆で小さな 水道を保守している集落がある。 一方、ネパールの山村では、少女が家族が一日に使う水を汲んで、数キロの険しい山道を 登っているのに出会う。町の古着屋で大昔に買ったであろう、薄汚れた粗末な服を着て、 靴も履いていないごつごつした素足で、水瓶を腰にのせ歩いて来る。水汲みに時間をとら れて学校には通えない。栄養状態も決していいとは言えない小さな体では、数キロの水汲 みの重労働が成長にいいはずもない。しかし、その様子には、こちらが思うほど苦労と感 じているふうには見えない。きっと長い年月にわたり、毎日の仕事として身に付いた生活 なので、当り前になっているのだろう。 こうして現在でも、世界中の多くの人々が飲み水を手に入れるのに苦労している。世界で 5人に一人は安心して飲める水が手に入らず、2人に一人はトイレや下水道が使用できな い。こうした不衛生な環境で、水を通じた感染症で毎年500〜1,000万人が死亡している。 洪水により命を落とすのも貧困層に集中する。私が住むフィリピンでは、太平洋戦争の激 戦地で有名なレイテ島のオルモック市で、1991年に人口の6%にあたる約8,000人が死亡 するという、大洪水が発生した。「オルモックの悲劇」と呼ばれる、この災害の犠牲者の 多くは、川の中に住む貧困家庭であった。山間部や離島から職を求めて、この地方の中心 都市である、オルモック市に出てきた家族は、日雇いの職場に近い、街の中心を流れる川 の河川敷に住んでいた。川の中に住むのがいけない、と批判するのは簡単である。しか し、彼らは、けっして洪水の危険性を知らなかったわけではない。約十円の交通費が負担 になり、こうした危険な場所に住まざるをえなかったのである。彼らには、職を失うか、 洪水にあうか、という選択しかなかったといえよう。 1999年には数万人の犠牲者を出す水害が、ベネズエラ、インドと頻発した。今も世界の各 地からは、数千人、数百人が命を落とすような水害のニュースが頻繁に伝えられている。 残念ながら飲み水の問題にしろ、洪水にしろ、ほおっておくと状況は悪化するばかりであ る。人口増加により、急速な都市化や環境破壊が進んでいる。そして、地方から働く場所 を求めて都会に出てきた貧困層が、災害の危険性の大きい、河川敷きや海岸沿いなどに住 むこととなる。こうしてできたスラム地区では、水道や下水のサービスも十分に受ける事 はできない。森林減少や土砂流出などの環境破壊により、洪水の規模が大きくなり、ま た、利用できる水資源を減少させている。 21世紀は、こうした水問題が石油に代わる国際的な紛争に発展する事が予想され、「水 の世紀」と呼ばれ始めている。 そして、途上国の貧富の格差は、依然大きい。1日を1ドル(約120円)以下で生活する貧 困層は、アジア全体の人口の3分の1を占める。30年前に比べ割合でこそ半分から3分の1 と改善されたものの、その数はいまだ9億人である。 このように深刻化し続ける飲み水や洪水の問題は、人々−特に貧困層−の生活の根本に関 わる問題である。水の問題を避けて、途上国の貧困問題を解決することはできない。そし て、貧困問題を解決せずして、水の問題を解決する事もできないのである。 これまでも日本をはじめとする先進国のODAや国際機関が、さまざまな水プロジェクト の協力を行ってきた。しかし、従来行われてきたような、浄水場やダム建設といったハー ドの支援だけでは貧困層の生活を改善する手伝いにはならない。例えば、途上国の都市で は、貧困家庭が住むような地区は、上水道の整備が後回しにされがちである。また、水道 管がその地区に引かれても、最初の接続料が数千円から1万円程度すると貧困家庭では負 担が難しく、水道はなかなか利用できないのである。 一見、貧困層にやさしそうに見える政策も、実は、役立っていないことがある。多くの国 で水道料金は、少ない使用量についての料金は低めに設定している。これは、使用量が少 ない家庭は、貧しいだろうから料金も低く抑えよう、という理由からである。しかし、本 当に貧しい家庭は水道そのものが利用できていないのである。 堤防建設を行う治水プロジェクトでは、洪水の被害をもっとも深刻に被る貧困層が、プロ ジェクトの便益を最も受けるべきである。しかしながら、貧困層は川の中に住む不法占拠 者ということで、工事が始まると追い出しの対象にはなっても、プロジェクトのメリット を受けれないことがある。治水プロジェクトとは、洪水を安全に流すことに加えて、最も 洪水で不利益を被っている貧困層にこそ、プロジェクトの対象とする、という視点を持つ 必要がある。 つまり、ODAや国際機関の水プロジェクトを、貧困層の生活を改善し、貧困削減に役立 てるには、スラム地区の生活改善や水道整備も含めるなど、きめ細やかな支援を、従来か らのやり方に加える必要がある。 貧困と水、原因と結果が互いに複雑に絡み合うどちらの深刻な問題とも、解決の難しさ、 問題の根の深さを考えると、暗澹たる気持ちになる。さまざまな改革と、多大な努力が求 められており、解決への道のりはけっして容易なものではないだろう。「水の世紀」と呼 ばれる21世紀が、「水問題が深刻化した世紀」と呼ばれるのか、もしくは、「水問題を 克服した世紀」と呼ばれるようになるのかは、NGO、国際機関、各国政府など、関係者 の今後の取り組み方次第といえよう。 |