
難民問題と自然災害の対応は同じ:2つの誤解
このメールマガジン(MM)の表題にある「災害」の定義をまだしていなかった。国連では、災害とは、「その社会が持つ能力では対応できない破壊的な事態」と定義している。具体的には風水害、地震、飢餓など自然災害の他、民族紛争などにより発生する難民問題、化学工場事故などの産業事故も含んでいる。このMMでは自然災害、中でも水害を中心に扱うが、東西冷戦後、ますます深刻化している難民問題についてもここで触れておきたい。
自然災害と難民問題は別々の問題で対応方法も異なる、という誤解がある。この2つがどう結びつくのか、ピンとこない向きもあるかもしれないが、救援援助の活動内容では共通する部分も多い。阪神淡路大震災の被災民キャンプも、旧ユ−ゴスラビアの内戦による被災難民も、必要とする施設や物資、援助は同じである。例えば、緊急救援を中心に活動している日本の代表的なNGOであるAMDAは、自然災害、難民問題共に同様に対応している。多くの国際NGOもこの2つの災害への救援援助を同じように行っている。
ところが、日本政府の対応はというと、自然災害なら、 国際協力事業団(JICA )の緊急援助隊、内戦などの紛争による難民問題は自衛隊という、仕分けがなんとなくできている。武力紛争そのものの解決は軍事力を持つ自衛隊の出番だが、紛争により発生する被災民は、自然災害と同様の救援活動が必要、また効果的であり、二つの「災害」は本来分けて対応すべきではない。
誤解の2つめは、難民問題に求められるのは医師や看護婦で、医療中心の援助というイメージがある点である。実は、技術者など他の分野の専門家の活躍の場は意外と広い。
イギリスでは伝統的にNGOが中心となって難民救援活動を行ってきた。難民救援を行う技術者の訓練を行うNGOもあり、私も1週間のトレーニングを受けたが、技術者の出番が意外と多いことを実感した。被災民のキャンプ設営では、飲み水の確保、住宅や基本的なインフラ整備と、工学や施設の計画の技術が求められる。さらに、日本人は苦手だが、短期間で大量の物資を効率よく運ぶための、ロジスティックス、といわれる輸送、補給の専門家も重要な役割を果たす。
日本のODAは良くも悪くも国内事業に密接に関わっている。国内事業の強い分野−土木など−はODAも活発であり、国内で弱い分野はODAも弱い。さて、難民問題の担当官庁はどこか、である。自然災害を担当する旧国土庁や旧建設省に、「難民問題は自然災害同様のアプローチが必要ですから担当もそちらです」と言っても、目をぱちくりして、びっくりするだけであろう。法務省は国内の難民認定の担当。ということで、国内に担当官庁が見当たらない。これが日本であまり難民問題が重視されてこなかった原因の一つにもなっている、と思う。幸か、不幸かはわからないが、民間、NGOベース、そして国連機関への拠出金という形で、主な活動が行われてきている。
今後は、自然災害のノウハウや専門家、施設、資源、そして経験を生かした、
総合的な援助を行っていく必要があろうう。
○ 関連サイト
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)(日本語):2001年1月1日現在、UNHCRの「援助対象者(people of concern)」は世界で約2,110万人(地球上の人口の284人にひとり)にものぼるという。
○ 英語一口メモ Complex Emergency
複合災害:内戦や民族紛争による難民問題をいう。
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◆ 書評コーナー ◆
タイトル:[明日への対話]
人道援助、そのジレンマ−「国境なき医師団」の経験から−
著者: ロニー・ブローマン(Rony BRAUMAN)
訳者: 高橋武智
出版社: 産業図書株式会社
発行年: 2000年
ナンバー: ISBN 4-7828-0115-7
入手方法: 市販
定価: 本体1,800円
書評:ノーベル平和賞を受賞したことでも知られる、緊急救援を中心に活動しているNGO「国境なき医師団」の前理事長の対談である。
感傷から発した活動は、効果がないばかりか、悪影響を及ぼしかねない。これは救援援助が国家、中でも専制権力に利用されてしまう恐れが常にあるためである。
▼ 全体主義国家に利用された苦い教訓
エチオピアでの飢饉への救援援助は、アーチストも加わり、世界中で大規模なキャンペーンが張られた。しかし、実際のところは、強制移住政策を取ることで、いつまでも人工的な飢饉の状態を作り続ける、当時の独裁体制を強化する役目を果たしてしまった。第二次世界大戦中のナチス・ドイツのユダヤ人虐殺については、国際赤十字はその非人道性を指摘するどころか、結果的にはナチのプロパガンダの片棒を担いでしまった。これらは過去の苦い教訓であるが、現在でも救援援助は難民だけでなく、武装グループを結果的に支援してしまう恐れが常にある。人道的な援助は構造的にこうした矛盾を持つ、と著者は述べる。
救援援助は難しい。限られた情報の中で、迅速、かつ大規模な活動の展開が求められる。援助する方は、どれだけの物資や、人、金を送り込んだのかといった、量をいくらこなしたか、という点から評価を行いがちである。そして、困っているのだからどんどん助けろ、とばかり、実際の行動を重視しがちである。マスメディアの報道もこの路線で行われる。難民が発生した背景や構造的な原因、政治的な力関係、さらには援助を行う際の条件や枠組み、にまで目をとどけにくいのが現実であろう。
▼ 存在しない普遍的なモラル
救援援助の行動原理となるモラルはあるのか、とさまざまな視点から繰り返し論じられている。結論は、普遍的なモラルなど存在しない、西洋的な価値観で行動の善悪を決めてはいけない、という。そして、皆に合意される最小限の道徳を基準に行動する、と述べている。
人道、人権という観点から、どこまで口をはさむべきか、おそらく現場で常に問われているのであろう。世界的に著名なNGOが、決してひとつの人権モデルを押し付けようとしているのではない、とわかりほっとした。キリスト教の価値観や西欧的な人権思想を押し付けるのではない、こうした思想の基盤こそが、活動が広く、そして長い間、世界に受け入れられている理由なのだろう。
行動の基準とすべき最小限の道徳とは、「感傷」や「憐れみ」であってはならず、「コンパッション(共感共苦)」である、という。「感傷」や「憐れみ」は個人の感覚であるから、そこから発した行動は、一方通行の自己満足、さらには、事態を悪化させる恐れがある。これに対して、「共感共苦」は相手を理解した上での、相互に交流する感情であるから、普遍的なものになりうるのであろう。
「感傷」や「憐れみ」から発する行動の危険性は、少しでも援助や途上国での生活の経験があれば理解できるであろう。援助の現場で「憐れみ」の情を持つのは確かに禁物である。木を見て森を見ない恐れが常にあるから。そして「憐れみ」は相手のためにならないことが往々にしてあるから。こうした、個人レベルの問題も組織の問題も根は同じであり、規模が大きくなるにつれ、組織としては悪影響が増幅されるので、さらに慎重さが必要となる。
反動として、感情を殺してビジネスライクに援助を行う、というのが普通とられるアプローチであろう。ビジネスライクの援助でありながら、行動の原点にあるマインドは忘れない、この現実的なアプローチをとるには「共感共苦」という哲学が必要となる。
キーワード:人道援助、緊急救援、国際赤十字、エチオピア飢饉、国境なき医師団
