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![]() 太子道(筋違道・すじかいみち)の謎を解く−−−筋違道の研究
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| 法隆寺駅まで1週間がかり、−塔の礎石運搬−昔語り (分捕り貨車でお輿入れ−コロに載せてエンヤラヤ) |
| 学会注視の法隆寺論争に重要資料として登場した元同寺普門院付近にあったという塔の礎石を阪神住吉の野村徳七氏邸から、
「どうして法隆寺へ運び戻すか。」と、ものがものだけにその運搬方法も大きな副次的興味呼んでいる折、これは珍話。今をさる30年前当時この巨石を保管していた法隆寺付近の某家から阪神沿線の元久原邸へ運搬した請負人があり、
いまとなればその思い出話も好個の参考話題として学会にトピックとして提供する。 奈良市大豆山町の建築請負業上村兼次郎さん(56)がその当人で祖父の代からすでに三代大和の古社寺建築修理をつづけ、いまもなおいたって元気、喧しい法隆寺問題をよそに、運搬当時の思いもあらたな追想に耽っているが、 この問題の礎石は明治10年ごろすでに法隆寺から付近の某家に移され、同家庭園巽の隅の多宝塔の台石としてその豪壮さを誇っていたもので、その後同家の都合で、明治40年春多宝塔とともに阪神沿線住吉観音林の久原房之助氏邸 (現在の野村徳七氏邸)に移されることになり、運搬一切を市内登大路町の森田清太郎氏に委嘱、森田氏は種々搬出方法を考慮した結果、法隆寺から省線法隆寺駅までの運搬を、この上村さんに請負わした。 上村さんはこの大盤石の運搬に知恵をしぼった結果、まづ礎石の方はコモ包みにした上コロに載せて、転ばせて運ぶこととし、一方多宝塔の方は牛車数台でこまかく分解して運ぶことになり、直ちに準備にとりかかった、 なにしろ高さ6尺、1万余貫のデカイ石のこととて、この荷造りにも相当な日子を費したが、これを運ぶためのコロももちろん特別に6尺余の大丸太5本を用意し石の安定を保つためにコロの上に載せる台木もそれ相応な大きさのものを製作、 いよいよ運搬にとりかかった。 まづ人夫9人を雇って同家庭園の板塀を打ち壊し、礎石を道路に出してからこのコロの上の台木に載せた、それを強靱なワイヤーロープで人夫4人がかりで引張り5人はコロ棒の入れ替えなどを行いながら法隆寺前から 省線法隆寺駅に通じる東への道をのろりのろりと動かし始めた、かくて1万貫の石も尻を上げたのだ。第1日目はは約1町余りを歩いたままですでに日はとっぷり暮れてしまった。石を道傍に寄せて、夜を迎え、 第2日目も9人の人夫がやはり早朝からえっさえっさと運びつづけこの9町余りの道を、ちょうど1週間かかって法隆寺駅まで運び込んだ。 一方多宝塔のの方はこれも牛車数台が40回ばかりも往復、無事法隆寺駅まで送り届けた。問題の礎石のはすでにそのころからヒビが入っていたので運搬の苦心も格別だったがコロで引くと震動も割合少なく 比較的容易に運搬することが出来たそうだ。駅に到着した石をさてどうして久原邸まで運び込むか−−− 当時の貨車ではとてもこれを積載するものがなかったので、日露戦争のころロシアから分捕って来た大砲運搬用の無蓋貨車を交渉の結果、神戸車両局からはるばる回送して貰いこの頑丈な鉄製貨車に引きずり上げた。 かくしてさしもの巨石も無事貨車に載っかりそのまま久原邸向って走り出してしまった訳である。このロシア製の無蓋貨車は当時日本に3台しかなかったもので、礎石と多宝塔の運搬に要した費用はその当時で実に千五百円ほどに上ると見られ いかに大がかりなものであったかを想像するに難くない。 |
当時の追想に耽りながら、上村さんは語る。 あのころは推古、天平などの伽藍石でもどんどん各家へ移転されていたもので明治25年ごろわたしがはじめて法隆寺さんの仕事を請けたときはこの礎石も有名な玉虫厨子の扉も最早ありませんでした。 石はコロで運ぶのが経費の点からいっても一番いいと思い、あんな方法をとったのです。今再び法隆寺さんへ戻されるとしてもやっぱりこれ以外に方法はないと思います。 あの石は推古のものか天平のものかなどと学者は研究していますが職人の目を通じてみて穴があるから絶対推古の伽藍石だとか、へそがあるから天平のものだとかの断定は出来ません。 あの礎石がなるべく早く法隆寺にも一度戻ってほしいものです。 わたしもいよいよ運搬が決定すればこの世の見納めに一度野村邸に参るつもりです。 |
法隆寺昭和資材帳調査概報11より