4 、 仏 法 を 学 ぶ
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愛 別 離 苦
最近ですが「愛別離苦」(愛しい者との別れの苦しみ)の故に、自ら命を絶ってしまった事件を耳にしました。それは2005年4月25日にJR福知山線で起きた
107名の人命が失われた大惨事に関連するものでした。
事故の原因はJR西日本が、営利優先で過密ダイヤを組み、スピ−ド超過を制御する等の安全設備類の予算は低く押さえ、乗務員に対しては罰則をもって運行時間を厳守させる経営体質の中で、起きるべくして起きた大惨事でした。その事故から1年半ほど経過した2006年10月に、一人の女性がビルから投身自殺をしました。それはこの事故で恋人を殺され、後に残された女性が起したものでした。
遺書には恋人を奪われた絶望感と、その恋人を奪ったJR西日本に対する怒りが記してありました。
この女性の心情は、生きていること自体が地獄の苦しみではなかったかと、察するに余りありました。来世で二人は再び結ばれて、今度は共に白髪まで添い遂げてほしいと願わずにはいられません。
日蓮大聖人は、
○人の身には左右のかたあり、このかたに二つの神おはします一をば同名・二をば同生と申す、此の二つの神は梵天・帝釈・日月の人をまほらせんがために母の腹の内に入りしよりこのかた一生をわるまで影のごとく眼のごとく・つき随いて候が・・・・・(四条金吾殿女房御返事)
○人には必ず二つの天・影のごとくにそいて候、所謂一をば同生天と云い二をば同名天と申す左右の肩にそひて人を守護すれば、失なき者をば天もあやまつ事なし・況や善人におひてをや、されば妙楽大師のたまはく「必ず心の固きに仮(よ)りて神の守り則ち強し」等云々、人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこと候へ、・・・・其の時は弥弥(いよいよ)十羅刹女の御まほりも・つよかるべしと・おぼすべし(己御前御消息)
とありますが、この人の左右の肩に添う同名天・同生天の二神(具生天)につていは、経文にも説かれており、世間で聞く守護神・守護霊・背後霊等に当たるものと思われます。
この二神(守護神)は、「梵天・帝釈・日月が遣わし、また十羅刹女がお守りする」とあり、これらは法華経で説かれているとおり、法華経(正法)を保つ者を守護する諸天善神です。
法華経において、
諸 天 善 神 の 守 護 の 誓 い
○諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護す(法華経安楽行品第十四)
○若し人惡、刀杖及び瓦石を加えんと欲せば、則ち変化の人を遣して、之が為に衛護となさん(法華経法師品第十)
○世尊の勅(みことのり)の如く当に具(つぶさ)に奉行すべし(法華経嘱累品)
と説かれ、法華経によって成仏することができた諸天善神(大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王・天照大神・八幡大菩薩・十羅刹女等の善神)が、法華経の行者を守護することを誓っています。ですから、「失なき者」「善人」、つまり正法(御本尊)を保ち、
「人の心かたければ(信心が強ければ)」、「神のまほり必ずつよし」となるのです。大聖人は、
○一乗妙法蓮華経は諸仏正覚の極理、諸天善神の威食なり
○当に知るべし、日月天の四天下をめぐり給ふは仏法の力なり。(中略)劣なる経を食しましまして尚四天下をめぐり給ふ。何に況んや、法華経の醍醐の甘味を嘗(な)めさせ給はんをや(四条金吾金吾釈迦仏供養事)
と述べられているように、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える題目は、諸天善神の法味(威光勢力を増す食べ物)となり、その勢力は倍増すると御教示されています。
そして当然の事ながら、諸天善神が遣わす、いわば家臣である同名天・同生天の二神(具生天・守護神)の力も増すというわけです。
なお大御本尊の当体は、法華経の会座である霊鷲山の儀式をそのままうつされたものであり、
「霊山の一会儼然(げんぜん)として未だ散らず」といって、法華経霊鷲山の会座が今なお厳然として無くならず常住していることを、事の上に著わされた大御本尊です。
したがってこの大御本尊を拝むことは、霊鷲山の儀式の再現となり、この会座で誓いを立てた諸天善神が、大御本尊を信じる者を守護することは自明になります。
大聖人は『立正安国論』で、
立 正 安 国 論 よ り
○世皆正(正法)に背き人悉く悪(邪法)に帰す、故に善神(諸天善神)は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る
○多く仏教に迷えり、傍(邪法)を好んで正(正法)を忘る善神怒りを為さざらんや円(正法)を捨てて偏(邪法)を好む悪鬼便りを得ざらんや
○須(すべから)く凶(邪法)を捨てて善(正法)に帰し源を塞ぎ根を截(たつ)べし
と、正法に背き、「悪」・「傍」・「偏」・「凶」である邪法に縁すれば、諸天善神は所を去り、そこに「魔」・「悪鬼」が入れ替わり「災起り難起る」と仰せになっています。現世でも邪法に縁していれば、諸天善神をはじめ、左右の肩に添う同名天・同生天の二神も去り、災いと難の元である魔や悪鬼が入れ替わり不幸や苦悩を招くことになります。
107名の犠牲者の中に、正法護持の人が一人もいなかったという事実があります。来世で二人が再び結ばれて、今度は共に白髪まで添い遂げるには、残された遺族の方が正法に帰依して、その大善によって遺族の方自身が成仏し、その功徳をもって故人を成仏させるしかありません。
これは釈尊の弟子で神通第一といわれた目連が、慳貪の罪によって餓鬼道に堕ちて苦しむ母を、神通力では救えず、法華経(正法)を信じた功徳によって救ったことによります。
末法の今日、災いや難を避け、現世安穏・後生善処の生涯をおくるには、「凶を捨てて善に帰し源を塞ぎ根をたつ」こと以外にはありません。邪な宗教(邪宗)の本尊やお守り、家内安全や厄除けのお札等々は、じつは災難を招き寄せる“魔札”であり“鬼札”であることを知るべきです。
末法の人々は、こうした“魔札”は安易に入手しますが、正法の“御本尊”になると、不思議にも正法の信仰を妨げようとする三障四魔という働きが、自身の胸中や周囲の人達から競い起こり、信仰することができなくなります。
しかし三障四魔も、結局は御本尊に対する“不信”(元品の無明)が根源になりますから、最後は、「以信得入」(信を以て入るを得たり)「以信代慧」(信を以て智慧に代える)の法門のごとく、“信”が決定的に重要になります。ですからたとえ「半信半疑」であったとしても、“信”があれば、三障四魔は乗り越えられるのです。
今ここにイラク英兵の最後の恋文(新聞記事)があります。若い英国人兵士が戦場に赴く前に、婚約者に残していた手紙です。
「もしもぼくが死んだら、開封して読んでほしい」
と託しておいたものでした。この若い兵士(22歳)はイラク南部の町を巡回活動中に銃撃を受け亡くなりました。
イ ラ ク 英 兵 の 最 後 の 恋 文 (要旨)【毎日新聞の記事り】
なぜ、ぼくはこの手紙を書いているのだろう。君には絶対にこの手紙を読んでほしくない。だって、読むということは、ぼくが死んだということなのだから。
君は愛がどういうもので、愛されるとどういう気持ちになるか、ぼくに教えてくれた。いかに生き、本当の幸せのためにはどうあるべきかを教えてくれた。
神様がぼくらをこの地上で引き合わせてくれたのだと思う。
ぼくのベッドの頭の上には、君の写真をはっていた。毎晩、口づけしたぼくの指で君の顔をなで、君に見守られながら眠りにつく。今度はぼくが、夢の中でも君が安らかでいられるように君を見守ってあげる番だね。
さびしい時はいつだって、そっと目を閉じてごらん。ぼくは君のすぐそばにいる。
ぼくは全身全霊で君を愛した。君はぼくのすべてだった。 永遠の愛を。リ−
善良な若者が最愛の人を残して、何故逝ってしまわなければならないのか。婚約者は何故このような悲しい出来事を受け入れなければならないのか。
この世に生を受けるということが、幸せを感じるためではなく、苦しみを感じるためだとしたら、何とこの世は悲しいのだろうと、この手紙を読んで思いました。
釈尊は、この世のあらゆる肉体的・精神的要素はすべてが苦であるという一切皆苦の真理である「苦諦」(生・老・病・死・愛別離苦・恨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦の四苦八苦)を説きました。しかし釈尊は涅槃に入る前に、弟子のア−ナンダに、
「ア−ナンダよ、この世はこよなく美しい。この世界も、人生も美しい。」
と語りかけます。
そのためにも、最後の八年間、そう感じることのできる道(法)があることをお説きになりました。
五濁悪世である末法の世に生きる私たちは、この真理と正面から向き合い、その苦を克服していく道(法)を素直に信じ、行じていくことが大切ではないかと思います。
釈尊は法華経でこうした衆生の一切皆苦を救う法を示され、末法では上行菩薩(御本仏日蓮大聖人)に託されたのですから、これほど心強いことはないと思います。
衆 生 の 一 切 皆 苦 を 救 う 法 【斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す】
○我は為れ衆生の父なり。その苦難を抜き、無量無辺の佛智慧の楽を与え、其れをして遊戯せしむべし(法華経薬草喩品)
○是の諸の衆生、是の法を聞き已って現世安穏にして後に善処に生じ、道を以って楽を受け、亦法を聞くことを得。(法華経薬草喩品)
○経に云く「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」と此の文の心よくよく案じさせ給へ、斯人行世間の五の文字は上行菩薩・末法の始の五百年に出現して南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして無明煩悩の闇をてらすべしと云う事なり(寂日房御書)
○此の菩薩は本法所持の人なり本法とは南無妙法蓮華経なり、此の題目は必ず地誦の所持の物にして迹化の菩薩の所持に非ず(略)此の本法を所持するは信の一字なり元品の無明を対治する利剣は信の一字なり無疑日信の釈之を思う可し(御義口伝上)