7 、 創 価 学 会 の 謗 法 ( 現 代 の 一 凶 )
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日 蓮 大 聖 人 が 警 告 し て い る 悪 知 識
悪 知 識 を 畏 る べ し 【人のたばかりは・おそろしき事なれば】
○私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔破旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし、(中略)総じて日蓮が弟子となって法華経を修業せん人人は日蓮が如くにし候へ(四菩薩造立抄)
○されば仏になるみちは善知識にすぎず(中略)而るに善知識に値う事が第一のかたき事なり、されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り、梵天よりいとを下て大地のはりのめに入るにたとえ給へり、而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもをおく善知識は爪上の土よりもすくなし(三三蔵祈雨事)
○人のたばかりは・おそろしき事なれば・一定法華経すて給いなん(上野殿御返事)
○仏の曰く「悪像等に於ては畏るる心なかれ、悪知識に於ては畏るる心をなせ、何を以ての故に悪像は但身をやぶり意をやぶらず・悪知識は二共にやぶる故に、此の悪像等は但一身をやぶる悪知識は無量の身・無量の意をやぶる、悪像等は但不浄の臭き身をやぶる・悪知識は浄身及び浄心をやぶる、悪像等は但肉身をやぶる悪知識は法心をやぶる、悪像の為に・殺されては三悪に至らず・悪知識の為に殺されたるは必ず三悪に至る、此の悪像は但身の為のあだなり、悪知識は善法の為にあだなり」と、故に畏る可きは大毒蛇・悪鬼神よりも弘法・善導・法然等の流の悪知識を畏るべし、略して邪見の先を明かすこと畢んぬ(星名五郎太郎殿御返事)
日蓮大聖人は“悪知識”(邪義)は浄身及び浄心をやぶり、法心をやぶり、必ず三悪に至り、善法の為にあだになると、繰り返し“悪知識”を畏るべしとお説きです。
日蓮正宗の御法主上人猊下及び御僧侶方が“悪知識”なのか、それとも池田創価学会が“悪知識”なのか、日蓮大聖人の御金言から拝すべきことを願っています。
ここに創価学会の悪知識の実例の、ほんのごく一部を紹介します。
日蓮正宗においては、僧侶が日蓮大聖人のお遣いとして葬儀を執行し、その際、導師曼陀羅(御本尊)を御安置し、故人に戒名を授けて、懇(ねんごろ)に成仏へと導きます。ところが、昨今の学会は、この日蓮正宗の葬儀を、大聖人の教えとはまったく無縁の邪義であると、誹謗しています。
日蓮正宗の葬儀を誹謗する主な主張は、
日 蓮 正 宗 の 葬 儀 に 対 す る 学 会 の 誹 謗 (創価学会の主な主張)
1大聖人の時代には、宗門僧侶が葬儀を執行した、という事実はない
2戒名は、江戸時代に既成仏教が金儲けのために始めたことで、それを日蓮正宗が取り入れたのだ
3導師曼陀羅は謗法である
4大聖人が塔婆を立てて供養されたこともない
というものです。
1については、『宗祖御遷化記録』にも明らかであり、また日興上人の『曾禰殿御返事』にも、お弟子の僧侶を遣わして、葬儀を行うことを言っておられます。
2の戒名については、日蓮大聖人が自ら、父君は「妙日」、母君は「妙蓮」という法名(=戒名)を授けています。戒名とは本来、仏門に帰依したときに授けられるもので、法名と同義であり、そのことは学会で出している『仏教哲学大辞典』にも出ています。
3の導師曼陀羅については、学会は、「御書にない『五道冥官』等の文が書かれ、大聖人の御本尊と明らかに異なっている」と主張していますが、学会で大聖人直結の方とする二十六世日寛上人の顕わされた御本尊の中にも、やはり「五道冥官」等と書かれた導師御本尊が存し、御書P12の中にも「五道冥官」の語は示されています。
4の塔婆供養については、以下の『中興入道消息』や『上野殿後家尼御返事』『草木成仏口決』の御文を拝読してください。
そ と ば ( 卒 塔 婆 ) の 功 徳 に よ り て
【丈六のそとばをたてて其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕して】
○丈六のそとば(卒塔婆)をたてて其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕して・をはしませば、北風吹けば南海のいろくづ其の風にあたりて大海の苦をはなれ・東風きたれば西山の鳥鹿・其の風を身にふれて畜生道をまぬかれて都率の内院に生まれん、況や・かのそとばに随喜をなし手をふれ眼に見まいらせ候人類をや、過去の父母も彼のそとばの功徳によりて天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並びに妻子は現世には寿(いのち)を百二十年持ちて後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん(中略)此れより後後の御そとばにも法華経の題目を顕し給へ(中興入道消息)
○いかにも、いかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給うべし(上野殿後家尼御返事)
○我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり(草木成仏口決)
このように故人の成仏と後生にとって、重大な意義を有する葬儀でさえ、創価学会は平然と虚偽を説いているのです。そして創価学会の葬儀は、こうした虚偽をもとにして僧侶不在、在家だけで執行される学会葬を行っています。(ニセ僧侶が用意される場合もありますが)
読経・唱題の導師を勤めるのも、僧侶ではなく在家幹部であり、導師曼陀羅はなく、学会製のニセ形木本尊を斎場に持ち出して使用し、位牌には戒名でなく故人の俗名が書かれるという、「学会葬」「友人葬」「同志葬」と称される葬儀です。したがって、これらの学会儀は、故人を堕地獄に引導する最直道となることでしょう。
以上、創価学会の“悪知識”の実例の、ほんのごく一部を紹介しました。
名 利 名 聞 を 捨 て 法 華 経 を 説 か ん 僧 を 敬 ひ
【末代の衆生は僧をあなづり法をいるかせにして悪道におつべし】
何としても此の経の心をしれる僧に近づき、いよいよ法の道理を聴聞して信心の歩を選ぶべし。(中略)地獄に堕ちて炎にむせぶ時は願くは今度人間に生まれて諸事を閣(さいお)ひて三宝を供養し後世菩提をさずからんと願へどもたまたま人間に来る時は名聞名利の風はげしく仏道修業の灯は消えやすし、(中略)末代の衆生は法門を少分こころえ僧をあなづり法をいるかせにして悪道におつべしと説き給へり、法をこころえたる・しるしには僧を敬ひ法をあがめ仏を供養すべし、(中略)後世を願はん者は名利名聞を捨てて何に賎しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬うべし、是れ正く経文なり。(新池御書)
御法主上人猊下及び御僧侶方の御指南、御指導に耳を傾ければ、なお一層宗門が「善知識」であり、創価学会が「悪知識」である事が理解できます。しかし法然の選択集の「捨・閉・閣・抛」さながらに、学会以外の書物及び批判記事類は「捨・閉・閣・抛」せよという指導が徹底しているようで、耳を塞ぐ傾向にあります。
創価学会の指導に絶対の自信があるのならば、寺院に来て堂々と宗門の指導にも耳を傾けたり、機関紙に目を通したりすれば、正当性が比較検討出来るのではないでしょうか。
私は「平和と人権」を看板にする団体である聖教新聞も読んでいます。この新聞の“寸鉄”欄には、
「薄汚いドブネズミ」
「人間の皮をかぶった鬼畜」
「衣を着た畜生」
「インチキ坊主」
「暗闇を這い回るどぶ鼠は、社会の害毒」
「「11月3日は『文具の日』。デマを書くペンは魂を腐らす凶器だ。叩き折れ!」
「金金金、嘘嘘嘘、陸士卒も旧制中学卒もデタラメ竹入(元公明党委員長)。お前なんか屑屑屑」
「仏典『愚者は、悪い行いをしながら気づかない』。悪行竹入は人生愚者愚者」
等々の異常な文言が掲載されていますが、この欄は池田大作の肉声に近いものだと言います。
元公明党委員長の竹入義勝に対する異常とも思える誹謗・中傷は、竹入氏が「勲一等」の叙勲を受けたためだとも言われています。つまり池田大作が外国からかき集めた勲章や名誉称号等の2200もの顕彰類は、早い話が「お金さえ積めば誰でも与えられる」たぐいのものばかりのために、池田が嫉妬し、激怒したというのが真相のようです。
「勲一等」ばかりは、さすがの勲章好きの池田大作でさえも、手に入れるのは無理だったようです。
それはともかくとして、聖教新聞記事を冷静に隅々まで読み(ただし異常な文言の数々や教義の誤り等で、精神が破壊されないようにするのが一苦労ですが)、日蓮大聖人の御書及び釈尊の法華経二十八品及び大白法等の内容と比較して、どちらが「善知識」であるかを判断しています。けっして聖教新聞を「捨・閉・閣・抛」などはしていません。
学会員も同じように「大白法」(日蓮正宗法華講連合会の機関紙)等を「捨・閉・閣・抛」せずに、冷静に隅々まで読んでみて下さい。それが公正・公平と言うものでしょう。批判している側の意見に耳を塞いでいて、どうして真実が分かるでしょうか。