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教
え 子 の 死
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病 院 へ
すでに30年近くになろうかという当時の状況は、今なお生々しく記憶しています。 電話であらましを聞いた私は、すぐに東京女子医科大学付属病院に駆け付けましたが、M君はまだ病院には到着していませんでした。
しばらくして一台の救急車が到着すると、中からM君の父親と父親に抱きかかえられるようにして、泣きはらした母親が降りてきました。次に頭部を包帯で覆われ、目をつぶった姿のM君が担架で降ろされ、すぐに救急治療室に搬入されて行きました。
それが生前に見たM君の最後の姿になりました。
病院には私の他には東京近郊に住んでいるM君の叔母という人が駆けつけていました。 夕方になり、御両親が医者に呼ばれて病室に入って行きました。しばらくして病室から出てきた両親の姿を見て言葉を失いました。
悲嘆にくれて取り乱す母親を、蒼白な顔色の父親がしっかりと抱きかかえて無言で出てきたからです。
M君の様子や治療の見通しなど、とても聞ける状況ではありませんでした。
病院の待合室に夜遅く迄いた私に、叔母という人から 「後は私が病院に残っています。何かありましたら連絡いたしますので、一旦お引き取りになってお休みください。」 と促されたので、私は板橋にある自宅に戻って休むことにしました。
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