3 、 釈 尊 の 本 意 を 経 文 か ら 探 究 す る
「臨死体験」「前世療法」「前世を記憶する子どもたち」の例は、釈尊が説く生命の実相(真実の姿)が無始無終であり、三世にわたって輪廻転生していく事を別の角度から示していると言えるのではないでしょうか。
わずか10歳で事故死したM君の生命は、永遠に消え去ったのではなく、死後次の転生への準備に入ったとは考えられないでしょうか。あるいはすでにどこかに転生しているかもしれません。
釈尊は、人生の幸・不幸が、三世にわたる因果の理法によって定まることを説いています。『心地観経』という経典には、「過去の因を見んと欲せば、現在の果を見よ。未来の果を見んと欲せば、現在の因を見よ。」と説いています。
過去からのあらゆる善悪の行為が宿業(善業、悪業)となって生命(第八識)に刻印され、それが現在(現世)の結果(果報)をもたらしているのだと説き、また現世での行為が宿業となって来世への因を生命に刻印し、その果報がもたらされると説いています。
もしも宿業が現世で受け終らなかったならば、それも来世に持ち越されるのです。この宿業が善業ならば良いのですが、悪業だったならば恐ろしいといわねばなりません。
そもそも釈尊はどのような目的で出家をし、何をめざして人々を弘教していったのでしょうか。そして釈尊が悟った最高の真理とは何だったのでしょうか。仏教の根本を経典から探究していきたいと思い、調べていくことにしました。
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仏 陀 と は 根 源 の 法 を 悟 っ た 人 の こ と
仏法は国や民族を超えて人々に信仰されている世界三大宗教の一つです。この宇宙に厳然と存在する絶対的な「法」があり、それを悟った人が「仏陀」(悟りをひらいた人)と言われています。
ですから釈尊が「法」を説かなくても、その「法」は久遠の過去から未来永劫存在し続けているのです。そして古代インドに出現された釈尊(仏陀)の悟った「法」を説法した内容が、後の弟子たちによって経典として残されました。
なお、古代インドに出現された釈尊(仏陀)は実在の人物であることがわかっています。
釈尊(仏陀)は、サ−キャ族の王子として誕生し、何不自由のない青年時代を過ごします。しかし釈尊の母は、釈尊を生んでから七日目に死んでおり、もの心のついた頃から世の無常を感じ、生きること事態がすでに苦しみとなっていました。
◆
四 門 遊 出
四門遊出といって、釈尊がある日遊園に赴くために東の門から外出すると、白髪で、杖をつきながらよぼよぼと歩く、腰の曲がった歯抜けのお年寄りを見かけました。
「あれは何か」と従者に尋ねると、
「あれは年寄りというものです。生を受けたものはいつか必ずあのようになるのです。」
と答え、釈尊は衝撃を受けて城に戻ります。
別に日に今度は南の門から外出すると、ひどい病で苦しんでいる病人を見かけました。
「あれは何か」と従者に尋ねると、
「あれは病人というものです。生を受けたものはいつか必ずあのようになるのです。」
と答え、釈尊は衝撃を受けて城に戻ります。
また別に日に今度は西の門から外出すると、路傍で死に絶えている人を見かけました。
「あれは何か」と従者に尋ねると、
「あれは死人というものです。生を受けたものはいつか必ずあのようになるのです。」
と答え、釈尊は衝撃を受けて城に戻ります。
こうした老人、病人、死人と出会った体験はその都度釈尊に大きな衝撃を与えました。生を受けたものはいつか必ずこうした運命になることを知り、人生のはかなさに悩み苦しみました。
こうした中である日北の門から外出すると、道を行く出家した修業者を見かけました。そして悩みや苦しみから解放されているような姿に接して、こうした生活こそ人生の無常を免れ、生老病死の苦痛から逃れられる唯一の方法ではないかと出家を決意しました。
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釈 尊 一 代 五 十 年 の 説 法
釈尊はこうして19歳で出家をして苦しい修業と瞑想をくりかえし、深遠の道の探究に努めました。ある日伽耶城(現在のブッダガヤ)の菩提樹の下に端座され、深い深い瞑想に入りました。
瞑想に入ること四十九日、丑寅の時刻(午前三時)に朗然と生命の輪廻を見通せる天眼通と、過去世を知ることができる宿命通などを得るとともに、あらゆる現象には因果の理法が働くことを知り、また生老病死の苦しみの根本原因を喝破し、その原因を克服(解脱)する方法を知り、この宇宙に厳然と存在する絶対的な究極の真理(法)を悟ってついに仏陀となりました。釈尊30歳の時です。
そして釈尊が悟った究極の真理(法)を人々に説いて、人々を苦しみから救済しようと活動を始めました。
しかし究極の真理(法)はあまりにも深遠で難信難解であるため、易から難へ(従浅至深)、方便(権教)から真実の教え(実教)へと一代五十にわたる説法を行いました。そして釈尊七十二歳の時に、ようやく真実の教えである法華経が説かれました。
この釈尊一代五十年の説法を、中国の天台大師が各経々の記事や内容により教相判釈を加えて、法華経を中心とする一大仏教体系を打ち立て五つの説時に区分し配列しました。
釈 尊 の 一 代 聖 教 (天台の教相判釈による仏教体系)
●
第一の華厳時→摩訶陀国における三七の説法位法華経に次ぐ権大乗経〔大乗の法を説き、衆生の仏道に対する能力・根力の大小を推し測った〕
【義】・乳味と名づく・釈尊の第一声・大乗の機根を探る・現象即実在観に一歩進めた哲理・頓経
○
これを依経とした宗派・・・華厳宗
↓
●
第二の阿含時→波羅奈国鹿野苑における十二年間の説法位小乗経〔相手の程度(根力)に応じた教えを説く〕
【義】・酪味と名づく・人間界天上界の因果の理・真寂の深義・一切禅定・色を破折し但空を説く・生滅四諦、誘引の教え・漸経
○
これを依経とした宗派・・・倶舎宗、成実宗、律宗
↓
●
第三の方等時→各所における十六年間(八年間・時不定説)の説法位権大乗経〔小を恥じ大を慕う心を起させる〕
【義】・生蘇味と名づく・四教を対立比較する・方等の「弾呵」の教え・色即入空・大乗誘引の漸経(秘密、不定教有り)
○
これを依経とした宗派・・・法相宗、浄土宗、真宗、禅宗、真言宗
↓
●
第四の般若時→摩訶陀国王舎城の霊鷲山、白鷺池、他化自在天宮等の十四年間(二十二年間・三十年間)の説法位権大乗経〔小乗卑劣の見解をより分け、ふるい落として大乗の一法に精選し統一する〕
【義】・熟蘇味と名づく・空、仮、中、三諦の空の一面を主として説く・滅辺入空即辺是空・淘汰の教え・転経付財・秘密、不定教
○
これを依経とした宗派・・・三論宗
↓
●
第五の法華涅槃時→法華経は霊鷲山における八年の説法、涅槃経は沙羅林おける一日一夜の説法位円経、実大乗経〔二つの開会を表す。すなわち相待開会(爾前経の不真実に対して、法華の真実を表す)と絶待開会(すべてが法華経に帰一して、その体内の方便経である〕涅槃経は後番の五味ともいい、くん拾教と称する〔法華経の開経である無量義経において「四十余年未顕真実」と説き、それ以前の諸経を爾前経(方便の教え)という〕
【義】・醍醐味と名づく・釈尊の本懐(仏教真髄)・二乗作仏、女人成仏・久遠実成を明かす・一念三千を明かす
○ これを依経とした宗派・・・天台宗
◆
法 華 経 に お い て 最 高 真 実 の 教 え を 説 く
霊鷲山における八年の説法、すなわち第五の法華涅槃時において、法華経の序文である『無量義経』という経典の中で次のようにはっきりと説いています。
四 十 余 年 未 顕 真 実 の 経 文
我先に道場菩提樹下に、端坐すること六年にして阿耨多羅三藐三菩提を成ずるとこを得たり。佛眼を以て一切の諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以は何ん。諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと、方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず。
(無量義経説法品第二)
【自分はかつて、菩提樹下で端坐黙想すること六年間に及び、ついにこの世の中の真理というものを悟った。そして、この真理を人々に説こうと思い、仏眼を使って思惟したが、これをそのまま説くことは思い止まった、何故ならば、人々の素養や理解力が乏しく、またまちまちであることを知ったからである。そこでまず、人々の素養や理解力に合わせて真理の部分部分を種々の経として説くことにした。こうして説いてきた教えは、真実へ導くための方便であり、これまでの四十余年間においては、いまだに真理の全てを説き顕してはいないのである。】
また『無量義経』に続き、『法華経方便品』という経典においては、
正 直 捨 方 便 ・ 但 説 無 上 道 の 経 文
○世尊は法久しうして後かならずまさに真実を説きたもうべし
○諸の菩薩の中に於て正直に方便を捨てて但無上道を説く
○まさに知るべし是の妙法は諸佛の秘要なり五濁の悪世には但諸欲に楽著せるを以て是の如き等の衆生は終に佛道を求めず
【私は今こそ、まさにこれまでの方便の教えを捨てて、真実最高の教えを説くであろう。まさに知ってほしい。この妙法は、諸仏の中の秘要なのである。五濁《時代の濁り、煩悩の濁り、社会の濁り、思想の濁り、命の濁り》の悪い世の中では、人々はただ様々な欲望に執着して快楽を求めるために、結局は仏道を求めずに一生を虚しく終えるのである。】
と説かれ、法華経を説く以前の説法は全て方便であり、法華経において諸佛の秘要である真実最高の教えを説くと言っています。
しかし五濁の悪世(滅後の末法の時代)の衆生は、諸仏の中の秘要であるこの妙法を、目先の欲望や快楽に心を奪われて求めないことも予証しています。
『法華経法師品』では、
法 華 最 第 一 ・ 最 為 難 信 難 解 の 経 文
○我が所説の諸經而も此の經の中に於て法華最も第一なり
○我が所説の經典、無量千萬億にして、已に説き、今説き、當に説かん。而も其の中に於て此の法華経、最も難信難解なり。薬王、此の經は、是れ諸佛の秘要の蔵なり
【私が説いた様々な経は膨大な量であるが、そのすでに説いた経、今まさに説いた経、これから説くであろう経の中でも、この法華経こそが最も重要であり一番大切な最高の経である。それだけに最も理解しがたく信じがたい経である。しかもこの法華経は、諸佛の秘要が納まった蔵なのである。】
と説かれ、已(四十余年間の未顕真実の説法)今(無量義経・法華経)當(涅槃経)の中でこの法華経が最第一であることを明確にされています。
こうした経典の内容はたとえて言うならば、幼稚園児や小学生を相手に高等数学である微分積分やユ−クリッド幾何学などを教えても理解不能ですから、幼稚園児や小学生にあった数の数え方や10までのたし算、ひき算といった易しい算数を、しかも一人一人の能力に応じた個別指導で理解を促し、徐ゝに本来の目的である高等数学に導くという段階を経る、ということと同じです。
釈尊も、一人一人の能力に応じて例え話(方便)を多様して低い教えから説き進めていき、やがて真実最高の教えである法華経を説いたということです
◆
法華経が最高真実の経であるという理由(一念三千の法門)
「仏」とか「成仏」という言葉から連想されるのは、例えば時代劇などでよく
「川から仏があがった」
「あいつは仏になった」
とか、また死人に対しては
「迷わず成仏してくれ」
などという台詞が聞かれます。一般的には仏=死人、成仏=迷わず冥土に行く、といったように死と関連づけた認識ではないでしょうか。しかし本来仏法でいう「仏」とは、人間の生命の奥深くに潜在している最高の生命力(常楽我浄に象徴される最高の境涯=仏界)のことなのです。
ですから生きている現世で受けるところの一切皆苦である生死病死、憂悲苦悩を、この力強い仏界という生命力を湧現させて克服していき、現世安穏・後生善処の常楽我浄の境涯を得ることを「成仏」というのです。
したがって仏界=最高の生命力、成仏=現世安穏・後生善処の最高の境涯となります。
我々凡夫の生命の奥底に「仏界」が存在するなど難信難解ですが、法華経で森羅万象の真実の姿(諸法実相)を明かすことを通じて、一切衆生を成仏へと導く一念三千の法門が説かれました。
老若男女・善人悪人を問わず、一切の衆生が煩悩を抱えたままの身で成仏せしめる法がこの法華経において説かれているので、法華経は最高真実の経になるわけです。
これによって法華経以前の経典では、二乗(声聞・縁覚)は「自分さえ悟れば良い」という利己心の強い根性なので、「永不成仏」といって徹底して嫌われていましたが、法華経において初めて成仏がかないました。同じく女人も法華経において初めて成仏することがかないました。
また法華経二十八品の内、前半の十四品(序品第一から安楽行品第十四)においては、釈尊は始成正覚の仏(現世で悟りを開いて仏になったと説く迹仏)の立場で一念三千の法門を説きました。(迹仏が説く法門なので迹門という)
しかしこれでは現世限りの普遍性がない法門となってしまうので、理念上の法門ということで「理の一念三千」と称します。後半の十四品(従地湧出品第十五から普賢菩薩勧発品第二十八)において、釈尊は久遠実成の仏(久遠五百塵点劫の昔に仏になったと説く本仏)を明かし、これによって、仏も一念三千の法門も、久遠より常住する普遍的な存在となり、真の一念三千・即身成仏の法門となります。(本仏が説く法門なので本門という)
したがってこれらは事実の行なので、「事の一念三千」と称します。
人間の精神状態(内面)は、日常生活において十界の中の何れかを基調として生活し、その中で縁に触れて地獄や修羅といった心情を瞬時に発現しながら生活していきます。
一念三千の法門【即身成仏の法門】
◆十界【生命が内より実感している十種類の境界に分析】
○地獄界(苦しみのあまり、嗔すら感じる苦悶の状態)
○餓鬼界(不足感からくる貪欲にとらわれている状態)
○畜生界(本能のおもむくままに行動する状態)
○修羅界(ひねくれ曲がって、勝他の念に駆られれいる状態)
○人界
(人間らしく、平常で穏やかな状態)
○天界
(思うとおりになって、喜びを感じている状態)
○声聞界(先人の教えを学ぶなかから、無常観など、分々の真理を会得していく状態)
○縁覚界(独覚ともいい、自然現象等を通じて自ら分々の悟りを得る状態)
○菩薩界(自身のことよりも、他人の幸せを願い、そのために尽くす状態)
○仏界 (常[崩れることのない自由自在の生命活動]
楽[生きていくこと自体を楽しむ絶対の幸福感]
我[何物にも紛動されない円満かつ強靭な主体性]
浄[何物にも汚染されない清浄な生命]
の四つに象徴される最高の境涯)
◆十界互具【私達の生命には基調となる十界(その多くは六道の一つ)が具わり、さらに、瞬間瞬間、縁に触れて表面に現れてくる十界が具わる。十界に十界が具わるので十界互具となり、十界×十界で百界になる。】
◆十如是【十界が、どのように身心の上に現れ、活動し、また変化していくのかを示したのが十如是。この十如是が十界に等しく具わっているので、百界×十如是で千如是になる。】
○如是相(万物の姿のことで、物質や我々の身体、声などをさす)
○如是性(内面の性質のことで、心情や知恵などをさす)
○如是体(相と性とを兼ね備えた我が身のこと)
[この三如是を本として、以下の七つの如是が現れる]
○如是力(相・性・体に内在している力のこと)
○如是作(力が実際に発動し、作用していくこと)
○如是因(内在している原因のこと)
○如是縁(外界からの助縁のことであるが自己の主体に委ねられる)
○如是果(因と縁が和合して定まる内なる果のこと)
○如是報(定まっていた果が、後々、具体的に外に現れること)
○如是本末究竟等(始めの相を本、終わりの報を末とし、本から末までが一貫して一個の生命の姿であること)
◆三世間【百界・千如是が現れる三つの環境のことで、千如是×三世間で三千世間となり一念三千の法門となる。有情・非情・国土草木までを含めた真理。】
○五陰世間(人間がもつ五つの要素−色・受・想・行・識−のことで、個々の人間の五陰に現れる十界の基調と百界・千如)
○衆生世間(個々の人間に現れる十界の基調と百界・千如是)
○国土世間(個々の国土に現れる十界の基調と百界・千如是)
方便(権教)では対機説法といって、法を聞く人々の機根(理解する能力や性格等)に応じた譬喩を使って説法しました。
またこの説法は相手の病状に応じて薬を処方することにたとえて応病与薬とも言います。したがって対機説法は随他意の説法とも言い、それに対して相手の機根にかかわりなく仏の悟りのままに本懐を説く説法を随自意の説法と言います。
深遠な究極の真理(法)へと誘引する説法は随他意の説法となり、究極の真理(法)を説く説法は随自意の説法となります。したがって説法の内容は当然ながら従浅至深となり随自意の説法は真理の法を説くゆえに難信難解となります。
日本の延暦寺の開祖である伝教大師は法華経法師品の
『我が所説の經典、無量千萬億にして、已に説き、今説き、當に説かん。而も其の中に於て、此の法華経、最も難信難解なり。』
を読んで、
随 自 意 の 説 法
已説の四時の経・今説の無量義経・當説の涅槃経は易信易解なり随他意の故に。此の法華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に
等云々と説いています。
この法華経は随自意の説法からして、釈尊の最高真実の経典であり、最も難信難解の経典になります。
そして釈尊が説いた随自意である深遠な究極の真理(法)は、四十余年にわたって説き続けてきた随他意の説法である方便(権教)による化導を終えられ、七十二歳から八年間にわたって霊鷲山、虚空会の二処三会で説かれた法華経によって、ついに本懐を遂げることになります。
◆
経 典 に 説 か れ た 末 法 − 白 法 隠 没 −
釈尊は、自らの入滅後の未来について、正法、像法、末法という三つの時代があることを説き、それらは経文に記されています。
三時については各経典に異説があるものの、説くところの内容は一致しています。すなわち釈尊滅後には、正法、像法という時代が有り、これらの衆生は本已有善(過去において仏になるための妙法の種をすでにもらっている)の人々であり、その妙法の種が長い流転の人生において調熟し釈尊の教えによって妙法を覚知して脱益(成仏)できたのです。これを種熟脱の三益と言いますが、末法の時代は、こうした本已有善の人々はいなくなり、下種(成仏するための妙法の種)を受けていない三毒(「貪」[貪り執着する機根が強い者]「瞋」[嫌悪や憎悪の機根が強い者]「痴」[真理や道理に暗く愚かで無知な者])が強情で、さらに怒りや慢心等も強い本未有善(仏になるための妙法の種を受けてない)の人々だけの濁乱の時代になります。
そして、五濁(劫濁、煩悩濁、衆生濁、見濁、命濁)悪世の時代であることが説かれています。したがってこの末法に入ると、もはや釈尊の熟脱の法では救える衆生たちではなく、釈尊の法(白法)が隠没して効力が無くなることを説いています。
白法隠没とは、病人にたとえると、正法時代や像法時代までの衆生は本已有善の軽症患者であり、釈尊の与える薬(教え)で治癒(成仏)出来たのですが、末法に入ると本未有善の重症患者だけになり、病に効くより強力な特効薬(妙法の種)を与えることができる人でないと、もはや治癒(成仏)が出来ないという、釈尊の法が隠没する時代になると説いています。
正 像 末 の 三 時 【『大集経』より】
【正法時代】(釈尊滅後1000年間)
●第一の五百歳→解脱堅固(仏法によって証を得て誤りのない時代)
●第二の五百歳→禅定堅固(禅定が盛んに行われて証を得る時代)
↓
【像法時代】(釈尊滅後1000年〜2000年の間)
●第三の五百歳→読誦多聞堅固(経文の読誦や教義が行われて利益のある時代)
●第四の五百歳→多造塔寺堅固(塔や寺が盛んに建造されて利益のある時代)
↓
【末法の始め】(釈尊滅後2000年)
●第五の五百歳→闘諍堅固・白法隠没(争いが盛んになり、釈尊の仏法の利益がことごとく隠没する時代)
◆
末 法 出 現 の 上 行 菩 薩 へ の 付 属
釈尊の教えはあくまでも釈尊在世と滅後2000年までの正法、像法の時代の修業であり、末法(釈尊滅後2000年以後)は白法隠没(五濁悪世の世になり釈尊の法では救えない)の時代になります。
そして法華経の文底において末法五濁の人々の重病を治す大良薬である大白法(妙法)が、釈尊から上行菩薩へ付属されることが説かれます。
釈 尊 か ら 上 行 菩 薩 へ の 付 属
○如来久しからずして、當に涅槃に入るべし。佛此の妙法華経を以て付属して在ること有らしめんと欲す。(見寶塔品第十一)
○是の菩薩衆の中に、四導師あり。一を上行と名づけ、二を無辺行と名づけ、三を浄行と名づけ、四を安立行と名づく。是の四菩薩、其の衆の中に於て、最も為れ上首唱導の師なり。(従地湧出品第十五)
○是の好き良薬を、今留めて此に在く。(如来寿量品第十六)
○惡世末法の時(分別功徳品第十七)
○佛、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の經に於て宣示顕説す。是の故に汝等、如来の滅後に於て、應當に一心に受持し、読誦し、解説し、書写し、説の如く修業すべし(如来神力品第二十一)
○日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅し(如来神力品第二十一)
○我、無量百千万億阿僧祗劫に於て、是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり。今以て汝等に付嘱す。汝等、應當に一心に此の法を流布して、廣く増益せしむべし。(嘱累品第二十二)
そして末法今日ではこの妙法への信行学によって煩悩(無明)を滅して、老死、憂悲、苦悩を滅する煩悩即菩提、生死即涅槃、娑婆即寂光、現世安穏・後生善処の即身
成仏が遂げられることが説かれています。
また釈尊滅後の末法において法華経を修業することは、大変に困難なことが経文に説かれています。
また経文に照らして無量の大難が起きることは必至のことでした。
末 法 に お け る 法 華 経 修 業 の 大 難 【六難九易の一節】
○而も此の經は、如来の現在すら、猶怨嫉多し。況や滅度の後をや(法華経法師品)
○若し此の經を説かん時、人有って惡口し罵詈、刀杖瓦石を加うとも、佛を念ずるが故に應に忍ぶべし(法華経法師品)
○仮使人有って手に虚空を把って以て遊行すとも亦未だ難しと為ず佛の滅後に於て若しは自らも書き持ち若しは人をしても書かしめん是れ則ち難しと為す
○若し大地を以て足の甲の上に置いて梵天に昇らんも亦未だ難しと為ず佛の滅度の後に惡世の中に於て暫くも此の經を読まん是れ則ち難しと為す
○仮使劫焼に乾ける草を担い負いて中に入って焼けざらんも亦未だ難しと為ず我が滅度の後に若し此の經を持って一人の為にも説かん是れ則ち難しと為す
○若し八萬四千の法蔵十二部経を持って人の為に演説して諸の聴かん者をして六神通を得せしめん能く是の如くすと雖も亦未だ難しと為ず我が滅後に於て此の經を聴受して其の義趣を問わん是れ則ち難しと為す
○若し人法を説いて千萬億無量無数恒沙の衆生をして阿羅漢を得六神通を具せしめん是の益有りと雖も亦未だ難しと為ず我が滅後に於て、若し能く、斯の如き經典を奉持せん、是れ則ち難しと為す(以上法華経見寶塔品で説かれた「六難九易」の一節)
○始めより今に至るまで廣く諸經を説く而も其の中に於て此の經第一なり若し能く持つこと有るは則ち佛身を持つなり(法華経見寶塔品)
また釈尊の滅後末法の時代に法華経の修業を行うならば、必ず様々な強敵(三類の強敵)が現れて大難に遭うことを予証されています。
◆
三 類 の 強 敵
法華経法師品等で説かれた強敵を、中国・天台宗の妙楽大師が三分類したのが「三類の強敵」で、第一が「俗衆増上慢」、第二が「道門増上慢」、第三が「僭聖増上慢」です。第一の「俗衆増上慢」は以下の経文に説かれています。
三 類 の 強 敵 ( 俗 衆 増 上 慢 )【第一の強敵】
○佛の滅度の後の恐怖惡世の中に於て、我等當に廣く説くべし、諸の無智の人の、惡口罵詈し、及び刀杖を加うる者有らん、我等皆當に忍ぶべし(法華経勧持品)
○斯に輕しめられて、汝等は皆是佛なりと言われん、此の如き輕慢の言を、皆當に忍んで之を受くべし(法華経勧持品)
○濁劫惡世の中には、多く諸の恐怖有らん、惡鬼その身に入って、我を罵詈毀辱せん我等佛を敬信して、當に忍辱の鎧を著るべし、是の經を説かんが為の故に、此の諸の難事を忍ばん(法華経勧持品)
○一切世間に怨多くして信じ難し(法華経安楽行品)
これは釈尊の教えに無知な大衆が、法華経(正法)の行者を惡口罵詈し、刀杖などの暴力を加えてくることを指します。
第二の「道門増上慢」は次の経文に説かれています。
三 類 の 強 敵 ( 道 門 増 上 慢 ) 【第二の強敵】
○惡世の中の比丘は、邪智にして心諂曲(心はへつらい曲がり)に、未だ得ざるを得たりと謂い(いまだ悟りを得ざるに得たと思い)、我慢の心(高慢自尊の心)充満せん(法華経勧持品)
○濁世の惡比丘は、佛の方便、随宣所説の法を知らず、惡口してひんじゅくし、(そのために法華経の行者は)数数賓出せられ、塔寺を遠離せん(法華経勧持品)
これは釈尊の教えを、比丘(僧侶)という出家の立場でありながら、浅識や邪智によって歪曲し、悟ってもいないのに悟ったと慢心して、法華経(正法)の行者を迫
害してくることを指します。
第三の「僭聖増上慢」は次の法華経勧持品に説かれています。
三 類 の 強 敵 ( 僭 聖 増 上 慢 ) 【第三の強敵】
○或は阿練若に、納衣にして空閑に在って、自ら眞の道を行ずと謂いて、人間を輕賤する者有らん、利養に貪著するが故に、白衣の与に法を説いて、世に恭敬せらるること、六通の羅漢の如くならん
○是の人惡心を懐き、常に世俗の事を念い、名を阿練若に仮って、好んで我等の過を出さん、而も是の如き言を作さん、此の諸の比丘等は、利養を貪るを為ての故に、外道の論議を説き、自ら經典を作って、世間の人を誑惑し、名聞を求むるを為ての故に、分別して是の經を説くと
○常に大衆の中に在って、我等を毀らんと欲するが故に国王大臣、婆羅門居士、及び余の比丘衆に向かって誹謗して我が惡を説いて、是れ邪見の人、外道の論議を説くと謂わん
この僭聖増上慢についての経文を現代語訳で表すと、
↓
第 三 の 強 敵 ( 僭 聖 増 上 慢 ) 【現代語訳】
○あるいは森林にいて、あるいは袈裟を着けて静閑なところにいて、自ら真の道を行じていると思い込んで、人々を軽んじ卑しめる者がいるであろう。利益を貪り執着する故に在俗の者に法を説くが、世間から尊敬されること、六神通を得た聖者のごとくである。
○この人は悪心を胸に秘めつつ、常に世俗的な事を思い、森林にいながらも好んで法華経の行者である我等の過ちを指摘してくる。しかも次のような言動を行う、それは「此の諸の比丘等は、財を得るために外道の論議を説き、自分勝手に経典を創作して世間の人を惑わし、栄誉を得るために選別しながらこのような経を説く」と
○常に大衆のうちにあって法華経の行者である我等をそしろうとし、国王・大臣・婆羅門・居士・及びあまたの比丘衆に向かって我が悪を誹謗して、「これ邪見を説く者外道の論議を説く者である」というであろう。
となります。寺院の奥深くに籠って修業をしていると世間から尊敬されているが、実は悟りも何もない見た目だけ、形だけのエセ僧侶がいて、民衆の救済よりも内心は金儲けや栄誉欲、権勢欲に執着し、大衆の中にはいり込んで権力者や邪宗の僧俗と語らい、正法の行者を迫害してくることを言います。
特にこの第三の「僭聖増上慢」は、権力者や大衆から恭敬されている権威者であることから、その正体(仏教の正法にうとく異常なほどの金銭欲、名誉欲、権勢欲に執着するという本性)は見破られにくく、またその宗教的権威や権力を発揮してより強く法華経の行者を迫害して大難を加えてきます。
三 類 の 強 敵
第一は「俗衆増上慢」→釈尊の教えに無知な大衆が、法華経(正法)の行者を惡口罵詈し、刀杖などの暴力を加えてくる
第二は「道門増上慢」→釈尊の教えを比丘(僧侶)という出家の立場でありながら、浅識や邪智によって歪曲し、悟ってもいないのに悟ったと慢心して、法華経(正法)の行者を迫害してくる
第三は「僭聖増上慢」→社会的に尊敬を受けているものの、常に世俗のことを思い、金銭欲や権勢欲に執着する者で、権力を利用して法華経(正法)の行者に大難を加えてくる
それにしても、経文にはすさまじいばかりの迫害の数々が予証されています。
「惡口罵詈し、及び刀杖を加うる」とは、正法の行者に対して、惡口等を口汚く罵り罵倒することであり、刀で切りつけたり杖(棒)で打ちすえてくることを意味します。現代でも、大声で威嚇されたり、木刀や刃物などの凶器を手にした人物に襲われれば、恐怖にかられてしまいます。
ましてや集団でそれらを振りかざされて命を狙われたら、恐ろしくて、二度とそういう目にあわないように行動を自粛しようとしてしまいます。
また「数数賓出せられ、塔寺を遠離せん」とは、正法の行者は、三類の強敵らによって島流しなどたびたび国土を追われ、塔寺から引き離されることを意味します。
極めつけは涅槃経如来性品で詳細に説かれた、釈尊滅後に現れる邪悪な教祖(僧侶)の真の姿の描写です。
この釈尊の指摘を見るとき、姑息な名利(金儲け)を根本とする、現代の邪悪な宗教(邪宗教)の姿と一致することに驚きを禁じ得ません。
釈 尊 滅 後 に 現 れ る 邪 悪 な 教 祖 ( 僧 侶 )
【涅槃経如来性品の原文訓読】
我涅槃の後・無量百歳に四道の聖人も悉く涅槃せん、正法滅して後、像法の中に於て当に比丘有るべし、かたち持律に像(に)て少しく経を読誦し、飲食を貪嗜し、そ
の身を長養し袈裟を服すと雖も、猶猟師の如く細めに視て徐かに行くこと、猫の鼠を伺うが如し、常に是の言を唱う、我羅漢を得たりと、諸の病苦多く、糞穢に眠臥す外には賢善を現し内には貧嫉を懐く、唖法を受けたる婆羅門等の如し、実に沙門に非ずして沙門の像を現し、邪見熾盛にして正法を誹謗し及び其深秘密の教を壊り各自意に随って反つて経律を説く
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釈 尊 滅 後 に 現 れ る 邪 悪 な 教 祖 ( 僧 侶 )
【涅槃経如来性品の現代語訳】
私が涅槃した後は、無量百歳の内に四道の聖人もことごとく涅槃してしまう。正法時代が終わった後、像法時代に入って以降は、まさに次ぎのような僧が次々と現れて法を説くであろう。
これらの僧は、いかにも聖人君子のような人格者を装い、わずかばかりの経典を読んだりするが、その内心では、常に、信者から布施や寄附をしぼり取ることばかり考えている。
その有り様は、まるで猟師が狙った獲物を細目でにらみながら、音もたてずに忍び寄っていくがごとく、また猫が鼠を見つけて飛びかかろうと身構えているがごとく、なんとか、少しでも多額の布施・寄附金を搾取しようと信者を狙っているのである。
そうした彼らが口を開けば、
「自分は神仏の声を聞いた」とか
「自分は真理を悟った」
とかいうのだから呆れたものである。
要するに彼らの外面は、あたかも賢人・聖人のようだけれども、その内面は常に、貪欲で嫉妬深い心が充満していることを知らなくてはならない。
しかもわずかに突っ込んで、その教えの矛盾に批判でも加えようものならば、彼らは明快な返答ができぬものだから、怒り狂い、開き直り、最後は唖法の術を修業中の者のごとく、黙り込んで無視を決め込んでしまう。
このような者達は、いかに宗教家のごとき姿をしていても、実際には真の宗教家でも僧侶でもない。邪(よこしま)な心を持ち、真実の宗教に背く大悪人なのである。
これらの宗教家や僧侶のうわべの姿にあざむかれ、
「あのお方や奥様はとても穏やかで良い人だ。あの教祖(僧侶)はとても良いことを説いている。なんで私が信頼している教えを邪宗教などと悪口を言うのだ。」
などと思う人は、いま一度、釈尊の一日一夜の最後の説法であるこの涅槃経の経文と、現実の教団の姿とを照らし合わせて見て下さい。
布施や喜捨にまつわるトラブルや、周辺信者達の苦悩が改善するどころか、更に増していく現実に思い当たることが多々あるはずです。
また釈尊は、法華経譬喩品において
『此の三界の火宅に於て、東西に駆走して大苦に遭うと雖も、以て患(うれい)とせず』『常に地獄に処すること、園観に遊ぶが如く』
と説いて、大苦に遭い業火に焼かれる地獄のような生活になっていても、もはやそれを苦とも地獄とも思えない精神状態になり、正常な判断力さえ持てなくなり、その地獄等の悪道の中でしか生きられない境界になると説いています。
いま一度、ご自分の信仰が、『法華最も第一なり』と釈尊が仰せの正法であるかどうかを、この経文と実際の信仰とを照らし合わせて検証してみてください。
◆
正 法 に 背 く 罪 ( 謗 法 の 罪 )
ところで法華経譬喩品等には、法華経を毀謗する罪(謗法)が詳細に説かれています。
法華経の経文に説かれているこれらの内容を現代語訳で記すと、次のようになりますが、日々のニュ−ス報道や周囲の人の中で、この経文に符合する人が数多くいることに気がつくと思います。
釈尊の持つ五神通(天眼通・天耳通・他心通・神作通・宿命通)の内の、天眼通(全てを見通す力)や宿命通(人々の過去世の原因を全て知る能力)によって、その真実を説かれたものであると拝されます。
なお私自身も、過去世において悪業を積み、この悪世末法に生を受けた身です。これまでの自分の人生を振り返ってみた時、この経文に符合する個所が、過小に見積もったとしても8つもありました。(2、4、6、7、11、12、15、16)
法 華 経 ( 正 法 ) を 謗 ず る 罪
【法華経譬喩品、法華経普賢品の現代語訳】
1、眼・耳・鼻・口等の諸器官が正常に働かず、いわゆる奇形や不具・身体障害といった姿を現ずる。
2、自分が誠を込めて真実を語っても、周囲の人々が信じてくれなくなる。
3、口より悪臭を漂わせ、しばしば金縛りにあったり幽霊・物怪のたぐいを見るようになる。
4、経済的に貧苦のどん底となり、他人に低賃金で酷使される立場となる。
5、体に様々な病気を持ち、やせ細ってしまう。
6、頼るべき人がなく、また人に親しく接していっても、相手はそれほど自分のことを心に置いてくれない。
7、所得や収入があっても、次々に支出してしまって生活苦に陥る。
8、もし、自ら医者となって病人を治療すれば、医療ミスを犯して、かえって他の病気を引き起こしたり、死亡せしめてしまう。
9、また、もし自分が病気になったときには、これを、よく治療できる医者がなく、たとえ特効薬を服用したとしても、ますます病状が悪化したり、他の病気を併発してしまう。
10、周囲の人々に裏切られたり、また、他人に金品や財産をだまし取られ、あるいは盗み取られる。以上のような不幸が、我が身に、次々と起こってくる。
11、常に悩み苦しみにさいなまれたり、足ることを知らぬ貪欲な境涯となったり、あるいは、動物のように本能だけで行動する人格・境涯となってしまう。
12、貧苦に陥り、痛々しいまでに貧相な姿となる。
13、身体に、水胞や瘡蓋、白斑や出来物などの病が起こり、次第に拡がっていく。
14、常に身体から悪臭を発散させる体質となったり、垢や汚れを落とすこともできない生活状態となる。
15、自分勝手な妄想や曲がった見方・考え方に捉われ、そのために、腹立たしさや苦しみを自ら増していく。
16、婬欲が盛んとなり、動物のごとき行いとなる。(以上、法華経譬喩品第三から)
17、癩病等の業病にかかる。
18、歯肉の病気等により、歯がすき欠けていく。
19、いわゆる三つ口や、口曲がり、鼻筋がなくなる等の、悪相が現われる。
20、手足の骨の病により、通常の生活や歩行が困難となる。
21、左右の眼球の位置が狂い、やぶ睨みとなる。
22、身体から悪臭を放ち、膿の混じった血が出るような皮膚病となる。
23、腹水がたまり、命が短くなる。
24、その他、諸々の悪重病が起こってくる。(以上、法華経普賢品第二十八から)
ところで「お釈迦様の説かれる経文は、尊くてありがたいもの」と思っていた人には、法華経という有名な経文に、このような正法を謗ずる罪が、生々しく克明に説かれていることに驚かれたと思います。(私自身もこの経文を見たときには正直驚きました。)
釈尊(仏様)の五神通によって説かれた隋自意の説法ですから、「難信難解」(信じがたく理解しがたい)の教えであり、だからこそ釈尊はこの法華経は「以信得入」(信を以て入ることを得たり)だと、“信じる”ことの大切さを説いています。
また法華経に対する謗法は十四誹謗といって、十四種に分類されていますが、その元となるのは“不信”であり、もっとも誡めなければならないことであると説かれています。
これらの謗法の罪は脅しのための方便ではない、と信じる事が求められているのです。
さて法華経の原文訓読は以下のようになります。
法 華 経 ( 正 法 ) を 謗 ず る 罪 【原文訓読】
其の法華経は 深智の為に説く 浅識は之を聞いて 迷惑して解らず
尚此の經に於ては 信を以て入ることを得たり(以信得入)
若し人信ぜずして 此の經を毀謗せば 則ち一切 世間の佛種を断ぜん
或は復ひんじゅくして 疑惑を懐かん 汝當に 此の人の罪報を説くを聴くべし
若しは佛の在世 若しは滅度の後に 其れ斯の如き經典を 誹謗すること有らん
經を読誦し 書持すること有らん者を見て 輕賤憎嫉して 而も結恨を懐かん
此の人の罪報を 汝今復聴け
其の人命終して 阿鼻獄に入らん 一劫を具足して 劫尽きなば更生れん
是の如く展転して 無数劫に至らん
地獄より出でては 當に畜生に墜つべし
若し狗野干(犬、狐)としては
其の形こっ痩し りたんけ癩にして 人に触にょうせられ
又復人の 惡み賤しむ所と為らん 常に飢渇に困しんで 骨肉枯かつせん
生きては楚毒を受け 死しては瓦石を被らん
佛種を断ずるが故に 斯の罪報を受けん
若しは駱駝と作り 或は驢の中に生まれて
身に常に重きを負い 諸の杖捶を加えられん 但水草を念うて 余は知る所無けん
斯の經を謗ずるが故に 罪を獲ること是の如し
有は野干と作って 聚落に来入せば 身體け癩にして 又一目無からんに
諸の童子の 打ちゃくする所と為り 諸の苦痛を受けて 或時は死を致さん
此に於て死し已って 更に蠎身を受けん 斯の形長大にして 五百由旬ならん
りょうがい無足にして えん転腹行し 諸の小虫の そう食する所と為りて
昼夜に苦を受くるに 休息有ること無けん
斯の經を謗ずるが故に 罪を獲ること是の如し
若し人と為ることを得ては 諸根暗鈍にして ざるれんびゃく 盲聾背傴ならん
言説する所有らんに 人信受せじ 口のいき常に臭く 鬼魅に著せられん
貪窮下賤にして 人に使われ 多病しょう痩にして 依怙する所無く
人に親附すと雖も 人意におかじ 若し所得有らば ついで復忘失せん
若し醫道を修して 方に順じて病を治せば 更に他の疾を増し 或は復死を致さん
若し自ら病有らば 人の救療すること無く 設い良薬を服するとも 而も復増劇せん
若しは他の反逆し 抄劫し窃盗せん 是の如き等の罪 横さまに其の殃にかからん
斯の如き罪人は 永く佛 衆聖の王の 説法教化したもうを見たてまつらじ
斯の如き罪人は 常に難処に生まれ 狂聾心乱にして 永く法を聞かじ
無数劫の恒河沙の如きに於て 生まれては輒ち聾あにして 諸根不具ならん
常に地獄に処すること 園観に遊ぶが如く 余の惡道に在ること 己が舎宅の如く
駝驢猪狗 是れ其の行処ならん
斯の經を謗ずるが故に 罪を獲ること是の如し
若し人と為ることを得ては 聾盲おんなにして 貪窮諸衰 以て自ら荘厳し
水腫乾しょう けらいおうそ 是の如く等の病 以て衣服と為ん
身常に臭きに処して 垢穢不浄に 深く我見に著して 瞋にを増益し
婬欲熾盛にして 禽獣を択ばじ
斯の經を謗ずるが故に 罪を獲ること是の如し
舎利弗に告ぐ 斯の經を謗ぜん者は 若し其の罪を説かんに 劫を窮むとも尽きじ(以上、法華経譬喩品第三から)
若しは實にもあれ、若しは不實にもあれ、此の人は現世に、白癩の病を得ん。
若し之を輕笑すること有らん者は、當に世世に、牙歯疎き欠け、醜脣平鼻、手脚繚戻し、眼目角らい、身體臭穢にして、惡瘡膿血、水腹短氣、諸の惡重病あるべし。(以上、法華経普賢品第二十八から)
人生の様々な不幸な現象は、全てこの正法に背くことによって起きた罰であることが、上記以外の経典にも、詳細に説かれています。
法 華 経 ( 正 法 ) を 謗 ず る 罪 【他の経文よりの現代語訳】
○心が荒んで、常に煩悩にさいなまれたり、人を殺したり、いさかいばかりの日々となったりする。また、他人をののしって無実の罪を被せたり、被せられたりする。○人としての良識に外れた行いが甚だしく、また貪欲で怒りっぽく、筋道のわからぬ人格となり、親を親とも思わない、畜生のような恩知らずになってしまう。
○短命になったり、虚弱体質になったりして、毎日に覇気も喜びもなく、薄幸な日々を送って苦悩する。
○一に経済苦、二に諍い、三に病苦。その他、諸々の災厄が次々と身に起こり、親戚にも背かれる。
○頭が破れて七分になる。物理的に頭部や脳を損傷して非業の死を遂げる、あるいは心が常に不安と苦しみにさいなまれて通常の生活ができなくなる、精神分裂(統合失調症)やノイロ−ゼ等の異常をきたす等々。
それにしても3000年も前に説かれたことなのに、現在この地球上で生きている人々に、見事に当てはまっていることにただただ驚くばかりです。法華経譬喩品に説かれている謗法の罪は
「若し人信ぜずして此の經を毀謗せば則ち一切世間の佛種を断ぜん」
として善因・善業がことごとく尽きてしまいます。その結果、
「其の人命終して阿鼻獄に入らん一劫を具足して劫尽きなば更生れん是の如く展転して無数劫に至らん」
と無間地獄に墜ちることを説いています。
ようやくこの地獄から抜け出られたとしても、
「地獄より出でては當に畜生に墜つべし」
と謗法の罪により、畜生の胎内に五陰(色・受・想・行・識の5つの要素)が入ってしまい、
「畜生として誕生後は常に飢渇に困しんで骨肉枯かつせん楚毒を受け死しては瓦石を被らん身に常に重きを負い諸の杖捶を加えられん死し已って更に蠎身を受けん」
等々想像を絶する地獄ですが、現にこれに該当する畜生は身近に数多く見られます。
最近テレビ番組で、パンツ一枚の姿のまま舞台でラジオ体操やダンスをするチンパンジ−をたまたま目にしましたが、色(肉体)がチンパンジ−だけであって、自分たち人間となんら変わらない五陰がきちんと備わっているのを感じました。
過去世において、かつては人間としての生涯を送ったであろう可能性は十分に考えられます。それが過去世の業因によって、現世では見せ物となって嘲笑されている姿に、楽しさよりも痛々しさを感じてしまいました。
それでも、一生涯重い荷物を背負わされるラクダやロバ、食肉用として屠殺される運命の牛や豚や鶏、打ち払われる野犬等でないだけまだ幸せなのかもしれませんが・・・・。
◆
法 華 経 ( 正 法 ) を 謗 ず る 罪 − 人 間 編 −
かりに人間に生まれてきたとしたら、謗法の罪による現世での果報(悪因悪果)は、若し人と為ることを得ては「諸根暗鈍」「盲聾背傴」「人信受せじ」「貪窮下賤」「多病」「所得忘失」「病を治せば他の疾を増し」「窃盗」「難処に生まれ」「狂聾心乱」「永く法を聞かじ」「諸根不具」「貪窮諸衰」「垢穢不浄」「瞋にを増益」「婬欲熾盛」等々絶え間ない苦悩の人生を送る事になります。
特に「斯の如き罪人は常に難処に生まれ狂聾心乱にして永く法を聞かじ常に地獄に処すること園観に遊ぶが如く」の一文を見て、以前本で読んだ“子ども兵”のことが思い浮かびました。
それはコロンビア、レバノン、リベリア、カシミ−ル、コソボ、シエラレオネ、スリランカ、ス−ダン、ソマリア、ルワンダ、タンザニア、イラク、イラン、アフガニスタン、カンボジア、東ティモ−ル、インド、インドネシア、ラオス、ミャンマ−、ネパ−ル、パキスタン、パプアニュ−ギニア、フィリピン、スリランカ、ソロモン諸島等々の国々に存在する18歳未満の兵士のことです。
極貧によって絶望し社会から締め出された子どもたちは、闇の経済や組織犯罪、そして武力紛争の担い手の大規模な予備軍となります。
誘拐または拉致や募集によって子どもたちは兵士に仕立て上げられていきます。
子ども兵は少年とは限らず、少女の兵士もおり、少女兵だけの隊も存在します。
子ども兵は簡単なプロセス(教育)で勇敢で有益な兵士になります。質問もぜず素直に指示にしたがい、命の重みが分からず恐怖が少ないので戦闘はなんでもやれます。
被害者や目撃者がよく口にしたのは、「子どものほうが大人よりもこわい!」ということでした。しかも安価で扱いやすいので、極貧国の紛争地帯では子ども達の誘拐や拉致が頻繁に起きて、兵士に仕立て上げられていきます。
そして子ども達は生きながらの地獄を味わうのです。
以下「子ども兵の戦争」(P・W・シンガ−著/NHK出版)より抜粋
子 ど も 兵 の 戦 争 【「子ども兵の戦争」(P・W・シンガ−著/NHK出版)より】
○子どもたちは11歳か12歳で徴集するほうがいい。(民兵組織最高司令官)
○子どもたちは最高かつ最も勇敢な兵士になる。子どもだからと甘くみるな。彼らはわれわれ大人以上に戦える。ただ撤退するということが彼らにはなかなかできないのだ。(リベリアの政府系民兵組織指揮官)
○武装組織から仲間になれって言われたけれど、いやだって言った。そしたら、弟を殺された。だから仲間になった。(7歳)
○ある晩、入り口で見張りをしていたら、誰か連れてこられた。子どもで、覆面をされてて、「反政府勢力だ、敵だ、殺せ」って。ぼくは言われたとおりにした。その場で。ぼくのナイフで。そのあとは、ひと晩じゅう眠れなかった。(10歳)
○やつらはつかまえた人間を連れてくる・・・・・訓練を受けさせるために。指揮官からお前がやれと言われた。ショックだったしぞっとした。みんなの前でやらされた。50人全員の目の前で・・・・・。頭を撃たされた。ぼくは震えてた。殺される人たちの中には、泣き叫ぶ人もいた。指揮官は「どうやって人を殺すか覚えるんだぞ」って言った。(15歳)
○友だちのユアニタが、困ったことになって・・・・・。兵士になる前からずっと友だちで、テントも同じだった。「友だちでも関係ない。彼女はミスをした、殺さなきゃならない」って指揮官は言った。目を閉じて撃ったけど、当たらなくて。だからもう一度撃った。墓地はすぐそばだった。埋めるのも土をかけるのも私がやらされた。(17歳)
○二度目のほうが簡単さ。どうでもよくなるんだ。(15歳)
○手足を切り落とさせられた。ぼくたちは短剣と斧と大きな丸太を持ってた。村人たちを呼び出して一列に並ばせた。(被害者たちに)長い手がいいか短い手がいいか(手首で切るかひじで切るか)訊くんだ。長い手のほうは短い手とは別の袋に入れる。袋が切り落とした手でいっぱいになったら自動的に昇進する。いろんな階級にね。(16歳)
○ひとりが逃げようとしたけど、つかまった。彼は両手を縛られ、一緒に誘拐されたぼくたち新人が、彼を棒で殺せと命じられた。ぼくは棒に触った。彼を前から知っていた。同じ村の子だった。殺すのは嫌だっていったら、あいつら、ぼくを殺すって言った。銃を向けられて、殺すしかなかった。その子がぼくに訊くんだ。「なぜそんなことを?」って。しかたないんだって言った。殺した後で、ぼくたちはその子の血を腕に塗らされた。めまいがした。気持ち悪かった。こうすれば死を恐れなくなる。そして逃げようとしなくなるって言われた。(15歳)
○彼らはわたしを選んで茂みに連れていきあるメンバ−の妻になれって言われた。「言うとおりにしろ、でないと殺す」って。それでも拒もうとしたら相手は本当に怒ってわたしの頭にナイフで切りつけた。どうしようもなくて、ひどく出血して、それで初めてセックスをしたの。14歳で。生きるか死ぬかだったから。(16歳)
○カラシニコフ銃の弾丸は秒速800メ−トルで飛びます。聖戦士が3200メ−トル先にいるロシア人の頭部を狙う場合、弾丸がロシア人の額に命中するまでに何秒かかりますか。(アフガニスタンの4年生の教科書に載っている文章問題)
法華経で説かれた「常に難処に生まれ・・・常に地獄に処する」とは、まさにこうした状況を言うのではないでしょうか。
現在世界の総人口の半数に当たる30億人が、一日2ドル以下で生活しています。
自界叛逆の難(内乱)またはその危険が高い国に暮らす人は10億人を超えています。
13億人を超える人々が貧困状態にあり、6億人が極貧状態と考えられています。
教育面では読み書きが出来ない成人は9億人を超えます。
農村地帯に住んでいるにもかかわらず、土地が無い人が10億人を超え、また土地があっても、4億人あまりは劣悪でやせた土地に暮らしています。
さらに10億人が都市部のスラムに住んでいます。
途上国では13億人あまりが水に不自由しています。また8億人を超える人々が食糧不足に直面し、5億人が慢性的な栄養失調に陥っています。
そしてこうした生活水準で暮らす人たちの数は、将来的にも悪化が予想されています。
そうした中で世界各地で多くの子どもたちが、想像を絶するような絶望的な状況に置かれているのです。
日本という国は世界的に見れば、稀な程に恵まれているのです。
常 に 難 処 に 生 ま れ 【「子ども兵の戦争」(P・W・シンガ−著/NHK出版)より】
○一日2ドル以下で生活している人→世界の総人口の半数に当たる30億人
○内戦もしくはその危険が高い国に暮らす人→10億人
○貧困状態の人→13億人を超える○極貧状態の人→6億人
○読み書きが出来ない成人→9億人○農村地帯に住んでいるにもかかわらず土地が無い人→10億人を超える
○土地があっても劣悪でやせた土地に暮らしている人→4億人
○都市部のスラムに住んでいる人→10億人
○水に不自由している人→13億人
○食糧不足の人→8億人を超える
○慢性的な栄養失調の人→5億人
○一日一ドル未満で生活している若者→世界の若者の4分の1
○路上生活をしている子ども→2億5000万人
○自分や家族を養うために働いている子ども→2億1100万人
○一度も学校へ行った事が無い子ども→1億1500万人
現象面を見れば、先進国と発展途上国との貧富の二極化、経済格差等が原因としてあげられますが、そうした国に出生した因縁という点でさらにもう一歩踏み込んで考えていったとき、子ども兵を含めたこうした“難処”での暮らしは、過去世において正法を謗ずる罪を原因とした現世の果報であるという、因果の理が厳然と働いていると考えられるのです。
◆ 法 華 経 ( 正 法 ) を 謗 ず る 罪 − 日 本 編
末法は本未有善の衆生が充満する世界です。
過去世の謗法の罪を、生命(第八識)の中に刻印してきた業の深い衆生達であり社会です。五濁惡世となるのは当然といえましょう。
日本国も悪因を積んできた人々が形成している社会ですから、畜生にも劣る凶悪犯罪が多発するのは道理です。
そして過去世の悪因によって現世での煩悩が引き起こされ、現世では下記のような悪事を働くか、さらなる悪因を積むか、もしくは悪果を受けて苦悩しているか、もしくはこれから受けようとしています。
『此の三界の火宅に於て、東西に駆走して大苦に遭うと雖も、以て患(うれい)とせず』
『常に地獄に処すること、園観に遊ぶが如く』
と説かれているように、過去世の謗法の罪によって、地獄等の悪道の中でしか生きられない境界にあえいでいるのが、今の多くの日本人(人間)の姿ではないでしょうか。
現 世 で 遭 遇 す る 悪 因 悪 果 の 数 々 【定業・不定業を含む日本編】
鬱病、自殺未遂、自殺、一家心中、児童虐待、老人虐待、子殺し、親殺し、殺人、強盗、架空請求、振り込め詐欺、リフォ−ム詐欺、その他の詐欺、横領、窃盗、暴行強姦、傷害、癌、精神障害、身体障害、難病、不治の病、その他の病、汚職、賄賂、談合、家庭内暴力、家庭不和、離婚、母子家庭、父子家庭、アルコ−ル依存症、薬物中毒、児童買春、児童売春、買春、売春、援助交際、不倫、インサイダ−取引、リストラ、倒産、飲酒運転、不登校、引き籠り、自傷行為、学級崩壊、いじめ、校内暴力学力格差、学歴格差、所得格差、地域格差、暴走族、暴力団、スト−カ−、誘拐、拉致、監禁、放火、保険金不払い、残業代不払い、薬害、エイズ、0−157、鳥インフルエンザ(H5N1)、MRSA(薬剤耐性菌)、VRE(薬剤耐性菌)、SARA(新型肺炎)、BSE(狂牛病)、院内感染、国家破産の危機、国内テロ、戦争、借金闇金融、多重債務、非正社員、ワ−キングプア、増税による打撃、希望格差、パラサイト、ホ−ムレス、船舶事故、交通事故、鉄道事故、航空機事故、原子力発電所事故、不法投棄、毒物混入、医療ミス、隠蔽工作、遭難、家出、蒸発、片思い、失恋内乱、ク−デタ−、地震、噴火、落雷、旱魃、不作、暴風雨、竜巻、河川の氾濫、水質汚染、土壌汚染、大気汚染、冤罪、偽証、アレルギ−、盗癖、欠陥住宅、土砂災害強度偽装、裏金作り、保身、過食症、拒食症、自殺願望、餓死、認知症、食品偽装、ミサイル攻撃、細菌兵器攻撃、核攻撃、新興宗教への加入、再度の謗法等々
※定業→現世では避ける事の出来ない業(例/業病、盲聾背傴等)
※不定業→今後の善悪の因縁によって打開できる業
日々の事件や事故は、ほぼこれらのいずれかであり、また繰り返し発生しています。
今の世は間違いなく、苦悩の多い五濁惡世の末法の世であるといえるでしょう。また法華経譬喩品に説かれている謗法の罪がもたらす現証が、こうした事件や事故で垣間見られます。
また五濁惡世は国土等の自然界にも感応し、地震や火災、火山の噴火や風水害、竜巻、疫病や天候不順等の天災となって現れてきます。
また日本に限らず、記憶に新しいところでは、平成16年12月26日に起きたインドネシア・スマトラ島沖を震源地とする大地震による大津波の被害は、世界災害史上未曾有のものでした。(インドネシア国でけで犠牲者は30万人以上といわれています。)
こうした出来事が、特に平成2年以降、急増してきているのが気がかりです。なおこうした謗法の罪の果報は、
「其の罪を説かんに劫を窮むとも尽きじ」
とほぼ無限大に近いことを示唆しています。誠に恐ろしいと言わねばなりません。
末 法 の 衆 生 の 不 信 を 説 く 釈 尊 【法華経より】
○浅識は之を聞いて 迷惑して解らず
○尚此の經に於ては 信を以て入ることを得たり
○佛の成就したまえる所は、第一稀有難解の法なり。唯佛と佛とのみ、乃し能く諸法の実相を究尽したまえり
○若し是の事を説かば、一切世間の諸天及び人、皆當に驚疑すべし。
○當に知るべし 是の妙法は諸佛の秘要なり 五濁の惡世には 但諸欲に楽著せるを 以て是の如き等の衆生は 終に佛道を求めず
○當来世の惡人は 佛説の一乗を聞いて 迷惑して信受せず 法を破して惡道に堕せん
○已に説き、今説き、當に説かん。而も其の中に於て、此の法華経、最も為れ難信難解なり。薬王、此の經は、是れ諸佛の秘要の蔵なり。
○我が所説の諸經 而も此の經の中に於て 法華最も第一なり
等々、末法の衆生が正法に対して不信を起こし、それによって悪道に堕ちることをはっきりと予証しています。だからこそ釈尊は「以信得入」(信を以て入ることを得たり)と、正法を“信じる”ことを説いています。
今世の重罪は過去世において正法に背いてきたことが原因ですから、謗法の罪は今世において正法で消していくしかありません。しかし
「狂聾心乱にして永く法を聞かじ」
と、謗法の者は正法に出あう事すら難しく自ら避けてしまうのです。
たとえ正法に出あったとしても「三障四魔」や「三類の強敵」が現れて、正法の修業を阻止する力が働き、宿業を転換する千載一遇の機会を逃し、
「是の如く展転して無数劫に至らん」
と苦悩の流転を繰り返してしまっています。
◆
臨 終 に 現 わ れ る 堕 地 獄 の 相
生命は三世にわたるものです。ですから死によってこの謗法の悪業が消滅するものではありません。謗法の悪業を重ねた者は、死後に“無間地獄に堕ちる”と経文に明確に説かれています。
そしてその現証として、臨終及び遺体に悪相(堕地獄の相)を現ずることが、これも経文に明確に説かれています。死して尚苦悩を感じ、転生後はこの悪相に見られるような業苦を受け、気の遠くなる程の時間を流転し続けていくのです。
なお無間地獄といっても、地獄という別次元の世界があって、死後、そこで鬼に責め苦しめられるというのではありません。
例えば、蒲団の中で寝ているにもかかわらず、悪夢(冥伏していた第七識の発現)にうなされて苦しみを感じることがあります。これと同様に、死後の生命(冥伏していた第八識の発現)は、それまでに自らが積み重ねてきた謗法の悪業によって、厳然と地獄の大苦悩を感ずるといいます。
この大苦悩とは、概していえば、燃え盛る溶岩の中で我が身を焼き尽くされる苦しみ、といわれています。しかも恐ろしいことに、死後の世界は、もはや夢と違って目覚めるということはなく、主体的な意志や行動をもたない受動的存在ですから、自ら積んだ悪業をそのまま感じ続けていくしかなく、身を焼きつくされる地獄の苦しみを感じていても、それから逃れようとする行為すらとれません。
無間地獄(第八の大阿鼻地獄)ですから、この大苦悩を絶え間なく感じ続けていくことになるのです。
この無間地獄については、もし仏がこの地獄の苦悩を具体的に説いたならば、それを聞いた人々は血を吐いて死んでしまうほどなので、詳しくは説かれていないといいます。それほど凄じいものだということを知るべきでしょう。
臨終は、生と死の境、死後への第一歩ですから、臨終の姿は、その人の死後の状態を如実に顕します。そして謗法を重ね、死後、無間地獄に堕ちた人は、必ず、その臨終および遺体に悪相(「堕地獄の相」)を現ずることが経文に説かれているのです。
臨 終 に 現 わ れ る 堕 地 獄 の 相 【経文からの要約】
1、集まった自分の身内に対しても、険しく猛々しい目つきで睨む。
2、手で空をつかんで、もがき苦しむ。
3、筋道の通った正しい思考を失う。
4、恐怖のあまり、涙を流して泣き叫ぶ。
5、大小便が垂れ流しとなる。
6、苦しみのあまり、目を固く閉じてしまう。
7、苦しみのあまり、手で顔面を覆って悶絶する。
8、異常な食欲が出て、狂ったように飲み食らう。
9、身体や口から腐敗臭が漂い出る。
10、恐怖のあまり、手足を震わせて、怖れおののく。
11、鼻筋が曲がって、凄じい形相となる。
12、白眼をむき出してしまう。
13、眼が血走って真っ赤に変色する。
14、顔面を伏せて、苦しみ、うめく。
15、苦しみのあまり、身体をかがめて悶絶する。
16、破れた皮膚から膿が流れ出したり、全身に熱い汗をかいて苦しむ。
17、狂乱して絶命する。
18、眼、あるいは耳、鼻、口、毛孔などから、血を吹き出す。
19、死後、遺体の色がどす黒く変色し、皮膚が収縮して骨がはっきり顕われる。
20、遺体が固く硬直し、ずっしりと重く感じる。
この経文に示された「堕地獄の相」が真実であるか虚妄であるかは、年を経るごとに臨終や遺体と接する機会が多くなる人ほど、現実に引きあててみて納得せざるを得ないようになると思います。
謗法の心が強い人ほど、悪相を現じているのですから。
◆
「 夜 回 り 先 生 」 の 水 谷 修 氏 の 講 演 よ り
NHK教育テレビで、「生きていてくれて、ありがとう」《夜回り先生、水谷修のメッセ−ジ》の放送をたまたま視聴する機会がありました。
水谷氏の講演会の様子が映し出されていましたが、その中で、ある一人の少女の話が強く印象に残りました。
それは、今から5年前のある中学3年生の女子生徒の話でした。
水谷氏がその少女と関わったきっかけは、少女の母親からの「うちの娘(こ)がシンナ−と覚醒剤をやっています。助けて下さい。」という一本の電話からでした。水谷氏はその娘を説得して入院させることに成功しました。病院で脳のC・Tスキャンを撮ると、脳の外側が約8%溶けていることが分かりました。これは80歳代の高齢者の脳と同じ状態を意味します。
原因は3か月間に吸ったシンナ−とたった5回の覚醒剤によるものでした。
「 夜 回 り 先 生 」 の 講 演 よ り 【ある少女の生と死】
この少女(「愛ちゃん」という)は、中学2年生の時に、興味本位で暴走族の七夕集会に出かけ、そこで先輩7名から性的乱暴を受けてしまいました。
「もう私の体は汚れた。どうせ幸せにはなれないんだ。」
と思い、それ以来この暴走族の先輩達15名から「雑巾」と呼ばれ、いいように使われてきたのでした。
「愛、バイク買う金がねえ!」
「愛、修理する金がねえ!」
「愛、シンナ−買う金がねえ!」
「愛、覚醒剤買う金がねえ・・・・・体売って金もって来い!」
そして45人の中高年の男に体を売らされたのでした。しかも愛は、
「外で出せば大丈夫だ」
「中学生は妊娠しない」
と言われて、コンド−ムは一切使っていませんでした。
もちろん妊娠しないというのは全て嘘でした。病院で検査をすると、いろいろな性感染症にかかっていました。HIV(エイズ)にも感染していました。
その後の愛の行動は壮絶なものでした。
家出をして、例えば長距離トラックの運転手に
「おじさん私の体あげるから、どこか連れて行って、私中3!」
こうして西は京都から東は盛岡まで転々と旅をして歩き、旅先からいつも水谷先生に電話を掛けていました。
「水谷先生、私、今、京都。一人で修学旅行中。」
「戻っておいで」
「まだ嫌だ。まだ足りない。先生、39人に復讐したからね!」
愛にとって生きるとは、中高年の男からもらったHIVを、一人でも多くの中高年にうつし返すことでした。
「いいかい、HIVエイズは闘える病気だ。お前の感染したウィルスは、治療薬の効きやすいウィルスだ。お前は一生生きれるんだよ。結婚も出来るし子供も産める。でもHIVには治療薬の効きにくい型もある。もしそうなったらおしまいなんだよ。先生は知っているぞ。HIV告知を受けた少なからぬ男が一番最初にやることは、夜の街に出て、できるだけ若い女性を買ってうつそうとすることなんだ。お前と同じ発想をする男がいることを忘れるなよ。」
これが命取りになりました。八か月の家出の間で、あと二種類の対抗できない型のHIVウィルスに感染していました。
その後心身のケアを行い、一年後れで全日制の高校に入学し、卒業後は母校を手伝うのが夢でしたが、今から二年前の12月にエイズを発症して入院しました。
入院後3〜4か月で愛はどんどん変わっていき、水谷先生はそれを見るのが辛くて5月からは病院に行けなくなりました。そして5月の連休後にドクタ−から電話が来ました。
「頼むから病院に来てください。愛ちゃんは毎日『先生明日は来るよね、明日は来るよね!』って言って泣いています。愛ちゃんのちっちゃな明日には、先生が必要なんです。」と。
電話の翌日病室を訪ねると、50kgあった愛ちゃんの体重は20kg前半にまで落ちていました。泣きながら手を抱きしめたとき、愛ちゃんは言いました。
「先生お願いがある、聞いてくれる?先生はこれからも講演やるよね。先生、全ての講演で愛のこと話して。愛って馬鹿な子がいて、派手な格好、派手な化粧に憧れ、夜の世界に憧れて入ってだまされ、汚され、体売らされ、HIVにされ、エイズで苦しんで死んでいったと伝えて。人の美しさは格好じゃない、人の行いと心。夜の世界は嘘の世界、幸せなんか無いって伝えて。私の話し聞いて夜の世界から昼の世界に戻る子、一人でも出たら、私がこの世に生きたっていう意味があったってことになるよね。私の話し聞いて夜の世界から昼の世界に戻る子、一人でも出たら、あの世へ行って神様から『愛ちゃんよくやった』ってほめてくれるよね。先生しか頼めない。」
運命の日が来たのは7月13日でした。それはドクタ−からの電話でした。
「明日の夜からモルヒネを投与します。投与すると意識が混濁します。そして2か月で眠るように死なせてあげられます。明日の午前中に、意識がはっきりしている間にお別れをして下さい。」
ドクタ−に頼んで、先生はその日の夜に愛ちゃんの病室に行きました。
愛ちゃんが選んだお別れの服装は、大好きだった高校の制服でした。だぼだぼの制服を、お母さんと看護士長さんがまつり縫いで合わせてくれました。
体中の斑点は、若い看護士さん4人がお風呂に入って、一緒にきれいに洗ってくれて、ファンデ−ションと白粉で唇も目のまわりも白く塗りつぶしてもらった上、淡いお化粧をしてもらっていました。
八時ちょっと前にはお母さん、お父さん、お姉さんもやってきて、家族全員がそろいました。でも話なんかなりませんでした。愛ちゃんの頭をなでては泣き、手を握っては泣き、皆で泣いて泣いて泣き尽くしました。ドクタ−は見ていられなくなったのか、11時少し過ぎたころ、
「愛ちゃん、お休みしようか。皆さんいいですか。」
と言い、モルヒネが投与されました。愛ちゃんの最後の言葉は、
「お父さんありがとう。お母さんありがとう。お姉ちゃんありがとう。水谷先生ありがとう。」
でした。
でも愛ちゃんは、九月になっても、モルヒネを打ち込んでも死ねませんでした。モルヒネが切れると、
「ウォ−、ウォ−」
と叫んで身をよじります。その度に愛ちゃんの関節が抜けていきました。
筋肉が無いから肩の関節を入れてあげていると、股関節まで抜けていきました。最後は、包帯とタオルケットと毛布で体中をぐるぐるに巻いて、ミイラのようにして、発作が起きたら押さえてあげることしか出来ませんでした。
愛ちゃんの目は必死に先生に訴えていました。
「先生助けて、助けて、死にたくない、助けて。生きたい、生きたい、生きたい」と。
でもしゃべれませんでした。舌が抜けてしゃべれなかったのです。いくら舌を入れてあげても入っていかないのです。
愛ちゃんは驚いたように目をかっと見開いて、ひたすら先生に訴えかけるようにして死んでいきました。今から2年前の10月15日の未明のことでした。ドクタ−の「ご臨終です」の後、一言父が言いました。
「愛、よかったな−、やっと楽になったな−」
愛する娘に死なれて「よかったな」としか言えない父の無念さは、察するに余りありました。
水谷先生は、最後に聴衆である高校生達に向かってこう語りかけました。
「水谷から望むことはただ一つ。生きていて下さい。生きていてくれてありがとう。ただ生きてさえいれば明日は来ます。今日はどうもありがとう。」
こうして講演会は終了しました。
愛ちゃんという薄幸な少女の冥福を祈ると共に、この少女の生きざま、死にざまが、正法に縁するきっかけとなることを願ってやみません。
何故ならば、その縁が善業となって、愛ちゃんに回向されることを期待するからです。
もしもまた正法に縁の深い日本に、人間として生を受けることができたならば、その時こそ正法を受持して、過去世からの宿業を転換し、現世安穏・後生善処の大功徳を受けてほしいと願っています。
◆ 死 に 行 く 人 々
病気等で人生を終えてしまう人がいる一方で、毎年日本では3万人以上の人達が、生きている中で起こる様々な苦悩から逃れるために自らを殺しています。
今日本では、平均して毎日約100人、15分に一人が、現世を悲観して自殺しています。苦悩の業因を持ったまま、来世も同様の業果が待っていることを知らないままで・・・・・。
最近も30代のJRの社員が、よほどJRに恨みがあったのでしょうか、東海道新幹線の線路上に身を横たえて自殺しました。
先頭車両のフロントは衝撃で大きく穴が開いて赤く染まり、JRの職員が、線路上の肉片を拾っている様子が映し出されていました。「悪相」よりももっと悲惨な姿でした。
またある日、NHKの番組『クロ−ズアップ現代』で、「過労自殺」が取り上げられているのを見ました。「過労死」が進化したのでしょうか。
これは中高年がリストラで減らされて、その人たちの仕事や責任が、残された30代の人たちに背負わされたことによる悲劇でした。
番組は過労自殺したある30代の、結婚2年目の男性社員の、生前の様子を知らせていました。
過 労 自 殺 し た あ る 男 性 社 員 【NHKの番組『クロ−ズアップ現代』より】
男性は自分の家で飼っている犬を見て、
「私も犬のようにゆっくりと休みたい」とつぶやいたり、
「お金はいらないから、休みが欲しい」
と言って出勤していました。
その男性の遺書には、次ぎのような言葉が記されていました。
「ごめんなさい。お誕生日を一緒に祝えずにごめんなさい。ちょっと疲れたので休ませて下さい。」
そして自らの命を絶ったのでした。
また過労死寸前の、あるサラリ−マンが生前、手帳に書き残した覚え書きがありました。広告代理店制作副部長だったその人は、やがて過労のために心筋梗塞で命を落としました。享年43歳の若さでした。
その手帳に記された覚え書きとは、
過 労 死 し た あ る サ ラ リ − マ ン の 覚 え 書 き 【『過労死!講談社文庫より】
・・・・かつての奴隷たちは奴隷船につながれて新大陸へと運ばれた。超満員の通勤電車の詰め込み方のほうが、もっと非人間的ではないのか。
現代の無数のサラリ−マンたちは、あらゆる意味で奴隷的である。金に飼われている。時間に縛られている。上司に逆らえない。賃金もだいたい一方的に決められる。(中略)かつての奴隷たちは、それでも家族と食事をする時間が持てたはずなのに・・・・
この男性は、現代のサラリ−マンの方が、かつての奴隷よりも、もっと悲惨なのではないかと感じながら働いていたのです。家族と食事をする時間が持てた奴隷の方が、まだ自分よりも恵まれているのではと感じながら働き続け命を落としたのでした。
《 新 任 女 性 教 諭 の 死 》
彼女(新任の小学校教諭)は幼い時から大きな夢を抱き、その夢の実現の為に真面目に努力を重ね、ついに夢を実現させたことでしょう。
しかし、夢を実現させた後に待っていたものは生き地獄でした。抑鬱状態から自殺を図り、帰らぬ人となりました。享年23歳でした。
彼女の新聞記事を見た時、私もかつては同じ職種であっただけに、その苦悩が痛いほどよく理解できました。彼女は、日々の授業や他の公務分掌においては経験が浅いゆえに、負担感やストレスがだれよりも大きく、先生として発展途上にあり、そうした中での悲劇でした。
2年生とはいえ、家庭でのしつけが十分に出来ていない(あるいは育児放棄に等しい扱いを受けている)児童は年々増加し、学校において問題行動を起こす児童は確実に増加しています。
また保護者はといえば、学校や先生に対する許容範囲が狭くなり、児童の言い分のみを聞くか、近年モンスターペアレントと呼ばれている、些細なことで教員にクレ−ムを申し入れる事例が確実に増えています。
さらに校内は、人間相手の仕事にもかかわらず、事務職員顔負けの書類作成に追われ、様々な研修に追われ、様々な会議に追われ、様々な行事に追われ、子ども達と時間を共有するのは、授業時間以外はほとんど取れないほど多忙な状況になっています。
これらの多くは、現場の教員達が必要だと感じて増やしたものではなく、教育委員会や管理職による押しつけによって、増やされていったものが大半です。またマスコミを総動員して教員バッシングをする中で、教員の資質低下を国民に刷り込み、いじめを始め、教育の問題のほとんどが現場の教員に転嫁され、さらに
「指導力不足の先生は教員を辞めていただく」
といった現職総理大臣の国会答弁がなされ、教員免許の更新制が議論されていることでも分かるように教員を萎縮させ、それらを宣伝材料にして教育基本法の改悪を行い、次に憲法の改悪を目指し、戦争ができる国づくりを完成させる動きになっています。
「国旗・国歌法」や教育基本法の改悪によって、国家という抽象的なもの愛する観念を子どものうちに刷り込ませ、教員達をそういう作業に従事させるように従わせ、「愛する国や世界の平和」のためには、喜んで戦場に行く人間の育成、すなわちそのための思想教育が、政府の最大の意図であろうことは明らかです。
教育基本法に「国を愛する態度を育成する」と明記される以上、それは法的拘束力があるとされる学習指導要領によって具体的な記述となって反映され、それに従わない教員は教育基本法及び学習指導要領に違反する問題教員、もしくは指導力不足教員として追放する、という仕組みができ上がるはずです。
教育基本法と憲法はセットですから、次に政府がねらうのは、悲願の憲法改悪です。これで日本の軍隊は晴れて海外に展開できるようになり、他国と共同でいつでも戦闘体制に入れます。
こうした政治の思惑に翻弄されながらも、肝心の教育現場は、大多数の真面目な先生方によって、多くの困難な課題を抱えて心身を消耗しながらも、日々地道な教育活動を積み重ねています。
こうした教育現場を取り巻く厳しい環境の中で、彼女は教員生活を迎えることになりました。
彼女の自殺を報じる新聞記事を紹介します。
土 日 勤 務 常 態 化 教 諭 が 過 労 自 殺 【平成18年10月25日の毎日新聞記事より】
仕事の過労とストレスで抑うつ状態になり、今年5月に自殺した
両親は「職を全うしようとしたからこそ倒れたということを証明したい」とした。弁護士によると今年4月から女性教諭は小学2年(児童22人)のクラスを担任。担任業務のほか、学習指導部など複数の職務を担当。区の新任向けの研修をこなし、授業の準備やリポ−ト提出に追われていた。土日出勤も常態化し、時間外労働が1カ月130時間を超えていたと推定されるという。また4月から5月にかけて、指導方法を巡り保護者とやりとりを繰り返し、対応に悩んでいたという。しかし、1学年1クラスのため、同学年内に新任教師し対する指導担当教員がおらず、十分な指導が受けられないと周囲に漏らしていた。
教諭は5月に抑うつ状態と診断され、同下旬に都内の自宅で自殺未遂を起こした。さらに同31日に自宅で自殺を図り、6月1日に死亡した。自宅に残されたノ−トには「無責任な私をお許しください。全て私の無能さが原因です。家族のみんなごめんなさい」と記されていた。
女性教諭の両親は「誠実さと優しさと使命感に満ちあふれた若い人材が二度と同じ道を歩むことのないことを切に望んでいます」とコメントした。
区の新任向けの研修は、リポ−ト提出を伴った長期に及ぶものであり、その内容からして、彼女の悩みには答えられない質のものであったわけです。〔行政サイド〕
仕事量が近年増加している中では、他の教員は自分の仕事だけで精一杯で、彼女の指導にまでは手を差し伸べるゆとりはなかったものと推察されます。〔現場の同僚サイド〕
職員の健康管理に配慮する義務のある管理職としては、彼女が自殺に追い込まれる前にそれを察知し、適切な措置をとる権限と責任があったはずです。〔管理職サイド〕
指導方法を巡り保護者とやりとりを繰り返したとありますが、新任の教員に対しては何故「温かく見守って、先生を育てていこう」という度量がないのだろうかと残念に思います。〔保護者サイド〕
そして過酷な状況から避難する(退職や休職を含めて)ことは無責任だと責任感の強さゆえに自分を責め、たんなる経験不足を無能さゆえだと自分を責め、家族の期待を感じて自分のふがいなさを責めた、彼女自身の誠実さが命取りとなりました。〔彼女サイド〕
彼女を自殺に追い込んだ原因は、表面的には「行政」「同僚」「管理職」「保護者」「家族の期待」「責任感の強さと誠実さ」等が複合したものではなかったかと思われます。
また職場によってはたとえ隣接校であっても、その職場環境はまるで違います。職員も違えば子どもも保護者も違います。彼女にとっては、全てにおいて最悪の職場環境だったかも知れません。また死を選ぶよりは、別の人生を選ぶ生き方をアドバイスできる同僚がいたならば、逆に気持ちが楽になって、自殺が回避できたかもしれませんし、本当に別の職業を選択できたかもしれません。
いずれにしても自殺という最悪の事態は避けられた可能性が大きかったはずです。
経文から推察して、また私の経験からしても、「過労自殺」や「過労死」といった人生の苦悩や事態を避けるには、正法に巡り合うことで解決できると思っています。
正法によって、例えば自殺以外の別の方法を御仏智(仏の智恵)によって得られたり、あるいは「変化人」の登場によって助けられたり、乗り越えられると考えています。
何故ならば、法華経法師品に『則遣変化人為之作衛護』(すなわち変化の人を遣わしてこれが為に衛護となさん)といって、正法を授持する人が窮地に陥った時には、法華守護の諸天善神が守護する人を遣わして(あるいは身近にいる人の中に諸天善神が乗り移り)その人を助けるという事が説かれているからです。
事実、私自身が窮地に陥った時に、何度も御仏智をいただいたり、この「変化人」を遣わされて(あるいは周囲の人が変化人となり)助けられています。
正法に縁しいていたならば、「御仏智(仏の智恵)」や「変化人」の働きによって、こうした苦悩から逃れることができたかもしれないのにと、本当にかわいそうで残念でなりませんでした。
◆
正 法 で 得 ら れ る 大 利 益 ( 大 功 徳 )
正法(妙法)という正しい仏法を受持して信行するならば(そのためにはまず爾前権教等の謗法と縁を切ることが必要ですが)、「常・楽・我・浄」という四つの徳性に象徴される仏界(仏性)が、生命の内(第九識)から発揮され、自身の身体面、精神面に作用して力強い生命力と仏智とよばれる不思議な智慧が働き、人生の苦悩を前向きに乗り越え、打開していくことができるのです。
その大利益(大功徳)を経典等から挙げていくと次ぎのようになります。
前に示した罰とその臨終の相の二つと比較してみると、その大きな違いが分かります。
正 法 で 得 ら れ る 大 利 益 ( 大 功 徳 ) 【経文からの要約】
○仕事の成果が大きく上がるようになる。
○社会的信用を得られるようになる。
○所得が増加して、衣食住に困ることがなくなる。
○世間において上長の位を得る。
○常に生き生きとした健康体になっていく。
○生まれついての業病すら克服できる、いわんや、それ以下の軽病はことごとく治癒していける。
○寿命によって死すべき命も、延ばすことができる。
○淫欲さかんな者もおのずと欲を離れて正常になり、短気で怒りっぽい性格、愚痴が多く嫉妬深い性格等も改まって、立派な人格者へと向上していく。
○臨終を迎える姿においては、悶絶・狂乱等の悪相を全く現ずることが無く、また遺体の状態においては、形を損ぜず、生前よりも美しい色白となり、眠るがごとき半眼半口で、身体が生前以上に柔らかく、軽く、死臭すらない。
正法を受持して信行する功徳は、経済面・健康面・精神面と三拍子そろって、あらゆる悩み・苦しみ・行き詰まりを解決していけるということです。
ただし私達には過去世からの罪障(悪業)があります。譬えて言えば長期間使用していなかった水道水のようなものです。もしも何年かぶりで栓を開いたらどうなるでしょうか。
まずは管内に溜まった赤錆などのぞっとするような濁った汚い水が、蛇口から流れ出てくることでしょう。それに驚いて栓を閉めてしまえば、濁った汚い水はそのまま管の中に留まったままになることは明らかです。
たとえ濁った汚い水が蛇口から流れ出て来ようと、そのまま流し続けていれば、やがて清浄な水がこんこんと流れ出てきます。
私達の生命には過去からの罪証(悪業)が、溜まりに溜まっています。これらが正法(妙法)に縁することにより、開栓全開と同じ状況になります。しかも正法(妙法)が浄水器の役割を果たしてくれるので、濁った汚い水もかなり汚れを吸着して流し出してくれます。
つまり過去からの罪証を、現世で大量にしかも軽くして流してくれるのです。(転重軽受の法門)
正法(妙法)を受持して信行する人は必ず経験することですが、こうした過去からの罪証(悪業)がぽんぽんと出てきます。軽く出てきているにも関わらず、中にはそれに怖れを抱いて栓を閉じてしまう人もいます。また正法(妙法)を妨害しようと三障四魔も表れてきますから、ここで負けないことが大事です。
その反面「初心の功徳」といって、正法(妙法)の働きによって初心の人に妙法の力(功徳)が分かる形で表れる(現証)ことがあります。(顕祈顕応)
いずれにしても正法(妙法)で得られる大利益(大功徳)は、魔に粉動されずに一年、三年、七年と真面目に信仰を貫いた人に、誰一人例外なく現証として現れます。そしてその生涯を終えたとき、死後硬直・変色・腐敗臭の発散・重い遺体等の堕地獄の相が表れることなく、生前よりも美しい色白となり、眠るがごとき半眼半口で、身体が生前以上に柔らかく、軽く、死臭すらない、経文に説かれた成仏の相を現じるのです。
《 経 済 面 で の 現 証 》
私自身この妙法と縁する以前は罪が八個(2、4、6、7、11、12、15、16番)あったと書きましたが、縁してから30年になろうとしている今、その全てが改善しています。
自賛と思われることを覚悟で言えば(本意はこの妙法の正しさを示すためにあえて公表するのですが)、経済面では、妙法と出合う(22歳)までは、同級生からは持ち物の貧しさや自宅の古さをからかわれ、社会に出るまでは住込で新聞配達をするなどの貧困生活を余儀なくされていました。
それから30年後の現在では、伊豆半島にある太平洋と初島を望める伊東の地にマイホ−ムを持ち、2棟の貸家と4棟の賃貸用のアパ−ト・マンション計44戸を所有し、50歳でハッピ−リタイアを実現させ、気が向けば群馬県の名湯草津温泉にあるリゾ−トマンションで、悠々自適の暮らしを満喫するまでになりました。
またこうした生活は長年の夢であり、妙法の力をお借りしてそれを実現させることが叶いました。
《 健 康 面 で の 現 証 》
健康面では、妙法と出合うまでは、ほぼ週に1〜3回は偏頭痛で帰宅後寝込む生活が日常のことでした。
また誕生の時は、逆子で破水後も体内にとどまったまま母体から出てこず、一時は死産を余儀なくされそうになったといいます。母体から出てきた時は、へその緒が首に巻きつき、チアノ−ゼ状態で、誕生の時から、すでに過去世の業が表れていました。
「有生」(ゆうせい)という私の名前の由来は、この出産のときの様子から来ていて、「生命が有る」「生命を有り難がる」という意味で名付けられたそうです。
この出産のときに頭部が圧迫されたことが原因なのか、幼児期から突然鼻血が大量に出ることが多く、親をずいぶんと心配させたました。それが妙法に縁してからは偏頭痛の頻度も徐々に減少していき、いつの頃からか、これで寝込む事は皆無に近くなりました。
また自分にとって大きな病気と言えば、昔肺炎で二週間入院したことと、すぐ上の兄がガンで死んだ時に軽いうつ状態におちいったことと、尿管結石で救急車を要請したのが2回あったぐらいです。
ちなみに一回目は今から2年程前に新宿駅から大学病院に搬送され、病院で2泊して治しましたが、初日は半日痛みが取れずにかなり苦しみました。
2回目は最近この草津の地で発症して、麓の救急指定病院に搬送されましたが、点滴を打ち始めてから約20分後には痛みがおさまり、2時間余りの点滴の後、痛み止めと利尿の薬をもらって4時間後には草津に戻ってきました。
大学病院を退院する時に、医者から
「毎日2リットルの水を意識して飲むようにしなさい。2年以内の再発率は50%ですよ。」
と言われていたのですが、ここでは一日に何回も温泉に入る割りには水分補給を十分にせず、なるべくしてなった病気でした。
「ビ−ルでもコ−ヒ−でもジュ−スでも何でもいいから、とにかく水分を沢山取るようにしなさい。」
と、ここでも言われてしまいました。それ以降、ここでは薬だと思って、ビ−ル、カフェオ−レ、グレ−プジュ−ス等々、あるいはまたスイカ、メロン、ぶどう、りんごなどのフル−ツ類も意識して食べる事にしました。
これらはもともと大好物でしたから、かえって発症により食生活が格段に豊かになりました。これらが大きな病気に当たるのかは分かりませんが、私の場合はこれだけでした。
《 精 神 面 で の 現 証 》
精神面では、妙法と出会うまではすぐ上の4歳違いの兄(三兄)からは、私が生れたことにより親の愛情が末っ子の私に注がれたことに嫉妬して、幼い時からいじめぬかれて育ちました。これによって、
「心が荒んでいさかいばかりの日々が続き、人としての良識に外れた行いが甚だしく、また貪欲で怒りっぽく、筋道のわからぬ人格となり」
の経文のとおり、性格に少なからぬ歪み(ひねくれた性格)が生じ、
「頼るべき人がなく、また人に親しく接していっても、相手はそれほど自分のことを心に置いてくれない」
という人間関係に苦しむ暮らしを送ることになりました。
しかし、こうした家庭環境に生れ、こうした兄と血縁関係を結び、こうした人間関係であったことは、兄が原因ではなく、全ては私の過去世からの業因業果によるものでした。
それが妙法に縁してから30年後の現在では、十界の内の人界(人間らしく平穏で穏やかな精神状態)または天界(思うとおりになって喜びを感じている精神状態)を基調とした日々であることを、自覚しながら過ごせています。
三悪道(地獄界、餓鬼界、畜生界)や四悪趣(+修羅界)といった苦を感じる精神状態は、胸中に冥伏したままで全くと言っていい程感じる(湧き上がる)ことはありません。そもそも三悪道・四悪趣が胸中から湧き上がる縁(きっかけ)が、今の生活環境にはないのです。
法華経如来寿量品第十六の経文に、『我が此の土は安穏にして、天人常に充満せり、園林諸の堂閣、種々の寶をもって荘厳し寶樹華菓多くして、衆生の遊楽する所なり、諸天天の鼓を撃って、常に衆の伎楽を作し、曼陀羅華をふらして、佛及び大衆に散ず』という文があり、いまの精神状態は、これに近いと感じています。この
『我が此の土は安穏にして、天人常に充満せり』は、伊豆と草津温泉の地で、正法と諸天善神に守られた穏やかな日々を過ごし、
『園林諸の堂閣、種々の寶をもって荘厳し』は、太平洋が一望できる自宅と草津のリゾ−トマンションと、そこに御安置してある仏様(ご本尊)がそれであり、
『寶樹華菓多くして、衆生の遊楽する所なり』は、それを取り巻く豊かな自然環境と自由な時間を満喫して好きなことをして暮らしていることがそれであり、
『諸天天の鼓を撃って、常に衆の伎楽を作し』は、昔からの趣味であったオ−ディオとホ−ムシアタ−で、大好きな音楽や映画を好きなだけ堪能して、心地よい気分でいられる今の暮らしであり、
『曼陀羅華をふらして、佛及び大衆に散ず』は、我が家にある正法(妙法)の功徳を、身に帯している喜びではないのかと想像して思っています。
ですから、昔自分の胸中からよく湧き上がっていた三悪道(地獄界、餓鬼界、畜生界)四悪趣(+修羅界)の苦しみも、今はすっかりとなりをひそめています。
この原稿を書こうと決めたのも、この経文に説かれている境界が現実にあり、『我此土安穏、天人常充満』の境界になれる真実の法があるのだということを、身近な人達にも知らせ、正法(妙法)の素晴らしさを分かち合いたいと思ったからです。
実は今も、心安らぐ美しい音楽に包まれながら、時間がたっぷりとある境遇を使って、この原稿を書き進めているところです。
最近でも、大阪の宮の森駅(大阪城公園の側)近くで、あるセミナ−の講師として講演を行ってきました。集まってきた人達は、私の講演内容に真剣に耳を傾けて下さり、講演終了後には熱心に質問をしてきたり、私の二種類の著書(ペンネ−ムにて執筆)へのサインや握手を求めて来たりと、「社会的信用を得られるようになる」とまではいかないにせよ、「2、自分が誠を込めて真実を語っても、周囲の人々が信じてくれなくなる」とは、逆の立場にある事は感じることができました。
その後もある月刊誌の編集部の方が取材に訪れてきたので、インタビュ−や写真撮影の依頼に応えたり、またあるセミナ−の講演依頼の話もきています。こうした出来事は、妙法と出合う前までの自分には、全く考えられない現証でした。
以上のような私自身の体験があるからこそ、正法(妙法)の素晴らしさを自信を持ってお伝えすることができるのです。
その正法ですが、末法に入った現代では法華経の経文に説かれているように、インドで生誕した釈尊の「熟脱の法」では白法隠没して救われず、上行菩薩(法華経の行者)の「下種の妙法」という大白法でなければ叶いません。
そして経文に予証されたとおりの難に遭われ、命の危険を顧みられずに妙法を弘通された法華経の行者は、歴史上においてただ御一人だけ該当する人物がおりました。
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末 法 の 法 華 経 の 行 者 ( 上 行 菩 薩 )
滅後末法の時代において、法華経に説かれたとおりの大難に遭われた法華経の行者は、歴史上ただ御一人の人物しか当てはまりません。
その人は日本史の教科書等の書籍を見れば明らかで、経文のとおり法華経の弘通故に、惡口罵詈され、刀杖瓦石を加えられ、弟子檀那を殺害され、ご自身も何度も殺害されそうになります。また伊豆と佐渡の二回にわたって流罪に遭っています。
その人物の名は、“日蓮”(大聖人)といいます。
日蓮大聖人は、法華経(正法)を弘通しようとすれば、このような命に及ぶ大難が起きることが経文によって予めわかっていたましたが、末法の一切衆生の救済の為に、大慈悲を持って行動されました。
御 書 『 開 目 抄 下 』 よ り
○これを一言も申し出だすならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来たるべし。
○そもそも、たれやの人か衆俗に悪口罵詈せらるる、誰の僧か刀杖を加へらるる、誰の僧をか法華経のゆへに公家・武家に奏する、誰の僧か数数見賓出と度度ながさるる。日蓮より外に、日本国に取り出さんとするに人なし(開目抄下)
と、流罪地である極寒の佐渡の地でしたためられています。
日蓮大聖人が受けられた大難の数々や、妙法弘通の様子は、第5章の「日蓮大聖人の御一生」(年表)としてまとめてありますが、法華経の経文に寸分違わぬ御振舞に、そして横死しなかった奇蹟に驚くと共に、名声や肩書き(名聞)、それに富や財産(名利)といった世俗的な事は一切求めず、ただ一途に末法の衆生を救済していこうとする、大慈悲の御振舞があるばかりでした。
