4 、 仏 法 を 学 ぶ

 

 

          イ ン チ キ 宗 教 の 見 分 け 方 (「宗教の五綱」「五重相対」)

 

 日蓮大聖人の身命に及ぶ法難は数知れずありましたが、特に「松葉ケ谷法難」(39歳鎌倉)「伊豆流罪」(40歳、1年9か月間)、「小松原法難」(43歳、安房)、「竜の口法難」(50歳、相州)、「佐渡流罪」(50歳、2年5か月間)が有名です。

ところで大聖人にまつわる伝説や伝承は数多く残されています。例えば「伊豆法難」では、伊東の川奈に近づくと、役人が大聖人を海中の岩の上(まな板岩)に置き去りにしてしまい、潮が満ちれば海中に没して溺死してしまう危険に陥らせたといいます。大聖人がまな板岩で一心に題目を唱えていると、川奈の漁師である船守弥三郎が通りかかり助けられたいう話が伝えられています。

しかし『船守弥三郎許御書』には

 

日蓮去る五月十二日流罪の時その津につきて候しにいまだ名をもききをおびまいらせず候ところに・舟よりあがりくるしみ候いきところに・ねんごろにあたらせ給い候し事は・いかなる宿習なるらん

 

と仰せられていて、御書のどこを探しても海中の岩の上に置き去りにされた記述は有りませんでした。したがって後世の人の創作であると考えられます。

また「竜の口法難」の時には、大聖人が首の座に据えられて、首切り役人がまさに太刀を振りかざそうとしたその時に、突如として光り物(彗星)が現れて、首切り役人の目がくらんで倒れ伏して、処刑できなかったと言われています。いくらなんでも、これは大聖人を神格化するために、後世の信者が創作した伝承話だと思っていました。海中の岩の上(まな板岩)に置き去りにしてしまう話の方が、創作にしてもよほど現実味が有ります。ところが大聖人の御書『種種御振舞御書』に、この時の事がはっきりと記されているのです。

拝読した時には、これが事実であったことを知り、「久遠元初本因妙の佛」「如来秘密神通之力」という言葉が思い出され、大聖人が末法の御本仏であることがうかがい知れました。

釈尊の十大弟子の一人に神通第一といわれた目連という人がいました。彼の母が死んだ後、天眼を開いて母の様子を見ると、生前仏様への供養や他者への施しを惜しんだ慳貪の罪によって、餓鬼道に堕ちて苦しんでいました。常に飢えや渇きの苦しみを受けて、腹は山のように大きく膨らみ、喉は針のように細く、見るも無惨な姿になっていました。

母を助けるべく、神通力を使って餓鬼道に飯を差し入れると、母がその飯を口に入れる瞬間に炎となって母の身を焼いてしまいました。そこで神通力を使って今度は水を差し入れると、それが油に変わって母をいっそう苦しめてしまいました。

目連は釈尊のもとへ急ぎ、母を救う方法を乞いました。釈尊は7月15日に十方の聖僧を招いて百味の飲食を調えて供養することを教えました。そこで目連は、釈尊の教え通りに十方の聖僧を招いて供養を行い、たちまち母は餓鬼道の苦しみから逃れる事が出来ました。これが盂欄盆会の起こりとなります。

また目連が法華経を信じた大善によって自分自身が仏に成るのみならず、その父母をも成仏させることができました。このように仏(釈尊)やその弟子でさえも、これほどの神通力を持っているのです。ましてや釈尊の本師である御本仏(日蓮大聖人)ならば、なおさらのこと光り物(彗星)を動かす程の神通之力があっても不思議ではないのです。

この竜の口の光り物について『四条金吾殿御消息』に、諸天善神の内でも三光天子(日天子・月天子・明星天子)の中の月天子による守護であると仰せられています。

法界の不思議を説く法華経、その修業によって法界に即して、現実の大不思議が現れたのです。この不可思議な現象は、大聖人の己心の妙法が即宇宙法界であって、日月衆星をも手中にされる、久遠元初の本仏の内証境界における力用だと思われます。しかし大聖人は

「法門をもて邪正をだゞすべし。利根と通力とにはよるべからず」

と神通力を使う事は禁じております。

通力は畜生にすら備わっています。しかしそれらに頼っても宿業の解決にはなりません。目連の神通力をもってしても実母の餓鬼道の苦は救えなかったのですから、重要なのは神通力ではなく正法に縁していくことなのです。

正法(御本尊)自体が「如来秘密神通之力」「諸佛の秘要の蔵」なのですから、この信心修業によって、過去世の宿業(謗法)を転重軽受して、即身成仏、現世安穏・後生善処を果たしていくことが本道です。ところで「宗教原論」(小室直樹著/徳間書店)に、「インチキ宗教の見分け方」という興味深い記述があります。そのポイントは二つあると言います。

 

イ ン チ キ 宗 教 の 見 分 け 方 【金儲け宗教と奇跡をひけらかす宗教】

 

まず一つ目。金儲け宗教はインチキに決まっている。キリスト教でも仏教でも、お金を出さなければいけないなどとは経典のどこにもかいていない。

経典に書かれていない事を義務づけるというのは、啓典宗教にはありえない。

喜捨という行為にしたところで、仏教ではいくらいくら必要などという基準を示していないし、少なくても家屋敷を差し出せなどということは有りえない。身ぐるみ脱いで置いていけというのは山賊であって、宗教家ではないし、金を借りさせてまで払わせるのはもはや喜捨ではなく、強盗、いやそれ以上である。

二つ目は奇跡をひけらかす宗教です。仏教でも釈迦は奇跡などは止めておけという姿勢である。喜捨の見返りとして力を使うという例は紹介したが、喜捨は力を使う対価、報酬ではない。額の多寡で能力を加減するわけでなし、ましてや、○○病を治したければ最低一万円から、などという喜捨があるわけがない。

日本の仏教で奇蹟を起したとして畏敬を受けている日蓮(大聖人)も、不必要な奇蹟は起していない。

日蓮(大聖人)は数多くの奇蹟を起したけれど、それは結果としてやむをえず起していたもの。首を切られそうになったというくらいの事情なら仕方もあるまい。

本当に奇蹟を起こす人間というのは、いることはいるであろう。しかし、凄い奇蹟を起す能力と宗教的境地が高い低いということは何の関係もないのである。したがって、例えば宙に浮くことができるだとか、病気を治すことができるだとか、そういう能力があることを理由に、自ら教祖であるとか、神の代理人であるとかを主張する人間は、インチキ教祖に違いない。これは宗教をよく研究していると明白である。

 

日蓮大聖人は種々の宗教の高低・浅深を見極め、真実最高の宗教の判断基準を示されています。それは「宗教の五鋼」「五重相対」とよばれるもので、小室直樹氏の二つのポイントとは比較にならないほど的確で、道理のある優れた教相判釈の理論です。

これまで書いてきた事(方便経と実経、本已有善と本未有善、正像末の三時、熟脱と下種等)と重複する部分がありますが、その概要を一覧表で示しておきます。なお「四重興廃」「五重三段」などの選別方法も示されていますが、ここでは割愛します。

「宗教の五綱」「五重相対」等によ り、あまたある宗教の中でも三世の因果の理法を説く仏教が外道よりも優れ、仏教の中でも実経である法華経が優れ、法華経の中でも本門寿量文底下種の本門が最上の法であることが明らかとなります。

本門寿量文底下種の本門とは三大秘法(本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目)であり根本は弘安二年十月十二日御図顕の大御本尊になります。

 

宗 教 の 五 綱 、 五 重 相 対

【教・機・時・国・教法流布の前後、内外・大小・権実・本迹・種脱相対】

 

○宗教の五綱     

1、教【教えの浅深を知る】 

・五重相対、五重三段、三重秘伝、四重興廃等     

2、機【衆生の機根の適、不適を知る】 

・本已有善、本未有善、順縁逆縁の二機等

3、時【時代の適、不適を知る】 

・正法(解脱堅固・禅定堅固)、像法(読誦多聞堅固・多造  塔寺堅固)・末法(白法隠没・闘諍言訴堅固)の三時     

4、国【国柄の相違を知る】  ・寒国、熱国、貧国、豊国、中国、辺国、大国、小国、 一向小乗国、一向大乗国(日本)等     

5、教法流布の前後【教法を広める順序・次第を知る】(※従浅至深)

・小乗→権大乗→実大乗(法華経迹門→法華経本門→法華経本門寿量文底下種の本門)

 

○五重相対         

1、内外相対【外道(仏教以外)と内道(仏教)の相対】《浅》 

・外道(三世の因果に疎い)< 内道(三世の因果の理法)     

2、大小相対【小乗経と大乗経の相対】 

・小乗経(自己の救済のみを目的)< 大乗経(自他共の救  済を目的)

3、権実相対【権経(方便の経)と実経(法華経)の相対】 

・権経(未顕真実の経)< 実経(二乗作仏、一念三千等)

4、本迹相対【迹門(前半十四品)と本門(後半十四品)の相対】 

・迹門(始成正覚、本無今有)< 本門(久遠実成、本有今有)

5、種脱相対【文上脱益と文底下種の相対】《深》

・文上脱益(本已有善の熟脱の化導)< 文底下種(本未有善の下種、久遠元初の下種仏法)

 

     下種=三大秘法(本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目)「如来秘密神通之力」「諸佛の秘要の蔵」

 

正法の当体である本門の大御本尊は、静岡県富士宮市の日蓮正宗総本山内にある奉安堂に厳護されております。

この地において実に七百年以上の長きにわたって、連綿として護られてきています。