6 、 文 証 ・ 理 証 ・ 現 証
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法 華 講 員 の 体 験 談 ( そ の 1 )
丑寅の時刻に我が家に異変が! 不思議な現証に仏法の深淵を感じる(渡辺有生)
いまから十数年程前に、四国出身で実家が真言宗の寺の総代だという男性(心臓にペ−スメ−カ−を付けている)を自宅(東京都保谷市:現
このときの折伏は明け方にまで及びましたが、それは午前3時になって、男性の表情や態度が急に変わり始め、この男性の気持ちが入信に傾いたおりのことでした。
「入信します!」
と言って、その男性が我が家(一階の居間)に御安置していた御本尊様に目をやった時でした。
何と我が家(軽量鉄骨造りで築2〜3年の比較的頑丈な家)全体がビリビリビリ・・、バリバリバリ・・と振動を始めたのです。
最初は地震かと勘違いしたほどでした。その男性が御本尊様から目を離すと、その振動は一旦は収まりましたが、再度目をやると、再び我が家全体に振動が走りました。
「一念三千の法門」によると、三世間の中の国土世間にも十界があり、これらは他の五陰世間や衆生世間と連動することが説かれています。
人間の気持ち(一念)が国土世間(この場合は我が家)と連動しているということを、このとき身をもって体験しました。
推測するに、男性が入信へと傾いた気持ち(一念)と、御本尊とが感応し合って、大地(もしくは我が家)が、歓喜に震えたのではないかと思っています。私は念の為にこの日、気象庁に電話をして、今日の深夜に東京または保谷市を含めた多摩地域周辺で、震度1〜2くらいの地震がなかったかを問い合わせましたが、その返事は「ありません」とのことでした。
また、我が家が震えた直後(真夜中の3時ちょうど)、当時まだ幼かった末の息子が、突然寝室(2階)から大泣きしながら出てきました。
それまでの息子は、おねしょをしても、明け方までは一度も目覚めるということはありせんでしたし、またその泣き方も、何かにおびえたような異常なものでした。
この男性が帰った後で気がついたことでしたが、この息子が寝ていた部屋の目覚し時計と、男性と話し合っていた部屋の掛け時計が2つとも、3時ちょうどで止まっておりました。もちろん後にも先にも、このようなことはこのとき限りです。つまりこの時刻(丑寅の時刻)に我が家では、凡夫である私の知らない「何か」が起きていたのではないかと思っていますが、それが何かは分かりません。
日蓮大聖人は御書に
「御臨終のきざみ、生死の中間に、日蓮かならずむかいにまいり候べし。三世の諸仏の成道はねうし(丑)のをはりとら(寅)のきざみの成道なり」
と仰せられています。
なお総本山大石寺においては、御開山日興上人以来、歴代御法主上人の大導師により、一日も欠かすことなく丑寅(午前2時〜午前4時)の刻に勤行が行われ、宗祖大聖人の御遺命である広宣流布を御祈念されています。そうしたことからも、この午前3時という時刻は、凡夫には計り知れない、仏法上の深い意義が存しているものと思われます。
なおこの男性が入信した直後、その事を知った両親が四国から急きょ上京して、この信仰を止めるように、泣きながら説得したということです。
正法に対しては、必ずといっていいほど、
「三障四魔紛然として競い起る」
とありますが、そのとおりのことが起きたことも体験しました。
この男性は、私が折伏した最初の人でしたので、それだけにより印象深いものがありました。
後日、御書を拝読していると、「瑞相御書」の中に次のような御文があり、この時の信じがたい振動の理由が少し理解できた気がします。そこには、
「仏法華経をとかんとし給う時五瑞六瑞をげんじ給う、其の中に地動瑞と申すは大地六種に震動す・・・・今法華経は元品の無明をやぶるゆへに大動あり・・・・人の喜び多多なれば天に吉瑞をあらはし地に帝釈の動あり・・・・」
と書かれてありました。
丑寅の時刻、生死の中間に、この男性の元本の無明がまさに其の瞬間に破られ、その喜びの瑞相として帝釈の動きが現れたのだと理解しています。
御書の中にこの御文を見つけたとき、先ほどの体験とともに、さらなる仏法の深淵を感じました。
そしてあらため日蓮大聖人の御本尊の仏力・法力の深淵を確信いたしました。