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教
え 子 の 死
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事 故 の 一 報
昭和53年(1978年)12月25日の午前中に2学期の終業式がありました。私はその日の夜に東京の 翌26日の昼に、学校から「至急連絡をしてほしい」という電話が、外出中の板橋の自宅に入りました。 帰宅後何事かといぶかしく思いながらも学校へ電話をすると、5年生の保護者でもある事務の人から 「Mが交通事故に遭った!ヘリコプタ−で東京女子医科大学の病院に搬送された。」 という寝耳に水の内容でした。
事務の人の話によると、M君はこの日自転車で友だち数人と釣りに出かけ、海岸線に沿って作られていた島一番の見通しの良い直線道路(片側一車線)を走っていた時、後ろから一台の自動車がやって来たそうです。 その車はクラクションを鳴らしながら、加速させて自転車を右側(反対車線)から追い越そうとしたそうです。
車の運転者はクラクションを鳴らせば、自転車の男の子達は車に気づいて左側によけると考えたのでしょう。しかも減速せずにスピ−ドは80km程出していたそうです。 道路の中央付近を走っていたこのM君はクラクションを聞いて、後ろから来た車はそのままの車線で走り去るだろうと思ったのでしょうか、自転車を右(反対車線)に移動させてしまいました。
あるいは左側には他の子の自転車が寄っていたので、右側の方が避けやすかったのかもしれません。 自転車はこの自動車に追突されて、M君は20m程はね飛ばされて、道路に叩き付けられてしまいました。
頭部を強打したM君は、耳や鼻から出血が見られ、緊急用のヘリポ−トからヘリコプタ−で都内の病院に搬送されていきました。
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