6 、 文 証 ・ 理 証 ・ 現 証
◆ 法 華 講 員 の 体 験 談 ( そ の 1 1 )
入信10年を迎えて、あの異常だった自分が一変 (本多知史氏)
私は、昭和61年12月15日、幼なじみの佐々木支部長と、山田琢也班長に折伏していただき、入信することができました。今、この10年間を振り返り、御本尊様よりいただいた功徳の体験を発表させていただきます。
入信以前の私の生活は、まことに異常でありました。元来、地道に働くことが嫌いで、永年にわたって定職も持たず、夜も昼もない生活を送っておりました。
当時住んでいたマンションの月7万円の家賃も、入信当時、すでに263万円も滞納しており、ビルのオ−ナ−が催促をしてくると、
「払わない俺も悪いが、そこまで溜めさせたお前も悪い」
と言って、怒鳴り込みに行ったりしておりました。結局、その後、部屋中に赤紙を張られ、強制執行を受けて追い出されてしまいましたが、その時も一波乱あり、パトカ−が出動するという騒ぎになりました。
その頃、長男の小学校入学を目前に控えていましたが、住むところが決まらないため、入学手続きもできず、妻は本当にいたたまれない悲しい思いをしたようです。
また、以前の私は、コカインと大麻の常習犯でした。最後は密輸にまで手を染めるようになり、アメリカでは、逮捕されてブタ箱に入れられたことさえありました。
このような私ではありましたが、日蓮正宗に巡り会い、御本尊様を朝夕に拝み、折伏を行じていったところ、御本尊様の広大無辺の功徳が厳然と現れたのです。
入信3ケ月頃のある日、このような自分ではあるけれど、もう一度人生をまじめにやり直したい、という思いが腹の底から湧いてきたのです。むろん、かつて使っていた麻薬なども、ほしいとも思わなくなりました。同時に、仕事の方も、タクシ−の運転手として働き始めることにしました。
それまで何をやっても長続きすることのなかった私でしたが、不思議なことに、この仕事だけは何の無理もなく、楽しく勤めることができたのです。
それを見た妻はもちろんのこと、長男までもが、
「お父さんが別人になった」と言って・・・・・(涙に声を詰まらせる本多氏に講頭から「ガンバレ!」の激励。場内大拍手)・・・・・勤行をするようになりました。さらに、友人、知人達が次々と入信を決意し、多くの人達が妙観講員として共に信心に励むに至りました。御金言に、
「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり」
とありますが、こうして貧しいながらも、御本尊様と素晴らしい先輩に支えられて、生まれて初めての平和と安息の日々が訪れたのでした。そして、その後、御本尊様を有り難く思う一心から折伏をしていったところ、仕事上、さらに数々の功徳をいただくことができました。
まず、自分でも天職かと思えるほど、タクシ−運転手が楽しくて、こんなに楽しく働かせていただいた上に、お金まで貰えていいのだろうか、と思うほどでした。営業成績の方も、最初は250人中150番くらいでしたが、会社の人達を次々と折伏していくにつれて、100番、90番、80番と、グイグイ成績が上がっていき、社長をはじめ全社員に私の信仰のことが知れ渡った頃には、毎月平均20番ぐらいになっておりました。さらに折伏をしたことによって、元ヤクザの同僚に殴られたこともありましたが、その翌月には
「難来たるを以て安楽と得べきなり」
との御金言どおり、堂々一位になることができたのです。
さて、入信7年目にあたる平成5年12月、入信以来折伏をしてきた父に罰の現証が顕われ、それを契機に、私の人生にも大きな転機が訪れました。
私の家は、江戸時代からの油屋で、私の入信当時、父は
「学校始まって以来のワルです」
と言われ、また、長じては警察の厄介になることが度重なり、親の所に顔を出すのは金の無心をする時だけと、まったく私に裏切られ続けた父は世の中の誰よりも私を最も信用しておりませんでした。
さらに父は、過去に学会員から折伏されたことがあり、それ以来、異常なまでに日蓮正宗を嫌っておりました。
その父を折伏したものですから、父は、講中の先輩までも嫌うようになり、その後は、会ってもくれなくなったのです。家へ父を折伏しに行っても、居留守を使うので、帰ってくるのを待ち伏せてカ−チェイスになったこともありました。
そのような時、佐々木支部長から
「5年、10年とまじめに信仰を貫いていけば、最後は逆転して信心できるようになる時が来るんです」
との御指導をいただき、それを支えに父がわかってくれるまで頑張ろうと決意しました。
そして平成5年、バブルの崩壊により、にわかに父の会社も危うくなり、倒産の危機に瀕しました。この非常事態に対し、父が断腸の思いで5軒のスタンドのうち4軒を売却し、スタンド1軒とその上に立つ本社ビルを残して、何とか倒産だけは免れることができました。が、そこに至る過程では、父が信頼して会社の重役にしていた私の兄が、結局、父を裏切って会社から追放され、父は目(もく)していた後継者を失ってしまったのです。会社は大幅縮小、身内は造反と、まさに仏罰の現証そのものでありました。
そのような中、思いもかけぬことでしたが、父より
「お前が真面目になったことを認め会社を継がせたい」
と言ってきたのです。かねてから
「誰に継がせても、お前だけには継がせない」
と言い続けていた父だっただけに、本当に驚きました。
しかし、それには“私が日蓮正宗の信仰を止めて、家の宗旨である日蓮宗を継ぐこと”という条件が付いていたのです。
私は講頭に御指導をいただいて腹を決め、
「信心も絶対にやめないし、また、父が40年間守ってきた会社をつぶしたくもない。両親の恩に報い、また信心のことをわかってもらうためにも、どうしても、この二つの願いを同時に成就させていただきたい」
と、真剣に御本尊様に祈っていきました。そして、父に、信心をやめない意志をはっきりと示し、
「私はお父さんに報いるため、会社の発展のために、しっかり働きますから、信心を続けていく前提の上で、それでもよかったら、私を用いることを考えてください」
と返事をしたところ、しばらくして
「それでもいいから、会社にくるように」
と言ってきたのです。
こうして父に信仰を認めさせた形で家業を継ぐことになり、今では取締役になって収入も倍増し、経済的にも本当に安定してきました。また、社員15名のうち、4名が妙観講員という恵まれた中で仕事をさせていただいております。
思えば、これらの功徳は、すべて、御本尊様からいただいたものであり、その御本尊様のもとに正しく導いてくださった御住職や講頭をはじめ、妙観講の先輩方に本当に感謝申し上げます。
今、創価学会では、このありがたい御本尊様をニセ本尊と交換する大謗法を、あちらこちらで行っています。(後略)(法華講員の体験集『蒼碧集』4.より)