4 、 仏 法 を 学 ぶ
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定 業 ・ 不 定 業 ・ 転 重 軽 受
癌でも、脳の中枢にできてしまい手の施し用が無い患者と、そうでない場所と適切な処置で退院できる者とがいる事は多くの人が知るところです。
生れながらにして心臓に欠陥があり、心臓移植をしなければ助からない幼児がいて、外国で移植手術ができるように募金活動を行っているニュ−スを見ました。本人のみならずその両親の心痛は計り知れません。
ある母親は脳が萎縮してしまう難病にかかり、徐々に衰弱しながら亡くなりました。そして月日が流れ、今度は家庭を持って平穏な暮しを送っていたその娘も、同じ病が発症して脳の萎縮が進行していき、現在は車椅子の生活を余儀なくされていて、病状はさらに悪化していく一方です。その弟(私の知人)も、いつ自分も同じ病にかかるかと不安を抱えながら生活しています。
「よりによって何故自分達の家族が、こうのような難病にかからねばならないのか!」
とその運命を呪いたくなるであろう事は、察するに余りあります。
島にいて、わずか10歳で悲惨な交通事故に遭い、今世を終えねばならなかったM君を思い出すたびに胸が痛みます。
またM君が亡くなった翌年に島には珍しい転校生(K君)がありました。この島出身の母親が、内地での結婚生活の破綻で戻ってきた事によるものでした。内地で母親は、精神的な病で入院し、その母の傍らでカップラ−メンをすすりながら飢えをしのいだと言います。島に戻った母親は再婚し、K君は祖父母の家で暮らす事になり、K君の業の深さに心を痛めたものでした。
それから5年後の高校二年生の時に、K君は夜バイクでジュ−スを買いに出かけて自動車と正面衝突し、その生涯を終えました。
そして悲劇はそれだけでは終らず、この学年の別の男の子が30才代になったとき、伊豆諸島で起きた群発地震で島の崖が崩れて、たまたま車で通りかかってその下敷きになり命を落としてしまいました。
この学年は私が教員になって初めて受け持った思い出深い子供達で、5年生の時は27名の単学級でしたが、三名もの尊い命が事故で失われてしまいました。本当にやりきれない気持ちで一杯です。
大聖人は、
命 は 第 一 の 財 な り 【一日なりともこれを延ぶるならば千万両の金にもすぎたり】
○いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり、三千界無有直身命ととかれて三千大千世界にみてて候財も・いのちには・かえぬ事に候なり(白米一俵御書)
○命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延ぶるならば千万両の金にもすぎたり、法華経一代の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆへぞかし、閻浮第一の太子なれども短命なれば草よりもかろし、日輪のごとくなる智者なれども夭死あれば生犬に劣る、早く心ざしの財をかさねていそぎいそぎ御対治あるべし(可延定業御書)
と命の大切さを説いています。
しかしその命には業(定業・不定業)が宿り、その業を消滅しなければこの最第一の命が短命に終ってしまう事を説いています。その業を消滅させる方法として、
寿 命 を 延 ば す 法 【定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す】
夫れ病に二あり一には軽病二には重病・重病すら善医に値うて急に対治すれば命猶存す何に況や軽病をや、業に二あり一には定業二には不定業・定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す何に況や不定業をや、法華経第七に云く「此の経は則為閻浮提の人の病の良薬なり」等云々、(略)仏滅後一千五百余年・陳臣と申す人ありき命知命にありと申して五十年に定まりて候いしが天台大師に値いて十五年の命を宣べて六十五までをはしき、其の上不軽菩薩は更増寿命ととかれて法華経を信じて定業をのべ給いき(略)されば日蓮悲母をいのりて候しかば現身に病をいやすのみならず四箇年の寿命をのべたり
と妙法によって定業が消滅でき、寿命も延ばせる事を説いています。
仏教では一切の生命・生物は、過去の業因によってそれぞれの運命境遇に生れてきていると説明しています。正因縁の十界の生命観による業報の存在を説かれているのです。
人智をもって計り知ることができず、また転ずることのできない定業も、仏法の不可思議の功徳道法により救われるのです。
現世で定業を罪証消滅しなければ、来世でもこの苦しみは繰り返される事になります。妙法の功徳は、いかに深重な悪業もよく転じ消滅できるのです。
謗法の罪は正法(御本尊)を授持し信行することによってのみ、消滅させることができます。「転重軽受」(重きを転じて軽く受く)といって、過去世に積んでしまった重い罪業を転じて、今世の正法の修業で軽く受け流していけるのです。
日蓮大聖人は、このことを『転重軽受法門』で、
転 重 軽 受 法 門 【人間の苦報、現世に軽く受くる】
○涅槃経に、転重軽受という法門あり。先業の重き、今生につきずして、未来に地獄の苦を受くべきが、今生にかかる重苦に値い候へば、地獄の苦しみぱっときへて
○及び余の種種の人間の苦報、現世に軽く受くるは、斯れ護法の功徳力に由る故なり
と正法を護法していく中で「三障四魔」や「三類の強敵」などの様々な難が起こりますがだからこそ、過去の謗法の重罪を軽く受け流していける道理をお説きになっています。
必ず三障四魔と申す障いできたれば、賢者はよろこび愚者は退くこれなり
と『兵衛志殿御返事』にあるように、三障四魔が起きた時には、定業を消滅できる転重軽受の機会が訪れたのだと、むしろ喜ぶべきことを説いています。