4 、 仏 法 を 学 ぶ

 

 

          三 世 両 重 の 十 二 因 縁

 

「苦集滅道の四諦」のところでも触れた「十二因縁」について、ここで詳細に記したいと思います。 

 

過去世の二因 1、無明: 倶舎に云く「宿惑の位は無明(煩悩)なり」/我々の生命が元々もっている煩悩のこと。

2、 行: 倶舎に云く「むかしの諸業を行と名く」/その煩悩によって過去世で自ら作ったそれぞれの宿業(善業、悪業)のこと。

現在の五果  3、 識: 倶舎に云く「識とは正しく生を結する蘊(おん)なり」/過去世の二因によって、現在の母親を定めてその体内に入る五蘊(色、受、想、行、識という人間の五つの要素)の          こと(五陰ともいう)。受胎すること。

4、名色: 倶舎に云く「六処(眼・耳・鼻・舌・身・意の六根)の前は名色なり」/胎内で心身が発育しはじめた状態。

5、 六処: 倶舎に云く「眼等の根を生ずるより三和の前は六処なり」/心身に六根がすべてがそろった状態。

6、 触: 倶舎に云く「三受の因の異なるに於て未だ了知せざるを触と名く」/生まれたばかりで、分別がないまま物に触れて感ずるだけの状態のこと。

7、       受: 倶舎に云く「婬愛の前に在るは受なり」/寒熱を知って未だ婬欲を発っしない時/やや成長し、苦・楽などを識別して感受する状態のこと。

現在の三因  8、  愛:  倶舎に云く「資具と婬とを貪るは愛なり」/異性を愛して 婬欲等を発すること/さらに成長して、事物や異性に愛欲を感ずる段階のこと。

9、  取:  倶舎に云く「諸の境界を得んが為に遍く駆求するを取と名く」/成人して、他人のものを貪り取る時/成人して、物事に貪欲すること。

10、 有:  倶舎に云く「有は謂く正しく能く当有の果を牽く業を造る」/未来も又このように生を受けるべき業をつくる/愛や取などの現在の因により、未来世の果を定めること。               

未来の両果  11、 生:  倶舎に云く「当の有を結するを生と名く」/未来に正しく生を受けて母の腹に入る時をいう/未来世に生を受けること

12       老死:  倶舎に云く「当の受に至るまでは老死なり」/生老死を受けることを老死憂悲苦悩ともいう/未来世において、年老い、死ぬこと。

 

私たちの生命は、こうように過去の二因(無明、行)→現在の五果(識、名色、六処、触、受)→現在の三因(愛、取、有)→未来の両果(老死憂悲苦悩)という十二の因縁が三世にわたって連鎖しながら、生死の海を流転していくことになります。

したがって老死憂悲苦悩はすべて煩悩(無明)から生じていることがわかります。しかがって煩悩(無明)を滅すれば老死憂悲苦悩がなくなることがわかります。

ちなみに私は道理に暗く、自己中心的な思考が多く、飲酒は生活習慣病の域に達しており、私の血を吸った蚊や自宅に侵入してきたムカデに対する殺生は、罪悪感すら感じておらず、現世で善業を積むどころか悪業ばかりが積み重なっています。

しかも精神は散漫で浮ついており、苦集滅道によって煩悩(無明)を滅して、老死、憂悲、苦悩を滅する(四苦八苦を離れる)事など、凡人の自分にはとうてい不可能なことだと思っています。

ところでこうした教えは、法華経の序文である無量義経では

 

四 十 余 年 未 顕 真 実

 

諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと、方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず。

 

と説かれ、また法華経方便品では

 

○世尊は法久しうして後かならずまさに真実を説きたもうべし

○諸の菩薩の中に於て正直に方便を捨てて但無上道を説く

 

と説かれ、法華経を説く以前の説法は全て方便であり、法華経において諸佛の秘要である真実最高の教えを説くと言っています。

ですから四諦の法門や十二因縁も小乗経に属する方便の教えになります。したがって法華経が説かれるまでの方便経は、不真実の経といえます。しかし法華経が説かれたうえは、それ以前の方便経はその意味が明らかとなり、諸経は法華経の中に会入されます。

つまり法華経が説かれたあとの方便経は、法華経の真理を説き示す経となります。したがって法華経の真実から引用される場合の方便経は、不真実とはなりません。

小乗経の教えである四諦の法門や十二因縁の基である煩悩(元本の無明)は、末法においては、正八道や以下で示す六波羅蜜の修業ではなく、妙法(御本尊)の信行によって、初めて克服できることが明らかになるのです。