6 、 文 証 ・ 理 証 ・ 現 証
◆
法 華 講 員 の 体 験 談 ( そ の 9 )
邪宗の害毒を乗り越え、みごとな成仏を遂げた母 (佐々木寛司氏)
本日は、半年前に亡くなった、私の母の体験を述べさせていただきます。
私の実家は京都にあり、もともと葬儀屋をしていた関係で、邪宗に深く関わっており、さらには熱心な浄土真宗本願寺の檀家でもありました。
そうした邪宗の害毒によって、私の母は、今から17年ほど前、難病といわれるリウマチになってしまいました。
リウマチという病気は、現代の医学をもってしても治すことができず、全身の筋肉、そして骨という骨、関節という関節を、次第に蝕んでいきます。母も例外ではなく、肩、ひじ、ひざ、手足の先まで、年々、まるで公害によって生まれた奇形魚のような無残な形に歪んでいきました。
それに伴う激痛は想像を絶するものがあり、さらに、その痛みを抑えるために多量のステロイド剤を服用したことから、副作用で肝臓を悪くしてしまい、顔は倍ぐらいにはれあがり、体には力が入らず、とうとう、ほとんど寝たきりの状態になってしまったのです。当時、母は涙ながらに
「早く死んでしまいたい」
と、口グセのようにつぶやき、悲嘆にくれておりました。
そんな状況下、私が日蓮正宗の仏法に巡り会い、信心を始めたことから、母も、長年すがってきた念仏信仰こそが不幸の根元の邪宗教であることに気づいてくれ、昭和57年に入信することができたのです。それ以後、信心に励むようになった母は、次第に元気になり、登山へも、また東京の私のところへも、一人で来れるほどになっていきました。
しかし、大聖人様が
「無間地獄の業」
であると批判された念仏を、長年にわたって信仰してきてしまった母の罪業は重く、腎臓病、心臓病、胃かいようと、病魔が次々と現れてきました。
そんな母を、講頭はいつも御心配くださり、一貫して
「病気を治すためには、真剣に御本尊に祈り、手紙でも電話でもいいから、精いっぱい折伏をしましょう」
と、重病が起きた時こそ、その宿業を転換していくには折伏しかないと、びきしくも慈悲のあふれる指導をしてくださいました。
母は、そのつど決意をあたらにし、登山にまた総会にと、入院中でも強引に外出許可をもらって、参詣していきました。そして病院においては、看護婦さんや知り合った患者さん達に対し、喜んで折伏するようになりました。
そのように、御本尊様を頼みの綱として仏道修業に励んでいきましたところ、そのつど命にもかかわるような危機的な状態から助けていただける、という大功徳を頂戴いたしました。また逆に、信仰がゆるみ、強く怨嫉謗法を犯した時には、てきめんに罰が顕れました。
そのときのことですが、母は、トイレの中で突然、意識を失って頭から倒れてしまい、かつぎ出された時には、目は大きく見開いて天井を見たまま動かず、口は大きく開け、顔は土色に変色し、まさに地獄の相そのものだったそうです。
回りで妹達が必死に唱題していきますと、意識は戻ってきましたが、倒れた時のショックで首の骨がずれてしまい、以来、首にコルセットをはめ、首の痛みにさいなまれていくことになってしまったのです。この現証によって母は、本当に謗法が恐ろしい、ということを心底から思い知ったようでした。
その時の首のズレは、月日と共に大きくなって、7〜8ミリにもなっていき、病院からは、
「これ以上あと2ミリでもズレてしまうと、首の中に通っている神経を押しつぶしてしまい、全身マヒを起こし、最悪の場合は呼吸ができなくなって死んでしまう」
と宣告されてしまいました。
唯一の治療法は、自分の大腿骨を削り、その骨を首の骨に移植するという、非常に困難な大手術をするしかない、というのです。しかし、体力も衰えている母に、とてもたえられるかどうか、保障はなく、また手術が成功するという保障もありません。
母は自分の罪証消滅のため、また、手術が失敗すればもう登山に行けなくなってしまうとの思いから、最後の登山だと思い、大御本尊様を求めて本山に参詣しました。そして手術に対する覚悟も決めて下山し、翌日病院に行って診察してもらったところ、先生がびっくりした顔をして、
「首の骨が自然に元に戻ってきている」
というではありませんか。骨がズレていくことはあっても、正常な方に戻ることなど、ありえなかったものが、御本尊様の大功徳によって、またしても命を救っていただいたのでした。
しかしそのように、病を克服し、命を延ばしてきた母も、高齢になり、次第に身体も衰えて、いよいよ最期の時が近づいてきました。
昨年7月、母は、家の中での歩行が困難になったことから、病院の方が、身体の負担が少なく、治療にも専念できるだろう、とのことで入院いたしました。この時点では私も、そのうちまた良くなって退院してくるだろうと、楽観的に考えておりましたが、母の身体の機能は一気に衰えていったのです。
9月に入って、義理の弟である高坂幹事から、まったく予想もしていなかった連絡が入り、母の意識がほとんどなくなった、というのです。私は、このとき初めて事の重大性に気づき、副講頭に御報告したところ、さっそく御秘符を頂戴できるように御住職にお願いしていただきました。
その日のうちに御秘符をいただいた私は、すぐに京都に向かいました。病室の母は目を閉じたまま眠り続けており、呼びかけると少しは目を開けるのですが、そのまま、すぐに目を閉じてしまう、という状態でした。
すぐに御秘符をいただかせ、南無妙法蓮華経とお題目を唱え続けていきますと、初めの2、3時間はまったく状態が変わらなかったのですが、6時間ほどたった夜中12時すぎになって、だんだん意識が戻りはじめ、はっきりした声で
「こんなもんで死なへん」
「また体験発表をさせてもらう」
等と冗談まで言えるほど、急激に回復してきたのです。
私は今度も御本尊様に助けていただいたと、ありがたさで胸がいっぱいになりました。講頭に御報告したところ、講頭は
「それは良かったね。御本尊様のお力は、そのように医学でも理解できないようなことが起こるんだよ」
とおっしゃり、さらに「生老病死」の理の上から、功徳によって延命をさせていただけたけれども、しかし
「生あるものは必ず死を迎えなくてはならない」
という厳しい現実があることを指導され、
「くれぐれも絶対に自分の信心を緩(ゆる)めないように」
と注意をしてくださいました。
それを伺い、私は、母の状態が良くなったことを手放しで喜んでいた自分の油断を指摘していただいたのだ、と思いました。
そこで私は、母に功徳を廻すべく自らが少しでも多くの功徳を積もうと思い、唱題を重ね、会合に参加し、折伏、家庭指導にと、一つひとつの活動を精いっぱい闘っていきました。その中で、御本尊様の功徳は厳然として、母は命を永らえていったのです。
こうして、しばらくは意識も戻り、回復していた母でしたが、講頭の言葉どおり、2週間、3週間と経つうちに、母は次第に体力が衰えていき、医者からも
「いよいよ一両日中が山でしょう」
と告げられました。
病室の母は、息も浅く、酸素マスクをつけたまま、昏睡状態となっていましたが、子供達と一緒に母のそばに近寄り
「おばあちゃん、また来たよ」
と話しかけると、不思議にも昏睡状態の母の目尻に、見る見る涙がたまり、溢れだしたのです。
「ああ、おばあちゃんはちゃんとわかっているんだね」
と言って、家族皆で、母のそばでお題目を唱えていきました。
9月29日、皆で唱える唱題の中、母の呼吸は次第に浅くなり、血圧も下がっていきました。そして、いよいよ臨終という段階から、医学や常識というものでは、まったく理解できないことが起こってきたのです。
その場には、大人4人と子供達とで、母の顔を見つめながら唱題していたのですが、誰も気づかないうちに、母は静かに息を引き取っていました。母の顔は、薄目を開け、口も少し開け、まさに半眼半口で、さっきまで酸素が欠乏して紫色だった指先から、そしてさらには全身が、生きている時のような肌色に戻っていきました。
看護婦さんが
「あとで、顔が紫色になってきますよ」
と言って死に化粧をしようとしましたが、一切断り、葬儀屋さんも
「ドライアイスを入れないと臭いが出て大変ですよ」
と忠告してくれたのですが、それも断りました。
母の遺体を自宅に連れて帰ってから、京都、大阪、名古屋の講員さん達が、葬儀までの丸三日間、昼夜交替で四六時中、途切れることなく唱題を続けてくれました。そこに来られた方々は皆、母のきれいな相を見て、口々に驚きの声をあげておられました。
何より、亡くなったその日より翌日、さらには翌々日と、日が経つにつれ、ますます相がよくなり、目元にどんどん紅がさし、唇が赤く輝いてくるのです。初めて母の顔を見た方々は、てっきり口紅をつけているものと思ったそうです。
さらに驚いたことに、リウマチのため、曲がってしまっていた両足までが、まっすぐに伸びているではありませんか。しかも、通常の遺体は、死後数時間を経過すると、人間の体がこんなにも固くなるのかと思うくらい、丸太のごとくカチカチになるものです。ところが、母の場合は、死後硬直がまったくなく、三日目になっても、手足はフニャフニャの状態で、手にかけてあげたお数珠がはずれては、もう一度かけ直すのに苦労したほどでした。
葬儀屋さんも、よほど驚いたらしく、納棺のあと、私のところに来て、
「イヤ、驚きました。臭いがまったくなかったですね」
と語っていました。
この葬儀に際し、猊下様よりは、もったいなくも「浄義院妙博日芳信女」との日号を賜りました。私達にとっても、亡き母にとっても、これに勝る喜びは他にはありません。母は、この無上の喜びを胸に霊山へと旅立っていきました。
今度の母の臨終に接し、大聖人様の
「善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛(がもう)の如し、軟らかなる事兜羅綿(とろめん)の如し」
「死すれば光を放つ、是外用の成仏と申す」
との仰せが、まさに真実であることを、あらためて深く確信させていただきました。
これからは、この御本尊様に救いきっていただいた大恩を、一生涯忘れることなく、精いっぱいの御奉公を貫いてまいります。(法華講員の体験集『蒼碧集』5.より)