2 、 臨 死 体 験 、 前 世 療 法
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宗 教 は 「 行 動 様 式 」 を と も な い 「 感 応 」 と い う 現 象 が 生 じ る
このように教義(ドグマ)に従うのが宗教なのですから、例えばオウム真理教の敬虔な信者達は、このオウム真理教のドグマ(といっても浅原彰晃教祖が勝手に都合よく創り上げたのだが)に従って忠実にサリンを撒いて大量無差別殺人を行い、忠実に坂本弁護士一家や不都合な人間をポアしていきました。それが絶対的な正義だからです。
その結果ドグマに忠実に従った信者は、そのほとんどが死刑囚として、現世を終えようとしています。ですから「宗教はその選択を誤ると非常に恐ろしい!」ということを知るべきなのです。
宗教は「行動様式」をともない、人間を意識(六識)的、無意識(七識〜九識)的に突き動かしていきます。つまり信仰することによって、自分と信仰との間に「感応」という現象が生じ、全人格に染め込んでいく働きがあります。
相手に対する信頼や尊敬の念が強ければ強いほど、相手から受ける影響も大きくなるのと同じです。ましてや「信仰」とは、字のごとく、手を合わせて礼拝する程に「信じて仰ぐ」行動様式ですから、その影響は自分と信仰とが一体化してしまう程に、ストレ−トに最大限に全人格に強烈に及ぼしていきます。
例えば熱心に稲荷(「狐」)信仰をしていた人が、ある瞬間に全く狐のようにピョンと跳ねたり、狐付きにあったりする現象は、両者の間で一体化(感応)したことによる表れです。
また別の例では、ある時白装束に身を固め、手には数珠を握り締めたご婦人と道ですれ違い、何気なくそのご婦人の顔を見てぞっとしたことがありました。この世の憎しみと恨みの全てを表情に込めたような、本当におぞましく凄じい形相をしていたからです。後にも先にもあの表情は未だにお目にかかったことがないくらいです。思わず振り返ってしまいましたが、その白装束の後ろには、ある蛇神社の名前が書き込まれていて、その修業を終えた帰りのようでした。畜生である「蛇」と一体化(感応)した姿を目の当たりにした瞬間でした。
宗教にはこのような力があるので、安易に選択しては大変なことになります。
「宗教はその選択を誤ると非常に恐ろしい!」
ということを肝に銘じるべきなのです。だからといって無宗教ならば良いかというと、それもまた怖いことなのですが、それは別のところで述べていきたいと思います。